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プラトニクス  作者: coach
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第170話:祖父母の家への道連れ

 (レイ)は気分が高揚するのを覚えていた。朝の光が差す室内に立って着替えを終えた彼は、部屋の窓から覗く空に目を向けた。八月上旬の空は雲を払い、どこまでも青く綺麗に広がっている。今日はこれから出かける予定がある。母方の祖父母の家に行くのだ。

 祖父母に会えるということでもって気分上々になるなどといえば、中学三年生にもなって子どもっぽいことだと笑われるかもしれないが、なに笑われたって構いやしない、現に二人のことを敬愛しているわけだし、敬愛できる大人がいるということは非常に幸せなことだろう。

 大きめのボストンバッグを背中に下げて、怜は一人で家を出た。小学校四年生くらいの頃から、祖父母の家には一人で行くことが恒例になっている。両親と妹はそのあとからやってきて合流するのだが、父の仕事が忙しいときなんかは来られないこともあった。今年は来られるのだか来られないのだか未だに分からないようだけれど、来られないなら来られない方が、怜にとっては都合がよかった。せっかく窮屈な巣から出られるのである、たまには親鳥がいないところで、思い切り羽を伸ばしたい。

 心の弾みを歩調に表すこともせず、着実な歩みを駅まで進めていくと、携帯が着信を告げた。これから行く先にいる従妹からである。怜は立ち止まって、道の端に寄り、電話に出た。

「こちら、由希(ユキ)。応答願います」

「おはよう、ユキ。いい朝だな」

「おっ、なんか機嫌いいね。わたしに会えるからかな?」

「オレの機嫌は常にいい。自分で自分の機嫌を取っているからな」

「機嫌を取ってくれる人がいないなんて、可哀想」

「いや、これは覚悟の問題なんだ。その気になれば、結構いける。現に十四年間そうやって生きてきたからな」

「今どこにいるの?」

「どこって……最寄駅に向かっている最中だけど」

「どのくらいで駅まで着くの?」

「五分くらいかな」

「着いたら電話して」

「なんで?」

「すぐに分かるよ」

「了解」

 電話を切った怜は、空を見上げた。満天には雲ひとつなく、ましてや暗雲が近づいている気配は微塵もない。うん、と一人うなずいた怜は、その足を再び駅に向けた。そうして、五分ほど足に体を任せていると、駅に到着した。約束通り電話をかけると、従妹が出て、なんとここまで迎えに来ていると言うではないか。

「おはよー、レイ」

 構内の一角で屈託のない笑みを浮かべて、由希は実に楽しげである。耳の前で長くされた髪のその先が、ぴょこぴょこと踊っているように見える。

「エスコートしようと思ってさ」

 怜は、嫌な予感を覚えた。

 従妹が迎えに来たのは初めてのことである。なぜまた今回に限ってそんなことを考え出したのか。素直に訊いてみると、

「いやだなあ、一刻も早くレイに会いたかったからに決まってるじゃん」

 従妹が艶っぽい答えを返した。

 予感は確信へと変わる。怜は、きょろきょろとあたりを見回した。自分を迎えに来たのでなければ、誰か別の人間を迎えに来たに相違ないと考えたからである。もしかしたら妹かもしれない。これまで妹が一緒に来たことはなかったが、由希が迎えに来るとしたら妹くらいしか考えられない。そう判断した怜だったが、事態は彼の想像のはるかかなたを超越していた。

 少し離れたところから、一人の少女が楚々として歩を進めてきた。まるでヴァージンロードを歩く花嫁のようなしおらしさである。

「付き添いのお父さんはどうしたんだ?」

 怜は、二人のもとに現れた彼女に言ってやった。

「父ですか? 家でまだ寝ています。外では顧客の相手、内ではできの悪い娘の相手で日頃、疲れ切っているんです」

「何らかオレに恨みがあるわけじゃないよな?」

「わたしが?」

「じゃなかったとしたら、どうして、お父さんの体温を五度くらい上げようとしているのか、分からない」

「平熱から五度出たら動けません」

「動けなくても、病床から恨みの声を出される」

「娘を一人何日か厄介払いできたんですよ、喜びこそすれ恨みになんて思わないわ」

「目の中に入れても痛くない娘だったら話は別だろ」

「そんなに大きな目だったかな」

「目はこの世界だって映すことができる」

「レイくんの世界の一部であるわたしができれば綺麗に映っていればいいけど」

「服装を褒めるのはあとにさせてもらえないか、ちょっと従妹と今すぐ話がある」

 そう言って、怜は、我がカノジョである川名(タマキ)から、従妹へと目を向けた。

 彼女はニヤニヤとしている。どうやらこの状況を心底から楽しんでいるようだ。怜は話をするのをやめた。この状態の彼女に、

「どういうことだ?」

 と訊いたって、満足できる答えは返ってこないに決まっている。狼狽した様子を見せれば、無駄に彼女を喜ばせるだけである。彼女のための道化師になる気が無い怜としては、とりあえず状況を整理した。

 1.カノジョが同行する。

 2.その件を従妹は知っている。(当然!)

