第169話:初デートと二度目の約束
「男の子と二人で食事するなんて初めて」
瑛子がはにかんだような笑みを浮かべる。
瑛子なら男子から誘われることも多いだろうし、デートに誘われればどっかで食事くらい取るだろうから、宏人は意外な思いだった。
「ありがとう、倉木くん」
「え、な、何が?」
「わたし、すごく楽しいから。楽しい時間をくれてありがとうって」
「こ、こちらこそ」
とは言ったものの、宏人はそれほど楽しく過ごせていたというわけではない。なんだか緊張してしまって、彼女との会話も映画も今のこの食事もどこか上の空である。二瓶瑛子という少女はとても魅力的であるわけで、その魅力に翻弄されているのかもしれないけれど、まったくそういう話ではないのかもしれない。
――もしも前だったら……。
瑛子のことを単に慕っているときのことだったら、こんな状況、夢にも昇る気持になったことだろう。しかし、仮にその時そうであったとしても、その後、彼女に対するイメージが崩れることはあるだろうから、そうすれば、結局は同じ話、早いか遅いかの違いでしかないわけで。
――頭がぐちゃぐちゃしてきた……。
冷静に考えてみれば、瑛子の中身は、志保よりひどいというわけでは全然無い。それにもかかわらず、志保の方が気安くて、瑛子の方からプレッシャーを感じるのは、これはやはりタイミングということに過ぎないと思う。さほどにタイミングというのは大事なものなのだろう。
「この前はアオイちゃんと一緒に映画を見たんだ」
「そのときもアクション映画?」
「うん。ああいう、派手なヤツが好きなの。倉木くんは?」
「オレは泣けるヤツかな。スポーツものとかで、弱小チームが熱血コーチの指導で強くなる、みたいな」
「そういうのあんまり見たことないな。今度一緒に見に行かない?」
「じゃあ、今度はオレが誰かから二枚つづりの前売り券をもらってくるよ」
「たまたま貰ったからっていうのがポイントね」
「約束するよ」
「約束は守る方?」
「これまで守らなかった約束は一つしかない。大きくなったらお姉ちゃんと結婚するってヤツな」
瑛子は、綺麗な歯を見せて笑った。
「倉木くん、お姉ちゃんラブなの?」
「昔はシスコンでありマザコンだった。今はその反動でファザコンなんだ」
「複雑な人格だね。でも、男の子がファザコンって、どういうの?」
「おやじは、口うるさくないからさ」
「口うるさくない人がタイプ?」
「そこに愛があれば、口うるさくてもいいけど」
「お母さんもお姉さんも、倉木くんのこと愛してると思うけど」
「なんでそう思うの?」
「だって、倉木くん、いい人だから。愛されていないといい人はできないでしょ」
女子の言う「いい人」というのは、つまりは男子としては魅力を感じないが一般的に善良な人でお友達くらいにはしてもいい人ということであろう。それを聞いた宏人は、がっかりするものを覚えたが、はっきりと気になっていて、できればお付き合いをお願いしたいと思っているわけでもない子に対しても、そんな落胆を覚えた自分を残念に思った。
やがて食べ終わった宏人は、瑛子よりも先に食べ終えてしまったことに対してバツの悪さを感じた。こういうときはできるだけ同じように食べ終えるべきだろう。いや、そうするべきなのかどうか知らないけれど、間が悪いことには変わりはない。
「ごちそうさまでした」
瑛子の声に合わせて、宏人も、ごちそうさました。すると、少ししてウェイトレスのお姉さんが現れて、食器を下げてくれたあと、デザートを持って来てくれた。グレープフルーツジュースと、こじんまりとしたケーキである。
「久しぶりに外でちゃんとした昼食を取ったよ。いつもはハンバーガーとかだからさ」
「ハンバーガーいいよね。ダブルチーズバーガーが好き。何がダブルか知らないけど」
「きっと『金額』がダブルなんじゃないのかな」
「そこは『美味しさ』がじゃないの?」
「『カロリー』がかもしれない」
「倉木くん、嫌なことを言う人ってときどき言われない?」
「全然言われたことない。大体、オレ、いい人なんだろ?」
「いい人でも時に嫌なことを言うかもしれないでしょう?」
だとしたら、嫌な人でも時にいいことを言うのだろうかと思い、宏人は、姉や志保のことを考えてみた。
デザートを綺麗に平らげたあとに、テーブルを立つ。会計は一人ずつ払った。こういうときは男が払うのではないだろうか、と宏人はカッコつけたい気持ちでいっぱいだったけれど、よくよくと考えれば、二人は恋人同士でもなければ、会社の上司と部下でもないし、宏人は今日のホストでもないわけだから――むしろどちらかといえばゲストの方だ――、そんなことはできないのだった。
「ああ、楽しかった」
瑛子は笑顔である。
「倉木くんって、ユーフォーキャッチャー、得意?」
ユーフォーキャッチャーとは、おもちゃのクレーンを操作して景品を取る、ゲームセンターによく設置されているゲームのことである。
「人並みだと思うけど」
「じゃあ、人並み以下のわたしのために、一肌脱いでもらってもいい?」
