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プラトニクス  作者: coach
140/281

第140話:梅の葉の茂る頃、青天の下、家路の二人

 待っていたと彼女は言うが、待ち合わせていた覚えはない。確かに無いはずだ。

「してないよな、待ち合わせ?」

 自分の記憶力を信用していない(レイ)は、念のため尋ねてみることにした。

「いいえ、していました」

「そうだったか?」

「はい。わたしが勝手にしただけですけど」

「そういうの、待ち『合わせ』って言うかな」

「じゃあ、もしも、わたしが今日ここで待ち合わせましょうって言っていたら、レイくんは断った?」

「断る理由が無いよ」

「だったら、待ち合わせについて、レイくんに了解をもらっても、もらわずに勝手にしても、おんなじことじゃないかな」

 (タマキ)は澄ました顔で言った。

 何だか妙な理屈だったが、理屈で環とやり合おうとは思わない。

 怜は、素直に遅れたことを謝ることにすると、

「特別に今日は許してあげましょう」

 幸運に預かった。人間、素直をやっているといいことが起こる可能性が上がる。あるいは、性情とショートカットに少々の癖がある女の子に言いくるめられる危険が。

 正面玄関を出ると、太陽は思うさま夏を満喫するかのように輝いている。地上のあらゆるものを美しく輝かせてやろうとハッスルしてくれているおかげで、怜の額には早くも汗が輝きそうだった。

「日傘がいるな」

 歩きながら怜が吐息をつくと、

「持っていたら、どうします?」

 環が、涼しげな顔で言う。

 怜は隣の彼女をよくよくと見たが、学校指定のかばんを肩から斜めに提げている他は、何も持っていない。しかし、その白色の指定かばんの中に、折りたたみの日傘――そんなものがあるのかどうか知らないが、折りたたみの雨傘はあるのだから、あったって不思議ではない――が入っているかもしれないと思えば、そうして、もしも、持っていたら一本の傘を二人で使いましょうと彼女が親切心、もしくは別の気持ちから言い出すかもしれず、怜は、紫外線も適量浴びた方がいいそうだぞ、と適当なことを返した。

 環は、隣からじっと見てくる。

「……持っているのか?」

「いいえ、でも、今度から用意しておきます」

「帽子がいいんじゃないかな。麦わら帽子とか」

「学校にしていくのは校則違反ですよ」

「幸いに、学校はしばらくない」

「似合いますか?」

「キミに似合わないものを探すのは、砂漠に落ちた一粒の砂金を見つけるのに等しい難しさだ」

 怜は、両手を広げるようにして、熱弁した。

 環は器用に片方の眉を上げただけで答えない。

 校門をくぐり抜けた。

 校外には、三々五々、学校から解放された生徒たちが足取りを弾ませている。

 怜は、環と一緒に学校前の長い坂を下り出した。

 環の左手には、梅の木々が、立ち並んでいる。

 むろん、梅はとうの昔に花を落とし、今は実も落として、葉だけの状態である。

「もう、ここの梅の花を見ることは無いかもしれないね」

 環は少し立ち止まると、梅の花を見上げるようにした。

 怜は、後ろから来る生徒のために、道を開けた。

 卒業式は三月に行われる。

 確かに、次の開花には間に合わないかもしれない。

 卒業後でも見に来ることはできるかもしれないが、そういう話ではない。

「一期一会だな」と怜。

 環は、梅から視線を外して、歩き出した。

「それは悲しいことでしょうか。それとも美しいこと?」

 一度起こったことが一度しか起こらなかったことだということは、悲しくもあり、しかし、だからこそ美しいとも言えるだろう。悲しみと美しさは、対立したりはしない。

「喜ばしいことじゃないかな」

「喜ばしい?」

「一度起こったことが二度も起こるなんて、ぞっとしないだろう」

「何度も起こって欲しいこともあると思います」

「何度も起こって欲しいと思えるのは、一度しか起こらないからだよ」

「それは、レイくんが、本当に幸せなことを経験していないから、そう思うんじゃないかな」

 怜は、考え込んだ。本当に幸せなこと……。自分の社会生活には色々と難点があるけれど、それでも、それなりに幸せを経験しているのではないかと思うが、言われてみれば、真の幸福と言われると、それはよく分からない。

「タマキにはあるのか?」

「はい、あります」

 環は、即答した。

 梅の木々の葉が震えを帯びたようである。

「もう一度起こって欲しい?」

「何度でも」

 参考までに、その真の幸せとはどんなことなのか尋ねてみると、環は、秘密です、と首を横に振った。

 坂を下り切ると、住宅地に入る。

 子どもの喚声がかまびすしく上がるのが聞こえていた。

 近くで遊んでいた子どもたちから、ゴムのサッカーボールがコロコロと転がって来て、環の前に来た。環は、しゃがんでキャッチすると、小学校低学年くらいの子に向かって、投げ返してあげた。

