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プラトニクス  作者: coach
155/281

第155話:二人の妹と愛の定義

 カノジョを送って家に帰って来た(レイ)は、母親に挨拶したあと、体を休めるため自室に戻った。戻る前に、買ったパンが二つ余っているから今夜の夕飯は必要無い旨、母に伝えた。

「今日、ハンバーグなのよ。ちゃんとあなたの分もあるから、明日食べなさいね」

 うなずいた怜が階段を昇って部屋に入ると、間髪をいれず、その部屋のドアが開いて、愛しの妹が闖入してくるではないか、怜はため息をつきたい気持ちを何とか抑えた。

「お兄ちゃん、ここ分からない」

 そう言って夏休みの課題らしきプリントを見せてくる。分からないから何だというのか、日本語は正しく使ってもらいたい。しかし、そんなことを彼女に要求するのは酷である。それでなくても、日本語というのは難しい言語であるそうである。妹の言語能力を考えれば、日本語を正確に使うことができる日は、おそらく、彼女の存命中にはあり得ないことだろう。

 その分を補ってやるのが兄の役割……かどうかは知らないし、もうすでに彼女の兄という名誉ある役職は退きたいと常々思っている怜としては、彼女のフォローをする気はさらさらないのだけれど、どうしても、そうしてしまう傾向があるのは、生来の性情ゆえと、受けた教育の賜物だろう。

 怜は、二次方程式の文章問題の解き方を丁寧に、妹に教えてやった。妹は、解き方を右から左に聞き流して、答えだけを得たようである。

「魚の釣り方を教わらなくていいのか?」

「興味ない。魚釣る気なんかないもん。魚が欲しければ魚屋さんに行けばいいでしょう?」

 なるほど、彼女の言うことにも一理あるが、課題とは自分自身がやるべきものであれば、本来は他人にやってもらうわけにはいかず、魚を手に入れることと同じように考えるわけにはいかない、こと課題に関して彼女の理論は成り立たないハズである。次の課題をやるときはどうするのか。

「お兄ちゃんは肝心なことが分かってないね。この課題はやれば終わるわけで、同じ課題はもうないんだよ。だから、次の課題をやるとき、なんてものはないんだよ」

 物は言いようである。もともと、彼女を(さと)す気など、熱帯夜の寝具くらい薄い怜としては、もうそれ以上は何も言わずに、言うなりになってやった。

「ああ、終わった、終わった」

 一時間ほど彼女に捕まっていた後に、妹は晴れ晴れとした声を出した。ホットパンツから覗く小麦色の足を存分に伸ばしてリラックスして、

「今日初めて、お兄ちゃんがいることに感謝したよ」

 心から微笑む彼女を見ながら、怜は、いつか自分にもそんな日がめぐってくることをひそかに祈った。

「それで、今日どうだった? タマキ先輩とのデート」

「どうってなにが?」

「聞いてるのはこっちよ。質問に質問で返さないでよ」

「聞かれてることの意味が分からなければ訊き返すしかないだろう」

「だーかーらー、タマキ先輩とうまくいったのかってこと」

「うまくいく?」

 (タマキ)との間がうまくいくということの意味がよく分からない。

 (ミヤコ)は、はああー、と聞えよがしなため息をついた。

「お兄ちゃんって、本当にわたしと血がつながってるの?」

 残念ながらどうもそのようなのである。しかし、これに関しては、もう少しちゃんと母に問いただしたり、役所を回ってみたりしてもいいのかもしれない、と怜は考えた。

「互いの愛を確かめられたの?」

 愛とはまたすごいことを言い出すものだ、と怜は驚いた。愛とはいったい何なのか。寡聞にして怜は知らない。知らないものを確かめられる道理はない。

「そんなことも知らないなんて、さすが、お兄ちゃんだね」

 都は皮肉たっぷりの口調で言った。

 怜は、それじゃあ教えてもらおうじゃないか、なんてことは口が裂けても言う気はなかった。そもそも、彼女が本当にそれを知っているのか疑わしい。知らないものの知ったかぶりから聞く知識ほど、危険なものはない。

「とにかくね、お兄ちゃんがタマキ先輩と付き合えているのは奇跡的なことなんだから、それが一生に一度の奇跡なんだっていうことをもっとちゃんと自覚して、タマキ先輩が喜んでくれることをひたすらして、捨てられないようにしなさいよね」

 怜は、内容はともかくとして、兄の恋路が存続することを願う妹の言葉をいぶかしんだが、

「お兄ちゃんが付き合えている間は、わたしもタマキ先輩と会えるんだからね」

 何のことはない、全て自分に引きつけた話だったのだ。愛がどうとか、大仰な話を出したのも自分が彼女に会いたいからかと思えば、呆れるばかりである。しかし、それは非常に都らしい話だった。

「勉強したらお腹空いちゃった。そろそろご飯かな」

 妹は、その勉強を手伝ってくれた兄に対して感謝の言葉を言いもせずに、部屋を出た。

 怜は、そのまま自室にこもったままで、机の上に教科書とノートを広げた。

 外はもうすっかりと暗くなっており、窓を通して、中天に一番星が見えた。

 少しして父が帰ってきたようであり、そのときに、階下に行き、父にお帰りだけ言うと、また部屋に戻って勉強を続ける。以前は勉強を続けることに苦があったけれど、今ではそういうことはなくなっていた。いわゆる、勉強体力がついたのである。

