第145話:今日という贈り物
「present(現在)は、present(贈り物)である」
という言葉をどこで聞いたのか、覚えていないけれど、なるほどその通りであると鈴音は思う。
今日という日が、かけがえのない輝きをもってここにある。
天からの贈り物。
それが存在するというそのことが、そのことだけで美しい。
鈴音は、その美しさの中にいる自分を感じていた。
そう感じられるようになったのは、つい最近のことであり、その変化がもたらされたのには、二人の友人の力が大きい、そのような友人を持つことができたことも、天からの贈り物なのだろうか。それが天の配剤であれば、ただそれを享受するのがよく、二人に対して格別の礼をすることはない。それでも、彼らにとっても、自分自身にそういう役割が割り振られることがあれば、と鈴音は思うこともある。彼らの不幸を願っているわけでは全然無いけれど。
その日、鈴音は、母と出かけた。
鈴音は少し前まで不登校であって、母を思うさま心配させていたので、その罪滅ぼしというと高慢かもしれないが、母とできるだけコミュニケーションを取ろうと意識しており、その思いを現実化させているわけだった。父にも心配をかけたわけで、父の気持ちも癒してあげたいのはやまやまだけれど、夏休み中とはいえ平日であるので、父は仕事、あくまでやむをえない仕儀で、女二人でショッピングということになったのだった。
朝から出かけて、駅前の店を回って、母に見立ててもらい服を買う。それから、優雅にカフェでランチ。ゆったりとした時間の中で、好きなことを行うことのこの楽しさ。とはいえ、鈴音には今楽しくないことなどないのだった。家にいるのも楽しいし、学校に行くのも楽しい。極端なことを言えば、今こうして息を吸い、歩き、話し、そういうことでさえ楽しい。
今日という日の美しさを感じることができる、その自分自身も美しいのだろうか。鈴音は、自分自身のことを美しいとは思わないけれど、でも、美しくない心が美しさを感じることなどできるだろうか、と思えば、そういうこともないように思われる。鈴音の心が美しいとしたら、その美しさを知ることができたのは世界が美しいからである。とすれば、世界が美しいのは、人に自身の美しさを認識させるためであるのか、それとも、そんな目的などなしにただそこにあるというそのことによってこそ、世界は美しいのか。
とりとめなく考えていると、遥かなところに運ばれていくような気持ちになって、
「スズネ」
母に話しかけられていることに気がつかないという結果になった。
テーブルの向こうにいる母が、気遣わしげな顔をしている。
「考え事?」
「うん、ちょっとね」
「……男の子のこと、とか?」
母が探るような顔である。
鈴音は、一笑に付した。「違います」
「そお? でも、もしもそういうことで悩むことがあったら、お母さんに相談してね。お母さんだって、経験あるんだから」
母が、明るい声で言った。
鈴音は、その時はアドバイスお願いします、と言ったが、果たして恋路を母親に相談するティーネイジャーなど存在するだろうか、と思ってもみた。母自身、中学生の頃に、恋の話を祖母とはしなかったことだろう。
母のホッとしたような様子を見て、気をつけなくてはいけないな、と鈴音は気を引き締めた。母をリラックスさせるために、こうして休日に一緒に行動しているのに、心配させていては本末転倒である。
「ケーキバイキングに行きましょうか、鈴音」
食後の紅茶を飲み終わったところで、母が言った。
鈴音は、今食べ終わったばかりであるという事実を母に思い出させてやった。
「大丈夫でしょ、だって、ケーキよ」
ケーキだから大丈夫という理屈は、理屈でないようでいて、やはり理屈であるのかもしれない。確かに、ケーキと聞くと何だか食べられそうな気持ちになってくる。いわゆる「別腹」である。噂によると、美味しいものを見ると、胃にあるものが小腸に押し出されて、新たなスペースが胃に生まれるのだとかなんとか。
母は特にケーキが好きというわけではないのだろう――もちろん、嫌いというわけではない。要は、娘と一緒にできるだけ長く遊べれば何でもよいのだ。鈴音は、もちろん、母の意向に逆らわなかった。
店を出たところで、鈴音は友人の姿を認めた。
友人と言うよりは親友、親友と言うよりは腹心の友と言ってよい子だった。
彼女の方でもこちらに気がついたようだけれど、少しこちらを見ただけで、手を振ることもなければ、会釈をすることもない。母と一緒にいるので、気を遣ってくれたのだ。鈴音は、彼女のその行為がごく自然なことのように思える自分が好きだった。
「あれ、環ちゃんじゃないの?」
母は目ざとく彼女の姿を認めた。
鈴音が今気がついた振りをすると、母は、「絶対にそうよ」と確信を持った声を出すと、それだけではなくて、わざわざ近づいていって、声をかけた。鈴音は微苦笑して母の後ろに従った。
「こんにちは、おばさま」
環は、晴れやかな顔で、母に挨拶した。
「『おばさま』なんて呼んでくれるの、環ちゃんだけなのよねえ」
後ほど、母が、つい環に声をかけたくなってしまう理由をそう述べた。
環は塾帰りであるとのことである。大きめの手提げを持っていた。
