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プラトニクス  作者: coach
121/281

第121話:謝罪の一日

 怜の「心の風邪」は一日で無事平癒(へいゆ)した。

 一晩寝れば気分が晴れるという、つまりはそういう程度のことなのだが、突発的に襲いかかってくるものだから性質(たち)が悪い。言わば、にわか雨のようなものである。その雨に濡れるのを自分だけにとどめようとした怜だったわけであるが、彼の配慮に気がつく人間は少なく、もしくは気がついてなお大したことなどないと、シンギングインザレインをする米国紳士のごとく、軽やかに雨中に舞う者までいるのだから、始末に負えなかった。

 とはいえ、雨を降らせたのはまぎれもなく自身なのだから、とりあえず濡れた相手には謝罪をしておくのが礼儀というものだろうと、怜は朝の光の中で考えた。

「今日、由希(ユキ)ちゃん来るから」

 朝食後、出がけに母が何げない調子で言った。

 由希というのは従妹の名である。

 怜は、玄関で靴を履いているところだった。靴を履いて学校指定の肩下げかばんを持ちながら、驚かない振りに努めた。こういう風に急に何かを言い出すということは、驚かせたいという意図があってのことだろう。それに乗ってやることは無い。

 怜は振り向くと、

「今日と明日、泊まってくの?」

 何気ない調子で訊いた。

「そうよ」

「了解」

 ちょっと当てが外れたような顔をしている母を残し、怜は家を出た。妹は一足先に家を出ている。

 従妹が来ることに関しては、あまり嬉しい気持ちが湧かない怜である。それは、従妹という字の中に「妹」という字が入っていることが原因だった。妹は既に一人いるのだ。一人でも面倒な所にもう一人現れれば、二人になって幸せは二倍、鬱陶(うっとう)しさは四倍になる。そうして、そもそも妹が一人いることにおける、幸せと鬱陶しさの比率は……これはあまり深く考えないのが礼にかなっているだろう。怜は礼儀を重んじる少年だった。

 空はまるで従妹の訪問を歓迎しているかのような晴天である。曇ればいいのに、と怜は思った。夏服の下にすぐにでも汗が沁みそうだった。

 萌えるような緑に目を潤わせながら歩いていくと、しばらくして、カノジョの家に着いた。

 洋風の瀟洒(しょうしゃ)な建物の前に門があって、さらにその前に、カノジョの制服姿があった。

 この暑いのに、わざわざ待っていてくれたようである。

 怜は、おはようと声をかけたあと、

「インターホンを押す甲斐性くらいなら持ち合わせてるつもりだけど」

 言ってやると、環もおはようと返したあとで、

「そういう労を取らせないくらいの気持ちを持ち合わせていますので」

 答えた。

 怜は家を出る前に考えたことを実行した。

 その場で頭を下げて、

「昨日はごめん」

 いう。

 少しして下げた頭を上げると、環が整った眉をしかめるようにしている。

 怜が彼女の言葉を待っていると、

「謝られることの方が嫌なことだって、分からないレイくんだとは思えないんだけれど」

 環は言った。怜は、

「オレを買いかぶってる」

 答えた。

「そんなことないと思います」

「もしもお前が嫌がることが分かっていてやっているのだとしたら、お前に常に気を遣い続けるわけにもいかないっていう、そういうことじゃないか」

「それ、喜んでいいのかな」

「その判断は任せるよ。あと……」

「あと?」

「好きな子をいじめたくなるのが男の子だそうだ」

「誰の情報?」

(アサヒ)ちゃんっていう可愛い女の子」

「カレシがカノジョ以外の他の女の子のこと可愛いっていうのありでしょうか?」

「じゃあ、それも謝ろう」

「それは謝ってください」

「ごめん」

 環は神妙な顔をすると、許しましょう、と厳かに言った。

 許しを得た罪人はさらに女王の隣を歩く光栄を拝した。

「かばんもお持ちしましょうか、陛下」

「それはいいので、代わりに今日の放課後、家までお供してください」

「いつもしていると思うけど」

「いつも?」

「ほぼいつも」

「ふーん」

「いや、ときどきかな」

「それが正解です」

「正解か。景品はあるのか?」

「カノジョを家までもっと頻繁に送っていく権利っていうのはいかがですか?」

「それは権利というより義務なんじゃないのか?」

「そうなのかな? あんまり法律には詳しくないので。でも、義務っていうのは確かしなければいけないことでしょう。それに対して権利っていうのはしたいことだよね?」

 そう言って、半月のような目をパチパチとさせてくる環に、怜はうなずきを返した。少なくともこの場では権利にしておいた方がいろいろな面倒を省くことができると思った怜は、カノジョを頻繁に送っていける権という基本的カレシ権の一つを行使することを宣言した。