 一休みするかと思って時計を見ると、9時を回っていた。怜は、ベッドの上にごろりと横になった。そうして、目をつぶった。休み時間中は、音楽を聞いたり、漫画を読んだりはしないことにしている。講師の指示である。それらは、その日の勉強が全て終わったらやっていいことになっていた。

 怜は仮に高校に合格できたら、それは講師のおかげであろうし、もしも、合格できなかったとしても、この勉強経験もそれなりに貴重なものかもしれないと思った。なにせ、自分の新たな一面を見ることができたのである。とはいえ、やればできるということが分かったとして、当のやることが価値があることなのかどうかということは常に問題になるだろう。バンジージャンプができたとしても、それは怜にとっては特別大した意味を持つわけでもなかった。

 そろそろ休憩を終えようと思った時に、電話が来た。詐欺目的の電話などでなければ、わざわざ電話をかけてくるような人間は数少ないので、ディスプレイに「由希(ユキ)」の名が示されているのを確認するまでもなく、彼女であろうと予測を立てていた。

「今、忙しい? レイ」

「いや、今はヒマだよ。勉強の休み時間中だから」

「よかった、ちょっと話せる?」

 怜は、従妹に付き合うことにした。もう一人の方の妹よりは上等であるので、会話も不快にはならないだろうと思った怜の予感は、

「今日、タマちゃんとデートだったんでしょ。どうだった?」

 あっさりと裏切られた。どうやら彼女も自分の恋愛事情に何かしらの個人的な利害があるのだろうかと怜は思いつつ、

「互いの愛を確かめたりまではしてないよ」

 起き上がって、窓際の壁に背をつけるようにした。どうして今日環と出かけたのか知っているのかは聞かない。怜に関する情報ソースは、これまでは妹だけだったが、今度はカノジョ自身もそうなのである。二つもソースがあれば、怜の行動は筒抜けと言うべきだろう。

「愛が何か知ってるの? レイ」

「実は知らない」

「教えてほしい?」

「知ってるのか?」

「レイが知らないなんて、驚きだな」

「オレは何も知らないよ。さ、教えてくれ」

「一つのパンを二つに割って二人で食べるとき、大きい方を相手にあげたいと思う気持ち、それが愛だよ」

 なんとも簡単な愛の定義があったものだと、怜は感心した。怜は、以前従妹とハンバーガーを食べにいったときに、怜の分まで彼女が食べていたことを思い出した。

「あのときは、レイの愛を感じたな。わたしのこと、愛してる?」

「ハンバーガーをあげる分くらいはな」

「じゃあ、今度はもっといいものねだって、愛を試してみるよ」

 ところで、と由希は、用件を切り出した。

「健康状態はどう? レイ?」

「いたって普通だよ。ただ、オレの体はオレのものであっても、オレのものじゃないという一面もあるので、今は普通でも、明日どうなるかは分からない」

「よくよく体の声を聞いてね。雑念を捨てて耳を澄ますの。聞こえた?」

「お前の声がな」

「よかった。少なくとも耳は正常みたいね。体全体も正常になっているように祈ってるよ。もう少しで、わたしに会いに来てくれるんだもんね、愛を伝えるためにさ」

「チースバーガー持っていかないとな」

「よかった。この間よりもチーズの分だけ愛が増えたことが分かって」

 従妹に会うため、ではないけれど、母方の祖父母の家に行くときが来週に迫っていた。

「それまでにしなきゃならないことがある」

「どんなこと?」

「つまらないことだよ。年下の可愛い女の子と遊園地に行く」

「レイのこと見損なったよ」

「たまにはそういううるおいがあってもいいだろう。砂漠に住んでるんだから」

「タマちゃんっていうオアシスがあるでしょう?」

「オアシスどころか、大河だよ。いつも氾濫を恐れてる」

「大河はいつもは氾濫(はんらん)しないでしょ。定期的なんだから。それで、(こよみ)ができたわけでしょう?」

「タマキがいつ情けないカレシに対して反乱(はんらん)するかは()みきれない」

「反乱はしないでしょう。反乱っていうのは主人に対してするものだもの。タマちゃんの主人ってわけじゃないんでしょうから」

「それには反論(はんろん)しないよ」

「遊園地の事情はタマちゃんに訊くわ」

「そうしてくれると助かる」

「ところで、レイは、タマちゃんに怒りを覚えたことある?」

「オレがタマキに? 逆はあるだろうけど、逆はないよ」

「タマちゃんの方があるっていうのは?」

「ふがいないカレシを怒る権利がカノジョにはある」

「それは権利というよりは義務じゃないかな。自分にふさわしくなってもらうために、そうするしかないのよ」

「一生そうなれそうにないから、その件で怒るのはやめてもらいたいな」

「わたしにチーズバーガーなら、タマちゃんには何をあげる?」

「魚を()げて、フィッシュフライバーガーでもあげることにするよ」

()をあげるまで根を詰めて勉強しないようにしてね。愛してるよ、レイ」

 そう言って、彼女は電話を切った。

 「愛」という字は、後ろを振り返って立っている人の姿を表しているという。そこから立ち去ろうとして立ち去り難い気持ち、それが「愛」である。

 怜は、さきほど、環と別れたときのことを想った。

 漢字通りの意味でいいのだとしたら、確かに、怜には、カノジョへの愛情があると言えた。

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