「ありがとう、お姉ちゃん!」

 元気よく礼を言う少年に、環は手を振って応えた。

 陽射しが容赦なく襲いかかって来る。

 怜は、ベンチで休んで行くことを提案した。

「喜んで」

 環は、やはり涼しげに答えた。

 怜が導いたベンチは、一本の木の下にある。

 怜は、ハンカチを開いて、ベンチに広げた。

「ありがとう」

 環は、いつものように、あるいは、いつものことだからなのか、驚きもせず、当然のことであるかのように、お尻を下ろした。

 怜は、水筒を取り出すと、カップになっているキャップを取り外して、とくとくと、キャップの中に水筒の中身を入れた。

 環は、キャップを受け取ると、唇をつけ、白い喉を見せて、一息に飲み干した。

「美味しい」

「そば茶なんだ。親が凝ってる」

「そば茶に?」

「色んなお茶に。知ってるか、ルイボスティ?」

「アフリカ原産のお茶だね。カフェインフリーで整腸作用がある」

「愚問だったよ」

「こういうときは知らない振りをして男の子を立てなさい」

「お母さんの教えか?」

「ううん、今、天からそんな声が聞こえたの」

「ちょっと遅かったな」

「ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ、のよ」

「それ、使い方間違ってないか?」

「あ、今また聞こえたよ。『女の子の間違いは指摘しないように』って」

「オレが聞くはずの声じゃないのか?」

「そう隣の男の子に教えてあげなさいって」

 怜は、空を見上げた。

 天上にいます何かしらの神様に、余計なことを言わないでください、と願おうかと思ったが、不敬なのでやめた。

 怜は、飲み干されたカップが自分の前に現れるのを見た。

「お注ぎします」

 お言葉に甘えて、環に酌をしてもらうと、とくとくと軽やかな音が立つ。

 飲み干したお茶は、飲み慣れたものであるのに、美味しく感じた。周囲の気温が高く体がいつもよりも水分を欲しているからだろう。それ以外の理由はあまり考えたくない。

 怜は、一杯そば茶を飲み干すと、カップを瓶の口に装着した。それから、水筒をカバンの中に入れて、立ち上がり、少女に手を差し出す。環の手がそっと重ねられる。彼女を椅子から立たせる手助けをすると、ベンチに敷かれてあったハンカチをしまい、彼女を促して歩き出した。そうして、ふと、

「この前、タクミに会ったよ」

 偶然に再会した友人の話題を出した。

「タクミくん?」

「ああ。随分と久しぶりだったな」

「でも、まるでその前の日も会っていたみたいに、久しぶり感は無かったでしょう?」

 確かにその通りだった。

「まるでオレよりオレの気持ちが分かるみたいだな」

「これは別にレイくんの気持ちを読んだということではなくて、二人の関係を見てれば分かることだよ」

 これは、というところが気になったが、追及はやめておいた。世の中には知らなくて良いこともある。

 清爽と言うには少し強い光が降る中を、二人は歩いて行く。

「夏休みは、『鉄血ゼミ』で、講習を受けようかと思っています」

「まだ伸ばせる成績があったのか?」

 怜は驚いて見せた。

「知は無限です」

 しかし、高校入試向けの模試の点数は有限であり、環は、おそらく毎回リミットまで取っていることだろう。

 鉄血ゼミは、怜が通っている塾であり、そこは個別指導塾であるので、一緒に授業を受けたりはしないが、通っていれば、顔を合わせる時もあるだろう。

「塾でもタマキに会えるなんて嬉しいなあ」

 怜は礼儀を知り、知っているだけでなく実践できる男である。

「わたしもです」

 環の声は自然である。

「レイくんの紹介だって言えば、何かいいことありますか?」

「ちょっと分からないな。団扇くらいもらえるかもしれない」

「じゃあ、それでレイくんをあおいであげましょうか」

「あおぎみる人にそんなことをしてもらうわけにはいかない」

「そんなに高いところにいるかな」

「ジュリエットはバルコニーと相場が決まっている」

「あれは悲恋ですよ」

「本当の恋は常に悲しい」

「どこのどなたに本当の恋をしたんですか?」

「今この瞬間のオレの悲しそうな顔が分からないのか?」

「あら」

「詰問されて泣きそうになっている」

「そういう悲しさじゃないでしょう。ジュリエットがいつロミオをなじったんですか?」

「どうしてロミオなんていう名前なのかと迫ったじゃないか」

「それは仕方ないでしょう。わたしだって、レイくんが、ロミオなんていう名前だったら、どうしてなのって訊きますよ」

「『バラがキャベツなんていう名前だったら同じ香はしないだろう』って言った女の子がいたな」

「赤毛の子ですね。レイくん、カノジョ以外の女の子の話を、カノジョの前でするのは、ルール違反ですよ」

「そういうことに関するルールブックはどこかで売っているのか?」

「なんでもマニュアルを求めるのはよくないと思う」

「じゃあ、どうして、タマキは知ってるんだ?」

「女の子だから、かな」

「男女差別じゃないか」

「わたしは差別なんかしません。事実がそうであるというそのことだから仕方ないんじゃないかな」

 なるほど、と怜は納得した。環の言うことである。納得せざるを得ない。

 そうしているうちに、環の家の前まで来た。

「お茶でもいかがですか? さっきのお茶のお礼をさせてください」

「お茶のお礼にお茶?」

「目には目をです」

「使い方間違ってないか、それ?」

「また」

「また今度にさせてもらうよ」

 怜は今日は昼食を食べたあと、塾に行かなければならない旨を、伝えた。

「見学しても大丈夫ですか?」

「それはどうだか分からないけれど……夏期講習に通うなら、空いている机で自習するくらい構わないんじゃないか?」

「じゃあ、急いでお昼ご飯食べることにします」

 環は軽やかに背を見せると、門の脇にある戸をくぐり、

「あとでね、レイくん」

 門の内側から声をあげた。

 本気なんだかどうだか。

 怜は、少女の微笑に向かって手を振ると、帰路を続けた。

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