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プラトニクス  作者: coach
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第118話:秘められることない気持ち

 部屋に入って姉の言いつけを守ろうとした途端に、まるでこちらの機先を制するかのように志保(シホ)から電話が来た。宏人(ヒロト)は、室内に監視カメラが仕掛けられているのではないか、あるいは盗聴器が、と疑って、うろうろと周りに目を向けた。

「首尾は?」と志保。

 クラスメートを自分たちのグループに入れるための工作の成否を訊く少女の声。

 その言葉少なに用件だけを訊かんとするビジネスライクに、

「お前さ、なんか可愛いこと言えないの?」

 宏人が返すと、

「こんばんは、ヒロトくん。今日もステキな声だね……で、首尾は?」

 志保が答える。

 宏人はいまだ作戦行動中である旨を伝えた。姉の件については、プライバシーに関わることであるので、話さなかった。

「オレはあいつを入れるのは反対だね。好きになれそうにない」

 宏人は、はっきりと言った。

 志保はため息をついたようだった。というか、はっきりとついた。聞えよがしに。

「前も言ったけれど、仲良しこよしグループを作るわけじゃないんだから、気が合うかどうかとは関係ない」

 遠大なる計画の為の同志……というよりは、計画達成の為の道具を作ろうという、そういうことだろう。クラスメートとそのようなドライな付き合い方をすることに関しては今さら宏人に反対の気持ちはない。しかし、

「……あのさあ、仲良しこよしグループを作るだけでもいいんじゃないのか?」

 そう言わざるを得ない気持ちはやはりある。

 気が合う人だけを友達にして、けっしてクラスのメジャーグループに発展しなかったとしても、マイナーグループになってそれなりに楽しくやっていく。それで十分ではないか、と宏人は思うのである。

「オレって平和主義者だからさ」

「平和主義が聞いて呆れるわ。だったら、遊園地の件はどうなるの?」

「平和主義者の反撃だよ」

「なにソレ」

 志保は、少し言葉を止めると、

「もうやりたくない?」

 訊いて来た。

 その声には非難の色は無い。単に訊いてみたという風である。

「あなたがもうやりたくないって言うなら――」

 宏人は、続いた志保の声を遮るように、

「勝手にすれば、とか言うんだろ?」

 言ってやると、

「やめるわ」

 意外な言葉を聞いた。

「……え? やめる?」

「うん、やめる」

「…………」

 宏人は思わず、言葉を失った。

「倉木くんと一緒に始めたことだもの。倉木くんがやりたくないって言うならやめるよ」

 志保が続ける。

 宏人は、自分の単純な精神構造にうんざりするのは何度目だろうか、と思った。

 これが志保の作戦だとすれば、大したものである。

 宏人はよっぽど、「じゃあ、やめよう」と言いたかった。「計画」のおかげをもって、富永一哉(カズヤ)という新しい友人ができた。それだけで十分だろう。三人で固まっていればそれなりに楽しそうだ。何もクラスを支配しようなんて大それたことを考えることはないだろう。というより、この期に及んでも、「クラスを支配する」ということの具体的なイメージが宏人には描けない。

「お前自身はどうなんだよ?」

 宏人が訊く。

「わたしは続けたい。一度始めたことだから」

「分かった。続けよ」

 宏人は言った。

 ここでやめれば、宏人はよい、しかし、志保にとっては敗北なのである。それに思い至って、そうして彼女の敗北を認めたくない自分がいるのに気が付いて、宏人は、ため息をつきかけて、何とか思いとどまった。

「倉木くん……」

「ん?」

「倉木くんってさ……人がいいよね」

「いい人だと言えよ」

「いい人だね」

「なんだよ、いい人って。男子としては魅力ないとかそういうことか?」

「まとめるとめんどくさい人だね」

「どんなまとめ方!?」

 そよ風のような笑い声が聞こえて、宏人は、その風に心地よさを感じた自分を、なんだかなあ、と思った。

――だまされるなら、それでもいいか。

 なんてことを思ったりする。

「誠心で事に当たれ」

 というのは、尊敬する幼なじみのその心友の言葉である。

 誠意が通じるかどうか。そういうことを考えないことが、誠心で事に当たる、というそのことだろう、と宏人は思う。

 さて、翌日の昼のこと。

 宏人は、仲間に引き込まんとしているクラスメートの浅井信吾を、姉に指定された中庭まで連れて行った。

 朝、登校したときに、姉が直々に返事をするということを信吾に伝えると、彼は小躍りして喜んだ。それもそうだろう。直接返事をしてもらえるということは、申し込んだ告白につき、OKをもらえる公算が高いからだ。