「何よりです」

 環は満足げに微笑んだ。そのあと、

「レイくん、明日と明後日、お暇ですか?」

 訊いてくる。

「暇を持て余してるよ」

 答えながら、怜は、環の背に手を当てて、道の端に寄せた。

 自転車が二人のそばを通りすぎる。

 体を離したあと再び歩き出してから、怜が、

「何かあるのか? 土日に」

 話を戻すと、環は顔を俯かせている。

「どうした? 何か落ちてるのか?」

「……心を落としたかもしれません」

「心? じゃあ、その心から出るお前のおしゃべりも聞けなくなるかもしれないな」

 顔を上げた少女の頬にかすかに赤みが差しているのを怜は見た。

「具合でも悪いのか?」

「悪いって言ったら手を引いてくれますか?」

「引くのはいいけど、引いて家まで送り届けるからな」

「じゃあ、大丈夫です」

 怜は、環の手を取って立ち止まらせると、彼女の額に手を当てた。

 特別熱くは無いようであるが、よくは分からない。

 額から手を離した怜が、

「これから体温計を持ち歩くようにしよう」

 言うと、

「その必要はないよ」

 環はきっぱりと答えた。

「それじゃあ、どうやってお前の体温を測るんだよ」

「今と同じでいいです」

「正確じゃない」

「正確性ってそんなに大事かな」

「正確じゃないと、テストで点数が取れないだろ」

「カレシの採点をするのは、カノジョの役目じゃない?」

「なるほど。じゃあ、逆は?」

「受験生は試験官の点数をつけられない」

「公平じゃないな」

「知らなかったんですか?」

「いや、随分前から知ってた」

「じゃあ良かった」

「あんまり点数を上げる気はないから、期待するなよ」

「いいえ、期待します」

「……了解」

 二人は、学校の校門へと至る坂道まで来ていた。

 何で土日に暇かどうかを尋ねたのか、と怜は再三、話を戻した。

「何かわたしにお手伝いできることがあるかなって思って。全くの勘ですけれど」

 環はそう言って、慎ましやかに目を伏せた。

 怜にはピンと来ることがあって、

「ユキが来ること、知ってたのか?」

 訊くと、その通りだった。

 環は笑って、メールが来たから、と答えた。

「やり取りあるの?」

「毎日してますよ」

「ユキと合うのか?」

「回転が速いからついていくのが大変です」

「タマキなら大丈夫だ」

 怜は、従妹の面倒をカノジョに頼むことに決めた。

 それから、うーんと伸びをするようにすると、

「今日の空のように晴れ晴れとした気分だ」

 言った。

「それはユキちゃんにひどいんじゃないかな」

 校門をくぐり抜けながら環が言う。

 怜は、校門前に立っていた教師に挨拶をしてから、

「オレに同情してくれる可憐な女の子がいてくれたらと思ってるって言ったら、軽蔑するか?」

 同じく教師に挨拶した環に訊くと、

「別の意味で軽蔑します。もうそういう子が現にいるのにそれに気がつかない鈍感さに」

 なかなか挑戦的な言葉が返された。

大和撫子(やまとなでしこ)のセリフじゃないな」

「それはもう諦めてますけれど、今のはレイくんが悪いんじゃないかな」

 確かに軽率なことを言ったかもしれない、と怜は思った。そうして、言ってないかもしれないとも思ったが、とりあえず謝っておいた。

「訊かないんですか、レイくんと情を同じくする子のこと」

 環は続けて言って来たが、生徒用玄関に着いたことを以って、怜はその話は延期してもらうことにした。

「すぐに教室だからな」

「すぐ済みますけど」

「どうかな。環の話がすぐ済んでも、オレがそれに対して色々疑問に思った点を質問したくなるかもしれないからな」

 それを話しているうちに、三年五組に着いたので、そこで環と首尾よく別れることができた。

「権利行使を忘れないでくださいね」

 環の言葉に、怜は手を振って応えると、隣の我がクラスに足を踏み入れた。

 今日は謝罪デーである。

 教室に入ると、鈴音に謝っておいた。

「え、何のこと?」

 彼女はきょとんとした顔で、本心から分からないようである。

「分からないならいいんだけど」

 怜が言うと、

「わたし、加藤くんに対しては鈍感だから、大丈夫だよ」

 訳の分からない答えを返された。

 昼休みに賢にも謝っておくと、彼はホッとしたような顔をしてくれた。いいヤツである。その隣で、倉木日向が、何だかいつにもましてすごい目でにらんで来ているので、理由は全く分からないながらも、これは早々に退散したほうが良さそうだと思い、その通りにした。

 太一には謝らなくていいだろうと思っていたら、帰った教室で、彼が机についているのを見た。

「レイ、機嫌直ったか?」

 太一の白い歯がきらりと光る。

「直ったよ」

「そかそか、じゃあ良かった」

「悪かったな」

 怜はついでだと思って謝っておいた。

 悪い事じゃないだろうし、機嫌を伺いに来てくれたのかと思えば悪い気もしない。しかし、どうやら単なるご機嫌伺いでは無いらしい。

「レイ、聞いてくれよ」

 深刻な顔で太一が言い出したので、怜は、

「断る、帰れ」

 一言のもとに斬って捨てた。

「おい! 聞くだけは聞けよな! オレたち友達だろ」

「残念ながらな」

「泣くぞ」

「男が泣くのは人のいないところだって相場は決まってる」

「オレは相場通りの男じゃないんだ」

 どっち側に相場が崩れているのかは、怜は訊かなかった。遠慮したからではない。単にめんどくさかったのである。

「オレさ、好きな子がいるんだけど」

「告白したらいい」

「……レイ、なんかどうでもいい感じになってないか?」

「友人の恋路だ。そんなわけないだろう」

「そ、そうか。それで、好きな子がいるんだよ」

「で?」

「でも、オレその子に一回振られててさあ」

「じゃあ、二回振られても同じだな」

「おい、同じってなんだよ! 何が同じなんだよ!」

 キンコンカンコーン、と予鈴が教室に鳴り響く。

 あーあ、と話を続けられなくなった太一はため息をついた。

 怜はホッと安堵の息をついたけれど、

「後でまた会おうな」

 不吉な言葉を残して、太一は去っていった。

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