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プラトニクス  作者: coach
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第171話:電車内ではお静かに

 ガタゴトガタゴトと電車の牧歌的リズムに身を任せていると、うつらうつら、(レイ)は夢の世界に導かれた。その夢の世界にもカノジョが出てきたものだから、うたたねから醒めた怜は、じっと目の前にいる少女の内の一人に目を向けてやった。

「そんなに見つめられると照れちゃうな」

 (タマキ)が自分の頬に手を当てながら、あざとい恥じらいをやるので、怜は、視線を窓外に向けた。

「そうだ、レイはどう思う?」

 従妹がいきなり言った。

「なにが?」

 光り輝く夏の景色を見ながら、怜はぞんざいに答えた。

「やだ、聞いてなかったの?」

「寝てたんだよ」

「信じられないな、美少女二人に囲まれて眠るなんて」

「美少女のお相手は一人でも大変だ。二人いたらもう現実から逃避するしかない」

「逃げたっていつかは帰って来るしかないんだよ」

「そのときのことはそのときのことだろう。明日は明日の風が吹く」

「計画性が無い男子って結婚相手としては頼りないなあ」

「そういう男子を支えて導くのがしっかり者の女子の腕の見せ所だろう」

「やだ、レイ、わたしと結婚したかったの?」

「しっかりさを持ってるのか?」

「しっかりさしかないよ」

「じゃあ、夏休みの宿題は終わった?」

「ねえ、レイ、人生には重要なこととつまらないことがあるってことは認めるよね?」

「もちろん」

「そうして、人は重要なことにだけエネルギーを注ぐべきだってことも認めるね?」

「当たり前だろう」

「じゃあ、今の質問の答えはおのずと明らかじゃないかな。そうして、そういう判断と決断をシビアにできることこそ、しっかりさを持っていることの証拠だと言えるんじゃないかな?」

 怜は窓外から車両内へと目を戻した。従妹は得意気でも何でもなく平然とした趣である。夏休みの宿題なんていう瑣末な話を人生などというテーマから切って捨てるとは。

「鶏を割くのに牛刀を用いるのか?」

「それが本当の名人だよ」

 怜が環を見ると、彼女は微笑んでいた。まるで子どもを見る母のごとき笑みである。

「なんらか母性本能をくすぐった?」

 怜が訊くと、

「レイくんのこと可愛いなんて言ったら怒るでしょう?」

 環は質問に質問で返した。

「どうして? 可愛いっていうのはいいことだろ?」

「でも男の子って、そういう風に思われるのは嫌いなんじゃないの?」

「別に。それに思うのは自由だろ、憲法にも保障されてる」

「法律なんてつまらないわ。法律でロミオは作れないでしょ?」

「法律じゃない、法だ。法律は国民の権利を制限するもので、法は法律を制限するものだよ」

「その調子で駅に着くまで公民の授業をしてくれる?」

「お望みとあらばそうするけど、その前に従妹の話を聞くよ」

 そう言って、怜は、由希(ユキ)に話を促した。

「『感動するのはいいことか?』っていうテーマで作文を書かなければいけないんだけど、どう考えればいいかなって思って」

「それ、夏休みの宿題か?」

「うん、そう」

「やらないんじゃなかったのか?」

「ねえ、レイ。人生においては、何が重要で何がつまらないか、その基準が実に曖昧だっていうことは認めるよね」

 怜は従妹の論をそこで止めた。どうせ賛同することになるのだから聞くだけつまらない。

「それで? なんだって? 『感動するのはいいことか?』だっけ」

「うん、そう」

「お前に分からないことがオレに分かるとは思えないけど」

「分からないとは言ってないよ。ただレイの意見を聞きたいだけ」

「それ意味あるか?」

「あるよ、楽しいもん」

 そう言って、彼女は実に愛らしく笑った。怜は環を見た。環も微笑んでいる。

「カノジョの前で従兄を辱しめるつもりじゃないだろうな? ユキ」

「わたしがそんなことするわけないじゃん」

「するわけないと思ったら、オレが今の発言をするわけないだろう」

「レイ、昔の人はこう言ってたよ、へたな上に遅いのは取りえが無い、最悪だって」

 怜はふうと息をついた。

「おそらくその問題は、感動が商品化されていることを問題視してるんだろう」

「感動の商品化?」

「そう。感動させる映画・ドラマとか、『日本中が泣いた』ってヤツだよ。そうして、手軽に泣く人間のことを問題にしてるんじゃないか?」

「なるほど。だよねえ。そうじゃないと問題として成立しないもんね。感動って普通いいことだもん」

「感動させることを目的にして作られたもので感動する、このことが問題になっているのだとして、それは悪いことなのか」

「ふむふむ。たとえば、障がいを持った人が何かに懸命に努力するとか、死に至る病をわずらった人が余命を生きる、そういうところを描いたドラマとかを見て、泣くってことだよね」

