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プラトニクス  作者: coach
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第15話:夕暮れの視聴覚教室、新メンバー登場

「納得が行かないわ、どーしても」

 校舎の暮れなずむ一室で、倉木日向は声を大にした。言葉通りである。納得の行かないことがあるのだ。この世にはどうしても納得の行かないことがあり、それへの対応策は二つしかない。受け入れるか、断固戦うか。前者の選択ができるものは大人である。が、幸か不幸か日向は大人ではないし、そういう選択をしなければ大人になれないのだとしたら、そんなものはこちらから願い下げだという気持ちがある。

「絶対に納得行かないっ!」

 室内に響かせるような調子で彼女が繰り返すと、隣から、

「まだ言ってんのか?」

 と呆れたような声が応えた。日向は声の主をねめつけた。彼女より少し背の高い細く引き締まった体つきに目元に爽やかなものがある彼は、十四年来の幼馴染みである。椅子に座って悪友と何かゲームのようなものに熱中している。日向の目つきがきつくなっているのには気がついていない。いや、たとえ気がついていたとしても、そこは長い付き合いである。動じもしないのだろうが。

「コレ、岡本くんの勝ちでいいよ」

 日向は机の上にある二人のゲーム盤になっていた紙をぞんざいに取り上げた。何すんだよ、と頭をウルフカットにした岡本少年の非難の声は、上からのぎらりとした視線で封じられる。その視線をそのまま幼馴染みに向けてみたが、案の定、彼は視線を受け止めたあと、受け流した。

「お前が怒ったってしょうがないだろ」

 日向は胡散臭い目を彼に向けた。

「友だちのことよ。しょうがないで済ませられないでしょ、(ケン)。やっぱり私が行けば良かったわ。七海も七海よ、加藤くんの口車に乗せられてさあ……」

 日向は腰に手を当てて立ったまま、ひとしきり不甲斐ない友人の文句をいった。彼女が気を高ぶらせているのは、大切な友人のカレシが二股をかけているのではないかという噂についてだった。噂どころの話ではなく、日向自身、彼ら――そのカレシと二股相手の女の子――が仲良さげに話をしながら登校しているのを目撃しているのである。友人代表として、そのカレシのところまで事情を訊きにいき、事と次第によっては友人と別れてもらおうと思っていたところである。その役目を日向の別の友人が買って出たが、彼女は役目に忠実ではなかった。大した事情を聞かず、スゴスゴと引き返してきたのである。

「レイは二股をかける奴なんかじゃない。そのくらいお前だって分かるだろ」

 ムカつくのはその二股疑惑の彼だけではない。弁護役を気取るこの幼馴染みもである。とげのある目で彼を見ると、

「わたしはこの目で見てるのよ」

 ビシッと自分の目を指差しながらいう。

「オレだって見てるよ。そのとき、お前の横にいたんだから」

「だったら!」

「何か事情があるんだろ」

「事情があったら、カノジョを放っておいて他の女の子と歩いていいって?」

 さすがにそう言い切ることには躊躇いがあるのか。賢が黙ったことに力を得た日向は、

「でしょ。そういうとこがイライラするのよ。この前の小谷さんとの噂の時だってそうだけど、環が何も言わないことをいいことに加藤くんは甘えてんのよ。その甘えを叩き直してやるわ」

 表情を固くして言った。半ば以上本気である。

「落ち着けよ、日向」

「わたしは落ち着いてるわ、完全にね」

「落ち着いてる奴は拳を握り締めたりしないんだよ」

 椅子についたまま賢が手を伸ばす。

 ふと自分より大きな手に触れられて日向の拳は緩んだ。その手にそのまま触れられていたい気持ちをすんでのところで抑えて軽く振り払うようにすると、不覚にも赤らんだ頬を隠すために、くるりと賢に背を向けた。

「事情があるってのもさ、どうだか分からないし。事情にかこつけてるんじゃないの。加藤くん、やたらデレデレしてたじゃない。可愛い子だったし」

「まあ、確かに可愛かったけど。でも、だからってさ……」

 頬に差した紅がすっと引いた。客観的な意見だということは分かっているつもりだが、幼馴染みが他の女の子を褒める言葉というのはどうにも気に入らない。賢が何か続けようとするのを遮るようにして、

