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プラトニクス  作者: coach
172/280

第172話:桃源郷へようこそ

 祖父母の住む街の駅は、我が街の駅よりも大分こじんまりとしている。

 先にプラットフォームに降りた(レイ)は、(タマキ)の手を引いて、彼女を続かせた。

「なんだか、緊張してきました」

 環が言ったが、怜は信じなかった。カノジョの言葉を信じることができないとは悲しいことである。

 悲しみに浸るには、空はいかにも似つかわしくなく、澄み渡っていた。

 環の荷物をガラガラと引きながら改札を抜けると、それほど多くない人通りの中に、恰幅のよい体を七分丈のシャツと短パンに包んだ老人の姿があった。

 あっ、と思った怜は、老人に近づいた。

「おじいちゃん」

 声をかけた怜は、柔和な中に、どこかいたずらっ子のような輝きを秘めた目を見た。

「よく来たな、レイ」

 差し出された手を怜が握ると、温かさが通ってくる。それこそが、自分に寄せてくれる温度のように怜には思われた。

 祖父に連れを紹介しなければいけない。

 怜は、近くまで来ていた我がカノジョを紹介した。

 環は、

「川名環と申します。お世話になります」

 そう言って、綺麗に頭を下げた。

「あなたが環さんですか。いや、お会いできて嬉しい」

 祖父は目を細めるようにすると、環と握手をした。それから、少し離れたところにいた孫娘に目を向けて、「ご苦労さん、由希(ユキ)」とねぎらったあと、三人を駅の駐車場へと導いた。

 今日の空よりは少し暗い青色の車は丸っこい形状のクラシカルな乗用車である。

「どうだ、いいだろう、怜?」

 祖父はまるで見せびらかすかのように言った。

「どうしたの、これ?」

 見たことがない車である。

「友人から譲り受けたものだよ」

 さも嬉しそうに言う祖父に、

「フォルクスワーゲンのタイプ1ですね」

 環がすかさず声をかける。

 祖父の目が輝いた。

「分かりますか」

「父が車が好きなので、その影響で少しだけ」

 環が車に詳しいなんて初めて知った怜は、ちらりと従妹を見た。従妹はニヤリと微笑んでいる。どうやら、我が従兄のカノジョが祖父母に気に入られるように色々と画策してくれたようだった。さすがに如才ない、と本日二度目の感想を彼女に対して抱いた怜は、持っていた自分の荷物と環の荷物を、車のトランクへと入れた。

「空調がないので、窓を開けますよ」

 この辺りは、怜の住むところよりも涼しくて、クーラーをつけるまでもない。開いた窓から、爽やかな風が流れてきた。女の子二人を後ろに乗せて、助手席に乗った怜は、心が開放されていくのを覚えていた。家から二時間離れたくらいなのに、まさに別天地である。

 祖父の車はゆるやかに駅前を離れると、小一時間ほど走った。

 それにしても、よくよくと考えるまでもなく、今回のお泊りの件は、空中ブランコよろしい離れ業である。まずは環の両親を説得しなければならない。それから、祖父母の許可を得なくてはならない。怜の両親にも全く連絡なしというわけにはいかないだろうし。そういうことを全て行いつつも、怜に隠しておく、ということをやってのけたのが、由希である。怜は、後ろに座る従妹にあらためて恐ろしさを感じたが、恐怖の感覚も、一面の田園地帯を見たときに霧消した。

 まるで緑の海である。一面の緑の穂に風が吹いて、ざわめいた穂先が波を作り、田面を撫でていく。

――帰ってきた。

 そういう思いを素直に抱くことができることが、怜にはただただ嬉しかった。

「素敵なところですね」

 後部座席から環の声が聞こえた。

「なんにもないところだよ。この前ようやく近くにコンビニができたの」と由希。

「それっていいことなのかな」

「夜中に突然コーラが飲みたくなっても買いに行くことができるでしょう」

「何かが現れたってことは、何かがなくなったってことだよ」

「でも空き地に立ったんだよ」

「『空き』地なんてものはないでしょう」

 全くその通りだと怜は思った。その土地が空いているとは、つまり何も無いということだが、何も無い土地などというものは存在しない。そこには確かに生命の息吹がある。

 自分が分かるということは従妹にも分かるということだと、怜は確信している。だとすると、今のやり取りはどういうことか。決まっている。環という少女を、軽く祖父に紹介するためのものだろう。怜が隣を見ると、祖父は楽しそうな顔をしていた。

「いやあ、着きました」

 クラシックカーがスピードをゆるめる。ぽっかりと開いた門の中に車が入ると、だだっぴろい敷地内は砂利敷きであって、祖父は適当な場所に車を止めた。

 怜は降りると、車が2ドアであるので、自分の座席を前にずらして、後ろの環と由希を降ろした。

 敷地内には二軒の家があって、一軒は祖父母の家、もう一軒は叔父夫妻の家、つまりは由希の家である。祖父母と叔父夫妻は、同居といっても一つ屋根の下に暮らしているわけではなく、家を別にしている。怜は毎回、祖父母の家の方に泊まらせてもらっていた。

 怜はトランクから環のキャリーバッグを取り出した。そのとき、小学校高学年くらいの男の子が、怜に向かって駆け寄ってくるのが見えた。

拓馬(タクマ)