 カノジョゲットの喜びに浮かれている信吾を、別に哀れにも思わない宏人は、自分は情が薄いのだろうかと考えた。その件につき、

「どう思う? カズヤ」

 友人に訊いてみると、

「情が薄いヤツだったら、オレは付き合ってねーよ。お前は十分に情に厚いよ」

 嬉しい答えを得た。

 宏人は、信吾とからんでいるところを志保が見ていることに気がついたが、やはり説明はしなかった。向こうから説明を求められるかと思ったけれど、予期に反して、志保は話しかけてこなかった。

「あー、ドキドキするなあ、おい!」

 夏の日が燦々(さんさん)と降り注ぐ中庭で、信吾がはしゃいでいる。

 それを横目で見る宏人は、たとえ信吾が「嫌だ」と言ってもこの告白の場には同席するつもりだったが、そんなことは言われなかった。むしろ、「いてくれよー、宏人」と頼んでくるくらいのものである。

 やがて、姉がやってきた。もしかしたら(ケン)と一緒なのではないかと思ったが、そんなことは無かった。一人である。姉は、我が弟がいることが分かると少し眉を(ひそ)めるようにしたが何も言わず、信吾に微笑みかけた。

「は、初めまして! 浅井信吾と申しますっ!」

 信吾は上ずった声を上げた。

 姉は、自分の姓名を告げて礼儀を返したのちに、告白の件について弟から聞きました、と柔らかな声を出した。

 中庭には他の生徒の姿もあるが、誰も互いのことは気にしていないようだった。中庭のような大っぴらな場所で告白の答えを返すことはいかがなものか、と宏人は思っていたのだけれど、案外に良い場所かもしれない。返って人気(ひとけ)のないところで返事をした方があることないこと噂になろうというものだ。

 姉は、自分には好きな人がいるので信吾の告白を受けることはできない、ということを静かだが断固とした口調で言った。

 信吾が呆気にとられたような顔をしているのが、宏人には見えた。それはそうだろう。てっきりOKしてくれるものだと思っていたその答えがNOなのだから。

「でも、好意は嬉しいよ。ありがとうね」

 姉は、微笑んだ。

 断るべきをきっちりと断りながらも、相手の感情に多少の配慮をする。それは完全に大人の所作で、宏人は姉を見直した。

 姉は信吾の言葉を待たずに、身を翻した。信吾に一言も許さなかったのは、それだけ彼女の想い人への気持ちの強さを表している。ますます姉を見直す気持ちになった宏人だったが、しかし、姉のことをあんまり評価するのは悔しいので、感心する気持ちをがんばって押しとどめた。

 姉が立ち去って、信吾が微動だにしない。

 ついてきた手前、放っておくわけにもいかない宏人が、「大丈夫か?」と声をかけると、信吾はふるふると肩を震わせた。今頃になって失恋のショックを感じたのだろう、とその肩でも抱いてやった方がいいのだろうか、気持ち悪いけど、と迷っていた宏人に、

「やっぱ、日向(ヒナタ)先輩、かっこいいな~」

 アホみたいに明るい声が聞こえてくる。

 ん、と思った宏人は、

「おれ、ますます好きになったよ」

 なにやら頬を紅潮させながら言う信吾を見た。

 どうやら元気なようである。

 あれだけきっぱりと振られたのに、それがため返ってやる気を出しているような顔をしている信吾を見て、めんどくさいヤツだなあ、と宏人は思った。

「ちょっと、おれ行ってくる!」と信吾。

「行くってどこに?」宏人が訊く。

「決まってるだろ。ヒナタ先輩に、『おれは諦めない』ってことを伝えに行くんだよ」

 つまらないことをするな、と宏人は言いたかった。しかし、それよりもむしろ、

「諦めろよ」

 とはっきりと言うことにした。

「諦める?」信吾は狐につままれたような顔をした。

「そうだよ」

「できるわけないだろ。おれの愛は本物なんだ!」

 大仰に両手を広げて自分の気持ちをアピールする信吾。

 その声の大きさに、なんだなんだ、と数人の生徒たちが視線を送る。

 本物の愛がそんなに芝居がかっていてたまるかと宏人は思ったが、それを口に出す前に、信吾は駆け出した。

――マジかよ……。

 宏人は、舌打ちしたい気持ちでその後を追った。あんまりくだらないことをしてもらうと、こっちの身が危ない。こちらの都合で姉を巻き込んでしまったのである。この件につき、何らかがきっかけになって姉が不愉快を覚えたとしたら、その怒りを甘受しなければいけない立場に宏人はいる。

