第161話:いつものときの心持ち
ゴーカートに乗って風を切ってから、もう一つ牧歌的な乗り物――地上から1メートルほどをゆったり走る電車――に乗ると、もうお昼である。
ようやくこれで半分か、と怜は内心でため息をついた。楽しくないことをしていると、時間が過ぎるのが長く感じる。
園内のフードコートで、お昼にしようということになった。あまり親しくない女の子二人の前で大口を開けたくないし、ずるずると麺をすする音も聞かせたくない怜は、食べやすい大きさのサンドイッチをチョイスしたが、太一は、特大のハンバーガーにして、二人の少女の笑いを誘ったようである。その選択はウケ狙いというだけではなく、自分がガツガツと品悪く食べれば、万一、二人の女の子がテーブルマナーを犯しても目立たないという配慮からだろう、と怜は思った。さすがに如才ない。
昼食を取ったあと、マジックミラーでできた迷路に迷い込んだり、バルーンのようなものに乗って適当な高さにまで浮かび上がったり、回転するボートで水を切ったりして、遊んだ。
それから、怜のおごりで、ソフトクリームを食べることになった。
「オレ、イチゴとチョコのダブルね」
贅沢なことを言った太一には、ブルーベリーとバニラのダブルにしてやることにして、他の二人のオーダーを聞く。人間の手は二本しか無いので、もう二本分を円が受け持ってくれることになった。
太一と若菜のことはそれはそれとして、円は楽しんでいるのだろうか。物静かな風貌から、彼女の気持ちは窺えない。今日は友達の恋路がメインであるのでそういう気にはならないかもしれないが、それでも少しでも彼女自身も楽しんでくれていたらいい、と怜は思った。
二人でソフトクリームを持って帰ると、またもや太一がいない。トイレだと言う。朝から腹の調子が悪いなら、ハンバーガーやソフトクリームなど食べるべきではないだろう。
「溶けちゃうから先に食べていよう」
怜がみなに促すと、少しして太一がどこからともなく現れた。
怜は持っていたソフトクリームを太一に手渡した。若干溶けかけて、下層になったブルーベリーの液体が、怜の手を濡らしている。
「サンキュー、レイ……あれ、オレ、イチゴとチョコって言わなかったっけ?」
「いや、確かにブルーベリーとバニラって聞いたぞ」
太一は、おかしいなあ、と首をひねりながらも、
「まあ、こっちの方が好きだから、いいか」
そう言って、ソフトクリームを受け取った。
「げ、溶けかけてるじゃん、これ」
「南極の氷だって溶ける世の中だぞ」
太一は、美味そうにソフトクリームを食べた。
食べ終わった後、怜と太一は、近くの水場に手を洗いに行った。
「腹の具合は大丈夫なのか?」と怜。
「腹? 何のことだよ」
「トイレに行く回数が多い」
「身だしなみだよ。好きな女の子に鼻毛を見せたくない」
「そんなに何度もチェックすることないだろう」
「レイは、鼻毛がどのくらいのスピードで成長するか正確に知っているのか?」
「いや、知らない」
「オレもだよ。だから、念には念を入れてるんだ。それって悪いことか?」
「オレの手には悪い。鼻毛チェックのおかげで、お前のソフトクリームが溶けて、手がべたべたになった」
「でも、許してくれるだろ?」
怜は太一と一緒に手を洗って、手の汚れとともにさっきの太一の振る舞いを水に流すことにした。
女子二人の元に帰ると、そろそろいい時間である。
じゃあ、帰ろうかということになって、太一が改まった。
噴水前の広々と開けた場所である。
太一は若菜に体を向けて、それから、
「ちょっとだけ離れてもらえないかな?」
他の二人に言った。
怜は円と一緒に少し離れた。
太一は目前の少女に向かって、
「ワカナちゃんのことが好きなんだ。付き合ってほしい」
さらりと言った。
まるで気負いのない言い方である。
あまりに自然に言われた言葉に、若菜は、しばらくその意味を取ることができなかったようだが、やがてハッとした顔をした。そうして、少しの間、口を閉ざした。
太一は、答えを急かさない。
公共の場で他人の告白シーンを見せられることに多少耐性がある怜は、事の成り行きを見守っていたが、そのとき、こちらに向かって走ってくる足音があって、
「ちょ、ちょっと待った!」
と焦ったような少年の声が聞こえてきた。
闖入者は、若菜や円と同じ、中学一年生くらいの男の子である。
坊主頭にして、すっきりとした顔立ちをしていた。
「トモキくん」
どうやら、若菜の知り合いのようだった。
彼は、少し離れたところから、つかつかと近づいてくると、
「こんなやつと付き合うなよ、ワカナ」
周囲を無視して、彼女に真向かった。
怜は混乱した。
一体、何が始まったのだろうか。
円を見ると、彼女も眉を顰めている。
ちらりと太一を見ると、その顔には余裕の笑みが漂っていた。
「おれ、ワカナのことが好きなんだ。小学生の頃からずっと好きだった。だから、おれと付き合ってくれ!」
周囲に聞こえるような声で言う彼の声を聞いたのは、怜たち以外には、近くを歩いていた大学生くらいのカップルだけである。男の方が興味津々としているのを、女の方が引っ張るようにして遠ざかっていった。
若菜は押し黙った。
「こいつと付き合ったって、すぐに捨てられるだけだ」
そう言って、彼は、太一をまっすぐ指差した。
特に太一に対して同情を覚える怜ではないが、しかし、人に指を向けての暴言には胸が悪くなるのを覚えた。
太一は微笑んだまま、何も応えない。
