第189話:宏人の夏祭り
「夏祭りに行かないか?」
ミーンミン、ミーンミンミンと蝉の大合唱が聞こえる中、ぶ厚い日差しの下で、宏人は友人の提案を聞いた。
「夏祭り?」
「知らないのか? 踊りながら屋台をハシゴするイベントだ」
それは知っていたが、意外である。宏人は彼のひきしまった顔つきを見た。どう見ても、祭りではしゃぐようには見えない顔だった。
「な、何が狙いだ?」
探るように言った宏人は、彼が何か答える前に、
「分かったぞ、一哉。その祭りの最後にオレに告白するつもりだろ!」
自ら答えをひねり出した。
「祭りの雰囲気に酔っているところに告白するつもりだな! 悪いけど、オレにはもう心に決めた人がいるんだ。他を当たってくれ」
「え、お前そんなヤツいるの?」
「いるんだよ。だから、諦めてくれよな」
「マジかあ。じゃあ、まあ、諦めるわ」
「おいおい、ちょっとは粘ろうよ。諦めなければ、もしかしたらうまくいくかもしれんよ」
「ヒロト。この会話続ける必要あるか?」
「いや、ない」
「じゃあ、夏祭りの話に戻るぞ。何か奢ってやるよ」
「いきなり何の話だよ」
「リンゴ飴がいいか、それともイチゴ飴か?」
「なんで『飴』限定なんだよ」
「しょうがないな。じゃあ、綿菓子を奮発してやるよ」
宏人は、リンゴ飴とイチゴ飴より綿菓子の方が高級なのかどうかイマイチ分からなかったし、大して好みでもないので、タコ焼きにしてもらうことにした。
「っていうか、どうして奢ってくれるんだよ。友情の印か?」
「妹がお前に会いたがっててさ。そのお守の料金だよ」
なるほど、と宏人は納得した。友人には年若い妹がいて、宏人は彼女になつかれていた。おままごとにおいて、「犬」という大役を割り振ってもらったことはいい思い出である。その妹を、兄は友人に押しつけようとしているのだ。
「そんなことしていいのか、カズヤ、お前のことを『お兄ちゃん』って呼ぶことになるかもしれないけど」
「それはいいな。その辺の訳の分からない男にやるなら、ヒロトにやった方がいいからな」
「おいおい、冗談だよ」
「オレは割と本気だけどな」
宏人は友人と一緒に夏祭りに行くことに決めた。部活をやる以外は暇を持て余している身である。お守であれなんであれ友人の役に立つのであれば、有効な時間の使い方だと言えるだろう。
「じゃあ、明日の5時に駅前に待ち合せようぜ」と一哉。
「あ、夏祭りって明日だったっけ?」
「明日は都合悪いか?」
「いや、全然」
「駅前広場の時計台な」
「駅前もいいけど、オレ、ここまで来てもいいけど」
「ん?」
「チビちゃん、駅前に連れてくるだけでも大変だろ。ここから面倒見るよ」
「ヒロト……」
「え? 何か変なこと言った?」
「いや、ちょっと惚れそうだっただけだ」
「相手がいるって言ったろ、もらうのは恋心じゃなくて、たこ焼きでいいよ」
「じゃあ、ここまで来てくれ、わりいな」
「りょーかい」
そういうわけで、宏人は、翌日の5時、まだまだ明るい時間帯に、友人のアパートの下の公園で、待機していた。公園にはめずらしく子どもの姿が少なかったが、おそらくお祭りに行っているのだろう、と宏人は思った。子どものためのチビッコ祭りというものが、本番のお祭りに先んじて行われているハズだった。
――ん……?
だとしたら、一哉の幼い弟妹たちも、それに参加するわけであって、大人向けの方に参加する話になっているのは、どうしてだろうか。一哉がチビッコに混じるのを嫌がって、本祭りの方にチビちゃん達を連れて行くことにしたのか、と思ったが、
――いや、でも、カズヤなら……。
普段から面倒見のいい彼のことだ。チビちゃん達をチビッコ祭りに連れて行くことを嫌がったりはしないだろう。だとすると、逆に、チビ達が、大人向けの方に行きたいと言い出したのかもしれない。二人とも、こまっしゃくれているので、十分にありそうな話である。
そんなことをああでもないこうでもないと考えていると、後ろから足音がして、人の気配がした。
「遅いぞ、カズヤ」
約束時刻は過ぎていなかったので、別に遅くなかったが、ノリでそう言いながら振り返ると、そこにいたのはクールな友人ではなくて、浴衣姿の可憐な少女だった。幼い顔立ちから、宏人より一歳か二歳年下であるようである。
「す、すみません。人違いです」
宏人が慌てて謝ると、少女は、
「倉木宏人さんですよね?」
訊いてきたので、宏人はきょとんとした。見ず知らずの彼女が、なにゆえ自分の名前を知っているのだろうか。
「わたし、一哉の妹です。兄がいつもお世話になっています」
そう言って少女はペコリと頭を下げていた。一瞬、宏人は何を言われているか分からなかった。確かに一哉に妹はいるが、彼女は幼稚園児のハズである。自分は知らぬ間に時を超えてしまったのだろうか、と考えた宏人は、
――そう言えば……!
一哉にはもう一人、同じ中学に妹がいたことを思い出した。
「その妹さんなの?」
「はい、先輩」
そう言って屈託なく浮かべてくる笑みの可愛らしさに、宏人は気持ちがふわふわするのを覚えた。
「今日はよろしくお願いします」
妹ちゃんは、ショートにしている頭を綺麗に下げた。
――ん?