 校舎内の廊下中央で立ち止まっていた信吾の背を見つけた宏人は、ホッとした。思いとどまってくれたのかと思ったのである。しかし、事実はそうではなく、単に最後の一歩を踏み出すタイミングを図っているに過ぎなかった。信吾から十歩くらい離れた窓際で、姉が誰かと話をしている。

――げっ!

 その誰かが、あろうことか、姉の想い人その人であるというところに、宏人は運命の厳しさを感じた。そう、運命は自分にだけ厳しい、と宏人は思った。しかし、そうすると、である。

――このバカ、あの二人の間に割って入る気じゃないだろうな!?

 ということになってその肩をつかまんとガッと伸ばした手はしかし、空しく宙をつかむのみ、一瞬行動が早かった信吾は、姉のところにまで、すたすたと歩いていくと、

「西村先輩!」

 追いかけた宏人が止める間もなく、姉の前に立つ少年に声をかけた。

――ん……?

 どうして賢の方に声をかけたんだろうかと不思議に思った宏人の懸念は、最悪の形で晴れたと言ってよい。 

「先輩、ちょっと訊きたいことがあるんですけど」

 知り合いではなかろうに名も名乗らずに切り口上で言った信吾は、賢の返事を待たず、

「倉木先輩とは付き合ってるんですか?」

 訊いた。

――何てこと訊いてるんだ、こいつは!

 宏人は、パニックに陥りかけた。

 付き合っているかどうかと言えば、二人は付き合ってはいない。賢と姉にカレシとカノジョという関係は無い。しかし、二人の間にはまた別の絆がある。その絆を、付き合っているか・いないか、という二分法で切ろうとすることは、二人の関係に対する冒瀆(ぼうとく)と言えた。

 ただし、宏人が慌てたのはそういうことではなくて、今の信吾の質問が明らかに姉の気分を害したことが分かるからであった。冒瀆うんぬんということより、単に、二人が付き合っていないという事実を白日の下にさらしたくない気持ちが姉にはあり、それを無遠慮に行おうとする信吾に対して、引いてはそんな人間を友人に持つ弟に対して、怒りを覚えたことは間違いない。それはどのくらい深い怒りだろうか。考えたくもない宏人は、賢が姉の気分を少しでも和らげるような答えを返してくれることを祈ったが、

「付き合ってないよ」

 無駄だった。

 賢は清々とした顔で答えた。それはまるで全く姉を女の子として考えていないように思えるほど、さっぱりとした調子である。

 宏人はちらりと賢の隣を見た。

 姉が静かに微笑んでいる。その微笑の下で何を考えているのであろう。

「じゃあ、先輩にとって、倉木先輩はどういう人なんですか?」

 信吾は質問を重ねた。

 宏人には、信吾の気持ちが透けて見えるような気がした。信吾は、賢の口から、姉のことは「ただの幼なじみだと思っている」に類することを言わせ、姉にショックを与えるつもりなのだ。そのショックにつけ込む形で自分という存在をアピールするつもりなのだろう。なりふり構っていられないほど姉のことが好きなのだ、と言えば聞こえは良いが、

――薄汚いヤツ!

 というのが宏人の直感だった。

「オレの命より大事な子だよ」

「へえ、そうですかー、だったらおれが…………え? 今、なんて言ったんですか?」

「命より大事な子だって言ったんだけど」

 賢の答えには力みが無い。まったく平然とした常と変わらない声である。

 信吾は二の句が継げなかった。まさかそんな答えが返ってくるとは思いもしなかったのだろう。宏人にしても同様である。姉のことを大事に思ってくれていることは知っていたが、

――え? 命?

