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プラトニクス  作者: coach
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第114話:アウトレットモールまでの一幕

 先に車に乗っているように言われた(レイ)は車の鍵を受け取ると、妹とカノジョを連れて玄関から外に出た。空にはところどころ雲が浮かんでいるものの、よく晴れていて行楽日和と言える。車は、父によって既にガレージから路上に出されている。入念に洗車されているようで、そのシルバーの車体は朝日を受けてピカピカ輝いていた。キーを使ってそのドアを開け、それから、中に入ろうとしたところで、怜は、

「お兄ちゃん!」

 背後から可愛らしい妹の怒鳴り声を聞いた。

 ステップに足をかけたところで怜が振り向くと、

「『レディファースト』って言葉、知らないの?」

 妹は腰に手を当てて不満げである。そのあと、

「どうせお兄ちゃんはわたしのことを女の子だとは思ってないんでしょ。『どこにレディがいるんだ?』なんていうつまんないセリフ、言いたいなら言ってもいいよ。でも、川名先輩はどうなるの? まさか、先輩まで女の子じゃないなんて言うつもりはないでしょうね」

 勝ち誇ったかのように批難を続ける妹を無視して、怜は車内に入ると周囲をざっと改めた。外と同様、中も綺麗になっていてチリひとつ落ちていない。まして危険物は見えない。怜は車から出ると、「どうぞ」と言って、二人のレディを車内へ誘った。妹は小首を傾げるようにしたが、怜には妹に自分の行動の意味を知って欲しいとは全く思っていない。ちなみに、カノジョに対してもそう思っているのだが、残念なことに(タマキ)の口元は少し綻んでいるようだった。

「川名先輩、一番後ろに乗りましょ。二人だけでお話できるから」

 気を取り直したように言う妹を怜は止めて、真ん中の列に乗るように言った。

「何でよ?」

「レディファーストが聞いて呆れるな。オレが後ろに乗るから、真ん中に乗れ」

 滅多に妹に対して強要しない兄が珍しく真剣な声を出すものだから、(ミヤコ)は鼻白んだ様子で言われたままにした。

「お兄さんは追突事故のことを心配してるのよ。最後尾よりは真ん中の列の方が安全でしょ」

 なおもぶつぶつ言う妹に対して、隣から環がそっと声をかけた。妹は納得したようにうなずくと、「たまにはお兄ちゃんも気が利くじゃん」とぞんざいな褒め言葉を投げてきた。繰り返すことになるが、怜は自分の行動の意義を妹に知ってほしいとはカケラも思っていない。怜は「いちいち説明しないように」という意を込めて、環に視線を送ったが、彼女は澄ました顔である。意図が通じなかったか、通じたけれど聞き入れる気は無いのか。明らかに後者であると怜は思った。

 すぐに父と母が現れて、それぞれ運転席と助手席が占められた。

「みんな、シートベルトを締めるようにな」

 それがスタートの合図である。ワゴンが走り出した。開け放された窓から、夏の風が吹いた。

「タマキ、寒くなったら膝に当てろ」

 怜は、妹と話している環の横顔に向かって声をかけると、タオルケットを差し出した。

 すかさず、都が言う。

「バカじゃないの、お兄ちゃん。今何月か分かってるの?」

「七月だろ。お前に教えてもらう必要はないよ」

「じゃあ、そんなのただ暑苦しくて邪魔になるだけだってこと、どうして分からないの? それとも今日これから雨でも降って寒くなるの?」

「雨が降ろうが、降るまいが関係ないよ」

 麗しい兄妹の言い合いを縫って、環はタオルケットを受け取った。「ありがとう、レイくん」

「ほら、母さんにも渡してくれ」

 そう言って、怜は折りたたまれたタオルケットを妹に差し出した。妹は不承不承、それを受け取ると助手席の母に手渡した。

「急に息子が気が利くようになったのはどうしてかしら?」

 と母がからかうように言うと、

「もちろん、タマキさんのおかげだろう」

 父は真面目に返し、開け放していた全ての窓を運転席のスイッチで閉めて、クーラーをつけ始めた。

 妹は自分の分のタオルケットを受け取りながら、「コレ、どうしたの?」と唐突に曖昧な質問をした。

「どうしたって、何が?」

「見ない柄だけど、ウチにあったヤツ?」

「いい加減にしろ、ミヤコ」

 昨日のうちに近所の衣料品店で買っておいたのだ。家にあるものの中に新しく下ろすものがあるかどうか分からないし、第一それを知りたければ母に言わなければならなくなる。そんなことをするくらいなら、大した値段ではない、小遣いを叩いて用意した方がマシだった。

