第123話:毎日を物語に
部を物語にするとはどういうことか。
さっぱり意味が分からない部員たちの前で、部長の少女は胸元で腕を組んだ。
「つまりね、この部を紹介するための物語を、上村さんに書いてもらうの。それをわたしたちが演じるというわけです」
杏子の説明は、さらなる混乱を呼んだだけである。
演じる、とはどういうことか。
一本の手が挙がった。
「はい、ウルフ!」
部長がそれを指す。
手を挙げたのは、男子部員の岡本士郎である。
「つまり、この部を舞台にした、芝居の脚本を書いてもらうってことか。それを文化祭でオレたちが演じて、発表すると」
「さすが、冴えてるね。伊達じゃないね、その狼ヘア」
「…………」
士郎はノリノリの部長に逆らわないような格好で、
「でも、物語ってどんなんなんだよ?」
更に質問した。
「それは、この上村さんに一任します。餅は餅屋。そうでしょ?」
部長の言葉に、
「いや、餅を餅屋に任せるのはいいけど、どういう餅を作ってもらいたいか、それは頼むだろう」
乗らなかった士郎の言う通りだと、怜は思った。
士郎は、頭はファンキーであるが、心根は落ち着いたものである。
杏子は、「ものがたり部」部長の少女を見た。
見られた少女はうなずいた。
「全くの自由にっていうより、何か指定があった方が書きやすいね」
なるほど、とうなずいた杏子は、
「じゃあ、みんな、何か案があったら出してください」
部員に声をかけた。
はい、とすぐさま挙がった手は今度は女子のものである。
「SFとかどうですか?」
当てられるのを待つことなく提案の声を上げたのは蒼だった。
「SF?」
杏子が首をひねる。
蒼は大きくうなずくと、立ち上がって、
「宇宙から来た謎のエイリアンに部長の体が乗っ取られるんですよ。それはおだんご型エイリアンで、エイリアンに乗っ取られた部長は、この学校の生徒の頭を次々とおだんごにしていくんです。おだんごにされた生徒たちは、おだんご菌におかされ、別の生徒達を襲う。おだんごがおだんごを呼ぶ、まさにおだんご地獄。その地獄を、わたし率いる新文化研究部が救うんです」
一息に言った。
「なにそれ! なに『おだんご型エイリアン』って!?」
杏子が叫んだあとに、クスクスという笑い声が上がって、それは仁奈の口元から出ているようだった。
蒼が続ける。
「文化研究部のみんなも、一人また一人と頭がおだんごに変わっていく中、最後に残ったわたしが、部長の正気を取り戻すんですよ、その顔にプリンを投げて」
「プリン?」
「はい。エイリアンはプリンが苦手なんですよ」
「ごめん、もう全然意味が分からないよ。ていうか、最初から意味が分からない」
「意味なんかないです。部長の顔にプリンを投げつけたいだけです」
「何てこと、さらっと言ってんの!」
「プリンまみれになった部長の顔から眼鏡をとる。そのとき、真実が現れるんです。そう、エイリアンなんて実はいなかったんですよ。それは部長の深層心理に潜んだコンプレックスだったんです。眼鏡を取ることで、部長は正気を取り戻す。そうして、わたしに部のことを託すんです。『あ、アオイちゃん……』『部長! しっかりしてください!』『わたしはもうダメよ。みんなの頭をおだんごにしてしまうなんて、なんていうハレンチなことを、もう死ぬしかないわ』『そんな! 死ぬなら、あのときの500円返してください』『文化研究部のこと、お願いね』『ぶちょー!!!』『さようなら』」
蒼は何かを捕まえようとするかのように手を伸ばした格好である。
「なんでわたしが死ななきゃいけないの! 最後どこ行っちゃったのよ! あと、500円ってなに!? 借りた覚えないよ! それと、菌の話は……って、そんなことどうでもいいわ! 全てが却下よ!」
クスクス笑いが大きくなって、あははは、と朗らかな笑声になった。
「ニナ!」
杏子がじろりと友人を見たが、笑いは納まらない。
「それで行こうか」
仁奈が笑顔で言った。
「ホントですか?」と蒼。
「うん、なかなか面白いと思うよ。しかも、すぐに書けそう」
「よろしくお願いします。あ、入れて欲しいセリフがあるんですけど、部長のセリフで、『めがね、めがね』っていうのを――」
ばんっ! という大きな音が上がって、教卓に手をついた杏子が眉をキリキリと吊り上げている。
蒼は、冗談ですよ、と両手を広げた。
「わたしは冗談でもないんだけど。それいいんじゃないかな」
仁奈が微笑みを口元に残した顔で言うと、杏子は、「ちょっと、ニナ!」と彼女を呼んで、少し離れたところで小言めいたことを言ったようである。はいはい、とうなずく仁奈。戻ってきた杏子が、
「今のは当然却下します」
言うと、
「目的は、この部に人を入れることなんだからね。あんまり奇想天外なのはダメでしょ。もちろん、この部の日常をありのまま伝えなければいけないわけじゃないけど」
そう続けて、部員をひとりひとり見た。
その視線が最後に自分を見るのを感じた怜は嫌な予感を覚えたが、
「はい、加藤くん。なんか案出して」
往々にしてそういう感はあたるものである。
「日常をありのまま伝えたらいけないのか?」
