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プラトニクス  作者: coach
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第166話:赤い糸は自ら紡ぐべし

 倉木日向(ヒナタ)は人生をシンプルに考えている。

 好きな人のために行動する。

 人生とは煎じ詰めればそれだけのことである。

 お金を稼ぐとか、名声を求めるとか、夢を実現するとか、そういうことを目標とする人もいるだろう。それはそれで構わない。でも、お金持ちになったり、有名になったり、自己実現できたりしても、自分が好きな人、自分を好きになってくれる人、そういう人と一緒にいられないんじゃ意味が無いし、逆に好きな人と一緒にいられるのであれば、この世はいながらにして別天地であって、他に何を求めることもない。そんな風な考えに至ったのは、幼なじみの存在が原因だと、日向はたまに自己分析したりする。

 幼なじみの西村(ケン)とは、ほとんど生まれたときから一緒にいた。新生児室をシェアした仲である。生まれて初めて認識したものは彼の顔であると日向は主張しているが、これを言っても信じてくれる人はいない。それが事実であるかどうか――もちろん、日向は事実だと思っているが――しかし、実はそんなことは別にどちらでもいいのであって、大事なのは、初めて認識したのが彼の顔であると日向が堅く思っているというそのことなのである。それ自体が貴い。

 親しい友人に、彼への思いを問われると、素直に「好き」だと答えることができるけれど、そのような言葉では本当は表現ができない。日向は、ケーキが好きだし、夏が好きだし、洗いたてのシャツが好きだけれど、そういう類の思いとは一線を画するところに、彼はいる。好きだとか好きでないとか、そういう話とは関係なく、生まれたときから分かちがたく運命の鎖でぐるぐる巻きにされている関係とでも言おうか。しかし、そんなことを人に言ってもおそらくは分かってもらえないだろうと思っているので、言ったことはない。

 腹が立つのは、こちらが運命を感じているのにも関わらず、彼の方はあんまりどころか、さっぱり感じていないのではないかと思える節があるところだ。二人のうち一方だけ感じる運命なんていうものは、あってはならない。あったらそれは勝手な思い込みということになるが、二人の関係を思い込みにする気がない日向は、是が非でも彼に運命を感じてもらわなければいけない。これが中々難しい。暑さを感じない人に、暑いと感じろと言うに類する難しさがある。その難しさが高じて、ときどき、

――もう告白してやろうか。

 と自棄を起こしたくなるときもある。生まれた時から14年間待っているのだ。スコットランドには、亡き主人の墓を14年守った忠犬がいたという。今年何かしら不幸なできごとが起こって、若い身空がどうにかなることがなければ、日向は、そのワンちゃんの記録を超えることになる。犬の記録を更新したところで微妙な上に、待つという点では同じでも、待つ目的が全然違うので、そもそも勝負になりもしない。

 日向は、ため息をついた。

「どうかしたのか?」

 隣から、声が聞こえる。その声の主が、日向の運命の人、西村賢その人であるということが、日向にとって幸運なのか不運なのか、運も不運も自分次第であると考えている彼女にとっては、そんなことは考える意味も無かった。

 二人は、今、日向の家のリビングで勉強をしているところだった。二人は、同じ高校を目指している。二人とも余裕を持って合格できるという成績ではないが、今後のがんばり次第で十分に合格できるほどの成績ではあった。それで、せっせと勉強しているのである。今、家の中には、日向と賢以外、誰もいない。父は仕事、母は買い物に出かけており、一人いる弟は部活中である。若い二人がひとつところにいたら何かしらの間違いが起こるのではないかという懸念は家族には無いらしい。それだけ自分と賢のことを信頼しているのだろうし、日向も何かしらの好意の表出としての突発的な行為を許す気はなかった。まず好意それ自体をはっきりと言葉にしてもらう必要がある。

「ヒナタ」

「な、なに?」

「これどうやって解くの?」

 そう言って、賢は隣から、数学の問題を示してきた。日向は、

――ムダなドキドキを返せよっ!

 と思ったが、もちろん口には出さず、丁寧に問題の解き方を教えてやった。

「サンキュー」

 そう言って微笑む彼の口元につい見惚れてしまう気持ちをおさえながら、

「なんか飲む?」

 立ち上がって、言いざまにキッチンへと足を向けた。

「じゃあ、アップルタイザー」と賢。

「うちに都合よくそんなのがあると思っているの?」

「聞かれたから答えただけさ」

 しかし、実はあるのである。ちょうど昨日買ってきておいたのだ。日向は、冷蔵庫を開けると、砂糖と保存料不使用のリンゴソーダの瓶を目で探した。

――あれ……?

 日向は、冷蔵庫の中を丹念に探したが、影も形も無い。そんなバカなと思って、冷蔵庫が、扉の開け過ぎに抗議してビービーと鳴るのを無視して、あらゆるところを探してみたが、まったく見当たらない。日向はピンと来た。

――ヒロトだ!