「へーえ、ああいう子が賢の好みなんだ」

 振り返った日向の口調がきつくなる。その冷たい響きにウルフカットの友人が後ずさったのに賢は気がつかなかった。

「別に好みとかじゃないだろ。ただ可愛いって言っただけだ」

「やだやだ、男って。ちょっと可愛い子がいるとさ、いやらしい」

「いやらしいって何が?」

 なあ、と同意を求めた賢だったが、求められた方はオレに振るなと言わんばかりに手で払うしぐさをした。

「とにかく。わたしは明日にでも加藤くんの所に行って、もう一度事情を訊いてくるからね。邪魔しないでよ、賢」

「レイとその子の迷惑になるだけだ」

「わたしにとってはタマキの方が大事」

「じゃあ、オレはレイの側に立つぞ」

「なに、わたしとやりあおうって言うの?」

「気は進まないけどな」

「十四年来の幼馴染みより、一年ちょっとしか付き合っていない友人を選ぼうっていうのね。なんて麗しい男同士の友情なんでしょう」

「幼馴染みの間違いを止めたいだけだ」

「わたしは間違ってない」

「そうか?」

 賢は立ち上がり日向と睨みあった。幼馴染みのはずが、仇敵同士のような風情。拳銃でも持っていれば今まさに銃口を突きつけている格好になるだろう。そんな勇ましい西部のガンマン二人の間に、割って入る声があった。

「あのー、どっか他の場所でやってもらえません、そういうの」

 お互いの瞳の中にお互いを見ている二人は、そんな声に頓着しなかった。

「ここ視聴覚教室で、文化研究部の部室なんで」

 この部室の主ともいうべき少女は、そのスクエア型の眼鏡越しに遠慮がちな目を向けた。彼女の言う通り、ここは部室であってけして決闘場ではない。しかも、先ほどから大きな声で我が物顔をしている二人は、部の関係者ではない。全くの部外者である。迷惑な話だ。

「どうぞお帰りはあちらから」

 文化研究部の部長である彼女が出口に向かって手を向けると、

「ねえ、杏子(アンコ)。あんたはどう思う?」

 穏便ならざる声がかけられた。

「……え、何が?」

「何がって、わたしと賢、どっちが正しいかよ」

 日向が視線は相変わらず、少し高い位置にある賢に向けたまま訊く。

「どっちがって言われても……」

 二股疑惑の処理の仕方などには何の興味も無い。どっちでも良いから早く出て行ってくれ、というのが杏子の本音だった。

「オレのほうだよな、田辺」と賢。

「わたしのほうだよね、杏子」と日向。

 自分たちの世界に入りきっている二人には、杏子の本音など知る由もない。なおも繰り返し執拗に自分の正当性を強要してくる二人にはっきりと彼女は告げた。

「加藤くんの恋愛事情なんかにかかずらっている暇なんかないの。こっちはさ、部員が集まらなくて深刻なんだから」

 文化研究部は現在、部長を合わせ部員数三人の超マイナー部である。今年三年生が二人抜けると、来年は一人になる。来年どうなろうと卒業していく身でありどうなっても構わない、などという無責任な考え方をするには、この部には愛着ができすぎていた。

 無論、座して滅びを待っていたわけではない。部員集めのために手は尽くした。その甲斐あってか、実際に新一年生が覗きに来てくれるようにもなっていた。しかし、である。そういう時に限って今日のような茶番劇が繰り広げられ、部活動に夢と希望を持っている新一年生たちを幻滅させてくれるのである。

「だから、痴話喧嘩なら他の所でやって、迷惑なの。わたしだって一年生の立場だったら、入る気なくすわよ」

 杏子は目に強い光を溜めた。話すうちに遠慮がちな態度はきれいになくなった。大体どうして遠慮などしなければいけないのか。ここは彼女の部である。杏子はきっぱりとした口調で、

