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プラトニクス  作者: coach
152/281

第152話:行き先は風のまにまに

――海を見に行こうか。

 家を出た時に、唐突にそんなことを思いついたのには、さしたる理由はない。

 強いて言えば、暑かったから、とそうなるだろう。

 しかし、これは中々名案であるように思われた。

 問題は今日は自分一人ではなくて、パートナーがいるということだった。

 しかも、そのパートナーとは今日は別のところに行くことを約束している。

 (レイ)は、待ち合わせの場所である駅前広場までバスに揺られていく途上で、今日の予定を勝手に変えたりしたら、彼女はどう思うだろうか考えてみた。戸惑うだろうか、怒るだろうか、呆れるだろうか。そのどれも彼女には似合わないように思われたけれど、やってみるまでは分からない。

 駅前のバス停で降りると、仲夏の空は澄み切っている。

 駅前にある広場の時計塔の下まで歩いて行くと、白い日傘を差した少女の姿がある。

 白を基調としたノースリーブのワンピースは花柄で、小さなハンドバッグを肩から斜めに下げている。

 怜が近づくと、彼女は日傘の下から柔らかく微笑んだ。

「待たせたな」

 怜は、約束した時刻の10分前であることを確認したりはしなかった。

「そのために早く来ました」

 (タマキ)が微笑んで言った。

「待つのが趣味だとは思わなかったよ。もっと遅く来た方がよかったか?」

「わたしのために決まった時間に来てくれる、それを待つのが楽しいの。遅くなったら意味ありません」

 なるほど、世の中には色々な楽しみがあるものである。

 怜は少し間を置いて、

「今日はいっそう綺麗だね」

 礼儀を通した。それは儀礼上の話だけではなかったけれど、それを伝える気はなかった。気はなくても伝わっているかもしれず、しかし、そこまで心配しても仕方がないところではある。

