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プラトニクス  作者: coach
163/281

第163話:夢の中のもしも

 (レイ)の一日は勉強から始まる。

 こう言うと彼女は才女であると思う向きもあるかもしれないが、逆である。

 本当の才女は、朝からせこせこ勉強などしない。

 高校の教師をしていた祖父の薫陶(くんとう)によって怜の頭は悪くはないのだが、その悪くなさは高校入試に通用するようなものではなかった。このあたりは、日本の教育制度を呪うしかないが、そんなヒマがあるなら一つでも英単語を覚えた方がいいという常識的な、つまりは良質な判断に至れるのが怜という少女の美質だった。

 朝6時に起きて始めた勉強を1時間続けてパジャマ姿で階下に行くと、母が朝食を作り終えている。朝はあまり食欲がないので、軽めのメニューにしてもらっていた。怜は、母に挨拶すると、食卓についてから、父に挨拶した。新聞を読んでいる父とは、この頃あまり会話が無い。別にこちらが嫌っているわけではないけれど、父と話すことなど無いし、あちらにも中学三年生の娘と話すことも無いのだろう。もう少し成長したら、父が読んでいる新聞に書いてある政治や経済のことなど一緒に語って、盛り上がれるようになるのかもしれない。

 朝食がなかば済んだ頃に、妹が起きてくる。

「もおっ、何で起こしてくれないの、お姉ちゃん」

 妹の(ミヤコ)は口をとがらせながら言った。

 怜は、そろそろ自分で起きないといけない年でしょう、とにべもなく答えた。

 妹との仲は悪くない。

 しかし、その悪くないことが悪い点があり、彼女は、姉である怜に依存しすぎている面がある。

 小さい頃から面倒を見過ぎたせいかもしれない。

「怜の言う通りよ、都。ずっとお姉ちゃんと暮らすわけに行かないんだから」

 母が言うと、すぐに都は反論した。

「えー、でも、大学卒業くらいまでは大丈夫だよね。お姉ちゃん、ここから大学に通えばいいんだからさ」

「地元の大学に行くとは限らないし、家を出て一人暮らしするかもしれないでしょう」

 うーん、と都は何やら考える振りをして、

「そのときはわたしもお姉ちゃんと同じ大学に行って、一緒の部屋に住もうっと。問題は、わたしが高校三年生のときだな。この時はお姉ちゃんがいないから……あ、待てよ、お姉ちゃん、浪人すればいいんじゃないかな!」

 ぱっちりとした目を輝かせながら縁起でもないことを言った。

 怜は先に食べ終えると、ごちそうさまを言って、歯を磨いて服を着替えることにした。

 それから、肩かけの鞄を持って、玄関先の姿身で身だしなみをチェックする。

 妹は愛らしい顔立ちをしているけれど、怜の容姿はどこといって特徴の無い平凡なものである。しかし、特にそれを嘆いたことはない。「美しい唇であるためには美しい言葉を使いなさい、美しい瞳であるためには他人の美点を探しなさい」とはある女優の言葉であるが、人の美とはそういうものでなくてはならないと、いつからか深く腑に落としていたのである。

 怜は、妹が準備し終えるのを待たずに先に家を出た。

 初秋の空は遥かに高く、薄い青が広々としている。

 怜は秋が好きである。

 ギラギラとした夏が勢いをおさめ、日差しが柔らかくなり、風涼しく、夜の時間が徐々に長くなる。月の光が洗練されて、星のまたたきが遠く、虫の声がしんしんと鳴る。この季節に今自分が存在するということが、ありがたく、天上に神もしくは神々がおはしたら、感謝を捧げたくなる。

 心持ち足取りもゆっくりとなる。まだ木々は紅葉しておらず、秋の色どりには欠けるけれども、これから徐々に色づいて行くのを待つのも好きである。受験を控えた年の秋であっても、それは変わらない。

 家を早めに出るので、ゆっくりと歩いても悠々と学校に到着する。校門で、生活指導の教師に挨拶すると、怜は、3年6組の教室へと向かった。いざ自分の席に着こうとすると、指定席であるにも関わらず先客がいる。男子である。怜は眉をひそめた。

「よお、レイ!」

 見知った顔である。

「今日も可愛いな」

 怜は、ありがとう、と褒め言葉に関して礼を言ったあと、席を空けるように言った。

「オレと付き合ってくれるなら、すぐにどくよ」

 彼は意味不明なことを言ったが、怜は慣れたものである。とりあえず鞄を机の上に置いて、中を開いて、英語の教科書を取り出すと、そのまま教室を出ようとした。

「お、おい、どこ行くんだよ」

 まだ朝のホームルームが始まるまで間がある。その間に勉強するつもりであり、この机が空いていないなら、その代わりにどこか別の勉強スペースを探すしかない。

「分かったよ、どくから」

 そう言って、瀬良太一(タイチ)は立ち上がった。

 太一とは一年生からの付き合いである。

 付き合いと言っても色気のあるものではなく、ただ話す仲であるというだけのことだ。

 彼からは再三再四、それよりも深い仲になりたい、と迫られているのだけれども、怜は本気にしたことはない。

 衆目の前で公然とできるようなものは愛の告白の名に値しない、と怜は思っている。

 怜は席に着くと、また来るから、と言って去って行く太一に一言も与えず、鞄に向かった。

 周囲からひそひそとしたささやき声が聞こえる気がする。

 太一は、女子に人気がある。甘いマスクでレディファーストを行って子供じみたところが無いけれど愛嬌があれば、それはモテる。それは、怜も認めるところである。勢い、そんな彼と仲がいい……ように見える怜への風当たりは強くなる。その風を避ける術は今の怜にはない。ないけれど、まあ、中学校生活もそう長いわけではないので、耐えて耐えられないことはないし、どうしても耐えられなければ学校に来なければよいとも思っている。望んで来ているわけではないところだ。無理をしてまで来ることはない。