 3.カノジョが同行する件に関して、自分にはどうすることもできない。

 4.これが社会的・家族的に好ましからぬ行動である。

 怜はため息をついた。つい三十分前までは世界一幸せだったけれど、今では、

「宇宙一幸せだよ」

 そう言って、カノジョに向かって男気を発揮した。

「そう言ってくれると思ってました」

 環は悪びれずに言うと、

「さ、褒めてください」

 そんなことを言って、両手を開いてみせた。

 怜は、今日も髪が黒々としているね、と気のない褒め言葉を発した。

「そんな白々しいこといっちゃダメでしょ、レイ。黒々(・・)だけに」

 怜は、ムッとした目を従妹に向けてやったが、彼女はどこ吹く風であり、環に向かって、

「タマキちゃ~ん」

 と猫撫で声を出して、身を寄せた。

「ユキちゃん」

「頼りない従兄に代わってエスコートしに来ました」

「お迎えには感謝します。でも、わたしのカレシをそんな風に言うのはやめてください」

 怜は、バッグから携帯電話を取り出すと、電話帳を呼び出した。そうして、環の家に対して電話をかけた。環の母が出ると、

「加藤です。数日、タマキさんをお預かりします」

 と言ったあとに、自分が預かるわけでもないのに、「お預かりします」はおかしかったかと思って、顔をしかめた。

「ご迷惑おかけします。娘はすごく楽しみにしているようですので、よろしくお願いします」

 ねんごろな言葉をかけられては、もうどうしようもない。携帯を切って、環に向かうと、彼女は従妹と話してはしゃいだ様子を見せている。怜は、環に向かって、手を差し出した。環はその手を握り締めた。

「和解の握手ね」

「そうじゃない。荷物をよこせよ」

 そう言って、怜は、彼女が引いているピンク色のキャリーバッグに視線を向けた。

「ユキちゃんの前だとちょっと恥ずかしいな。いつもレイくんに持たせているみたいに思われちゃう」

「別にいいだろ」

「わたし、自立した女の子を目指しているって、ユキちゃんに言っているのよ」

「自立した女の子だから、他人に荷物を持たせちゃいけないってこともないだろう。これ以上の議論はなしだ」

 環は、由希に向かって、彼って強引で、と言ってなぜだか被害者のような顔で、首を横に振った。

 怜は、二人の少女を伴って、チケットを買いに行こうとした。すると、従妹がすでに二人分チケットを用意してあるというではないか。さすがに如才ない。

「ありがとう」

「代わりに、タマキちゃんを怒らないでくれる?」

「怒ってなんかいない」

「そうかな」

 そのハズであるけれど、なにやらもやもやとするようなものがあるのは確かである。これは何か。これまで環と一緒にいたときには感じなかったものである。しかし、怒りやいら立ちではない。

 改札を出て、プラットフォームに立つと、電車はほどなくやってきた。空調の効いた車内に入ってボックス席に陣取り、従妹とカノジョと向かい合わせになって座る。二人の女の子たちは、さも楽しそうに近況を報告し合っていた。それを聞きながら、怜は、窓外の景色を眺めていた。夏の日に照らされて、ものみな生き生きと輝いている。家を出る前は、この景色を自分一人で見るだろうと思っていたのが、二人の女の子の道連れである。まことにこの世の中は面白い。

「レイくん、クッキー食べる?」

 斜め前から環が言ってきた。アーモンド型の瞳がキラキラしている。従妹と共謀してカレシを引っかけたのだ。楽しくて仕方がないだろう、という考え方はひねくれているだろうか。

「どう思う?」

 怜は、手作りらしいそのクッキーを一枚手に取りながら、尋ねてみた。

「カレシさんと初めて旅行ができる純粋な喜びかもしれないよ」

「『純粋』ねえ?」

「目的は手段を正当化するって、昔のエラい人は言ってたよ」

「それは、国家が危機に陥ったときにその国家の存続という目的のために政治家は手段を選んではいけない、っていうそういう文脈でだろう」

 環は隣の女の子に、

「わたしのカレって何でも知ってるの」

 自慢げな声を出した。

 しかし、そんなことは環も知っているハズである。知らない言葉を無批判に使う子ではない。

 そこで、怜はハタと気がついた。環も知っているハズであるということを、怜は知っている。それは当然そうでなければならないという理の当然、数学の公式から、その公式を使った問題の答えが当然に導かれるのと同じことである。そうして、それは環の行動の全てに言えることなのだった。しかし、今回のこの行動は、その理からは導かれない。確かに一度はこちらから誘ったことであったけれど、外聞を考えれば今回の行動はよろしくないことであって、それをあえて破ってまで彼女がついてくることには理が無い。その理が無いことへの戸惑いなのかもしれない。

――理か……。

 友人に一人、合理主義者がいるが、もしも彼なら、

「理外にも理がある、それだけのことだろう、レイ」

 と答えるかもしれないが、それはもしかしたら、いつか自分が言った言葉なのかもしれなかった。

「怒ってる、レイくん?」

 環は訊いてきた。まるでそれが何か望ましいことでもあるかのように瞳を輝かせているものだから、怜は、もしも怒っていたとしても、そう答えることはできなかったし、すでに戸惑いも消えていたので、いやと首を横に振った。

「よかった、レイくんに嫌われたら生きていけないから」

 そう言うと、隣から、

「そういうノロケ的なことは二人きりのときにしてください」

 ツッコミが入ったが、ノロケてなどはいないし、環とノロケたことなどないので、怜は言われない批難に対抗するように口を閉ざし、また窓外へと目を向けた。

 遠くに濃い緑の山並みがあり、近くには薄い緑の田が見えた。その田の辺りで、この暑い中、農作業にいそしんでいる男女の、背を丸めた姿が見える。列車のすぐ近くを並走するようにしている電線にスズメが列を為してとまっていた。

 室内に目を戻すと、二人の少女がやはり楽しげにおしゃべりしていた。そのうちの一人を見た怜は、戸惑いがおさまってみれば、いつも一人で行っているところにカノジョと一緒に行くということが、愉快な気分になってくるのを感じた。何事も彼女と一緒にいればずっと興味深い。

 なるほどこれがノロケるということか、と思った怜は、従妹の慧眼に敬服して、自らの不明を恥じた。

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