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プラトニクス  作者: coach
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第159話:他人の恋路を併走する

 目が覚めると、どんよりとした空だった。

 今の自分の心もちに大変ふさわしい空模様に(レイ)は満足した。

 今日は悪友に付き合わなければいけない。

 彼と付き合って得るものは何かあるだろうか、と昨日から――ちなみに一昨日以前はできるだけ考えないようにしていた、時間が勿体ないので――何度も考えていたことを、もう一度考えてみた。どうポジティブに考えても、無さそうである。ということは、今日は人生の貴重な時間を約半日無駄にするということだ。無駄なことをあえてする、この行為によって何かしらの悟りを得られるだろうか。だといい、と思いながら、怜はベッドを出た。

 重たい心を抱えて階下に行くと、まだ家族は誰も起きていない。現在、朝の6時半。

 この頃出かけることが多いことに関して、親があまりいい顔をしない。受験生の夏休みに遊びに出かけているのだから当たり前である。勉強会といつわってもよかったが、バレたときが面倒であるし、そもそもがつまらないことでウソをつきたくなかった。ウソというものはもっと大きなときにつくものである。ちなみに怜はこれまでウソをついたことがなかった。まだそのような大きなときが来ていないのだろう。

 約束は9時なので、まだ2時間ほど時間がある。時間があれば勉強するのが受験生の業である。自室に戻って、机につき、塾からたっぷりともらってきた問題プリントの山の一枚に取り組むことにすると、カノジョからメールが来ていることに気がついた。

「今日は妹をよろしくお願いします」

 短い文面である。

 悪友に付き合わされるのは怜だけではなくて、カノジョの妹もそうなのだった。その妹ちゃんは、こちらが何をどうよろしくするまでもなく、自立した女の子であるので、何をどうすることもできないのだけれど、カノジョに対しては、「この命にかけて」と返信しておいた。すると、

「わたしのためには何をかけてくれるんですか?」

 と来たので、少し考えたのち、魂を、と返しておいた。側聞するところによれば、人間には、命の他に魂なるものがあるそうなのである。

「それはもうもらっているので、他の物を考えておいてください。気をつけてね」

 携帯はそれ以上鳴らなかった。

 塾のプリントと格闘を続けて8時15分を迎えると、着替えた怜は、階下に行った。

 さすがに母は起きている。

 怜は玄米パンと紅茶で軽くだけ朝食を取らせてもらうと、母に断って外出した。

 そのときに、早めに帰って来るのよ、と受験生であることに関して釘を刺されたが、どうせならもっと強硬に止めてくれれば、親が許してくれなかったということで、行かない理由が立つのに、と親の無用な寛大さを恨んでみた。

 空はやはり暗かった。

 もしかしたら、背にした斜めがけリュックに入っている折りたたみ傘を使うことになるかもしれない。

 家の近くにあるバス停に行くと、制服姿の高校生らしき女の子と、小さな子を連れた父親らしき男性の姿があった。二人から少し離れたところでバスを待つと、時刻ぴったりにバスが来る。人が運転するものが時刻ぴったりに来るというのは、考えてみると奇妙なものだった。決められた通りに物事が進行するのが都市生活というもので、そんなことは誰も奇妙に思ったりはしないのだろうと、思えば一層奇妙である。このあたりのことをどう思うか、カノジョにでも訊いてみようと怜は思った。カノジョは何でも知っている。時には、怜自身のことまで怜以上に知っている節がある。

 バスに乗って駅まで運んでもらったあと、中年のバスの運転手に礼を言って降りると、待ち合わせ場所は、そこからすぐ近くの駅前広場、時計塔の前である。こんな曇天に、それでもなお遊びに出かけるのだろう、構内へと向かうカップルや家族連れの姿がそこかしこに見えた。

 どうやら自分が一番早く来たようである。現在、約束時刻の5分前。時計の長針が、ちょんと1メモリ動いたとき、今日の会の主催者、瀬良太一(タイチ)が現れた。白のサマーニットとショートパンツ、上にネイビーのシャツを羽織っている。このまま海にでも行けば、海辺の風景に溶け込めそうな趣だった。

「よお、レイ、いい天気だな」

 太一は、朗らかな声をかけてきた。

 怜は黙って、薄暗い空を見上げた。「悪さ」という点では、いい天気かもしれない。

「今日はよろしく頼むぜ、兄弟」

 近づいてきた太一が、がしっと背に手を回して来たので、怜は、そっと離れてから、彼にうさんくさい目を向けた。

「例によって、オレはただ遊園地を楽しんでいればいいのか?」

 怜は皮肉な調子で言った。

 以前、今日と同じように、彼の懇請を受けて遊園地に行ったときはひどい目に遭っていたのだ。

 太一は、今日の同行者の二人の少女を探しているのか、あたりを見回すようにしながら、

「遊園地もたまにはいいって。ジェットコースターで悲鳴を上げて、お化け屋敷で悲鳴を上げて、メリーゴーラウンドで悲鳴を上げる。そうして、悲鳴を上げているうちに、一緒に行っている人と仲良くなることができる」