 命より大事とは、それではほとんど愛の告白と言っても良い答えではなかろうか。

 姉に目を向けると、彼女も放心したような顔をしていた。

「えーと、訊きたいことってそれだけ?」

 しばらく間を置いたあとに、賢が逆に訊く。

 それを聞いた信吾は半歩踏み出すようにすると、

「じゃ、じゃあ、先輩は、倉木先輩の為ならこの校舎の屋上から飛び降りたりできるってことですか?」

 続けた。

 宏人は呆れた。既に勝敗は決したのである。もうつっこむ必要は無い。しかし、信吾としてはそう突っ込みでもしないと格好がつかないとでも思っているのかもしれない。無駄な負けず嫌いである。

 信吾のふざけた問いに対して、

「その必要があれば、そのときはな」

 賢は真面目だった。

 その横にいる姉の瞳にピンク色のハートが舞っているのが見える気がする宏人。

「ヒナタはオレにとってそれくらい大事な子だよ」

 とどめのように言った賢の声は、いささかも乱れない。心の底からそう思っていて、それに対する(てら)いというものを全く感じさせない声である。

 信吾は突然、はははは、と乾いた笑い声を上げると、

「それ本気ですか、西村先輩? 現実世界でそんなこと聞くなんて思ってもみませんでした。ウケる」

 軽薄なことを言った。

 それを聞いた賢は、その爽やかな瞳を少し細めるようにした。そうして、信吾との間合いを詰めて、一歩の距離にまで近寄ると、

「誰だ、お前?」

 唐突に言う。

「……え?」

「男が真剣に言ってることを笑うお前はどこのどいつだって訊いてるんだよ」

 そう告げた賢の声は凍えるほど冷たかった。

 宏人はまともに焦った。

 賢は滅多なことでは怒らない寛弘の人であるが、いったん怒るとその怒りは深く、怒りを感じた相手を決して許さない。

 信吾は賢の気勢にすくみ上がったようで、何も答えられずにいる。

 宏人は、姉に助けを求めるように、視線を送った。

 しかし、姉は、自分の想い人が自分のことをおそらくは自分が想像していたそれ以上に想ってくれているという事実に舞い上がっているようで、心ここにあらず、全くこちらのことを気にかけていないような顔をしていた。これからその想い人と一緒に作っていく未来のことでも想像しているのか、夢見るような目をしている。

――オレの出番か……。

 宏人は最悪の場面で舞台に上がらなければならないことを覚悟した。しかし、もともと自分が招いたことではある。だが、賢の怒気を受けるのは気が進まない。進まないどころか、尊敬している人から冷たい眼差しを受けるのかと思えば、それだけで身が震えるような気さえするが、とはいえ、やらなければならないだろう。

「何やってるんだ、こんなところで?」

 宏人が、信吾と賢の間に割って入らんとしたとき、賢の後ろから近づいて来た男子が、声をかけてきた。

「お、レイ」

――え……?

 その瞬間、賢から怒りの炎があっさりと消えるのを、宏人は見た。

 話しかけて来たのは、以前に紹介されたことのある、賢の友人である。

「ちょっと下級生と話してただけだよ」と賢。

「邪魔したな」

「いや、もう話は終わったから。川名のとこに行って来たのか?」

「どうしてタマキのところに行かなきゃいけない?」

「どうしてって、そういうもんじゃないのか?」

「そういうものかどうかよく分からない」

「川名に訊いてみたらいいんじゃないか?」

「気が向かないな」

「カレシってそれをやらなきゃいけないんだろ」

「ケンはオレの味方だと思ってたけどな」

「味方だよ。ただ、川名の敵にはなりたくない」

「気が合うな」

 賢の友人は通り過ぎざまに、宏人に軽く会釈をした。宏人は慌てて頭を下げた。

「聞きたいことは済んだよな。じゃあな、名無しくん」

 そう言うと、賢は、姉に「教室に帰るぞ」と言って、歩き出した。

 はい、と答えた姉は、宏人と目を合わせた。

 その目に、まるでさきほどの賢の怒りが乗り移ったかのような炎を見た宏人はゾッとした。ほぼ告白まがいの言葉を聞きながら邪魔が入ったせいで肩すかしを食う結果になったそのそもそもの原因が誰にあるのか、その責任を糾弾する目である。

 見ると、信吾がへなへなと廊下に座り込んでいる。よほど賢から受けた精神的ダメージが深かったのだろう。その横に座りこみたい気持ちでいっぱいの宏人の耳に、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴るのが聞こえてきた。

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