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プラトニクス  作者: coach
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第178話:道があると思うから人は迷子になる

 門を出たあとに、(タマキ)は立ち止まった。そうして、目で促すようにする。ここからは先に立てと言われていることを理解した(ミオ)は、歩き出した。この辺りを、少し時間をかけて一周することにする。その間に、澪は悩みを話し、隣を歩くアドバイザーがその悩みを解決する。実にシンプルである。

――バカバカしい……。

 そう思ってしまうと、この散歩に意味がなくなってしまうので、澪は、必ず彼女が悩みを解決してくれるのだと改めて心に定めたあと、努めて平静に悩みを伝えた。すでに由希(ユキ)から話を聞いているかもしれないが、由希がどういう風に伝えているのか分からない。それに、自分で話すことによって、自分の悩みを客観視できるかもしれない、とそう思ったのである。しかし、まあ、特にそういうこともなかった。

 澪の悩みは簡単である。

 継母の存在が気に触る。

 ただ、それだけ。

 しかし、それが生活の全般に影響を及ぼしているとなれば、それだけ、では全然済まない話だった。

 継母なんていなければいい、とそう簡単に考えられないことも悩みをより面倒なものにしている。なにせ、彼女は善良な人であり、父は彼女のことを愛しているわけであり――ちなみに、澪には、「愛」という言葉の正確な意味が分からないが、結婚するということは愛があるということなのだろう、と世間一般の良識に従うとそうなるわけで――単純に、いなくなってくれればいい、などという話にはならない。

 澪が話を終えたあと、しばらくしても、環は何も話さなかった。

 まるで、まだ何か言うべきことがあるのではないか、と問わんばかりの沈黙である。

 澪にはこれ以上話すべきことはなかったので、黙っていた。

 ジワジワとセミの鳴き声が聞こえた。

 沈黙の帳が下り続けること、おそらくたっぷり3分はしただろうか、さすがに澪はしびれを切らした。自分の悩みがカップヌードルを作るより早く解決されるとは思えないけれど、それにしたって、一言くらい与えてくれてもいいだろう。

「それで?」

 隣に向かってぞんざいな声を投げると、環は微笑を返してきた。

 何が面白いのか分からない。

 由希のように、この話がつまらないから笑っているのだと言われたら、引っぱたいてやろうかと、澪は思った。

 環は歩きながら口を開いた。

「ミオとお母さんの思い出の場所に連れて行ってもらいたいの」

 その話は由希から伝わっているようである。なぜ彼女がそこに行きたいのか、澪は問わなかった。こちらは半ば友人の力押しによる感はあるけれど依頼をしている立場だ。それに、母との思い出の場所を神聖視するような幼さは、さすがに持っていない。

 ちょうど、足が向いている先にそこはある。

「こっち」

 空には雲ひとつない。

 日差しは強烈なものではないけれど、直射を防いでくれる麦わら帽子は重宝した。

「カレシの里帰りにくっついてくるなんてスゴイね」

 到着までの徒然に、澪はそんなことを言ってみた。

「そうかな」

「都会の子はそれが普通なの?」

「普通ではないと思う」

「なんでまたそんなことしたの。カレシが奥手だから?」

「多分、驚かせたかったのかな」

「多分?」

「目的があってそうしたわけじゃないから。むしろ、どういう結果になるのか、それが楽しみだったから、そうしたの」

 これは相当な難物だと澪は思った。カレシの里帰りに同行するなんていう思い切った行為に目的を持たないなんてことがあるのだろうか。

「変な人」

「わりとよく言われるけれど、他人と比べてどうだってことにそれほど意味があるとは思えないな」

「それは同感」

「じゃあ、ミオも変な人なんじゃない?」

 澪は驚いた。変な人と言われたことに対してではなく、今日初めて、ほんの15分前に会った人と互いに変な人と言いあえるほど気安くなれたことに対してである。まるで意味が分からない。