 ありがとう、と環はにっこりとしながら、

「レイくんもステキだよ」

 と取り立てて変哲もない半袖のTシャツとハーフパンツを身につけて、背に斜めにリュックをかけたカレシを褒めた。

 怜は、環の日傘を受け取ると、彼女に余計に差しかけるようにして、相合傘で歩き始めた。

「日傘の相合傘、嫌いじゃなかったの?」

「嫌いというか、やったことがないんだ」

「これが初めてですか?」

「初めてで多分最後だよ」

「あら、じゃあ、夏の間はもうわたしに会ってくれないんですね?」

「タマキには麦わら帽子が似合うと思うんだ」

「ありがとう。でも、帽子は色々と大変なんですよ」

「大変って何が?」

「まず手に取らないといけないし、頭にかぶらないといけないでしょう。それに、屋内では脱がないといけないし」

 帽子がそんなに面倒なものだとは思わなかった怜は、自身の不明を恥じて、彼女に詫びた。

「分かってくれてよかった。ところで、レイくん、わたしの記憶が確かなら、映画館はこっちじゃないよ」

 環は、不思議そうな声を出した。

「それは、オレの記憶にも合致するよ」

「よかった。……でも、じゃあ、どうして?」

 怜は、駅の構内に向かう自動ドアの前で日傘を閉じると、それを自分が持って、環を構内へと導いた。

 環は素直にそれに従ってくれた。

 駅を出入りする人の邪魔にならないところまで歩くと、怜は、環にまむかった。

「もしも今日映画館の代わりに別のところに行こうって言ったら、どうする?」

 そう言うと、環は、口元をほころばせて、

「嬉しいです」

 その言葉通り嬉しそうな顔をした。

「映画は嫌だったのか?」

「いいえ。サプライズを用意してくれたことが嬉しいの。でも、水着は持ってきていないよ」

「なんで水着が必要だと思うんだよ」

「夏だからね」

「……催促じゃないよな?」

「わたしが?」

 環はさも心外そうな振りを作った。

 怜は、時刻表で乗るべき電車の時間を確かめると、券売機で切符を買って、環に手渡した。

 すぐに使うことになる切符を、環は丁寧に、ハンドバッグの中におさめた。

 構内にある売店でお菓子とお茶を買って時間をつぶすと、行楽に向かう他のカップルや家族連れとともに、改札を抜けてプラットフォームへと移動した。

 電車が到着すると、先に車両に乗った怜は、環に手を差し出した。

 その手に環のほっそりとした手が重ねられる。

 怜は、丁寧に彼女を車内に導くと、二人掛けの席を取って、窓際の席に座らせた。

「通路側の方がよかったな」

 ハンドバッグを膝の上に置いた環が言う。

「外を見ているレイくんの横顔を見ることができるから」

「窓際に座ったからと言って、外を見るとは限らない」

「でも、電車の中じゃ、外を見るくらいしかないでしょう」

「外の景色より綺麗なものが隣にあるのに?」

「なんだか今日は優しいね」

「心外だな」

「失礼。じゃあ、いつも優しいけど今日は特別優しいね、と言いかえます」

 電車がゆっくりと動き出す。

 目的地までは、一時間ほどの道行きである。

 車内に人は多かったが、空調が効いていて暑くはない。

「このままどこまでも行ってみましょうか」

 環は溌剌(はつらつ)とした声を出した。

「どこまでもってどこまで?」

「どこまでもですよ。新しい世界が開けるところまで」

「この線路じゃ心もとないな。それに、これから行こうと思っているところは、素通りか?」

「もちろん、そこに行ってからです。そのあとのお話」

「どこにでも付き合うよ」

「実際にどこかに行く必要はないの。どこまでも行ってみたいっていうこの気持ちに付き合ってくれるだけでいいんです」

「タマキとならどこにでも行く……という気持ちになったよ。これでいいのか?」

「はい」

「こんなに簡単でいいのか?」

「大切なものほど、簡単なものなんです」

「『星の王子様』の言葉?」

「いいえ、わたし自身の言葉です。つまり、誰のものでもない言葉。レイくんにあげるよ」

 怜は、お返しに何をあげたらいいか、訊いてみたところ、

「もうもらっているから大丈夫です」

 という謎のような言葉が返って来た。

 何をあげたこともないような気がする。

 そこでようやく怜は、彼女の胸元に、鳥のペンダントが光っていることに気がついた。

 いつかのときにプレゼントしたものである。

 会ってすぐに気がついてもいいところ、今頃になったのは、今日の行き先を変えることに対して、緊張があったからかもしれない。

「あげたものって、それ?」

「これもそうだけど、でも、これだけじゃないよ」

 そう言って、環は胸元にあるホトトギスに指を触れさせながら、

「ところで、レイくん。ホトトギスって夏の鳥だよね?」

 小首を傾げながら言った。

 怜は嫌な予感がしたので、

「タマキは、プレゼントをねだるなんていうはしたない真似はしないよな?」

 先手を取った。

「わたし、はしたない子なんですよ。だから、妹に悪い影響を与えているの」

「いや、アサちゃんは悪い子なんかじゃないよ」

「子どもの頃は許されるということ?」

「それは違うな。アサちゃんだから許されるんだよ」

「それじゃあ、もしも、わたしがプレゼントが欲しくなったらどうすればいいの?」

「カレシを信頼していないのか?」

「この世の中の誰よりも信頼しています。でも、それとこれとは別のことなの」

 怜は、秋になったらまた秋にふさわしいアクセサリーを贈ることを約束した。

「ありがとう。でも、それまでに、レイくんに飽きられないようにしないと」

「こっちこそ、環にふられて、袖に時雨が降らないように祈るよ」

 怜が真面目な顔で言うと、環は、おかしそうに笑った。

 アクセサリーでなければ、何を彼女にあげたのか、分からなかったけれど、しかし、怜は環の言葉を解釈しようとは思っていなかった。国語の問題ではないのだ。解釈など必要ない。ただ受け止める、それだけでよかった。

 川を渡ったようである。

 窓から、水面がきらきらと輝くのが見えた。

「マドカと遊園地に行くんですね」

 環がじっとこちらを見るようにしてきた。

「その言い方は正確じゃないな」

「正確性なんてつまらないわ」

「なら、その通りだよ。遊園地にはあんまりいい思い出がないから行きたくないんだけど」

 友人との付き合いである。

 そう言えば、と怜は、昨日だったか、入っている部の部長から、部員の親交を図るために遊園地に行く計画に加わらないかと誘われたが、丁重に断ったことを思い出した。別件で行くのである。そうそう、遊んでばかりはいられない。

「いろいろ忙しいのに、わたしにも時間を使わせてしまって、心苦しいっていうことを、レイくんに分かってもらえるといいんだけれど」

「心苦しい?」

「ええ、そう見えない?」

 そう言うと環は目元に手を添えて、涙を拭う振りをした。

「苦しませているとは思わなかったよ。オレは嬉しいんだけど、タマキが苦しいならもう休み中は会わない方がいいのかな?」

「レイくんは嬉しいの?」

「もちろん」

「あ、だったら、話は別です」

 そう言って、口元に微笑をきらめかせると、背をシートにつけるようにした。

 環は軽く目をつぶるようにした。

 怜は、見るべきところもないので、環の横顔を見つめていた。

 思えば思うほど、不思議な子だった。その不思議さを受け入れている自分自身も不思議である。

 環は眠ったようだった。

 寝息が聞こえてくる。

 五分くらいして夢から覚めた彼女は、自分がどこにいるかを確認したあとに、隣を見て、

「眠ってた? わたし」

 言ったので、怜は、

「もっと寝ててもいいよ。ついたら、起こすから」

 答えると、

「ううん、大丈夫です。……これは、言い訳なんかじゃないんだけど、レイくんの隣にいたから眠っちゃったと思うの」

 そう言って、自分の言葉を確かめるように、環は、うん、とうなずいた。

「もっと直接的に言ってもいいぞ。オレと話すのがつまらないとか」

「そういうことじゃありません」

「じゃあ、どういうことだよ」

「どうと言われてもそうとしか言えないので」

「電車内はいいけど、一緒に歩いているときは気をつけないとな」

「そうしてください」

 怜は、リュックから出した水筒から、カップに果実酢を入れた。

 環はカップを受け取ると、白い喉を見せて飲んだ。

「甘くておいしい」

 そのあと、怜はやはりリュックから一口チョコを、環に手渡した。

「そのリュックには何でも入ってるの?」

「ん? いや、目玉焼きトーストやリンゴは入ってないよ。だから、お腹が空いたら、どこかでランチにする」

「ステキ。日頃しているいいことのおかげかな」

「何かしてるのか? カレシの隣で居眠りすること以外に」

 環は、片眉を器用に上げた。

「レイくんって時々意地悪になるってことに気がついてた?」

「そういう指摘はびしびしして欲しいね。それで?」

「たとえば、プレゼントのおねだりをできるだけしないように耐えたり、しています」

「でも、したじゃないか、さっき」

「それがどうかしたの? 大事なのは努力することでしょう?」

 そう言って、環は涼しい顔である。

 そのとき、電車のアナウンスが聞こえてきた。

 海はもうすぐそこである。

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