 怜は、由希の弟である従弟を迎えた。

「レイ!」

 怜は両手を広げるようにした。

 少年はその手の中に入ろうとはせず、少し手前で歩みを止めた。

「大人になったのか?」

「そうかもしれないけど、まだレイと抱き合えるよ」

 そう言うと、少年は怜の腕の中に入ってきた。

 怜は、彼を解放したあとに、同伴者を紹介した。

「川名環と言います。こんにちは」

 環が挨拶すると、拓馬はきょとんとした顔をして、

「……天使って実際にいるんだ」

 つぶやくように言った。

 微笑んだ環は怜を見た。怜は、「本気で言ってるんだよ」と言ってやった。拓馬は裏表を持つ子ではない。

 従弟との再会を済ますと、今度は祖母との再会となる。

 怜は一年ぶりに祖母に挨拶に言った。

 家は平屋の綺麗な造りだった。

「帰ったよ」

 と玄関から祖父が奥に声をかけると、祖父と対照を為すような細身ですらりとした年高い女性が小走りに現れた。

「おばあちゃん」

 怜が無沙汰を詫びた。

「よく来ましたね、怜」

 彼女は、膝をついて孫を出迎えた。

「こちらが、怜の大事なお友達の環さんだ」

 祖父が横から口添えしてくれた。

 環は一礼してから、

「川名環と申します。このたびは図々しくもお邪魔させていただきます」

 言うと、祖母はその目を鋭くしたが、しかし、その鋭さはすぐにやわらいで、

「ようこそいらっしゃいました。怜のお友達なら、わたしたちにとっては家族のようなものです。気兼ねなくゆっくりとしてくださいね」

 言った。

「ありがとうございます。母から一通りの手ほどきは受けておりますので、こちらにお世話になる間、どうぞ、おばさまのお手伝いをさせてください」

 環が言うと、祖母は満足そうに微笑んだ。

 怜は祖父に肩をとんと叩かれた。祖父の顔を見ると、彼はウインクした。

 環には客間の一つがあてがわれた。

「わたしもタマキちゃんと一緒にこっちで寝るんだよ」

 由希が心底から嬉しそうに言った。

 それを聞いた従弟も心から嬉しそうに微笑んでいる。

「なんか楽しそうだね、タクマ」と由希。

「え? え? いや、まさか、そんなことないよ。できれば、ボクもおじいちゃんとおばあちゃんのとこで寝たいよ」

「じゃあ、来れば?」

「え? 来る?」

「こっち来ればいいじゃん」

「あ、うん、本当にそうしたいんだけど、でも、ほら、お父さんとお母さんが寂しがるからさ」

「たまには夫婦水入らずにしてあげるのもいいんじゃない?」

「水入らずってなに? ボク難しい言葉分からないんだ。じゃあ、ボクいったん家に帰るから」

 そう言うと、従弟はぴゅーっと立ち去ってしまった。

「わたしも年の離れた妹が欲しかったなあ」

 由希が環に言った。

 六畳の客間は綺麗に清掃が行き届いている。

 荷物を置くと、今度は叔父夫妻の家に行くことになった。泊まるのは祖父母の家でも、同じ敷地内にある家である、挨拶無しに済ますわけにはいかないし、怜は叔父夫婦にも好意を持っていた。

「よく来たわね、怜くん」

 母の妹である叔母は、さすがに母と容姿が似ているが、母よりも明るい性格のようであり――母に言わせると、妹の気楽さということだが――、歓迎の声が大きい。

 環がまた玄関先で挨拶すると、叔母は、

「しっかりとしたご挨拶、痛み入ります」

 と言って、頭を下げた。

 そのあと、リビングにいた叔父も玄関先に現れて、怜と環の挨拶を受けた。

「大きくなったな、怜くん」

 昨年からそれほど身長は伸びていないと思うが、怜は、それを人間的に大きくなったのだと解釈しておいた。特にそんな気もしないけれど。

 叔父と叔母の家を辞して、祖父母の家に戻る途中で、

「お疲れ」

 祖父母と叔父夫妻への儀礼めいた行いをねぎらうと、環は立ち止まって、怜をじっと見た。

「レイくん」

「ん?」

「本当に怒ってない?」

「怒ってないよ」

「本当に?」

「本当だよ」

「でも、ちょっとは怒っているよね?」

「怒った方がいいなら怒ってみてもいいけど」

「レイくんの心が海よりも深いことは分かっているんだけれど、でも、いけないことをしたら叱ってもらいたいって言ったら贅沢かな?」

 怜は咳払いすると、

「タマキ、お前一体何を考えてるんだ。オレに何の相談もせずに勝手なことをして。そもそもこの件は、以前に決着したハズだろう。今日という今日はお前を見損なったよ」

 言ってやった。

「これでいいか?」

 環は長い睫毛を伏せるようにして、

「こんなに悲しい気持ちになったのは、小さい頃、欲しかったレゴブロックを母に買ってもらえなかったとき以来だわ」

 言った。

「貴重な経験したな」

「わたしのこと許してくれる?」

「もちろん許すけど、罰は必要だ。向こう一週間、テレビと外出は禁止だからな。あと、スマホも預かっておく」

 そこで、環は目を上げた。

「レイくん、楽しんでない?」

「もちろん。タマキといるといつも楽しい」

 怜は真面目な顔で言った。

 先に立って歩いていた由希が二人を呼んでいる。

 怜は環に、祖父母の家に入るように促した。

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