何をどうよろしくすればいいのか全く分からない宏人が、素直に訊き返すと、
「え、あれ? あの、兄からお聞きしてないですか? 今日、わたしとお祭りに行ってくださるんじゃ……」
彼女は、戸惑いがちに言った。
――妹ってこの子のことだったのか……って、分かるか―い!
宏人が一人でツッコンで遊んでいると、目の前の少女が不安げである。一応、宏人は、彼女の下の弟くんと妹ちゃんはどうしたのか訊いてみると、
「二人は兄に連れられて、お昼のチビッコ祭りに行ったまま、まだ帰って来ていません」
とのこと。なるほど、それでは、やはり彼女のエスコートを頼まれたというわけである。一応、一哉に電話して尋ねてみようかと思ったけれど、
――面白がってるんだろうな、カズヤのヤツ……。
と考えれば、慌てふためいたところを見せれば、さらに面白がらせることになると考えて、やめておいた。
「……先輩?」
おずおずとした少女に、宏人は、
「いや、ちゃんと、カズヤから……お兄さんから話は聞いているよ、モチロン、うん。じゃあ、行こうか」
そう言って、まだ名前を聞いていないことを思い出した。
「佐奈、と言います」
「えっと、じゃあ……サナちゃんとかって呼んでもいいかな?」
宏人はそんなことを言ってしまった自分をいぶかしく思った。初対面の女の子をいかに年下だからといっても、ちゃん付けで呼ぼうとするその厚かましさは一体いつ身についたのだろうか。
――藤沢のせいかもしれない……いや、絶対にそうだ!
彼女と接するうちに、女の子に悪い意味で慣れてしまったのだ。自分の失敗を女子のせいにするというまことに男らしくない結論を喜んで受け入れた宏人は、佐奈に対して、なれなれしいことを言ったことを謝ったが、
「いいえ、呼び捨てにしてくださっても結構です」
そんなことを言って、微笑んでくれたその顔も可憐である。愛らしい子が微笑みを投げてくれる。何だろうこれは、もしかして、ようやく自分にも春が来たのだろうか、と宏人は真夏の夕べに思った。
手でもつなぎたい気分だったが、まさかまさか、初対面の女の子にそんなことまでしてしまうような破廉恥さは持っておらず、宏人がそのまま歩き出すと、隣に佐奈ちゃんがついてくれる。
宏人は日頃から一哉には感謝しているが、今日は重ねて感謝しておいた。邪気の無い女の子と一緒に歩けるチャンスをくれたのである。いくら感謝してもし足りない気分だった。
「倉木先輩」
「はい」
「兄とお友達になってくださって、ありがとうございます」
「え?」
「心配してたんです。兄って誰とも仲良くしないから。学校でうまくやっているのかなって」
まるで、弟に対する姉のようなことを言う佐奈の、その心根の優しさに、宏人は一哉が羨ましくなった。なにゆえ、自分には年下の弟をコキ使うことしか考えない姉しかいないのか。友人には、年上の兄を思いやる妹がいるというのに。もしかしたら、それは自分自身と一哉の人間的レベルの差によるのではないか、と思ってみた。われなべにとじぶた、ということである。
「カズヤは……お兄さんはめちゃめちゃいい人だよ。友達になってもらえて、オレの方こそ、本当に嬉しいんだ」
宏人はてらいなく本心を語った。
「兄の方こそ、いつも倉木先輩のこと言ってます。『ヒロトはいいヤツ』だって。もう口癖みたいに言ってて。それで、わたし、先輩に会ってみたくなって、兄にお願いしたんです」
そう言った少女の横顔は照れているように見えて、宏人は心からほんわかした。
「それに、弟と妹も、倉木先輩のこと好きみたいですし」
夏祭り会場までの道のりを、宏人は非常に幸福な気持ちで歩いた。誰かに好意を持たれているということを実感できるときほど、嬉しい時はない。しかも、それが可憐な女の子なのだから、なおさらだった。
そうして、夏祭り会場に着いたときのことである。まだまだ暗くならない日の下、人混みの中に、見知ったくせ毛の頭がある。どうやら小さな弟を連れているようだ。こっちに気が付いていないようなので、
「お兄さんの親友をもう一人紹介するよ」
そう佐奈に言って、少女の背に近づくと、その肩に手を置いた。振り向いた彼女の頬に指を突き刺すようにしてやると、険のある目で、
「面白そうで何よりだわ、倉木くん」
言われて、
「油断大敵だぞ、藤沢」
答えてやると、体を向けてきた彼女が、少女に目を向けた。
宏人は、佐奈を紹介した。
「兄がいつもお世話になっています」
ぺこり、と頭を下げる彼女に、志保は、
「サナちゃん。倉木くんには気を付けた方がいいよ。タラシだから」
さっきの返礼をしてきた。
「うおい! 誰がタラシだ! どこの誰がタラシ込まれてくれたんだよ! ……てか、二人とも、顔見知り?」
どうやら二人とも面識があるらしい。そう言えば、以前に、志保は、一哉の家に通っていたことがあるらしいから、そのときに知り合ったのかもしれない。まあ、それはともかくとしても、友人の妹とは言え、自分にも可愛い女の子を夏祭りに連れてくる甲斐性があるのだと、志保に見せつけてやった格好になった宏人は、大いに誇らしそうな顔を見せてやったが、
「あ、倉木くんに、藤沢さん」
少し離れたところから聞こえてきた声に、宏人のその満足げな顔は長くは続かなかった。