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プラトニクス  作者: coach
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第188話:船に乗れば途中では降りられない

 田辺杏子(アンコ)は、夏休みをまあまあエンジョイしていた。受験生の夏休みである。エンジョイしていていいのだろうか、と思わないでもないけれど、だからといって、部屋にこもって勉強ばかりやっていたいとはどうしても思えないので、やむを得ない。そういうわけで、夏休みも半ばを過ぎたお盆期間の現在に至るまで、友達と映画に行ったり、お茶したり、ショッピングに行ったり、一人で古本市に参加したり、部活動に勤しんだりと、急がしく毎日を楽しんでいたわけである。

 そうして、そろそろ夏休みの終わりが見える頃合いになったとき、

――よし、勉強に集中するか。

 と、学業一本槍で突進することに決めたところが、

「アンコ、相談に乗って!」

 友人から電話が来た。まあ、物事のタイミングというものはすべからくこのようなものである。杏子は友人に話を促した。

「こんな電話越しに話せることじゃないっ!」

 いきなりキレられた杏子は、しかし特に不快を得ずに、場所を指定するように言ったところが、二人がよく利用する和菓子屋がいいと言う。そこは、和菓子を販売するだけではなく、飲食スペースがあって、買った和菓子でお茶することができるようになっていた。杏子が時間を約束しようとすると、

「なに悠長なこと言ってんの! すぐに来てよ。ダッシュで飛ばしてきてっ!」

 と来たので、言われた通り、できるだけ急いで自転車をチャリチャリやった。

 しかし、夏空の下でサイクリングして額に汗を浮かしたというのに、杏子は店に着いてから随分と待たされた。彼女の家の方がここに近いというのに、どうして自分より遅れてくるのか。疑問には思ったが、思い患いはしなかった。そういうこともあろうかと、本を用意してある。給仕のお姉さんにストレートティを頼むと、杏子は友人が来るまで、しばしの読書タイムを楽しんでいた。

「よく来たね、アンコ」

 やがて現れた友人は、杏子を32分ほど待たせたにも関わらず、それを謝りもせずに席に着くと、自身の報われぬ恋の顛末を語り始めた。彼女は、同じ部活内に、そうして、それはとりもなおさず杏子が部長を務める部なのであるが、想い人がいて、初めは仲が良かったのだが、この頃その仲がうまくなくて、そのため、二人の仲を修復するために知恵の限りを尽くしているのだった。でも、どうやってもうまくならないのだった。

 杏子の頭の中で、覆水盆に返らず、という故事成語が浮かんで、彼女は慌ててその不吉なワードを打ち消そうとした。

「なに頭振ってんの、アンコ。わたしの話ちゃんと聞いてる?」

「き、聞いてるよ、もちろん」

「じゃあさ、あんたのその、何でも見通すことができるっていう眼鏡で、わたしがこれからどういう行動を取ればいいのか教えてよ」

「この眼鏡にそんな能力ないよ。もう買い換えようと思ってるくらいだし」

「ああっ、もうっ、使えないっ!」

「あのさ、ちょっと距離を置いてみた方がいいんじゃないのかな」

 杏子は言ってみた。押してダメなら引いてみろ、というのは恋愛の常道だと、この前読んだ少女コミックに書いてあったことを思い出したのである。

 友人は、はあ、とため息をついた。

「あのね、アンコ。それはさ、相手がわたしに興味があるときでしょ。興味があるからこそ、引くことに意味があるの。塩崎くんはわたしに興味無いわけだからさ、その状態で引いちゃったら、まったく視界に入らなくなっちゃって、全然接点がなくなっちゃうじゃん」

 ほおほお、なるほど、と杏子が彼女の言葉に納得していると、

「――って、誰が興味を持たれてないって!?」

 友人が、自分で言った言葉に自分でツッコミを入れた。

「わたしは何も言ってないよ」

「じゃあ、何でここにいんのよ? わたしに何か言うために、ここに来たんじゃないの?」

 ここに来たのは呼ばれたからである。そもそもが、杏子は切実な恋を味わったことなどない。せいぜいが、あの子ちょっとカッコいいな、と思ったことがあるくらいである。そんな人間が何を言うことができるのだろうか。

「サラサはさ、どうしてそんなに塩崎くんのことが好きなの?」

 答えを与える代わりに、杏子は、問いを投げかけてみた。友人が好きだと言っている男子は、確かにルックスはいい、性格も悪くはなさそうである。しかし、そんな男子なら履いて捨てるほど……はいないにせよ、校内にだってある程度はいるだろう。それなのになぜ彼だったのか。杏子がそう尋ねると、友人はやれやれと首を横に振った。

「なんでヒカルくんだったのかって、なんでかヒカルくんだったのよ。それが始まりで、それ以外に理由なんかあるわけないじゃん」

 なるほど、と一応うなずいた杏子は、全てを納得したわけではなかった。何かしら好きな「部分」がはっきりとしないのに、人を好きになるというのは、すっきりとしない話である。それならば、

「顔が好きなの」

 と言ってもらった方がよっぽど分かりやすい。とはいえ、これは友人の恋であって、自分の恋ではないわけだから、自分にとって分かりやすいかどうかなんていうことは、友人にとっては関係がないということを、杏子は認めていた。

「ああ……ヒカルくん……」

 友人が身も世も無い嘆き声を落としながら、ショートケーキにフォークを落とした。すでに半分がた食べていたショートケーキの残りを食べ終えると、友人は、

「とにかく、何かあったら、また協力してよね」

 そう言って、これから映画でも見に行こう、と言い出した。

「ごめん、ちょっと今日は難しいかな。夕方に親戚が来るから、早く帰ってくるように言われてるの」

 杏子が断ると、友人はムスッとして立ち上がって、また連絡する、とだけ言い残して、さっさと席を立ってしまった。短くない付き合いである上に、彼女は恋という熱病にやられていることでもあるし、その自分勝手な所作にも杏子は腹を立てなかった。