「お兄ちゃんっていつからそんなマメな人になったの?」

「多分、お前が生まれてからだ」

「どういうこと?」

「妹の世話をしていれば、いやでもマメにならざるを得ない」

「わたしの世話ですって?」

 都は、バカも休み休み言え、と言わんばかりの口ぶりである。こういう妹だからこそ世話がかかるわけなのだが、それを言っても詮無きこと。怜は口をつぐんでおいた。

 環がクスクスと忍び笑いを漏らしていた。それから、

「お兄さんと仲いいんですね」

 と都に向かって言う。

「ええっ! そんな風に見えますか?」

「ハイ」と環はうなずいた。

「じゃあ、改めないと。人前ではあんまりしゃべらないようにします」

 これまで見たこともないほど真面目な横顔で都は言うと、怜に向かって、「お兄ちゃんもわたしに話しかけないでね」と言った。怜は重々しくうなずいた。願ったりかなったりである。というか、そもそも妹にこちらから話しかけることなどほとんど無いのだ。あちらから話しかけてくることがほとんどである。

 都が兄をうちやって環だけを相手にし始めると、怜はシートに背を預けた。

 目的のアウトレットモールまでは、一時間ほどの道のりである。国道を使って大路を行くこともできるが、父は毎回裏道を使っていた。国道は一本道なので運転するには簡単なのであるが、景色が良くない。その点、裏道は山の中を抜けるので、今の時期であれば緑も綺麗である。以前に一度環を車に乗せたことがある父は、彼女が車酔いしないということも分かっていたので、その点も心配していないのだろう。

 怜はあくびをかみ殺した。車内の温度は丁度良くて、今日誰かさんのおかげで早めに起こされたことも手伝って、車に揺られていると眠たくなってきた。これが二人きりのデート中であれば顰蹙(ひんしゅく)ものだろうが、今日はデートではない。しかも、カノジョの相手は妹がほぼ独占して、まったく兄に話を振る気もないようなので、怜は安心して瞼を閉じた。暗くなった視界に、遠くの方から二人の少女の会話が聞こえてくる。

 妹のどうでもいいような話。テレビのアイドルグループやドラマ、流行の歌、駅前にできた新しい店などの話を、環は時に質問を交えたり相槌を打ったりしながら聴いていた。人に気持ち良く話をさせるすべを心得ているのである。さすがにソツがない。

「――先輩の妹さんも可愛いですよねー」

「ありがとう。でも、この頃、あんまり話してくれないの。年の近い姉ってうっとうしいのかな」

「えーっ、勿体ない。わたしだったら、先輩みたいに綺麗で優しいお姉ちゃんがいたら、何でも相談するけどなあ……あーあ、先輩ほどじゃなくても、わたしもお姉ちゃんが欲しかったなあ。お母さん! 何でお兄ちゃんなんか産んだの?」

 妹はとんでもないことを言い出した。それに対する母の答えは、

「仕方ないでしょう。生まれてきたんだから」

 というこれまたとんでもない答えである。この娘にしてこの母あり、というところであろう。いくら慎み深い怜でも、そんなことを思わずにはいられない。

「仕方ないことないでしょ。がんばればどうにかなったんじゃないの?」と妹。

「なりません。こればかりは」

 こういうときに助けに入ってくれるのが父の役目ではなかろうか、と怜は思ったが、父は息子のフォローをしてはくれなかった。運転に夢中になっているのだろうか。それとも、女性同士の会話に入っていく間が分からないのだろうか。いずれにせよ、父が息子のバックアップをしてくれないのは、日頃のコミュニケーションの無さが災いしているのではないかと怜は思った。今度、父の背中でも流してやったほうがいいのかもしれない。そんなことを考えていたとき、

「わたしはレイくんが生まれてきてくれて良かったです」

 と、まるで分厚く暗い雲を割って射し込む光のような救われる声を出してくれたのは、もちろん、この場で唯一怜の味方である少女だった。

 車中は一瞬、しん、と静まりかえった。

「川名先輩」

「はい?」

「ホントーにお兄ちゃん『で』いいんですか?」

 「ミヤコ」と昼日中から艶のある話を始めようとしている娘に、母がたしなめるような声を出したが、妹は気にしなかった。実際のところ、妹が気にすることなどほとんどない。彼女が気にするのは自分の体重くらいのものである。

「お兄さん『が』いいんです」

 先の「生まれてきてくれてありがとう」発言といい、妹に対してだけならまだしも、近くに母と父がいるこの場で、よくもそういうことが口に出せるなあ、と怜は感じ入った。気恥ずかしい思いよりも感心の方が勝った。自分にはとてもできそうにない。それが環との人品の差なのだろうかと、怜は今後の一層の精進を胸に誓った。

「お兄ちゃんが先輩に好かれるなんて、エビでタイを釣るっていうのはこういうことを言うんですね」

 と都が微妙極まる諺を引用した。どこまでも失礼な子である。

「でも、お兄さんは学校でとても人気があるんですよ」

「えー? ホントですか?」

「はい。だから大変です」

「信じられない」

 不本意ながらそれは妹と同じ意見だった。ごくたまに意見が合うと思えば、自分に対する否定的評価なのだから、しょうもない。環はなおもカレシのアピールを続けてくれたが、それが彼女の誠心から来るのか、それとも遊び心から来るのか、怜はあえて考えないようにした。

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