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プラトニクス  作者: coach
122/280

第122話:文化祭の企画

 後でまた会おう、という太一の言葉は、放課後までに怜の頭から綺麗さっぱりと消えていた。大事なことさえ忘れてしまうことがある。まして、どうでもいいことなど覚えていられるはずがない。そうして、仮に覚えていたとしても、怜はその言葉に従ってわざわざ太一に会いに行ったり、彼がまた来るのを待ったりする気はなかった。太一のトラブルメーカーぶりは、怜の身にしみていた。これまで数多くの迷惑をかけられてきており、

「太一と関わるとロクなことにならないから彼を避けよ」

 というのは学校生活を送る上での怜の貴重な教訓だった。

 不思議なことに、太一からかけられた迷惑に関してはよく覚えており、ふとした拍子に思い出すたび、口の中が苦くなった。こういうことこそ忘れられればいいのに、屈辱は石のように固くなって胸に残る、とは誰の言葉だったか、今でも思い出すたびカチンとくる思い出を、太一に関しては持っていた。

 放課後、教室を出て、視聴覚教室へと向かう。部活に出るのである。昨日はズル休みをしたわけなので、今日は出なければなるまいと怜は思った――ズルとは言っても、部活に出る日は明確に決められているわけではないのだが。

 廊下を歩いて行くと、仲夏の日差しは強くて、開いた窓から流れて来るのは生ぬるい微風ばかり、よっぽど家に帰って涼みたいところだったが、そういうわけにもいかず、怜は部室へと歩いた。

 視聴覚教室へ入ると、先に来ている女子がいて、

「おはよー」

 と気楽な声を上げた。部員の水野更紗(サラサ)である。

「もう午後だぞ」

 怜が指摘すると、

「そうだけど、だからって、こんにちはっていうのもおかしいでしょ?」

 もっともなようなそうでもないような答えが返された。

 怜はテーブルの一つに座った。更紗とはそう大して話す仲でもないので、そのまま沈黙が落ちることが予測されたところ、意に反して、彼女は話しかけて来た。

「あのさ、加藤くん」

 ん、と顔を向けると、少女の姿が近い。

「わたしのことどう思う?」

 突然の問いに、怜は首を傾げた。「どうって、何が?」

「いや、それを聞いているんだけどさ。わたしの印象的な」

 更紗は、軽く両手を広げるようにして、自分の姿をよく見ろと言わんばかりの姿勢を取った。

 怜は、考える時間を取った。

 どうも何も、正直なところを言えば、更紗のことはどうとも思っていない。ただの、部活動仲間である。それ以上でも、それ以下でもなかった。とはいえ、そんなことを正直に言うことが無礼であると分かるくらいには礼儀を持ち合わせている怜は、

「にぎやかでいいと思うけど」

 と思いやりを込めた言い方をした。

 それを聞いた更紗は、はあーっ、とため息を吐き出した。

 どうやら望んでいた答えには、ほど遠かったらしい。

「じゃあさ、女の子としてはどうかな? 魅力無い?」

 続けて飛ばされた質問は、何やら色っぽい。

 怜は、答えに窮した。

 更紗は、はっと気がついたような顔をして、

「誤解しないでよ、加藤くん。別に加藤くんのことが好きとか言ってるんじゃないからね。いや、別に、嫌いじゃないけどさ」

 そう言って、弁明にもなっていないようなことを付け足した。

「イエスともノーとも答えにくい問いだな」

 怜は正直なところを答えた。

 イエスと答えれば更紗に気があるのか、ということになるだろうし、ノーと答えればそれは彼女の女の子としての矜持を傷つけることになる。はっきりと言えば、更紗には人間的魅力を感じていない。悪い子では無いと思うが、それだけのことである。

 答えられない怜の前で、更紗はさらに、はあ、と重苦しいため息をついた。目前で、そうため息ばかりつかれては気が滅入るというものだが、とはいえ、女の子の悩みを解決するなどという離れ業などできようはずもない怜としては、それをただ黙って聞いているしかなかった。

