第136話:変身の少女と少女の変心
目的の駅へ到着。
二つ隣の駅なんて、よっぽど来る機会など無いけれど、いざ来てみると、我が町の駅よりもこじんまりとしているではないか。
宏人はガッツポーズを固めた。「勝ったな」
「男の子だね」と志保。
「男らしい発言だったか?」
「子どもっぽい発言だったから」
自動改札機に切符を通して構内を出ると、近くの空には白い雲がかかっていたが、遠くの空には暗雲が立ち込めている。家を出る前にかけられた姉の褒め言葉を思い出して、宏人は納得した。
「そのうち雨になるぞ」
「多分、当たりだよ。ゲリラ豪雨じゃないかな」
志保は歩き出した。その足取りは、まるで自分の街を歩いているように迷いないものである。宏人は、きょろきょろと辺りを物珍しげにしながら、志保の後をついていった。やがて彼女は、一軒の喫茶店の前についた。広めの路地の一角にある、オープンカフェである。
「美味しいチョコバナナパフェでも出してくれるのか?」
「ウエイトレスの子が可愛いのよ」
「へえ、藤沢とどっちが可愛いの?」
「真面目にやって、倉木くん」
どっちがだよ、そして、何をだよ、と宏人は思ったが、思った瞬間、志保は先に店のドアを開けて、自らレディファーストを行った。コーヒーの香が漂う中、窓際に、向かい合わせで席を取る。窓からは、オープンスペースに休日のリラックスタイムを楽しむ社会人の姿が多く見えた。
「いらっしゃいませ、ご注文お決まりでしょうか」
綺麗な声がして、ウエイトレスが来てくれたようである。
窓の外から目を転じると、宏人の目は点になった。
確かに、志保の言う通り、可愛いかった。
白と黒のモノトーン調の制服が良く似合っている。
しかし、宏人の目を点にしたのは、その点ではなかった。
――え、二瓶……?
そこにいたのは、クラスメートの少女だったのである。
二瓶瑛子は、伝票を書く紙を構えながら、「ご注文お決まりでしょうか」と事務的に、にこやかな顔をした。
宏人がびっくりして何も答えられないのに対して、
「わらびもちパフェと、ブレンドコーヒー、二人分でお願いします」
志保が、メニューを見ながら、当たり前のような声を出した。
「かしこまりました」
制服姿の瑛子は、軽く頭を下げるようにすると、身をひるがえした。
宏人は、志保に向かった。「ど、どういうことだよ」
「ここ、二瓶さんの知り合いのお店みたいだね。それで、こうして、たまに手伝っているみたい」
そういう説明をされると、それだけの話にしかならないのだろうけれど、それだけの話のために、ここに来たわけではないだろう。宏人は、それを聞きたかったのだが、志保は、
「まあ、難しい話はあとでね。とりあえず、食べましょうよ。お腹空いちゃった」
さっき、サンドイッチを食べたばかりなのに、そんなことを言うものだから、
「もっと作ってくればよかったよ」
言うと、
「うん、次からはそうして」
そう答えて、屈託がない。
やがて現れた、抹茶のソフトクリームとわらびもちとあんみつと生クリームが見事なハーモニーを奏でた逸品――わらびもちパフェ――を、宏人は志保と一緒に食べた。一週間分の糖分を取っているような気持ちでティッシュで口を拭いながら食べ、志保の説明を待ったが、彼女は美味しそうにパフェを頬張るばかりである。ゆっくり食べて、三十分を過ぎ、コーヒーを飲んで、また十分を経過させたときに、
「倉木くん、ちょっと横にずれて」
志保が言うものだから、何だろうと思っていると、制服の上からカーディガンを羽織った瑛子が現れて、志保に指示されるまま、宏人の隣に腰を下ろした。瑛子にすぐそばに座られてどきりとした宏人は、
「それで?」
彼女の一声に、ドキドキ気分は消えた。
声は、彼女のものである。
しかし、いつもの温かさは微塵もなくて、冷たく事務的な響きだった。
志保は気押されない。
淡々と、グループに入って欲しい、と伝えた。