それは構わないけれど、休日にゲームセンターなどに行けば、まず間違いなく誰かしらの知り合いに会うわけで、宏人は別に構いはしないが(ただしその会っても大丈夫な知り合いから姉を除く)、瑛子は大丈夫なのだろうかと思ったけれど、
「お願い! そのぬいぐるみのことを考えて、今、8時間しか眠れないの!」
そんなことを陽気に言って、手まで合わせてくるのでは行くしかなかった。
ゲームセンターは、今二人がいるストリートの中にある。ガンガンと耳が痛くなるほどの音量を放つそこに、宏人は久しぶりに足を踏み入れた。ちなみに、女の子と一緒に来たことはない。
「こっち、こっち!」
瑛子に先導されるまでもなく位置を知っていた宏人だったが、素直に彼女の後をついていくと、一組のやはり中学生くらいのカップルが先に、半球状のケースの中にあるクレーンを嬉々として動かしていた。宏人は、その二人がゲームを終えるのを待った。やっているのは女の子の方で、それに男が、「そこだっ!」とか、「遅い!」とか、茶々を入れている。
「もおっ、そんな言うなら、自分でやってよ」
「無理だよ、おれ、不器用だから」
「だったら、文句言わないでよね」
「応援してるんだろ。いいから早く、オレのカピバラさん、取ってくれよ」
「何がカピバラさんよ、気持ち悪い」
「カピバラさんは気持ち悪くない!」
「気持ち悪いのはあんたよ!」
お似合いのカップルである。二人が終わるのをしばらく待っていると、いよいよ宏人の番である。カピバラの代わりにリスのぬいぐるみをゲットした男の子は、宏人に幸運を祈ると言わんばかりの目を向けてきた。宏人はうなずいた。そうして、財布から小銭を取り出すと、瑛子が慌てた様子で、
「わたしが出すから」
と言ったが、宏人はそれを断った。確かに彼女の願いを聞き入れるわけだからお金を出してもらうのが筋だけれど、さすがに衆目の中で、女の子にお金をスロットに入れられるのは恥ずかしいことこの上ない。タカリかヒモヤロウだと思われてしまう。宏人は、
「二瓶へのプレゼントにしたいから」
と取ってつけたようなことを言って、小銭をスロットに入れた。すでに、目標は聞いている。ユーフォーキャッチャーをやるのは久しぶりである。宏人にはそれなりの経験がある。友人にユーフォーキャッチャーが得意なヤツがいて、一年のときに、そいつから指導を受けたのである。そこそこ取れるようになったときに、
「これでオレもマスタークラスかな」
「何を言う! お前などまだまだだ」
「いつになったらオレをマスターって認めてくれるんだよ」
「我慢するんだ」
「みるみる上達するオレに嫉妬しているんだ。だから、オレをキャッチャー・マスターって認めないんだ」
「バカを言うな。そんなことはない」
「いや、そうに決まってる! もうオレは一人立ちできるんだ! これからはマスター・ヒロトと名乗るからな!」
そう言って、友人とけんか別れをする振りをして、じゃれあっていたのはいい思い出である。
宏人はそのときのことを懐かしく思い出したりはせず、ゲームに集中した。
一度二度目は失敗したが、三度目の正直で見事、マスターヒロトは、目的のマスコットキャラクターをゲットした。それを、瑛子に渡すと、
「倉木くん、ありがとうっ!」
まるで冒険家が長年追い求めていた秘宝を手に入れたかのように、飛び上がらんばかりにして喜んだ。いや、実際、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねていた。言ってもぬいぐるみごときで、それほど瑛子がはしゃぐとは意外な思いがしたが、それも彼女の一面であるのか、あるいは、
――そう見せているのか……。
そんなことを考えてしまって、彼女の行動を素直に受け取れない自分に宏人はげんなりした。
「大事にするね」
そのあと、カラオケをしようということになって、二人で二時間、魂のロックに心からのバラード、陽気なアニソンに、哀愁漂うラブソングなどを歌ってから、お開きということになった。
まだまだ暮れない日の下を二人は歩いて、別れ際のことである。
「倉木くん」
瑛子はやけに真面目な声を出した。
「はい、な、何ですか?」
宏人はその真剣さについ敬語になってしまう。
瑛子は、少しためらうようにしたあと、一息に、
「わたし、倉木くんと同じクラスになって、初めて見たときから、ずっと倉木くんのことを綺麗な人だと思ってたの。だから、今日は一緒に遊べて本当に楽しかった。また誘ってもいい?」
言った。
――き、綺麗……?
全くされたことがない形容に宏人は戸惑いつつも、
「今度はオレが誘うよ。さっきそう約束しただろ」
言った。そう言うと、瑛子は本当に嬉しそうな顔で微笑んで、
「そのときを楽しみにしてるね」
そう言ったあと、じゃあ、とまるでそそくさと逃げるようにして、その場を離れた。
宏人は、もしかしたら告白されるかもしれないと思った頭をぽりぽりとかきながら、瑛子とは別の方向へと歩いた。