「じゃあさ、加藤くんは、川名さんのどういうところが好きなの?」

 続けられた問いに怜はげんなりした。

 何でそんなことを言わなければいけないのか。

「てか、まあ、川名さんだったらどこもなにもないか。どこもかしこも好きだよね、絶対」

 怜が何とも答える前に、更紗は勝手にひとりで結論づけて納得するようにうんうんとうなずいた。

 怜は、早く誰か来てくれないものかと思った。

 しかし、その願いは届かず、開け放たれたドアから人の足音は聞こえない。

「男子ってさ、普通、どういう女子が好きなの?」

 更紗が訊く。

「男子なんていう名前の男子はいないし、女子なんていう名前の女子もいない」

 怜はすぐに答えた。

 更紗は首をひねった。どうやら通じなかったらしい。

 話をしている相手が環だったら、と怜は一瞬思ってしまって、そう思えるそのことが彼女が自分にとって特別であるというそのことなのだろう、とそう思った。

「一般論なんて意味が無いだろ。好きになるのはその人自身なんだから」

 うーん、と更紗は唸った。

「世界に一つだけの花ってやつ?」

 怜は面倒くさいのでうなずいておいたが、本当は、それとはまた別の話である。それに、人がこの世にただ一人であるという事実をもってその人を価値づけるなどというそういう考え方を、怜は嫌っていた。

 しかし、何を納得したのか、更紗は満足したようで、

「ありがとう、加藤くん。話してよかった、わたしがんばるよ!」

 と気勢を上げた。

 怜は、彼女が何をがんばるのか皆目見当がつかないものの、とりあえずうなずいておいた。

「加藤くんって、なんか話しやすいよね」

 更紗が笑顔で言う。

 それは褒め言葉であるのかもしれないが、話しやすい結果が唐突なお悩み相談ではたまらない。

 妙に晴れ晴れとした更紗のそばでげんなりしていると、廊下を歩く足音が聞こえてきて、栄えある文化研究部のメンバーが集まって来た。ちょっと前まで三人しかいなかったこのマイナー部は、今では総勢で九人になっている。

 その代表者である現部長、田辺杏子(アンコ)が、

「今日は一つ、決めたいことがあります!」

 断固とした声を出すと、開いた窓から涼しげな風が吹いた。

 彼女は、来たる文化祭において、この文化研究部で披露する出し物について決めたいのだ、と続けた。

 文化祭は夏休みを挟んで九月に催される。

 出し物については、怜は内心、面倒だなあと思っていたが、それはもう言っても詮無いので言わないことにしていた。

「めんどくさいから、やめませんか」

 つい内心を吐露してしまったのかとドキリとした怜だったが、そうではない、声の主は、坂木(アオイ)だった。二年生の女の子である。次期、部長と目されている彼女は、しかし、部の中で誰よりもやる気が無いのだった。

 部長の田辺杏子は眼鏡の中の瞳をキロリと動かして、蒼を見た。これまで大人しやかだった彼女は、部のメンバーが増えて責任感が増したからだろうか、この頃豹の毛が抜け変わるような変貌ぶりを見せており、翻弄されるだけだった蒼に対してもやけに強気である。

