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プラトニクス  作者: coach
193/281

第193話:明明後日までのモラトリアム

 瀬良太一(タイチ)は、真夏の暮れなずむ街の一角で、バスを待っていた。一日楽しく遊んで、家に帰るところである。太一には大抵の場合、付き合っている女の子がいたけれど、今はたまたまフリーであり、仲のいい男子も都合が合わないので、やむをえず、小学校のときからの腐れ縁の女の子を誘ってみた。すると、

「奢ってくれるならいいよ」

 と足元を見られたので、今日のお遊びの費用を全部持った上に、プレゼントまでしてやるという気っぷの良さを見せつけてやったのだった。

「遊ぶ相手いないとか、珍しいじゃん」

 昼食のために入ったハンバーガーショップで、腐れ縁の少女が言う。

「この前告白したけど、振られたからな」

「そうなんだ、どんな子?」

「一年生の清純な子」

「汚されなくてよかった、よかった」

「オレはバイ菌か何かか?」

 そう言うと、彼女は、太一の顔を覗き込んだ。

「なんだよ?」

「もしかしてショック受けてるの?」

「振られればショックを受ける。これ、当たり前」

「女なんて星の数ほどいるじゃん」

「星の数ほどいるけど、みんながみんな星みたいに光り輝いているわけじゃないからな」

「おー、うまいこと言うね」

「別にその子に振られたことにはそんなにショックは受けてないよ」

「じゃあ、何か他にあるんだ?」

「あるね、ありまくるよ。悩み多い年頃だからさ」

「わたしで、力になれる?」

「なれるとしたら、なってくれるのか?」

「聞いてみただけだよ」

「だと思った。ちなみに、まあ、ちょっと難しいと思う」

「じゃあ、よかった」

 太一は、腐れ縁の彼女の、北欧の女優のような彫りの深い顔立ちを見つめた。

「お前だっていま付き合っているヤツいないんだろ?」

「言っておくけど、わたしは振られたわけじゃないから」

「なんで付き合わないんだよ」

「あー、あたし、当分あんただけでいいわ」

「いや、オレたち、付き合ってないじゃん」

「当たり前でしょ。そういうことじゃなくて、男とどっか行くのはあんただけでいいってこと。それよりも、面白いこと見つけたからさ」

 それはまことに結構なことである。太一は、目前の彼女が、あまりに男をとっかえひっかえしているので、そうして、その男がどいつもこいつも、箸にも棒にもかからないような男なので、心配していたのだった。

「タイチに言われたくないけど」

「そりゃそう……なのか?」

「そうでしょ。ポテトもらうよ」

 そう言って、彼女は、自分の分のポテトを食べたことを示したあとに、手を伸ばしてきた。

 太一は、ポテトの包みを差し出してやった。

 楽しい会話とともに腹ごしらえを済ませて、アミューズメントビルに入って、カラオケで声を嗄らし、アーケードゲームでガチャガチャやったあと、近くにあったアクセサリーショップで彼女に小物を買ってやって、

「親に来てもらうけど、あんたも乗ってく?」

「いやいいよ。オヤジさんに殴られたくない」

「なんで殴るのよ?」

「娘と遊んでいる男だぞ。父親としちゃ、ファーストコンタクトで殴らなけりゃいけないだろ?」

「そういうルールなの?」

「物を知らないな、美優(ミユウ)は」

「面白そうだね」

「勘弁してくれよ。じゃあな」

 以上のようにして、別れてきたところだった。

 バス停でバスを待ちながら、太一は、スマホのSNSのアカウントを確認した。メッセージが入っていて、

「断られた。力になれなくて悪い。また何かあれば言ってくれ」

 とあるのを読んで、ふう、と息をついた。

 太一には、今、付き合っている女の子がいないなんてことよりもよっぽど大した悩みがあって、その解決のための助太刀を友人に頼んでいたのだった。それがうまくいかなかったことが分かって、どうしたもんかと首をひねった。

 その悩みとは、友達関係である。友人との仲がこじれている。その原因が自分にあって、しかも全面的に自分のせいだということを認めるのにやぶさかではないけれど、それを認めたところで、問題の解決には至らない。共通の友人を介するのではなく、自分自身で彼のところに赴けばいいのかもしれないが、それでどうにかなるものでもないような気が、ひしひしとしていた。

 しかし、どうにかならなくても、どうにかしなくてはならない。太一にとって、その友人は特別なのだった。もちろん、友人はそれぞれに大切であるわけだけれど、その大切さの意味合いが全く違うのだった。将棋の駒における王将のようなものである。どの駒もそれぞれ大切だけれど、王将がなければ、そもそもゲームが成立しないわけで、彼が友人でなければ、生活する張り合いがないのだった。

 二年前に彼に会うまで、太一には、人間が計り知れないものだという実感はなかった。人間を感情と欲望で割れば綺麗に割り切れてしまって余りが出ない、そのようなものとして、まことに分かりやすい存在としてとらえていた。その計算の結果、太一は、男子にも女子にも人気があったし、学校の教師にも周囲の大人にも気に入られていた。それが、彼に会ってから全てが変わってしまった。彼に会ったとき、まるで初めて言葉を覚えた赤子のような、そんなときのことは全く覚えていないのだけれど、もしもその瞬間があったとしたらそのようであろう、と思われるのと同じショックを受けたのだった。

