第160話:遊園地の楽しみ方
駅からはバスに乗る。
遊園地行きのバスには長蛇の列ができていて、目的地に到着する前から怜は軽くげんなりした。
今日は一日こうして色々なところで蛇の尻尾にならなくてはいけないわけである。
こうなってくると、今日の曇り空は素晴らしい。
しかし、豪雨でも降ってくれていたら、この行楽も流れてもっと素敵だったことだろうと、怜は天上にいます神を恨んでみたが、今日のなりゆきがどのようになるかは、それこそ神のみぞ知るところであり、もしかしたら、帰る頃には、
「今日来て本当によかった!」
と思っているか知れないと考えてみたが、すぐに、それは蛇に足が生えるくらいあり得ないことだと思い直した。
一台目のバスをやり過ごして、二台目に乗りこみ、他の乗客にぎゅうぎゅうとされる中、何とか女の子二人を席に着かせた怜は、隣に太一の笑みを見た。何が面白いのかと思ったが、こうして意中の子と遊びに来ることができた上に、何の関係もない人間を巻き込んでいるのだから、なるほど、彼にとって人生は愉快であるに違いない。
「レイ。スマイル、スマイル」
怜は、口角を上げてみた。
「なかなかいい線いってる。でも、もう少し練習した方がいいな」
人いきれの中、しばらくゆらゆらしていると、目的地に到着した。
バスは行楽に浮かれた人々を、思う存分吐き出した。
チケット売り場に向かって、列に並んで、みんなで、一日フリーパスを買う。
結構な出費だが、このお金が地域経済を活性化するのだ、と怜はあえてポジティブに考えてみた。
園内に入ると、陽気な音楽が流れてきて、何を模したものだかイマイチよく分からないマスコットキャラが、大きく手を広げて迎えてくれた。怜たちは、彼もしくは彼女のハグをかわして、歩みを進めた。
「さーて、何から乗ろうか」
太一が、明るい声を上げる。
怜はあまりこういう乗り物が好きではない。乗れないことはないが、好んで乗りたいとは思わない。なにゆえ、上下さかさまになって回転したり、まっさかさまにフリーフォールしたり、大きな舟状のものに乗せられて振り子のように揺られなければいけないのか。
「面白いから」
と皆は言うかもしれないが、人は地から離れては生きてはいけないものなのだ、と怜は言ってやりたい。
「やっぱり、ジェットコースターだよな」
怜は、ジェットコースターは、英語ではroller coasterというのだという知識を確認した。特に意味は無い。
円がそっと手を挙げている。
「わたし、ジェットコースター苦手なので、この辺で待っています」
太一が驚いた顔をした。「え、いきなり? マドカちゃん」
怜は、自分の苦手なものははっきりと断るという彼女の潔い姿勢に倣うことにした。
「オレも」
「レイもかよ。……ワカナちゃん、ジェットコースター大丈夫?」
若菜は円にちらりと目を向けたようである。
女の子同士のアイコンタクトがあって、若菜は、思い切るように、大丈夫です、と答えた。
「じゃあ、オレたちだけで行ってくるから、二人とも待っててくれよ」
そう言うと、太一は、じゃあ参りましょうか、と若菜に向かって、おどけるように言った。
手持ちぶさたになった怜は、近くにあるベンチに円を誘った。ベンチの前で怜は、一瞬だけ迷ったけれど、リュックから取り出したハンカチを、ベンチに敷くことにした。どうぞ、と円に着席を促す。円は目をパチクリさせたようであるが、ありがとうございます、と言って、拒絶するようでもないので、怜はホッとした。
二人きりになって、よっぽど仲を深めるために楽しいトークとしゃれこみたかったのだけれど、話すことなど何もない。何かしらの話題をストックしておくべきだったと、怜が、昨日の自分に文句をつけていると、
「瀬良先輩のことは、自分の目で確かめてみないとダメだよって、わたしが言ったんです」
円が言った。
怜は、ホッとしながら、なるほど、とうなずいた。
「マドカちゃんはフェアだね」
「そうですか?」
怜は、太一に対しては特にフェアにする必要性を感じていない。
散々、アンフェアなことをされてきたので、そういう気も起こらないのだ。
「わたしは、ただ、自分のことは自分でしなければいけないってそう思っているだけです。自分がそう思っていることを通すために、他の人にもそうして欲しいんですね。だから、フェアなんじゃなくて、ただわがままなだけだと思います」
遠くから、大勢の人間の絶叫が聞こえてきた。
円は、それきり口を閉ざした。
怜も口を閉ざさざるを得ない。
重たい雲の下に流れる重たい雰囲気。
沈黙が痛いくらいであるが、どうにもしようがないところである。
三十分ほどして、ようやく太一と若菜が帰って来た。怜は不覚にも太一の顔を見て安心してしまったが、今日はちょくちょくとこのような事態になるのであろうから、悪友の顔を見て安心する自分に対する気分の悪さについて、覚悟を決めるしかない。
「ハンカチありがとうございました、先輩」
そう言って立ち上がる円に、どういたしまして、と怜はハンカチをしまった。
太一と若菜の二人は、何やら笑い合いながら、歩いてきた。