 日向には一学年下に弟が一人いる。弟はしばしば所有権という概念を忘れるようで、姉のものをかっぱらっていく。厳しくお灸を据えなければいけないと目を細めた日向は、バタンと冷蔵庫の扉を閉めると、すたすたとリビングまで戻って、

「無かったから、ちょっと行って買ってくる」

 声をかけると、賢は手を振った。

「いや、別にいいよ。お茶だって水だってなんだっていいんだし」

「わたしが飲みたいの」

 そう言ったが、もちろん自分が飲みたいからではなくて、好きな男が飲みたいと言ったものを飲ませてやれないのではしまらないという女の意地からである。

「一緒に行くか?」

「いいよ、不用心だから、ここで涼しくなった部屋を守っていて」

 日向はそう言うと、サイフだけ持って、玄関へ向かおうとした。そうして、

「外、暑そうだから、帽子かぶってけよ」

 そんなことを言われたものだから、

――あんたはお母さんかっ!

 と心の中で突っ込みつつも、言われた通りに、つばの広い帽子をかぶって、外に出た。確かに、外は燦々と日が照っている。青空にはもくもくと入道雲が立ちこめて、典型的な夏の日だった。近くにチェーン店の酒屋があって、目的のものはそこに売っていた。近くと言っても歩いて行くと15分くらいはかかる。行き帰りで30分。春や秋の晴れの日であればちょうどよい散歩になるかもしれないが、今日みたいな日にはまるで軍隊の行軍のトレーニングのようなものであり、5分も歩かないうちから額に汗をかいてきた。

――ヒロトのヤツ、帰ってきたら、ぶっ飛ばしてやる。

 誓いを新たにしながら、歩みを進めると、どこか見知った顔があるではないか。

――げ、もしかして……。

 少し前を歩くその少年は、我が運命の恋人の「親友」だった。加藤(レイ)である。日向は、一瞬隠れようと考えてしまった自分を大いに恥じた。ここは天下の公道である。なにゆえ、自分が何かから隠れなければいけないのか。しかも、あろうことか、

――加藤くんからっ!

 きっと目元を鋭くした日向は、少し足を速めて、こちらから彼に向かって話しかけてみた。加藤くんは足を止めると、瞳に特に感動を映さずに挨拶してきたので、日向はますます彼を畏れた自分に腹を立てた。日向は、これから酒屋に行くところだと言うと、なんと加藤くんもそうだというのである。これは、もう道中を同じくするしかない、と日向は心に決めた。

「じゃあ、せっかくだから一緒に行きましょう、加藤くん」

 休み中に二人で並んで歩いていたらあることないこと噂が立つ可能性は、ことこの二人に関してはない、と日向は断言できる。そんなことあってはならない。あってはならないことなのだから、ないのである。うん、とうなずいた日向の隣から、加藤くんは自分のいる位置を変えて、日向のもう一方の隣へと移動した。マークする場所を変えるかのような加藤くんの動きに、変なヤツ、と思った日向だったが、少しして、

――車道側を歩いてくれているんだ。

 ということに気がついて、そのことに関して加藤くんに感心するよりも、すぐにそれに気がつかなかった自分自身にまた腹を立てた。

 日向は加藤くんと二人きりになったことがない。あと十分くらいの道のりとはいえ、いったい何を話せばいいのか、と思っていたが、意外にも加藤くんは、この頃読んだ本の話や、通っている塾の話など、いろいろと話をしてくれたので、それに応答するだけでよかった。共通の友人である賢のことでも話に出すのが関の山だろうと見くびっていたところ、大いに裏切られたわけで、なんだかそれにも腹が立つ。こうなると、まるで腹を立てるために、彼と行動しているようにも思われて、バカバカしいことのこの上ないが、自分から言い出したことなので、

「やっぱり一人で行くね」

 と言って、足早に失礼するわけにもいかず、ただ耐えるしかない。

 公平に加藤くんの話を聞いていると、彼の話には嫌味がないことが分かる。自分が感動したことを中心に話しており、他人の批判や否定がない。それだけに惹きつけるものが少ないとも言えるけれど、もしかしたら感動を与えないことも彼の配慮なのかもしれなかった。

 目指す酒屋に着くと、加藤くんがドアを開けてくれた。

「あ、ありがとう」

 日向は礼を言って、中に入ると、店内で別れて、アップルタイザーを買いに行く。目的の物はすぐに見つかって購入を済ませ、手に余る750mlの瓶を持って店を出ると、後ろから声をかけられた。振り向くと、買い物を終えた加藤くんが、ちっちゃなペットボトルのお茶を差し出している。

「念の為だよ」

 そんなことを言う加藤くんに恥をかかせないくらいの分別がある日向は、それを素直に受け取って、礼を言った。「いいよ、いいよ」なんて、断るのはみっともない。おそらく断られると思っていたのだろう、どこかホッとしたような顔をして、加藤くんは、それじゃあ、と背を見せた。

 その背を見送ったのち、日向は、どうして彼のことがこんなに気に入らないのか、分かった気がした。彼のすることは、いちいち儀礼的なのである。こちらのことを考えてやっているというよりは、多分にルールだからしているという風なのだ。少なくとも、日向自身はそう感じた。とはいえ、別に心を込めてもらいたいとか、そういうことを思うわけでもない。それだからこそ余計に気に入らないのである。

 日向は、歩き始める前に、加藤くんからもらったペットボトルのお茶のキャップをひねった。そうして、お茶をごくごくと何口か飲むと、自分の体が水分を欲していたことが分かった。日向は、加藤くんに会ったことを、帰ったらすぐに賢に報告することにした。

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