「金輪際、ここには立ち入り禁止にします。もう来ないでください」

 と幼馴染み同士の二人とウルフに告げた。一様に「え〜!?」という不服そうな声を上げる三人に、

「さ、帰ってください」

 素っ気無い口調で追撃した。

 いつもは穏やかな杏子の怒りが明らかに見え、さすがに自分たちの非を認めた三人がしぶしぶながら帰ろうとしたその時である。

 ノックの音がした。開いているドアに礼儀正しく手の甲を軽く打ちつけて室内に入る影があった。

「あれ、(マドカ)ちゃん?」

 ドアに向かおうとしていた日向の怪しむような声に、新来の少女が顔を上げる。清爽な姿を持つ少女である。強力に衆目を集めるような華やかさはないが、雲間に差す月光のような、雨に濡れた若葉のような、見る者の心を洗う涼やかさを備えている。

「倉木先輩」

 知っている人がいることにほっとした様子を見せながら近寄ってくる少女に、

「円ちゃん。わたしのことはヒナタって呼んでって言ってるでしょ」

 軽く責めるような振りをして日向が言う。

「はい、ヒナタ先輩」

 素直な目を向けてくる少女に、日向はぱっと顔を輝かせると、ぎゅっと後輩の少女を抱き締めた。

「かわいい〜」

「……あ、あの、先輩。苦しいです」

「あ、ゴメン」

 杏子は息を吸い込んだ。折角、邪魔者が帰るところだったのに、また一人、日向の知り合いらしき者が現れ、愉快な仲間たちが増えようとしている。もううんざりである。もう一度、退去の命令を出さなければいけないと息を吐き出そうとしたとき、

「先輩、ここ文化研究部の部室でいいんですよね? 部長さんはどちらですか?」

 少女が訊いていた。さっさと帰れ、というセリフを杏子はとっさに差し替えた。

「わたしです。わたしが部長です」

 息せき切っていう杏子の胸が希望で七色に染まる。いや、待て待て待て。望みは持った分だけ、裏切られた時のショックが大きいものだ。ここは精神衛生上、慎重にいった方が良い。杏子は咳払いすると、

「部長の田辺杏子ですが、何かご用ですか?」

 という形式ばった挨拶で(はや)る心を抑えた。

 振り向いた少女の、肩をすっと過ぎたストレートの黒髪がかすかに揺れる。少女はそのまま静かにこちらに歩を進めてきた。

 杏子は間近で彼女の明眸(めいぼう)を認めて、光に染まった胸が絶望の暗黒に染め変えられるのを感じていた。一瞬でも部の新たなメンバーになってくれるのではないかと希望を持った自分が恥ずかしい。端的に不似合いである。文化研究部のメンバーになれるのは、心に欠けたものを持つ者だけだ。部のことなぞ何にも考えず塾の課題プリントをやり続ける男子や、部長をからかうこととファッションにしか興味の無い女子のような者しか、ここには相応しくないのだ。

「あの、わたし、一年一組の川名円といいます」

 少女の自己紹介に、

「川名さんね、何の用スか」

 杏子はぞんざいに答えた。

 突然やさぐれてしまった先輩女子にちょっとたじろぎながらも、少女は言葉を継いだ。

「入部したいんですが……」

 よく聞き取れなかった。部員募集のことを考えすぎて、とうとう妄想をするようになってしまったのか。重症である。

「あの、今なんて?」

「入部したいんです」

 夢から醒めたような気がした杏子は念のため、もう一度訊いてみると、

「入部、したいんです」

 と自分の発音が悪いと思ったのか、円ははっきりと言葉を切りながら言った。

 杏子は強いショックを受けた。

 視聴覚教室の外の夕暮れの残照が朝日の眩しい光に変わり、巣に飛び帰るカラスの鳴き声が天上のファンファーレに変わった。

「円ちゃん。ちょっと、本気? やめときなよ、こんな部」

「西村くん! 今すぐあなたの幼馴染みを何とかしてっ!」

 この部を潰す使命を何者かから受けてでもいるかのような同級生を止めるよう、その隣にいる男子に指示すると、突然の怒鳴り声にちょっとひるんだような顔をしている一年生の少女に向かって、杏子はにこやかな営業用スマイルを見せた。

「ようこそ、文化研究部へ。部はあなたの入部を歓迎します」

 差し伸べた手に応えた円の手を、杏子は逃がさないと言わんばかりにぎゅっと握りしめた。

 文化研究部に新たなメンバーが加わった瞬間だった。

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