「これは既に決定したことよ、アオイちゃん」

 杏子は、静かだが強さを秘めた声を出した。

 蒼は、芝居がかって肩をすくめると、

「まあ、やるにしても、気張らないで、なんか牧歌的なものにしましょうよ」

 言った。

「牧歌的って、たとえば?」

「メイドカフェとか」

「メイドカフェのどこが牧歌的!?」

「このメンバーだったら、相当映えると思うけどなあ」

 そう言って、蒼は周囲の女子を見回した。

 杏子は、ばん、と教卓に手を打ちつけた。

「わたしがいるでしょ! そこんところを一番に考えてもらわないと! わたしがいる! そこ大事!」

「言ってて悲しくなりません?」

「アオイちゃんが言わせてるんでしょ!」

「先輩、眼鏡外せばいいんですよ。そうすれば、この中の誰よりも可愛いのに」

「目悪いからね。外したら、アオイちゃんの『してやったりグヘヘ顔』が見えなくなっちゃう」

「わたしはそんな顔しません。クールなので」

「自分でクールって言っちゃったよ!」

「メイドカフェがダメなら、なんかもうこれまでに作った新聞の掲示とかで済ませましょうよ。テキトーにその辺に貼り付けちゃえばいいじゃないですか、電柱とかに」

「なんでそんな二択になっちゃうの!? しかも、電柱って、校内じゃないじゃん!」

 二人のやり取りはいつものことなので、怜は聞き流しにしていた。他の部員も同様である。

「とにかく!」

 杏子は強引に結論づけた。

「何かステキな出しものをやるということ自体は、絶対に動きません。さあ、みんな、何をやるか意見を聞かせてください」

 しん、と静まり返った部室内で、発言する者はおらず、杏子はなおも、意見を求めたが、誰も答えを返さなかった。

「嘆かわしい!」

 杏子は、ふんふんふんと首を横に振った。

「誰も何も思いつかないなんて! 何ていうダメダメな人たちなんでしょうか。わたしは部長として、あなたがたをそんなふうに教育してきた覚えはありません!」

 教育といっても、メンバーのうち半分以上は、入ってまだ一、二カ月の新参である。何の教育も受けていないに違いないし、彼らよりも長い怜や蒼にしても特別なレクチャーを彼女から受けた覚えはなかったが、それに対して突っ込む者はいなかった。

「一人ずつ何でもいいから、発言していくように!」

 そう言って、杏子は無理矢理発言を促した。

「お化け屋敷」

「却下」

「ロミオとジュリエット」

「却下」

「女子も男装しての執事カフェ」

「却下」

「アンコ先輩を追いかけて眼鏡をはぎとろうゲーム」

「却下」

「……えーと」

「却下ぁ!」

 だん、と杏子は両手を加減して教卓にうちつけた。

「なってない! 全くなってない! あなたたちはこの出しものの目的が全然分かってない!」

 杏子は、怜を見た。

 怜はついっと視線を逸らしたが、無駄だった。

「はい、加藤くん!」

「ん?」

「この出しものの目的は何?」

「目的って……楽しむことじゃないのか?」

「楽しむ? 楽しむですって? 全く何ていう浅はかな考え方をしているの、加藤くんは。もう一回言います、アサハカ!」

 なんで二回言ったのか分からないが、そうまで言うなら、杏子の深遠な考えを聞かねばなるまいと怜は、思わなかった。聞かなくても済むなら聞かないでおきたい。しかし、

「この出しものによって学校のみんなに文化研究部に興味を持ってもらって、部員を増やすためでしょう! いい、来年になったら、この部は二人きりになっちゃうんだから!」

 杏子は自ら思いを吐露した。

 確かに、二年生の坂木蒼と、一年生の川名円を抜かすと、あとは全員三年生である。

「だから、出し物は、この部の実態を教え、しかも魅力的に教えるようなものでなくてはならないんです!」

 ことここに至って、皆は、どうやら部長には何かしらの企画があるらしいということに気がついた。そうして、そんなものがあるならさっさと自分のそれを言えばいいのに、とも思った。

 杏子は、ちょっと待ってなさい、とタイムアウトをかけると、廊下に出て行って、それから帰って来た時には、人を伴っていた。女の子である。

「こちらは、『ものがたり部』の部長、上村仁奈(ニナ)さんよ。みんな、あいさつ!」

 全くの運動部みたいなノリになった杏子に、しかし、みな素直に従った。

 挨拶を受けた少女は、

「ども、上村です」

 片手を軽く挙げた。

 肩先までの黒髪ストレート、すらりとした肢体に軽やかな風韻がある。

 ものがたり部、というのは、この学校の文化系部活動の一つだった。小説を書く生徒の集まりであり、そのためにはそもそも文芸部という部がれっきとしてあるのにも関わらず、今年になって新たに立てられた別部である。

「他でもない、この上村さんに、この部のことを物語にしてもらいます。それを文化祭で披露することにします」

 杏子が切り口上で言ったことを、即座に理解できた者は誰もいなかった。

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