 見知った給仕のお姉さんに会計を頼むと、友人が既に支払ってくれたようである。杏子は、後で彼女にお礼のメールを打つことにして、外に出ると、頭上に広がる綺麗な青空に目を細めたときに、電話が鳴った。

「ジュースを買って来てくれない?」

 母からだった。何でも、親戚を迎えるためのソフトドリンクを買い忘れていたのだという。承知した杏子は自転車を、近くにある酒屋へと向けた。軽快に5分ほど走って目的地に着き、店内の冷房で少し涼んでから、アップルサイダーを買って外に出ようとすると、さきほどまですっきりと澄んでいた空から、大粒の雨が降っている。この中を自転車で帰るにはズブ濡れになる覚悟が必要である。そんな覚悟を持てない杏子は、母にここで少し雨宿りをしていく旨をメールで伝えると、店先で所在なく雨模様を見上げた。

 ザーッと地を叩く音を聞いていると、

「よお」

 声がかけられたので目を向けると、今、店の自動ドアをくぐって出てきたであろう少年が、見知った顔である。同じ部活動の子だった。

「岡本くん」

 Tシャツとジーンズ姿の彼は、頭をオオカミのたてがみ風にした一見派手だけれど、中身は落ち着いた男の子だった。

 杏子はちょっと気まずい思いをした。というのも、彼とは、さっきの恋する友人の件で、衝突……というほどではないけれど、意見の食い違いがあったからだった。あくまでそれは友人の一件であって、自分の話ではないと言えば言えるけれど、なかなかそう割り切れた話ではないのが友人関係というものである。

「通り雨だな」

 岡本くんは、誰にともなくつぶやくように言った。だとすれば、すぐやむハズである。しかし、今すぐには降りやまないようであるから、彼と仲違いしているとはいえ無言を貫くわけにもいかないと、大して持ち合わせているわけでもない社交性を発揮して、

「夏休みの宿題終わった?」

 と尋ねると、

「終わったよ」

 と一言だけ返って来た。杏子はイエスかノーで答えられてしまういわゆるクローズドクエスチョンをしてしまったことを悔やんだ。この場合は、

「夏休みの宿題『どのくらい』終わった?」

 と訊くべきだった。そうすれば、

「半分くらいかな?」

「え、半分? もう夏休み終わっちゃうのに半分ってヤバくない?」

「いや、まだ時間あるから、大丈夫。てか、お前の方こそ終わったの?」

「もちろん、終わったよ。夏休みに入って一週間くらいでやっておいたよ」

「え、お前ってそういうヤツなの?」

「だてに文化研究部の部長やってませんことよ」

「いや、別にそれ関係ないだろ」

「そうだね、あはは」

 的な感じでステキに会話が展開したかもしれなかったのに。知識があっても実地に使えなければ何の意味も無い。

――論語読みの論語知らずだわ。

 杏子が悔しがっていると、

「水野は相変わらずなのか?」

 岡本くんのぶっきらぼうな声が聞こえた。

「え、何? サラサのこと?」

「ああ。相変わらず、ヒカルのことを狙ってるのかって」

「狙ってるって……」

「だって、そうだろ」

 その通りではあるが表現がキツイ。女の子が男の子に寄せる恋心が、まるで獲物を撃とうとしているハンターの気持ちみたいに聞こえるではないか。

「水野はヒカルのことをあきらめた方が、身のためだと思うけどな」

「絶対に無理だってこと?」

「お前だってそう思ってるだろ?」

 杏子はそうは思っていなかった。恋が成就するかどうかなんてことは、自分には測り知れないことである。

「やってみなければ分からないこともあるけど、やってみなくても分かることもあるって、誰かが言ってたな」

 岡本くんは、思い出したように言った。

「お前は誰か好きなヤツとかいるの?」

「え、わ、わたし?」

「そう」

 なにゆえ、いきなり自分の話になるのだろうかと戸惑った杏子は、少女マンガなんかだとこういう場合は、訊いたその男の子に好意を抱かれているというパターンだったぞ、と思い出して、

――岡本くんが、わたしのことを……。

 ドキリと胸を鳴らしたけれど、

「好きなヤツがいないのに、他人の恋愛相談とか受けてもしょうがないだろ、と思ってさ」

 どうもそういう話ではなかったようである。しょうがなくたって彼女から相談してくるのだから、それこそ、しょうがないではないか。

「あんまり肩入れして、いろいろしてやってると、お前そのうち逆恨みされるかもしれないぞ」

「どういうこと?」

「うまくいかなかった原因を求められるかもしれないってことだよ」

 杏子は、恋に失敗した友人が、自分を責めてくる図を想像してみて、

――ありそう……。

 その可能性を認めたが、

「覚悟するよ」

 はっきりと岡本くんに伝えた。

「ん?」

「わたし、サラサの恋をどうしてもかなえてあげたい、応援したいって、そこまでの気持ちはないけど、でも、もう関わっちゃったんだから、いまさら関わらなかったことにはできないよ。それで、もし、なんらかサラサに逆恨みされたとしても、それはそれだよ、友達ってそういうもんでしょ」

 岡本くんの目が少し大きくなったように、杏子には見えた。

 二人の前に一台の車が停まって、助手席から現れた女性が、足早に店内に入った。

「……中々やまないな、雨」

 岡本くんが空を見上げながら言う。

 しかし、言った直後に、雨脚は弱まってきて、それから一分と経たないうちに、降っているかどうかわからないほどの小雨となった。

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