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プラトニクス  作者: coach
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第177話:物事はしばしば最悪のタイミングで起こる

 物事というのは最悪のタイミングで起こるものである。

 (ミオ)は、その日、昼食を終えたあと、

「お茶でも淹れましょうか、澪ちゃん?」

 という継母の申し出を断って、自室に戻ることにした。別に含みのある行動ではない。単に、これから約束があっただけである。階段を登りきって、二階にある自分の部屋の戸を開けようとした時、急ぎ足で階段を登ってくる音がして、見ると父である。四十半ばの父は、細身の上に、いつもは優しげな顔立ちを載せていたが、その顔が今は少し引き締められている。

「ちょっと話があるんだ、澪」

 父の話とやらが何なのか、澪には容易に想像できた。澪と継母の件である。おそらくは、娘と新妻の仲を良くするための努力を今からするつもりなのだろう。まさに、その件を解決するために、あるいは、解決できなくても――そして、解決なんかできまいと澪は思っている――解決の糸口をつかむため、もう少ししたら友人の家に行こうとしていたところだったわけで、その悩みに関して父から話をされることになるとは、間の悪さもここに極まれりといった感がある。

――いや、違うか……。

 澪はすぐに首を横に振った。間が悪いのではなく、ここまでこの問題を放置しておいた自分が悪いのである。そう覚悟を決めた澪は、自室に父を招いた。プライベート空間には、父と言えど入ってもらいたくないけれど、継母に聞かれるかもしれないところで話をすることもできない。

「お母さんのことなんだ」

 父は部屋に入れてもらえるとは思わなかったのかもしれない、小さく驚いたような顔をして中に入ってきたあとに、言った。

 当然その件だろうと思っていた澪は、父をベッドに座らせて、自分は学習机の椅子に腰をおろした。

 父は、ふう、と息をついた。

「お母さんのことは嫌いか?」

 澪も内心でため息をついた。人のことを好きか嫌いかで判断する考えは幼い。それは父自身の考えが幼稚であるというよりはむしろ、父が澪のことを幼いと考えているからこそ、そういう二分法を強要するのだろうと澪は思った。好き嫌いで考えられたら世の中はよっぽど楽である。それができないからこそ、苦しいのだった。

「嫌いじゃないよ」

 澪は言った。こういう以外に言い方が無い。

「じゃあ、その……お父さんのことはどうだ?」

 父は照れたようにしたが、まっすぐに澪を見た。

「もちろん、嫌いじゃないよ」

 なんだろうか、これは、なんの罰ゲームだろうか、と澪は思った。ティーネイジャーが、父親から愛情確認を受けるより以上の羞恥があれば、教えてもらいたいものである。

 澪は、恥ずかしいついでに、言っておいた。

「お父さんのこともお母さんのことも嫌いじゃないし、感謝しているよ。ただ、前と同じようにはしていられないとは思う。もしも、それで不快な思いをさせているなら、ごめんなさい。お母さんにも謝った方がいいなら、謝っておくよ」

 そう言うと、父は驚いたような顔をした。幼いと思っていた娘が、それなりのことを言うので、びっくりしたのだろうか。

「分かった……お父さんは、澪のことを信頼しているから。ただな、夜はできるだけ家にいなさい。お母さんも心配するから」

 最後の一言は余計だった。そういう気はないのかもしれないけれど、お母さんのために家にいろと言っているように聞こえる。澪はムッとしたが、顔には表さなかった。

「うん、分かった」

 こうやって鬱屈(うっくつ)した状態で家に閉じ込められたら一体どうなるのか、澪には分からない。夜に家を出て友人宅に押しかけていたのは、精神のガス抜きのようなもので、自浄作用であると澪は自己分析していた。それができないとなると、いよいよ、この問題を早期に解決しなければいけないことになる。

「よし、話は終わりだ」

 父は膝を打って立ち上がった。何も終わってなどいなかったが、父にとってはケリがついたらしい。

「どうだ、これから、三人でドライブでも。服でも買いに行って、外で美味しいものでも食べないか?」

 澪は、これから約束があるから、と言うと、父は渋い顔をした。

「大事な約束なのか?」

「お父さん」

 澪は改まった。

「なんだ?」

「約束というのは全て大事なものだよ。だから、あとから予定が入ったからっていって、簡単にキャンセルはできないの」

 澪が努めて落ち着いた風で言うと、父は気押されたようである。

「そ、そうだな……」

「今日じゃなければ大丈夫だから。お父さんとお母さんの都合がいいときに、また誘って」

 はっきりと言うと、父はホッとしたような顔をして、部屋を出て行った。

 椅子から立ち上がった澪は、部屋の姿身の前に立った。

 痩せて、髪を無造作に肩先まで伸ばした、ワンピース姿の少女が見える。

 顔が暗い。

 澪は無理矢理に笑顔を作ってみた。

 これから男の子と会うのに、暗い顔では失礼だと思ったのである。

――そんな場合じゃないか……。

 デートをするわけではない。しかし、表情はともかくとしても、せめては髪だけでも小奇麗に見せようと思い、バサバサとやんちゃな状態になっている髪を、首の上の方でシュシュを使ってまとめた。