 と、声を上げた。

「どうしてメリーゴーラウンドで悲鳴を上げるんだよ?」

「おんなじところをぐるぐる回るんだぞ。上げなくてどうする」

「オレは悲鳴を上げるお前を遠目に見ていることにするよ」

「遊園地に行ってアトラクションに入らなかったらどうするんだよ」

「色々とやることはある。マスコットキャラクターをからかったりとか、ソフトクリームを食べたりとか、人生について思索を深めたりとか、な」

「ま、その辺は任せるよ」

 二人の少女がゆっくりと、まるであまりこちらに来たいと思っていないように、ゆっくりと近づいてくるのが見えた。

 一人は半袖の白シャツと黒のスカートを身につけた少女で、もう一人はプリントシャツにチェックのショートパンツを身につけた少女だった。

 太一は、二人を迎えるように一歩前に出た。

 モノトーン調の少女が、太一がお付き合いをお願いしたいと思っている子らしかった。

「相楽若菜(ワカナ)と言います。今日はよろしくお願いします」

 少女は、綺麗な声で、怜と太一に挨拶した。

 怜も自己紹介すると、「よし、じゃあ、出発!」と、太一の元気な声が上がった。

 そうして、太一はあろうことか、若菜に手を差し出した。差し出された若菜は、その手をどうすればいいのか迷ったようだけれど、

「そういうのはもっと二人の関係が縮まってからの方がいいと思います」

 と若菜の付き添い役であり、怜のカノジョの妹である(マドカ)が冷静な声を出すと、そりゃそうだ、と太一はあっさりと手を引っ込めて、先に立って歩き出した。若菜はホッとしたようである。怜は、歩き出した二人の少女のあとを追った。円の服装を褒めたかったけれども、早々気安い所作もできないと思い直して、控えておいた。

 構内を通りぬけ券売機で切符を買い、改札を抜けると、電車が待っている。

 この前電車に乗ったときは昂揚感を得たものだけれど、今日はそれを全然感じない。

 同行者のせいかというアバウトな思いは、カノジョの妹とその友人を侮辱することになることに気がついて、同行者のうちの一人のせいだと正確に思い直した。

 行楽を求めてぞくぞくと電車に乗り込む人たちに交じって、怜たちも車両に足を踏み入れ、四人で向かい合わせの席に座った。女の子二人を窓際にして、同性同士で向き合う格好である。

 誰か見知った顔でもいたのか、太一が立ったまま車両の一角に視線を向けているので、早く座るように怜は注意した。

 発車のアナウンスがかかる。

 太一は苦笑して腰を下ろすと、上機嫌で話を始めた。

 気を引きたいのは若菜であるのにもかかわらず、彼女だけに話を振らないのがさすがである。

 初めは緊張していた若菜も、そのうちに顔をほころばせることが多くなっていった。

 その能力を誰か特定の一人にだけ使えばいいのに、と怜は旅のつれづれを慰めてみたが、もしかしたらその能力は特定の一人に対しては使えないものかもしれなかった。

 何にしても、太一のコミュニケーション能力は大したものである。

 その能力を自分も隣の少女のために使えたらとつい考えてしまう。

 怜は太一の話に相槌を打ちながら、窓に目を向けていた。

 四角く切り取られた窓から、暗い雲と、暗色に染まった街並みや山並みが見えた。

「あの、加藤先輩って、加藤(ミヤコ)先輩のお兄さんですか?」

 怜は、ぎくりとした。

 斜め前から、若菜が微笑むようにしている。

 嘘をつくわけにもいかないので、怜は、そうだよ、と答えた。

「やっぱりそうだったんですね。ミヤコ先輩にはお世話になっています」

 そう言ってホッとするような顔をした若菜の言葉を聞いて、都の新たな一面を知り、怜は驚いた。まさか、後輩の世話をしているとは。その前に自分の世話をしろと言ってやりたい。

「姉と親しくしてくださっていて、わたしも可愛がっていただいています」

 近頃の中学一年生はこういう口のきき方ができるのか、と怜は自分が中一であったときと比べて、恥じ入った。

「妹の意外な一面が知れてよかったよ」

「すごく優しいです、ミヤコ先輩」

「その優しさは兄に対しては発揮されないみたいだよ」

「そうなんですか?」

「うん」

 怜が重々しくうなずくと、若菜は笑ったようである。

 二人が話し終えるのを待って、太一が口を出した。

 人の話が終わるまで口を出さないというのは、基本的なルールだけれども、これを守れる人間は案外に少ない。

「オレも、ワカナちゃんやマドカちゃんみたいな妹が欲しかったよ。そしたら、可愛がるのになあ」

 二人の少女の発言が無いので、怜は、

「なんならミヤコをあげてもいい」

 と太一に言った。

「ミヤコちゃんかあ、オレ、嫌われてるからなあ」

「オレだって嫌われてる。だからだよ」

 隣から、円が静かに口を開いた。

「冗談でもあげるとかあげないとか、そういう話よくないと思います」

 その通りである。

 怜は素直に謝った。

「よし、レイ。みんなにソフトクリーム奢れよ」

「そういう話になるのか?」

「そういう話にしかならない」

「了解」

 場は外の景色のように暗くなることもなく、明るさを保ったまま、遊園地のある街の駅についた。

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