「おはよう、レイ」

 教科書に向かってカリカリしていると、明るい声が降って、爽やかな容姿の女子が姿を現した。

 すらりとした立ち姿に、髪を芸術的に束ねている。

 橋田鈴音(スズネ)。クラスメートである。今年から仲が良くなった彼女とは、よく話をしていた。どこか大人びたたたずまいの彼女は、一学期の初めまで不登校だったのだけれど、学校からの届け物を彼女に届けに行く縁があって、それがきっかけで、話すようになった。

「また瀬良くんにからまれていたんだ。羨ましいなあ」

 それはどうも言葉だけであって、心からそう思っているわけではないようだ、目が笑っている。

 どうしてからまれるのか分からないから教えてほしい、と鈴音に頼むと、

「わたしが男の子だったらきっとからむな。掃き溜めに鶴がいたら捕りたくなるし、路傍にダイヤモンドが落ちていたら拾いたくなるでしょう」

 そんなことを言った。

 怜は、自分は鶴やダイヤなどではないと抗弁したみたけれど、

「それ以上のものではあっても、それ以下のものではないよ。わたしが保証する」

 そう言った鈴音の言葉にからかいの色がなかったので、怜は礼を言った。鈴音と少し話していると、担任が現れて、受験生の秋だというのに落ち着かないクラスに訓戒を施したのちに、ホームルームを始めた。すでに特別なイベントは残されていないし、特に事件もなかったようで、ホームルームはあっさりと終わった。

 四時限のお勤めをこなして昼食をとり、昼休みになると、怜は図書室に行くことを常としていた。勉強するためである。教室では、もちろん勉強している子もいるのだけれど、昼休みくらいはお勤めを離れたいということで騒いでいる子も多く、そのような状況の中で勉強するには耳栓かウォークマンが必要であったが、どちらも校内持ち込み不可のブツであり、であれば、静かな環境を求めるしかないわけである。

 少したてつけの悪い図書室の扉をギギギとスライドさせると、すぐのところにカウンターがあって、図書委員の男子が本を読みながら、貸し出しを待っていた。その脇を通った怜は、中央に空いていたテーブルの席を取って、勉強を始めた。静かな空気の中に鉛筆を走らせる音と、ときおり小さな咳が響く。

 昼休み時間は長くない。五時限目の予鈴が鳴るまで大した時間は無いのだけれど、それでもやらないよりはずっとマシである。怜は集中して、英語の問題に向かった。椅子を引く音がして、みなが図書室を出始めると、怜もそれにならって、図書室を出た。三々五々、自分の教室に散って行く生徒たちに交じって、怜も教室へと戻る。

 それから二コマの授業を済ませると、ようやく解放されて家に帰れるわけだけれど、学校から解放されても、家で束縛を受けるわけであるので、大して変わりはしない。

 生徒用玄関に行くと、知り合いの男の子と行き会った。

 椎名(タクミ)。二年生のときに同じクラスだった子である。

「今、帰り? レイ」

 うなずくと、そこまで一緒に帰らないかと誘われた。

 喜んで、と答える怜に、巧は微笑んだ。この微笑みに作為がないように見えるのは、彼の性質が為せるものだろうか、あるいはもしかしたら彼に好意を寄せているからかもしれない。その証拠に、一緒に歩いていると、なんとはなしにリラックスするような気分になる。

「どうかした?」

 巧が小首を傾げたので、怜は自分の気持ちを正直に言ってみた。

 すると、巧は微妙な顔になって、

「それは告白と受け取っていいのか、逆に遠回しなお断りと受け取っていいのか、分からないなあ」

 言ったので、どちらにとるのも自由にして欲しいと伝えると、彼の目にまた微笑みがともった。

「レイを手に入れようとしたらかなりの覚悟が要るね。狙っている男子はおそらく両手では数えきれないから」

 おどけたようなセリフだけれど、彼の言葉はすっと胸に落ちて余韻を残さない。それは彼の言葉に目的がないからだろう。やがて別れ道まで来ると、

「一人で帰れるね」

 と言って、巧は別れた。

 もちろん一人で帰れる。

 日が暮れかかる道を、怜は歩き出した。

 ベンチに一人の少女の姿を見たのは、それから3分後のことである。

「レイ」

 すっと手をあげた彼女は、小学生からの知り合いだった。

「タマキ」

 怜は名前を呼ぶと、彼女のもとに近寄った。

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