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プラトニクス  作者: coach
153/280

第153話:水の中のデート

 電車が止まる。

 席を立った(レイ)は、斜めがけリュックを背にして日傘を手にすると、もう一つの手をカノジョに与えた。

「ありがとう」

 そっと手を重ねて立ち上がった(タマキ)は、そのままカレシの手に引かれて、電車を出た。

 我が町の駅から乗った道連れの多くは目的地を同じくしていたようである。目指す場所に着いたことによる歓声を聞きながら、駅を出ると、怜は、そのまま環の手を引いて、バス停まで歩いて行った。

 少し雲が出ているけれど、良い天気である。

「ここからバスに乗るんだ。多分な」

「『多分』っていうのは?」

「親の車でしか来たことがないから、そうとしか言えない」

「じゃあ、全然別の場所に着くかもしれないんですか?」

「その可能性は低いかもな。目的地がちゃんとバスの掲示板に書いてあるから。間違っても海を越えたりすることはないよ」

「それは残念」

 発車時刻には少し時間があるようだけれど、先んじて乗っていることができるようである。

 先客がひとりふたり見えた。

 二人掛けの席の一つに隣り合って座り、

「これから行くところで歩いてもらうから、着くまで眠っててもいいよ」

「そんなことしません。わたしのこと、何だと思っているんですか?」

「いろいろ疲れているだろうと思っただけだよ」

「さっきのこと、怒っているのね」

「誤解だよ」

「これからことあるごとに言われるんだわ。それを考えると悲しくて泣きそう。ハンカチ貸してくれる、レイくん?」

 話していると、出発のアナウンスがかかる。

 十分ほどの道行きである。

 バスのガタゴトに身を任せていると、自分の方が眠くなってきたけれど、カノジョにかけた言葉を自分で実践するわけにはいかず、どうにかそれに耐え、隣からのカノジョの微笑にも耐えていると、目的の停留所に到着した。

 時刻は、10時半である。

 先に降りて、バスのステップから彼女を安全におろした怜は、他の乗客の邪魔にならないように少しバスから離れたあと持っていた日傘を開いて、環の上に差しかけた。環はそっと近寄って、傘の柄を持つカレシの手に自分の手を重ねた。

 小学校低学年の子どもが、何人か二人のそばを駆け抜けていく。

 彼らが向かい、二人が向かう先に、ロールケーキ状の大きな建物があって、

「久しぶりに来ました。小学生のとき以来かもしれません」

 遠目に見た環が言った。

 怜がカノジョを連れてきたのは水族館だった。

「オレも随分来てないな」

 怜は、カノジョに歩調を合わせて、歩道のコンクリートを踏んだ。

 エントランスに着くと、日傘を閉じて、中に入り二人分のチケットを買う。

 夏休みではあるが平日であるので、ひと気もそれほど多くはないようである。

 ひんやりとした館内を、駅の改札のようになった入り口でチケットを見せて、奥へと進むと、「ヒトデコーナー」が待っていた。底の浅い、子ども用プールのような入れ物の中に、生きたヒトデがいて、触ることができるようだ。子どもたちが嬉々として触っていた。

 怜は、閉じた日傘を持っていない方の手を、ヒトデアトラクションに向けて、カノジョに、触って来てみたら、と提案したが、彼女はゆるやかに首を振った。

「遠慮しておきます」

「どうして?」

「レイくんにその手を握ってもらうのが忍びないから」

 怜は、ヒトデを触った手でも気にしないよ、と男気を見せた。

「本当のこと言うと、あまりヒトデの触り心地には興味がないの。でも、一ついいことが分かってよかった」

 そう言って嬉しそうにする彼女に、なにが分かったのか訊くようなことはせず、手を差し出して、

「はぐれないようにだよ」

 その手の説明をする。

「どこにも行きません。ずっとそうだったでしょう?」

 そう言いながらも、環は手を重ねた。

「この水の世界で気が変わるかもしれないだろ」

「可能性はゼロです」

「どんなことにも可能性はある」

「1+1が3になることにもある?」

「あるいはね。でも、そうはならないでほしいもんだ。これまで必死になって勉強してきたことが無駄になるから」

 怜は環を、「深海の生物コーナー」へと導いた。

 トンネル状の空間は暗くなっており、ガラス越しに、深海に生息する奇天烈(きてれつ)な生物を見ることができる。普段目にしている魚介類からかけ離れたその姿に、怜は不思議な気分になった。しかし、奇妙な生物というその言い方はこちらの言い方であって、彼らからしたらこちらの方が奇妙に見えるのかもしれない。いや、そうではなくて、この「こちらと彼ら」という考え方自体が、こちらのものなのであれば、実は、わたしたちと彼らとの間に大した違いはないということにならないか。