瑛子は、それには直接的に答えず、
「自分のしたいことに人を巻き込んでる。そんなに憎いなら、自分一人でやればいい、って、そう思えないの?」
言った。何のことだろうか、と宏人は、しかし、首を傾げる動きさえはばかっていると、
「いじめられている気はないけれど、でも、二瓶さんはいじめられたことはないでしょう?」
志保は答えて、
「わきから見ているだけなら、何とでも言える。どんな立派なことでもね。でも、そんな言葉に何の意味がある? 何も無いよ」
冷静な声で続けた。
「わたしのことを言っているんじゃない」と瑛子。
「だったら、馬鹿にしていることになると思うけど。わたしは強制なんてしてないから」
「それでも利用しているでしょう」
「否定はしないよ。でも、借りはいずれ返すわ」
「どうやって返すの? 返せるの?」
「それはあなたには関係ない」
二人の言い合いに宏人はついていけない。ついていけないし、強いてついて行く必要も感じなかった。そんなことよりも、瑛子の雰囲気が変わっていることの方が気になった。他人に対してこんなにはっきりとした物言いをする子だったのか。いや、はっきりはしていたけれど、これほど攻撃的だとは思わなかった。いつか志保が瑛子は何かを隠していると言ったことがあったような気がするけれど、これがそれなのだろうか。
「わたしたちのグループに入ってくれるの? くれないの?」
志保がこれ以上の議論を嫌うように訊くと、
「決まってるでしょ。入るわ」
きっぱりと言って、瑛子は席を立った。
その間、彼女は、宏人の方を一度も見なかったし、声もかけなかった。
宏人は何が何やら分からないながらも、不穏なことが行われたことだけは分かった。
瑛子が歩み去ったあと、
「出ようか」
志保は用は済んだとばかりにそう言うと、勘定書きを持って、レジへと向かった。
「ここは出すよ」
志保が言う。
そんなことをしてもらう義理は無い宏人は拒否したが、
「じゃあ、次のデートの時、今度はヒロト君が出して、ね?」
と甘えたような声を出すと、それを聞いていたレジのお姉さんから、付き合い初めの微笑ましい中学生カップルとでも思われたのか、クスリとされてしまって、それ以上は抗弁ができなかった。
「はあ、疲れた」
志保は、喫茶店を出て少し歩いてから、肩を落とした。
「さっきのはどういうことだよ?」
宏人は横から訊いた。
「どうってなにが?」
「何って……」
傍目には、グループに入ってくれるかどうかを打診して、OKをもらった。それだけのことであるが、宏人には見えないところで、二人のやり取りがあった。その内容を知りたかったのである。
駅前に向かって歩き出しながら、志保は言った。
「わたしは二瓶さんの秘密を一つ知った。それをばらされたくなければ、グループに入って欲しいって、さっき、そう伝えたのよ」
「さっき? さっきっていつだよ」
「言葉にはしてない。でも、分かったはず。だから、グループに入ってくれた」
二人は、そんな以心伝心の関係にあるのか。
宏人は首をひねった。
いやそんなことよりも、仮にそうだとすると……。
「ちょっと待てよ! それ、脅しじゃないか!」
「うん、そう」
宏人は、志保の腕を取って、無理矢理こちらを向かせた。
「ちょ、痛いな、何すんのよ」
「こっちのセリフだろ! お前、なんてことしたんだよ!」
にわかに喧嘩を始めた中学生カップルに通行人の好奇の目が向いた。
そんな視線に頓着する気は、宏人には無い。
「こうでもしないと、二瓶さんはグループに入ってくれないでしょ」
「そんなことまでして、グループに入ってなんて欲しくないね」
「もう終わったことだよ、倉木くん」
志保は、腕を取られたまま、落ち着いた声を出す。
その落ち着きが気に入らない。