 とはいえ、澪は、別に友人を探しているわけではなかった。探しているのは、この心の闇だか、わだかまりだかを晴らす術である。

 眼下に川が見えて、土手が斜めになった下に、草地が広がっていた。

 数年前に、おそらくは怜に迎えに来てもらった場所である。

「ここですか?」と環。

「うん」

 あのときは、確かに自分の進むべき道が見えたような気がした。いや、気だけではない。事実、継母が現れるまでは、迷いなく生きて来られた。澪はそのことも話してみた。何とも不思議な気分である。こんなことは、由希にだって話したことがないのに、今日初めて会った子に話すとは。

「だから、わたしは今のお母さんのこと、人間的には全然嫌いではないんだけれど、気に入らないんだと思う」

 しかし、そう思ったのは今まさにこの瞬間のことである。

――なるほど、そういうことだったんだ……。

 澪は、自分で自分の言葉に納得した。

「つまり、新しいお母さん自体に対して好き嫌いがあるんじゃなくて、新しいお母さんによって、あなたの道が消えてしまったから、お母さんのことが邪魔だと思っている。そういうことだね?」

 環がまるで討論番組の司会役のように、澪の言ったことをまとめた。字面で言えば、そういうことだけれど、環が正確に自分の思いを読み取っているのかどうか、澪には一抹の不安があった。しかし、環は、

「小学生の時にミオが見た道が、わたしにはどういうものだか分からないけれど、一つ言えることがあるよ」

 はっきりと言った。

「なに?」

 澪は、環の方を向いた。

 環はやはり微笑したまま、

「新しいお母さんは、あなたの道に立ちはだかってなんかいないよ。そんなことは誰にもできないの」

 続けた。

 澪は、顔に向かって飛んできた蚊のような虫を手で払うようにすると、

「でも、現にわたしの道は消えてるのよ。これをどう説明するの?」

 訊いた。

「それは簡単」

 そう言って、環はにっこりとほほ笑んだ。思わず同性でも魅了されそうな笑みであるが、

「簡単って、どういうこと?」

 これは聞き逃せない。簡単ではないから、こうしてグズグズとしているのである。

「あなたは、そのレイくんか誰かのおかげで、道が照らされたと思っているんでしょう? でも、それは違うの」

「なにが違うの?」

「道が見えたと思ったのなら、それは、そのときあなたが道を作ったということよ。その道が消えたとしたら、今この時点までしか道は続いていなかったということだよ。今度はまた、この瞬間に、あなたが、自分で新しい道を作らなければいけないの。新しいお母さんのことは、そのきっかけに過ぎない」

――道を作った……?

 それはまったく新しい考え方だった。

 これまで道というのは、見つけるものであって、作るものだなんて思ってもいなかった。

「道は自分の前に作っていくものなの。もしも、その道の先に障害があったら、今度はその時点から新しい道を作ればいいだけ。一つの道にこだわる必要はないの。いつだって、自分のぐるりにいくらでも道を作ることができるんだから」

 はたと、澪は胸に下りるものがあった。

「人は正しい道を見失うから迷子になるんじゃないわ。正しい道があると思うから迷子になるのよ」

――そういう……ことなの?

 新しい母のことを拒絶していたのは、彼女自体がどうというわけではなくて、これまでの自分では彼女のことを受け入れられなかったからだ。そうして、受け入れられない自分、変われない自分に苛立ちを感じていた。新しい母は、そんな苛立った自分のその気持ちを投影していたに過ぎない。