 澪は、母に一声かけてから、家を出た。

 頭上には青空が広がっており、夏の日がじわじわと澪の肌を焼くようである。

 家を出るとすっきりとした心持ちになるのは、ここ最近のことである。

 ここ最近のことだということを友達に言うと、

「わたしなんか、小学校の頃からずっとだよ」

 と大抵言われて、自分がいかに恵まれていたのかを知った。

 その点では、亡き母と、母亡きあと一人身で育ててくれた父に素直に感謝したいが、それが現状につながるのであるから、感謝の気持ちも自然薄まろうというものである。

「別に誰も悪くはないんだけどさ」

 澪はひとりごちた。

 誰も悪くはない。母も父も、継母も、誰一人悪い人などいない。しかし、現状が澪にとってよくないのはどういうことだろうか。この謎を解かない限りは、一歩も前に進めない。

 澪は、友人の家を訪ねた。

 他人と話をすることで自分の迷いが払われるなんていうことが本当にあるのかどうか、澪には分からなかったが、ことここに及んでグズグズするのは彼女の気性ではない。友人がそう言っているのである。従ってやるのもいい。

「こんにちはー」

 勝手知ったる他人の家の玄関のガラス戸をガラガラと横に開いて声をかけると、計ったかのように、友人の由希(ユキ)が現れた。相変わらず、楽しそうな顔をしている。以前に、どうしてそんなに楽しそうな顔をするのか訊いてみたことがある。すると、彼女は、

「世の中がつまらないからだよ、だからせめて顔だけでも楽しくしなくちゃしょうがないじゃん」

 そんなことを言っていた。訳の分からない理屈である。

「今は従兄と友達がいるから心からの笑みだよ。それに、ミオもいるし」

「とってつけたような言い方」

「わたしはミオのこと好きだよ。だから、しゃべってる」

「あんたは、誰とでもしゃべってるでしょ。嫌いな人なんかいないくせに」

「まあ、そういう言い方するとそうかな。でも、大好きな人と普通好きの人はいるな。ミオのことは、中くらい好きかな」

「それはどうも。それで? 彼は?」

「『彼』って言い方、カッコイイよね」

「ユキ」

「向こうの家にいるよ、ご案内します」

「いいよ、自分で行けるから」

 そう言うと、澪は由希の家を辞して、同じ敷地内のもう一つの家へと向かった。由希から大まかな話が行っているのであれば、後は細かいところは自分で話せばいいだけだ。子どもじゃあるまいし、そのくらいのことはできる。

 そうしてもう一つの家の玄関前まで行ったときに、澪はハッとした。

 玄関前に、箒を持って清掃している少女がいる。

 彼女は、澪が近づいていくと、箒を止めて笑顔を見せた。

 思わず、夏の暑さを忘れるほどの、凛とした美貌である。

――この子が、タマキさんね……。

 由希がさきごろ手に入れた親友であるようだ。

「いらっしゃいませ」

 (タマキ)が言った。

 自分こそこの家にいらっしゃった客であるのに、まるでもう家族の一員であるかのようである。

 澪は、来意を告げて、案内を頼んだ。

 話によると彼女は怜のカノジョであるということだったから、そのカノジョに対して、カレシを貸して欲しいと言っているような振る舞いであって、澪は内心で苦笑する他ない。

「あの……」

 環が言う。

 澪は首を傾げた。

「わたしではいけませんか?」

「え?」

「ミオさんのお話をお聞きする役です」

 澪は環をじっと見た。この子は何を言っているんだろう。(レイ)に話すのもそれほど乗り気ではないのである。まして、全然知りもしない子に話すなど、まるで意味が分からない。しかし、馬鹿みたいに訊き返すのは、澪の流儀ではなかった。変な子に関しては、由希で慣れていることもある。

「わたしの悩みを解決してくれるの?」

「場合によれば、おそらく」

「人の悩みを解決できるなんて傲慢な考え方だと思う」

 澪はあえて言った。すると、

「自分の悩みが誰にも解決できないなんて考えることも同じくらい傲慢でしょう」

 環は静かに答えた。

 澪は環の声に耳をそば立てていた。嫌な音は感じなかった。澪は、彼女に話すことに決めた。見も知らない彼女が、カウンセラーでも何でもないのに、自分の話を聞くという。そうして、悩みを解決してくれるかもしれないという。面白いと思わざるをえず、澪は、真面目なことよりは面白いことの方が好きなようだった。

「じゃあ、ちょっと付き合って」

「どちらへ?」

「その辺をぶらぶら歩くだけよ、この辺りには、喫茶店もなければ、だからって、わたしには秘密基地もないからね」

「分かりました。少しお待ちください」

 そう言うと、環は、家の中に入って、外出の許しを得てきたのだろう、麦わら帽子をかぶって現れた。

「これはあなたへ」

 同じ型の帽子を出されて、澪は肩をすくめた。

「わたしはいいよ」

「話しているうちに日射病になったら大変です」

 そう言って微笑されると、それ以上の抗弁をする気がなくなってしまう。

 澪は、麦わら帽子を手にとってかぶった。

 麦わら帽子なんてかぶったのは随分と久しぶりだった。

「よくお似合いです」

「どうも。てか、タメでいいよ。わたしの方が年下なのに敬語っておかしいでしょ」

「癖みたいなものなので。気をつけるよ」

 そう言うと、澪は環に促されて家を離れ、門を出た。

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