 バスが来た。太一の前後には、総勢で十人くらいがいて、それぞれにバスに乗り込んだ。太一は長椅子状のシートに腰を下ろした。

――どうするかな……。

 彼との関係をどう修復すればいいか、時間に解決してもらうのも一つの手だが、それはいかにもつたない話だった。

――髪でも剃るか。

 頭を丸めて、反省を示すというのはどうだろうか。これはなかなかいい手だと思われた。可能性はある。綺麗な坊主頭を見せれば、笑ってもらえるかもしれない。そうして、笑ったついでに、許してもらえるかも。

――五分五分だな……。

 笑っただけで、それはこれ、これはこれ、と思われる可能性も十分にあり得た。もしもそうなってしまったら、これは髪の切り損ということになってしまう。

 二つバス停を過ぎたところで、ちょうど帰宅時間なのだろうか、バスは混雑し、ほとんど座るところがなくなってしまった。太一は、一人の年高い女性の姿を見た。六十を過ぎているように見える。買い物袋を一方に下げて、もう一方の手をバーに当てるようにして、立った。

 太一は、誰も彼女に席を譲ろうとしないことを確認した。老婦人に席を譲る特権を年若い自分が得てもいいのだろうか、と遠慮していたのだけれど、誰もその権利を利用しようとしないので、席を立って、彼女に声をかけた。

「どうぞ、ここに座ってください」

 すると彼女は首を横に振るようにした。断られた太一がなおも勧めたところ、彼女は、気分を害したような顔をして、

「わたしはそんな年じゃないんです。ありがためいわくですよ」

 と言ってきた。なるほど、と太一は、心中で深く納得した。これでは、誰もバスや電車の席を譲らないわけである。モラルが低下しているということもあるかもしれないが、譲られる方が頑として譲られまいとするのであれば、譲ることなどできようはずがない。太一は微笑んでみせると、

「お年だと思ったから席を譲ろうと思ったわけじゃありません。あなたは女性で、ぼくは男なので、席を譲りたいと思ったんです」

 そう声をかけたところ、彼女のこわばった顔は緩んだようである。ほお、と周囲から、吐息が漏れるのが聞こえてくるような気がした。

 老婦人は、そういうことなら、と太一の席に座った。周囲の女性からの感嘆の視線と、男性からの憎々しげな視線を得た太一は、どちらまでいらっしゃるんですか、と自分がバスを降りるまで、彼女と世間話を始めた。

「お兄さんは、高校生ですか?」

「いえ、中学生です」

「まあ、大人びて見えるわね。どちらの中学なんです?」

 学校名を伝えると、学校にお礼を言っておくとのこと。別に学校から教わったことではないので、学校の名誉を高めることもないのだけれど、断るのも面倒なので、好きにしてもらうことにした。

「じゃあ、失礼します」

 太一がバスを降りると、日はようやく地平線に傾いていた。一日は楽しく終わりそうだったけれど、問題は何も片付いていなかった。明日になれば、何か名案を思いつくかもしれない。新しい日には、あらゆる種類の可能性がある。もしかしたら、明日世界が滅んで、彼との仲を考える必要も無くなってしまうかもしれない。もしもそうなってしまったらつまらないが、いつ何が起こるか分からないのが人生だということは、確かめるまでもないほど明白な話だった。

――だったら、今日会っておくか。

 とも思ったけれど、思っただけで足は動かない。これから彼は夕食のはずだし、太一もそうだった。夕飯の時間には夕飯を食べるべきであって、謝罪をしたり、謝罪を受けたりするべきじゃない。

 太一は素直に帰路を取った。ちょうど夕日に向かって歩く格好になる。山の向こう側に隠れるようになっていくオレンジ色の日を見ながら、太一はたわむれに自分の人生について考えてみた。カノジョはいないし、親友には嫌われている。特別頭がいいわけでもなければ、スポーツに秀でているわけでもない。ルックスは多少いいが、それだって、たとえばモデルになって活躍できるほどかというと、これは大いに疑問だった。こうして考えてみると、太一は、神様は自分の誕生祝いにロクなギフトを与えてくれなかったのではないか、と疑うしかない自分を感じた。

 しかし、そうやって神に文句を言ってみても、再発送してくれるわけでもないし、これは所詮は冗談に過ぎなかった。太一の心はもっと楽天的にできており、無い物ねだりを本気でやるだけの暗さは心の中の隅々までをよくよくと探してみても、無いようである。

――とりあえず、明日考えることにするか。

 太一は結論とも言えない結論を出して、友人との間のこじれた仲の解決を、明日に丸投げすることにした。もしも明日どうにもならなかったら、どうするか。そうしたら、明後日(あさって)に賭けるだけの話である。明後日もダメだったら、明明後日(しあさって)、明明後日もダメだったら……。

「あれ、そういえば、明明後日の次って、何て言うんだ?」

 太一がいくら楽天的であるとは言え、名前も知らない日に賭けることはできようハズもなく、もしもその日まで事態が好転しなければ、その日には自らの意志で何らかのアクションを起こさなければならない、と覚悟した。

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