若菜の表情から硬さが取れているようである。ジェットコースターに乗ったことでそういう効果が得られるわけでもなかろうから、さすがは太一である、と怜は思った。ただし、別に褒めてはいない。
「よし、じゃあ、次は何乗る? レイとマドカちゃん、二人が乗れるヤツにしようぜ」
そう太一が言うので、怜は、円に乗りたいものを訊いた。
「ゴーカートが好きです」
じゃあ、それにしようということになって、太一が先に立つ。
どこに何があるのか熟知しているようである。
「よく来ているからな」
こういう機会に利用しているというわけである。
「でも、いいこともしているよな? この前レイと一緒に来た時は、カップルを一つ作ってやったろ?」
怜は顔をしかめた。
前回、太一と来た時のことを思い出したのである。
「あの時は助かったよ、レイ。ありがとうな」
怜は、太一の感謝の言葉を聞き流した。皮肉であれば聞いてもしようがないし、本心からであれば彼の心性を疑うことになって、どっちにしても聞く価値がない。
ゴーカートの乗り場に着くと、子どもの姿が目立つようである。
「マドカちゃんは、純真な心を持っているから、ゴーカートなんだね」
太一が言うと、
「単に恐がりで子どもっぽいだけです」
円はにべもない。
「わたしもゴーカート好きです」
若菜が微笑んで言った。
「オレも」
怜が言うと、太一は、にやっと笑って、
「マドカちゃんの言葉が正しいとすると、大人なのはオレだけか」
言ったので、
「一人で見てても構わないぞ。大人なら大人らしく」
そう怜が言ってやると、そうするかあ、と太一は言って、列を離れた。
「おい、冗談だ」
怜が言うと、
「いや、トイレ行きたくなったんだ。言わせるなよ」
そう言って、小用を足しに行くにしては嫌に綺麗な微笑を与えて下がるので、怜たち三人は列に残ることにした。
三人にされた怜は、二人の少女を預けられて困惑したけれども、
「瀬良先輩、ちょっとイメージと違ってたかもしれない、マドカちゃん」
いきなり若菜が前の列でガールズトークを始めたので、いっそう困惑した。太一の評価をするなら、どこかよそで女の子同士二人きりのときにやってもらいたいと思って、円がそう勧めてくれるのを期待したが、なにやら、彼女も友人に応える格好を見せている。
「人を噂で判断しちゃいけないってことがよく分かったよ」
そう言うと、若菜は後ろを振り向いて、
「加藤先輩。瀬良先輩は加藤先輩の親友ですか?」
いきなり訊いてきたので、どう答えようか大いに迷った。
親友と言えば言えないこともないかもしれないが、そうはっきりと断じるには憚りがある。
他の知り合いの中には、親友と言って差し支えない人もいるが、
「タイチは……」
順番を一つ前に進めながら、怜は、
「今はそう言ってもいいかもしれないけれど、明日もそうとは限らない。タイチとはそういう仲なんだ」
正確に言った。
「そう……ですか」
若菜は、がっかりしたようである。
何かしら男同士の付き合いに対する幻想のようなものを持っていたのだろうかと思ったけれど、
「加藤先輩が瀬良先輩の親友だったら、瀬良先輩の告白を受けようと思ったんです」
話は、はるかに怜の想像を上回っていた。
ジェットコースターで何があったのか知らないが、何があったにせよ、まだ遊園地に来て、たった40分程度のものである。そんな短時間で太一の真価を推し量るのはいかがなものだろうか。しかも、彼女が太一と付き合うかどうかということに、なぜ自分が関係するのだろう。
「わたしが信頼しているマドカちゃんが、加藤先輩のことを信頼しているので、その加藤先輩が信頼する方ならって、そう思ったんです」
なるほど、なるほど……ん?
怜は、若菜の隣にいる少女を見た。
円は前を見たまま、こちらを見ようとしない。
円が自分を信頼している?
それが本当か、若菜に確かめたかったが、そんなことを円本人の前でできるわけがない。できるわけがないといえば、若菜のセリフこそそれに当たるわけだろうが、彼女は気にした風でもない。本心を純心から吐露しているだけのようである。
「先輩は、ずっと変わらない関係ってあると思いますか?」
とてもゴーカートに並びながら話すようなことではないと思うが、彼女からしてみれば、太一がいなくなった好機をとらえようとしているのかもしれない。
ずっと変わらない関係というのは、つまり、一度交際し始めたらずっと別れないで、仲良く、互いが互いに恋をし続けられる関係ということだろう。
そういう恋愛に関することというのは、怜の不得手だった。
しかし、このことに関しては、答えははっきりとしていた。
「あると思うよ」
そう言うと、若菜はホッとしたようである。
ただし、それが彼女と太一の間に生まれるかどうか、そんなことまでは言えなかったし、彼女も問わなかった。
列がまた前に進む。
怜は、環のことを考えた。
どうも一人でいると、彼女のことを考えてしまうのが、癖みたいになってしまったようである。
彼女との間の関係が変わることがあるだろうか。
公平に考えれば、あるかもしれない。
いつか、彼女が我がカレシに嫌気が差して、別れを切り出す。
そんな場面をこれまで何度か想像してみたことはあるが、今回もまたうまく想像できなかったようである。