「それは物語にはならないでしょ」
ねえ、と確認するように友人を見る杏子。
「日常それ自体は物語にはなりにくいけど、ちょこっと強調したものを物語にするっていうのはありだと思うよ」
仁奈は答えた。
「強調?」
「それぞれのキャラがしっかりと出るようなね。幸い、みんな中々個性的みたいだし」
ロクに話してもいない人間のことをそう言えるということは、前もって部員の話を杏子から聞いているのだろうと、怜は思った。
「えー、そんなのつまんないですよお。SFがダメなら、ラブストーリーとかにしましょうよ。わたしと部長の禁断の恋とか、どうですか?」
「なんでガールズラブになっちゃうの!? しかも、それ見て、入りたいとおもう子いる?」
「いますよ、ゲイの子です」
「部の活動となんの関係もないじゃん!」
言い争う次期部長と現部長の間に入った仁奈は、二人の不毛なバトルを止める格好で、
「みなさんに少しお時間をいただきます。この部についてどういう思いを抱いているのか、ちょっとインタビューさせてもらいたいので」
言った。
「ひとりひとり」
仁奈は、指を一人一人に向けた。
「今?」と杏子が訊くと、うん、と仁奈はうなずいた。
「今すぐにだよ。今すぐ書く、がわたしのモットーなの。一人五分でいいわ。まずは部長から。悪いけど、みんな、出てもらえる?」
そうして、せかすように言った。
なかなかエネルギッシュな子である。さすがに自分で部を立ち上げようという子は違うな、と怜は、みんなと一緒に廊下に追い立てられながら感心した。
「覚えてるか、上村のこと」
視聴覚室のドアが閉められたあと、士郎が声をかけて来た。
怜は、いや、と首を横に振った。
「同じクラスになったこともなければ、話したことさえ一度もないけど」
「オレも話したことは二三回しかないけど、そうじゃなくてさ、部活動紹介のときのことだよ」
始業式の翌日あたりに、各部活の部長が、全校生徒の前で部の紹介をする時間が設けられていた。そのことを士郎は言っているのであるが、
「面白いこと言ってたろ」
と続けられても、怜には覚えが無かった。
「『あなたは物語を書くことができます。何もできないと思っている人。それは誤解です。あなたは物語を書くことができます。特別な能力は必要ありません。ただ、その気持ちさえあれば、誰にでも物語は書けます。わたしと一緒に物語を書きませんか。物語はそれを読む人を幸せにします。人を幸せにすることに興味を持つ、美しい心の持ち主、そういう人を、ものがたり部は求めています』」
横から口ずさむように言ったのは、円だった。
怜は、カノジョの妹に目を向けた。
「確かそういう主旨のことだったと思います」
まっすぐに肩をすぎた黒髪に夕日が差している。
怜は、それでも思い出さなかった。そんなことがあっただろうか。
「あ、それ、わたしも覚えてます。上村先輩、いい声ですよね。セリフ回しもかっこいいし。わたし、部活変えようかと思いましたもん」
蒼が口を差し挟んだ。
五分ほどすると、杏子がドアから現れて、怜が呼ばれた。
「よろしく」
椅子に座っていた仁奈が言う。
怜が隣の椅子に座ると、
「さて、あなたが加藤怜くん。この部の最古参のメンバーだね」
近くで相対していると、発せられる気を感じた。
「そういうことになるかな」と怜。
「この部にかける想いを一語で表すとどう?」
仁奈がいきなり言った。
それは核心を衝く問いであったけれども、怜はどう答えれば良いか、迷った。想いと言われても、特別な思い入れは無い。この部に入ったのはたまたまのことであって、他に気に入った部が無かったからと言っても過言ではない。怜がそう正直に言うと、
「なるほど」
と仁奈は微笑んだ。「アンコが泣いて喜びそうな答えだね」
「無いものはしょうがないだろ」
「無いということがある、ということかもしれないね」
「それはすごい解釈だな」
「ありがとう」
「田辺のために書くのか?」
「ん? この部のお話のこと?」
「ああ」
「違うわ。お話は読む人のためにある。アンコの依頼はきっかけに過ぎない」
怜は、仁奈の目がじっと自分を見通そうとでもするかのように見るのを見た。
「えーと、じゃあ、次の人、坂木蒼さんを呼んでもらえる?」
仁奈が机の上に置かれたメモを見ながら言う。
「もういいのか?」
「他に何か?」
「いや、別に無いけど」
「じゃあ、いいわ。お疲れ様」
怜は立ち上がって、部屋を出ると、蒼に入るように言った。
「え? 次、わたしですか? 三年生を差し置いて」
「部に入った順だろ」
「なるほど」
蒼が室内に入ると、怜は、部長に今日はまだ活動するのか尋ねた。
「いいえ、今日はもう帰っていいよ」
怜は、ちらりと円を見て、しかし何も言わず、部室をあとにした。
その足を自分のクラスの隣へと向ける。
三年五組。
教室に何人かの影があって、そのうちの一つが夕焼けの光の中でひときわ鮮やかである。
夕日を受けた少女が、ふと怜の方を見て、微笑した。
約束したわけでもないのに彼女は待っていて、約束したわけでもないのに彼女を迎えに来た自分を、怜は不思議には思わなかった。