「環ちゃん、よかったら、ケーキ食べに行かない? おばさん、ご馳走するわ」
母がはしゃいだ声を上げた。
環は一考する様子も見せず、
「いいんですか? 嬉しいです。喜んでご一緒します」
声を弾ませた。
鈴音は、彼女に感謝した。
不登校時代、訪ねてくる友達もおらず、その唯一の例外が環だった。よく通ってきてくれた彼女は、鈴音よりもむしろ鈴音の母を慰めに来てくれた。大人のカウンセリングができる中学生。小学五年生のときに初めて出会ったそのときから、彼女には驚かされっぱなしだった。この頃、ようやく彼女のことを客観的に見られるようになって来たかもしれないと思う。その分だけ、自分は変わったのだろうか。変わったのだろう。これからも変わっていくのだろうか。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
ケーキ屋へと向かう車の中で、母は気を利かせて、二人を後部座席に座らせた。
女の子二人で、しかし、話すこともそうはない。話をしなくても、隣にいてくれることが、それだけのことが心地よい。これは今も昔も変わらない。二人でいるときはそれでいいのだけれど、車内には母がいる。鈴音は母に気を使わなくてはならない立場である。
「鉄血ゼミはどう? タマちゃん」
鈴音は、環が通っている塾の話に水を向けた。
環は微笑んだ。
「なかなかハードだよ。宿題も多いし、目が回りそう」
「先生によって違いがあるみたいだけどね。タマちゃんは、厳しい先生に当たっちゃったんじゃないの?」
「昔からクジ運がないのよ」
「逆にクジ運あったんじゃないの?」
「そんな風に考えられないのは、根がネガティブだからかな」
「じゃあ、ポジティブになろうよ。明日というのは、明るい日と書くんだよ」
「明日が来る前に、宿題やらないと」
「そんなにやる必要あるの?」
「スズちゃんは、わたしを過大評価しているんじゃないかな」
「評価なんかしてないよ、ただ信じてるだけ」
「わたしのことを?」
「ううん、自分の目を」
鈴音が言うと、環はシートベルトを少し伸ばすようにしてこちらに近づいてきた。
「うん、スズちゃんの目は今日の青空のように澄んでいるね」
運転席の母は笑ったようである。
鈴音はホッとした。
隣の友人はもう姿勢を直し端然として前を見ていた。
ケーキ屋さんに到着すると、まだほとんどお腹は空いていない。
「スズちゃんの分はわたしが食べてあげようか」
車から出た環がそんなことを言った。今日の環は、どこかしら雰囲気が柔らかい。何かいいことがあったらしい。そのいいことの原因が何なのか、鈴音には分かる気がして、そうして、それを考えると少し羨ましい気持ちになるのである。ほんの少し。
テーブルにつくと、環と二人で好きなケーキを取りに行った。テーブルに誰もいないのは不用心なので、母にいてもらって、鈴音は母の分も取り分けてあげることにする。酸味の強いコーヒーと一緒に食べ始めると、別腹機能が正しく働いているのか、意外に食べられそうである。
「もう一皿持ってくる? お母さん」
「うーん、これ以上食べちゃうと太っちゃうから」
「大丈夫、太っても、お父さんはお母さんのこと好きでいてくれるよ」
そんなことを言うと、母は笑って、「じゃあ、もう一皿」と娘に給仕を許した。
鈴音が席を立って、遠目からテーブルを窺うと、母が環と談笑しているのが見えた。我が娘と話しているよりも楽しそうに見えても、鈴音は含むものを持たない。お皿を持っていって、二人の話に加わると、時間は過ぎ、結局一時間半ほどケーキ屋さんで過ごすことになった。
「ごちそうさまでした」
食べ終えると、環は、鈴音の母に礼を言った。
「いつでも遊びにきてね、環ちゃん」
母が環にねんごろな声をかける。
「お母さんの友達じゃなくて、わたしの友達だからね」
鈴音が冗談を言うと、母は笑った。
「今度、伺います」
環が言った。鈴音は環にあらためて感謝した。
環を家まで送っていってから、自宅に帰ると、今日一日の体験で得た心地よい疲労をまとって、鈴音は自室に戻った。
ベッドに横になって、窓から夕暮れの空を見上げていると、まだ星が出るような時間ではない。
人生は優しい。
鈴音はそう思った。
この人生に起こることに良否はない。良否を決めるのはあくまでもその人自身であって、物事自体はニュートラルである。でありながら、起こったそのことに喜び悲しみ、怒り、安堵を覚える。それが人のあり方であると、鈴音は思っている。そう思える彼女は人生を俯瞰しているわけであって、この位置に立つために、不登校期間があったのだと今なら言える。しかし、ある時間が、別の時間のためのもの、現在が未来のためのものであるなどという考えを、鈴音は好まない。
現在はただ現在のためにある。
ベッドに横たわりながら、鈴音は、心地よさを味わっていた。
この心地よさがいつか破れるとしても、そのときも必ず辛い時期は終わるのであり、人生はそうして続いて行く。願わくば、そうして続いて行くであろう、しかし確実に限りのある人生を美しく生きたいものだと、14歳の少女が思っていたとしたら、世の人は笑うだろうけれど、それを笑わない人を二人知っているということが、鈴音にはたまらなく嬉しいのだった。