「ワカナ、おれと付き合ってくれ!」
トモキくんは、もう一度、若菜に顔を向けた。
若菜は、悲しそうな顔をしていた。
そうして、ごめんなさい、と言って、頭を下げた。
自分の告白に関して成算があったのだろう、トモキくんは絶句したようである。
震える唇を無理矢理動かすような様子で、
「なんでだよ、ワカナ!」
詰め寄るようにする少年を止めるのは、怜の役割ではない。
「そこまでだ、花沢」
太一が、若菜とトモキくんの間に割って入った。
トモキくんが憎々しげな顔を太一に向けた。
「関係ないだろ、引っ込んでろよ!」
「関係はある、オレだって、ワカナちゃんのことが好きなんだ」
「他の女と同じように好きなだけだろ。おれが好きなのはワカナだけなんだ!」
ヒートアップするその場の熱気に反比例して、怜の気分は冷めた。
人の恋情を笑っているのではない。
そうではなくて、なにゆえ、他人の恋情を間近で見なければいけないのかという、そのことである。
単なる告白シーンであればまだいい。
しかし、修羅場となると話は別である。
若菜は、先輩、と声をかけて、太一の後ろから現れると、
「トモキくんとはお付き合いできません。ごめんなさい」
そう繰り返して、少年を見つめた。
トモキくんはまともにショックに顔を歪めると、しかし、それ以上は何も言わずに、唇を噛みしめて、走ってその場から立ち去った。
一陣の風が通り過ぎたあとに、
「お騒がせしました」
若菜は、怜と円に向かって謝った。
そう言われても何とも答えようのない怜は、太一を見た。この一件は、おそらく太一が仕組んだものである。いくらなんでもタイミングが良すぎるではないか。太一が告白したそのときに、横恋慕が入るなどと。円も同じ疑問を抱いたようであり、
「瀬良先輩の差しがねですか?」
そう問うと、太一は照れたように笑った。
それを聞いた若菜は、太一に向かって、
「先輩がどうしてこんなことをしたのか、わたしには分かりません。でも、先輩のこと嫌いになりました」
そう言って、きびすを返すと、すたすたと歩き出した。
その後ろに円が続く。
太一は、オーバーに肩を落としてみせた。
怜は、こと自分に対するものでない限り、他人の行為をとやかく言うことは避けているが、この件に関しては自分も巻き込まれているわけだから事情を聞いてもよかろう、と考えてみて、しかし、やはりやめておくことにした。どうせ聞いても不快な気分になるだけである。そう思って、男二人で遊園地にいることもなかろうから、二人の少女に続こうと思った時に、
「幼なじみらしいんだよ。チャンスをあげないとフェアじゃないだろう?」
太一が言った。
自分が告白しようとしている女の子のことを好きな男の子がいて、その子に確実な機会を与えるためにこの会を催したとしたら、これは大変な骨折りである。苦労は認めるけれど、恋愛ごとにその種の公正さが果たして必要なのかどうか、怜には分からなかった。
「あいつが行動しなかったら、オレがそのままもらうはずだったのさ」
太一が、にっこりと続けた。
「帰るぞ」
怜が言うと、太一は、若菜ちゃんを無事家まで送っていってくれないか、と頼んできた。
なるほど、このために自分は今日呼ばれたわけである。
円の友達の役に立てるのであれば、今日来た甲斐もあったと言うべきだろう。
「オレは少ししてから帰るよ」
太一は言った。
怜は、走って若菜と円を追った。
バス停の前で一緒になった怜は、二人と一緒にバスを待った。
遊園地から出たのであれば公共のアクセスはこのバスしかないのだけれど、トモキくんの姿は見えなかった。一本前のバスに乗れたのかもしれない。
若菜は、沈んだ顔をしている。
電車に乗るまで若菜は無言だったが、車両に乗ったときに、ふと言った。
「友樹くんとは幼稚園の頃からずっと一緒で、いいお友達だったんです。もし、告白されたのが今日より前だったら、告白を受けたかもしれません」
怜は、若菜の気持ちが分かった気がした。
危機に臨んで発揮される火事場の馬鹿力的なものは、本当の勇気ではない。それは窮地に立たされた者の反射である。勇気は反射ではなく意志である。何もないところから、何かを振り絞ることである。太一という恋のライバルの出現によって現れた彼の気持ちは本当のものではない、と若菜は考えたのだろう。
しかし、病気になって初めて健康のありがたみが分かるように、ライバルに奪われそうになって初めてその価値に気がついたと考えることもできるだろう。それだけ、そばにあるものの価値を評価するのは難しいものなのだ。
ただし、若菜は自分自身を健康と同じように扱って欲しくはなかったのだろう。その気持ちもまた正当なものである。いざなくしかけたときでないとその価値が分からないような人間は、結局、それがある状態が普通になれば、またその価値を低く見積もってしまうだろうから。
怜は何も答えなかった。
円も何も答えずに、隣からただ友人の肩を抱くようにしていた。
怜は、まだ明るい日の下にある窓外の景色を見ながら、自分のそばにあるものを考えた。
家族、友人たち、そして……。
自分は彼女のことを正当に評価しているだろうか、と考えれば、これは少し、いや、かなり怪しい。
怜は、若菜を送っていったあと、円を家まで送り届けて、もしも彼女が家にいれば会って、美しい言葉をかけてあげたいと思ったが、その持ち合わせが少なかったので、急いで、頭から絞り出すことにした。