「そうだな」

「で、どう思うの?」

「別に何とも思わないけどな、オレは」

「え? 意見無いの?」

「何にでも意見を持たなければいけないってわけでもないだろう」

「レイ、そういう逃げ方はね、他の人に対してして。わたしには必要無いよ。誰と話していると思ってるの?」

 なるほど、従妹にはそれなりの自信があるようである。そうして、おそらくその自信は正当なものだろう。

「批判することは簡単だな。そういう作り物にむやみに感動していると本当の感動を味わえなくなるとか、感動もので泣く人間は自分に酔っているんだとか何とか」

 そこで、怜は以前に環と一緒に見た恋愛映画を思い出した。余命を宣告されたヒロインが自分の死を認識して懸命に生きる姿を描いた、つまらないものである。ちらりと環を見ると、彼女はやはり微笑んでいた。そのとき怜は、別に、感動ものだからつまらないと思ったわけではなかった。内容があまりに稚拙だったからである。不治の病にかかるまで生の限界に気がつかないようなヒロインのありようが人間一般の性質であるような描き方は人間を馬鹿にしていると思ったからである。懸命に生きる人の姿、それ自体は何も否定されるものではない。

「泣くことによって泣ける自分に酔っているんだっていう批判があったとして、そういう批判についてはどう思う?」と由希。

「嫌なもんだな」

「嫌?」

「そういう批判をすることによって、批判される人間よりも一段上に立てるっていうそういう心性が卑しい。そうして、批判する人間はおそらくそういうことにさえ気がついていないっていう点がさらにな」

 この世の中でブームになっていることがあると、それを声高に批判する人がいる。集団が熱狂していれば、たしなめることができる点があるに決まっている。その決まっていることを得意気に言う、そういう態度はつまらない。誰の人生を生きているのだ、ということになる。少なくとも怜は、人の批判をすることによって何事かを成し遂げていると思っているような人間と付き合うのは御免である。

「話を戻すけれど、じゃあ、感動が商品化されることについてはどう思う?」

「笑いは商品化されているだろ」

「ん?」

「お笑い番組やバラエティ番組とか。感動を商品化するものを批判するなら、お笑いを商品化するものも批判すべきじゃないのか? 同じように人の感情を一つの方向に誘導するために作られたものなんだからな。それに、たとえば、クラシック音楽や劇なんていうのはどうなる? あれは感動を商品化したものじゃないのか? あれらは批判されないのか?」

「なるほど、笑いと涙の違い。それに、そういう芸術作品との違いか。それらはどうなの?」

「そんなことは知らないし、考える気もない」

「レイ」

「これは逃げてるわけじゃない。本当に興味が無いんだ。たとえば、オレはサッカーに興味が無いから、サッカー日本代表について論じろと言われても困る。それと同じだ」

 怜はあとは環に任せることにした。うまくまとめてくれることだろう。環はこほんと一つ咳をしてから怜のあとを引きついだ。

「笑いと涙の違いは、それが公になされてもよいものか、ひそやかになされるべきものなのかということでしょう。日常生活の中で、みんなで笑っていることを見ることはあっても、みんなで泣いていることを見ることは、お葬式でもない限り、普通はありません。公になされてもよいものを誘導するために作られた作品は特に問題視されず、そうでないものは問題視されるのではないでしょうか。また、クラシック音楽や劇というものは、確かに感動を誘うものでしょうけれど、それがテレビ番組やドラマと違うのは、あからさまじゃないというところだと思います。感動番組・ドラマなどは、『ほら、感動できるでしょ』という意識が濃厚なんじゃないかな。それが問題になるのだと思います」

 由希は澄んだ瞳を輝かせた。

「ありがとう、二人とも。これでいい作文が書けそうだよ」

 怜は、このくらいのことは従妹には分かりそうなものだから、彼女は答えが分かっていることをあえて聞く教師のようなものだと思った。それでも楽しかったのならば構わない。

「二人とも、わたしがどのくらい今楽しいか、分からないでしょ?」

 由希がその言葉通りこぼれんばかりの笑顔で言った。

 怜と環はちらりと目を見合わせた。

「たとえば、それは八分咲きの桜を見上げているときのような気持ちだろう?」と怜。

「たとえば、それは李白の詩を読んでいるときのような気持ちかな」と環。

「たとえば、それは雨上がりの空気の下を歩く時のような気持ちだろう?」

「たとえば、それはプリン・ア・ラ・モードを食べているときのような気持ちかな」

「たとえば、それは一週間の学校を終えて土日を迎えたときのような気持ちだろう?」

「たとえば、それは折り紙のバラを折り終えたときのような気持ちかな」

「ストップ、ストップ」

 と由希は両手をそれぞれ片方ずつ、友人と従兄に向けた。そうして、

「たとえば、それはね――」

 そう言って、首を横に振ると、

「ううん、何にたとえることもできないの。今この瞬間以上の楽しみを今は想像することさえできないってこと断言するよ」

 満面の笑みだった。

 電車内にアナウンスがかかる。

 どうやら電車は数分後に目的の駅へと到達するようである。

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