 そんなことを考えながら、深海コーナーを抜けて、明るいスペースに出ると、

「ああいう生き物がいるのがこの世界なんだね」

 環はまるで別の世界から来た人であるかのような言い方をした。

「わたしはどこから来たのか分からないもの。むしろ、わたしの方にこの世界が来たんじゃないかな」

 なるほど、と怜はうなずいた。

 確かに実感としてはその方が近い。

「でも、そうすると、どうしてこうも多くの人に同じ世界が与えられたのかな?」

「レイくん。『多く』なんてことがどうして言えるの?」

「70億っていう数は『多い』と言っていいと思う」

「あ、なるほど。それはたまたまのことなんじゃないかな」

「たまたまか」

「奇跡って言ってもいいと思うけど、でも、それは同じことだよね」

 二人のいるスペースには壁一面に、生命の発生と、海においての進化を説明する、大きな図があった。それによると、地球ができて生物が生まれたことは、天文学的な確率なのだそうだ。

「面白いね」

 それを眺めながら環が、息をついた。

「天文学的な確率が?」

「ううん。そうとしかならなかったことなのに、それ以外の可能性を考えるっていう考え方が面白いの」

 怜も同じ意見だった。

 地球ができて生物が生まれた確率を考えるということは、そうはならなかった事態を考えるということでもある。しかし、生物が生まれなかった地球があったとして、それはこの地球とどういう位置関係にあるのだろうか。そもそも、それは地球なのだろうか。

 怜は、環の横顔を見た。もしも、彼女と出会わなかった自分がいたとして、その自分は今の自分とどういう位置関係にあるのだろうか。その彼は、自分ではないのではなかろうか。それは全くの別人ではなかろうか。だとしたら、この自分とは何ら関係がないことになる。

 この自分が現にこうしているのは一つの奇跡なのだろう。

 それは確率の問題などではない。

 そういう確率という考え方ができるのが、この自分が現にこうしてここにいるという事実を元にしているという、そのことこそが奇跡なのだ。

 怜は、環の視線をとらえた。

「タマキは何でも知ってるんだな」

「わたしは何にも知りません」

「でも、知らないことを知っている?」

「知らないことを知っている人は、本当はね、知っていることを知っているんです。だから、知らないことを知っているなんてことを言う人は、本当はすごくズルい人なんですよ。知っていることを知っているくせに、それを隠しているんだから」

「オレはそういうことさえ分からないけどな」

「カノジョに華を持たせてくれているのね」

「そういうことにしておいてもらえると助かるよ」

 怜は環の手を引いて、海獣コーナーに入った。

 海獣とは、海辺で生活しているうちに水の中まで生活空間を広げてしまった哺乳類のことである。

 アシカやアザラシが、優雅に水中を泳ぐ様子を、これもやはりガラス越しに眺めながら歩いていると、

「お母さん、アシカとアザラシってどう違うの?」

 小学校二年生くらいの女の子が無邪気な声を上げていた。

 母親が答えに窮していると、女の子は、怜の方に顔を向けてきた。

 怜は立ち止まると、

「アシカはほっそりとした方で、アザラシはふっくらした方だよ」

 そう言って、少女に笑顔を向けた。

「あとね、耳たぶがある方がアシカで、ないのがアザラシだよ」

 そう続けると、彼女はガラスに顔をくっつけるようにして、水の中を泳ぐ愛嬌のある動物たちを見て、「じゃあ、あれがアシカだっ! あっちはアザラシっ!」と歓声を上げた。

 少女の母親が軽く会釈をしてくる。

 それに応えながら、怜は、環とともに通路を歩いた。

「何でも知ってるのね」

「タマキも知っていただろう?」

「いいえ」

「カレシを立ててくれてるんだな」

「そういうことにしておきますね」

 館を抜けて、外に出ると、相変わらずの日差しである。

 次の目的地までは屋根がないので、怜は再び日傘を広げた。

「日傘って本当にステキ」

「オレの意見は聞かないよな?」

「うん。聞かなくても同じ気持ちだってことは分かってるから」

 傘を差すだけでも温度はかなり違うようである。

 あるいは、その涼しさは隣の少女から通ってくるものなのだろうか。

 ゆるやかな坂道になった通路を他の客に交じって歩いて行くと、円形のプールが見えた。

 イルカのショープールである。

 屋根がある客席に腰を下ろすと、ちょうどショーが始まるところだった。

 司会のお姉さんの元気のよい声が響き、プールに水しぶきが起こって、一糸乱れぬイルカの演技が始まった。

 見事な演技である。

 調教されるイルカもイルカだが、調教するトレーナーもトレーナーである。

 これだけの演技を行うには、どれだけのトレーニングが必要なのだろうか。

 水しぶきが上がるたびに、客席から歓声が上がった。

 たっぷりと30分の間、ショーを堪能すると、二人は席を立った。

 他の客と一緒に、客席を離れて、また日の下へと出る。

「すごかったね」と環。

「ああいうのは、素直に感動するな」

「素直にって、いつもひねくれながら感動してるの?」

「もともとひねくれてるんだよ」

「世の中の方がひねくれているのかもしれないね」

「オレのことを過大評価しているな」

「それだけはありません」

「正確に評価しているってこと?」

「ううん。宇宙よりも大きなものはないでしょう。だから、どれだけ評価しても、過大評価にだけはならないの」

 宇宙に例えられた少年は、そろそろお昼ごろであり一通り水族館を楽しんだことなので、カノジョを昼食へと誘おうと思ったが、ランチに関しては、宇宙大の期待をしないでもらいたいものだと思った。

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