人を脅して言うことを聞かせるなんて、そんなのは間違っている。確かにこれまで二人の友人を引きこむことに関して、取引めいたことをしたことはある。しかし、これとそれでは、全く話が違うだろう。これはいけない。
「あのとき、倉木くん、わたしをかばってくれたでしょう」
「何の話だよ?」
「始まりの時のことだよ。給食の時、わたしを助けてくれた」
「今そんな話してないだろ」
「同じことだよ。したことをなかったことにすることはできない」
宏人は、志保の腕を離すと、ちょっとここで待ってろ、と言い捨てるようにして、もう一度、喫茶店へと向かった。親戚の家を手伝っているという秘密が周囲にバレたらどういう不利益が瑛子にあるのか、それは宏人には分からないが、ともかく、それがなんであろうとなかろうと、こんなことはフェアじゃない。
喫茶店に入ってキョロキョロすると、瑛子が、すぐに、オーナーに断りを入れて、外に出てきてくれた。店の裏で、宏人は、しかし、どう言っていいものか分からなかったけれど、
「このことは誰にも言わないし、言わせないから、グループに入ることに関して、二瓶は断ってくれていい」
簡単に伝えた。
瑛子は、志保に対していたのではない柔らかな、つまりはいつもの学校の表情で、
「言っても言わなくても、同じことだよ。わたしにとっては、知られたっていうことが重要なことなの」
言った。
「だから、藤沢さんの……倉木くんのグループに入ります」
宏人は、変心の言葉を持たなかった。何と言っても、自分は志保側の人間なのだ。これ以上の言葉はウソになる。しかし、何とも後味が悪かった。
「一つ聞かせて欲しいの、倉木くん」
「なに?」
「その……あの……びっくりした?」
「何が?」
「わたしのこと……」
「あー、うん、バイトしてるなんて凄いよな」
「あの、そうじゃなくて……さっき、わたし、学校とは違ったでしょ?」
「あ、そっちか。うん、驚いた」
宏人は、正直に答えた。
瑛子は少し目を伏せるようにした。
はっきり言い過ぎただろうかと後悔した宏人だったが、一連の驚きで、そこまでの配慮ができなかった。謝った方がよかろうか、と思っていた宏人だったが、瑛子はすぐに気を取り直したような顔で、
「じゃあ、戻るね。またね」
明るい声で言って、身を翻した。
宏人はその背にかける言葉もなくターンすると、志保が待っているところまで歩いていき、
「こういうことはこれっきりにしてもらうからな、藤沢」
開口一番、断固とした声をかけた。
「了解」
志保は簡単である。
「本当に分かってるのか?」
「多分ね」
「こんなことどこで知ったんだよ」
「叔母さんのネットワークからね。覚えている? わたしの叔母さん」
「覚えてるよ。ケーキをご馳走してもらった」
「また今度行って、カレシの振りしてもらえる?」
そう言って歩き出した志保のその隣に宏人は並ぶと、この件につき、それ以上は言及せず、黙って歩いた。まだお昼を少し回ったほどの時間で、今日は半日、残っている。
「これから何か予定ある? 倉木くん」
駅の構内に入ったところで、志保は言った。
「無いよ。今日は丸一日、お前に付き合うために、あけておいたんだ」
「へー、じゃあ、デートでもする? 今日はそれなりの格好だから、恥かかせないと思うけど」
「いつも恥かいてるなんて思ってない」
「……そういうところは、真面目だよね、倉木くん」
「そういうところ『は』ってなんだよ」
「まあまあ、いいじゃない、そんなことは」
「お前が言い出したんだよ」
構内を抜けて、プラットフォームで電車を待つ間に、宏人は、よくよくと志保を見た。その横顔は、整っている。整い過ぎているかもしれない、と宏人は思った。
「あのさ、藤沢」
「ん?」
「その『戦闘服』も似合っているけど、前のも好きだけどな、オレは」
「倉木くんって、たまに面白いこと言うよね」
「たまにじゃない。いつも言ってる」
そうだね、と志保は笑った。
その笑いが消えないうちに、電車がホームに滑り込んできた。