 深く深く腑に落ちた澪が今の気持ちを話すと、しかし、環から答えはなく、彼女は微笑むばかりである。肯定も否定もしない彼女に、

「お礼を言うよ」

 澪は言った。

「多分、レイくんと話したらもっと爽やかだったと思うけれど」

「関係ないよ。だって、わたしのことだもん」

「そうだね」

「道はわたしが作る」

 澪は、自分自身に言い聞かせるように言うと、ふと不思議な気持ちになった。

「あなたは?」

「ん?」

「あなたもそうしてきたの?」

 この目前の少女もそうして自分で自分の道を作ってきたのだろうか。当然そうなのだろうと思う一方で、なぜだかそうではないような気もした。

 案の定、環は麦わら帽子の頭を振った。

「わたしは道を作ってその上を歩いてきたりはしていないし、多分、これからもそんなことはしないと思う。わたしには道なんて作れないの。だって、わたしがいるのは海の底だから」

「海の底?」

「うん、そう……深い深い海の底。わたしは、その底の方からね、輝く水面を見上げているだけ」

 そう言うと環は、しかし、それが何かしら悲しむべきものなどではないような涼やかな表情である。

「分かった」

 澪はうなずいた。

「分かった?」

「うん。わたしには分からないっていうことが分かった。友達にはなれそうにないね」

 澪は、思い出の場所を後にすることにした。母は今の自分のことを誇りに思ってくれているだろうか、とふと思って、軽く頭を振った。そうではない。自分で自分のことを誇りに思えることこそが、自分を生み出してくれた母を尊重することになるのである。

 あの時見えた――いや、作った――道は不完全なものだったけれども、完全な道など無いのであれば、その不完全さこそが愛おしい。環は、澪自身が道を作ったと言ったけれど、確かにそれはその通りかもしれないけれど、それでもやはりきっかけは怜だったのだから、彼には感謝の気持ちを贈りたい。

「カレシさんに『ありがとう』って伝えておいて」

「レイくんじゃないかもしれないでしょう?」

「じゃなくても、誰かの代わりに受け取ってもらえると嬉しい」

 澪はさきほどまで感じなかった暑さを急に感じてきた。気温が上がったのだろうか。そうでなければ、心が高揚しているからだろう。澪は環を、家の門前まで送って、両膝に両手を当てて、深々とお辞儀した。

「ありがとうございました」

 そうして、頭を上げてから、帽子を脱いで、環に返す。

「お役に立てて何よりです」

 力みなくそう言う彼女と一歳しか違わないとは全く信じられないことであるが、世の中には、なかなか信じ難いことがある。信じられないと言えば、今のこの心持ちの晴れやかさはどうだろう。頭上に広がる青空のように気分が澄んでいる。

 澪は環と別れると、家に戻り、キッチンで料理をしている継母の元へと行った。

「お母さん」

 そうして、その背に向かって声をかけると、彼女は振り向いた。何を言われるのだろうかと、少し戸惑ったような目をしている。澪は、綺麗に頭を下げた。

「これまでごめんなさい」

 そうして、たっぷりと五秒の間、頭を下げていると、継母は、慌てて近づいてきて、頭を上げるように言った。頭を上げた澪は、彼女の目をしっかりと見て、

「これまで冷たい態度を取っていたこと、謝りたいの。わたしの、新しいお母さんになってくれて、本当にありがとう」

 続けると、継母は目を潤ませると、泣き出してしまった。

 父がやってきて、妻を泣かせている娘に批難の視線を向けたが、澪は気にならなかった。すぐに、継母がとりなしてくれて、事情を話すと、父は、おそらくは自分が先ほど取ったコミュニケーションによる結果であろうと思い、それでも、娘が改心してくれたことを嬉しく思うということを、婉曲に伝えてきた。

 澪は心からの笑顔で言った。

「お父さん、さっきの服を買いに行くっていうヤツ、まだ有効? あと、晩ご飯……は、もうお母さんが準備してくれているから、家で食べよう」

 たった一人との出会いが、澪の苦悩を綺麗に拭い去ってくれたと思うほど、澪は単純ではなかった。しかし、彼女との出会いが決定的に重要であったことは事実である。

――やっぱり、友達になってもらっても面白いかも。

 澪は、さきほど環に対して言ったことを、華麗に翻した。

 その軽やかさこそが、これからの自分にふさわしいと思った。

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