第111話:告白にはタイミングが重要
今回は宏人の話です。
ある映画に、主人公の少年が古本屋で運命の本と出会うという一幕がある。少年はその本によって人生を変えることになるわけだが、このように、出会いというものは人に限った話ではない。カビ臭い匂いのする書店で何ということもなしにふと手にした一冊の本との出会いによって、新しい自分を発見するときもあるのだ。本とは何と偉大なものであろう。
宏人は、もしかしたら今からそんな出会いが自分にも訪れるかもしれないぞ、と思って自身を鼓舞していた。彼の前に書棚がある。前だけではない。両横にもある。後ろにもある。四方を書棚に囲まれて、しかも彼がいるのは六畳の部屋であってさして広い空間であるわけでもないので、非常な圧迫感を感じていた。室内を満たす昼下がりの光も、書棚のプレッシャーを軽減する役には立っていない。
宏人は一冊の本に向かって手を伸ばした。なぜその本を選んだのか。そんなことはどうでもいいことである。たまたま取りやすい位置にあった。それだけのことだ。しかし、そもそもどうしてその本は宏人の取りやすい位置にあったのか。これはなかなか面白い問題ではないか。哲学的な香りがする。なぜその本はその位置にあったか? 宏人は本をパラパラとめくった。宏人は哲学に興味はなかった。
何となく今イチな気がして、宏人は本を元の位置に戻した。そうして次の本を手に取った。本の中には色鮮やかな世界が広がっている。現代の女子高生がサムライソードを手に悪霊を斬りまくる、という内容の本で、バトルはもちろん、恋あり、友情あり、たまにコミカルであり、しかも世相について考えさせまでするという、もはや色々詰め込みすぎて何が何やら分からないごった煮状態が売りらしかった。また別の本を手に取れば、こちらは異世界が舞台である。異世界に迷い込んだ男子高校生が、心根が素直だということ以外に何の取り柄もないのに、ひょんなことからある国の王女の求婚を受けたり、他の女の子にも異常なほどモテまくるという百パーセント男の都合の為に作られた物語であって、これを書いた人間は絶対に昔モテなかった男か、あるいはモテない男の心理を隅々まで知り尽くしてそれを商売に応用している賢い大人の男に違いないと宏人は思ったわけだが、どうやら著者は女性のようであった。
戸の開く音がした。
「倉木。何か気に入った本、あったか?」
宏人は手にしていた本を書棚に戻した。そうして、どれもこれも面白すぎて中々選べない、と適当な事を答えた。
「ゆっくり選べよ。この部屋にあるものだったらどれを選んでもいいからさ」
そう言って、スナック菓子とジュースを載せた盆を無造作に床に置いた少年が、この部屋の主、浅井信吾である。宏人と同じくらいの中背、前髪をかなり短くして露わにした額が昼の光を受けてテカテカしている。宏人は勧められるままに、座って炭酸ジュースを飲んだ。
「それにしても、倉木がラノベに興味があるとは思わなかったなあ」
信吾は、スナック菓子をつまみながら言った。
「『ラノベ』って?」
「ライトノベルのことに決まってるだろ。お前が今読んでたようなやつ」
なるほど、「軽い小説」とは言い得て妙である。確かに、内容はともかくとしても、文章は非常に読みやすくて、普段小説などほとんど読まない宏人でもすいすいと読んでいくことができた。活字離れが叫ばれている昨今このような小説は中高生が活字に触れる一助となるかも。そんなインチキ評論家然としたことを口にした宏人に、信吾は首を傾げた。
「倉木って面白いな」
「そう?」
「ていうか、変」
――お前に言われたくない!
部屋の四方を重厚な造りの本棚で囲み、中身に彼の言うライトノベルと、それから漫画をぎっしりと詰め込んで、少し強い地震が起きたらいつでもそれらの本に埋もれて死ねそうな部屋に起居し無駄なスリルを楽しんでいる男から「変」などと言われるような筋合いはない。
宏人はもう一口ジュースを飲んだ。炭酸がしゅわしゅわ、喉を柔らかく刺した。
今日は土曜日である。学校は無い。折角の休日の昼日中に、居心地の悪い部屋の中、大して仲が良いわけでもない少年(知り合ってまだ三日)とジュースで乾杯しているのには、無論のこと訳がある。
浅井信吾は現在、宏人以下二名が進めている極秘プロジェクト、「二年二組支配計画」のターゲットである。なにゆえ彼が計画の標的となったのかというと、概要はこうだ。
「女子メジャーグループを切り崩すために、グループの中から主だった子を勧誘する。その勧誘材料として浅井クンが必要なの。情報によると、浅井クンのことを金城サンが好きらしい」
金城女史とは女子メジャーの副リーダー的立場にいる子である。
「浅井クンがこっちのグループに加わってくれれば、金城サンもこっちに入る。もし入ってくれなかったとしても、わたしたちのことあんまり邪険にできなくなるわ。それだけでも十分。男の子の方はどうか知らないけど、女同士の友情なんてもろいからね。ちょっとしたことですぐに壊れる。……え? 浅井クンの気持ち? そんなの知ったこっちゃないわ。別にいいじゃん。ただ、浅井クンのことを好きな子を、浅井クンに近づけてあげるだけなんだから。浅井クンからは感謝されるんじゃない」
以上は、プロジェクトリーダーである藤沢志保の言葉である。これを聞いたとき、宏人はよくもそんなことを考えられるものだと、半ば以上呆れた。いや、もしかしたら考える者はいるかもしれないが、それを実際の行動に移す者はほとんどいないに違いない。いないと思いたい。
リーダーの指示に従ってまず宏人がしたことが、浅井氏がはまっている漫画を読むことである。ただ読むだけではない。一コマ一コマ集中して熟読玩味する。そうして漫画の特長をつかんだあとは、キャラクターの一人について、熱く、暑苦しく語れるようにする。この作業に費やした時間が二日。漫画は現在十五巻まで出版されており、これを二日でしっかり読み込むのはなかなかキツイ作業だった。しかも大して面白くもないので尚更である。
「なんで漫画を読んで疲れないといけないんだ」
と宏人は思った。
二日分のプライベート時間を全てツマラン漫画に使って青春を惜しげなく浪費した宏人が次にしたことが、浅井氏との接触だった。キャラについて語れるようにしたのはこのときのためである。接触の仕方は簡単。浅井氏は文房具をその漫画のグッズで固めている筋金入りのファンであり、それにちょっと言及すれば良い。浅井氏の机のそばを通り過ぎざまに、
「あれ、その筆箱、『テンス・ゲート』じゃん。どこで売ってんの?」
などと言って、話しかければ良いだけである。「テンス・ゲート」とはその漫画のタイトル。宏人はそれほど社交的な方ではないが、ちょっと男子に一声かけるくらいは何ともない。それを聞いた浅井氏はキロリと試すような目をすると、宏人に、「テンス・ゲート」のことを知っているのか、訊いてきた。宏人は、ここぞとばかりに、この二日間で新たに手に入れた知識を吐き出した。
「知ってるかって? オレが一番好きなマンガだよ。全巻持ってる。オレのお気に入りキャラはドーニィだね。なんて言っても全女の子キャラの中で一番女の子っぽいからさあ。健気で一途でちっちゃくて、しかも能力に制限がついてるってとこが萌えるね。制限が無かったら最強でしょ。五巻のさ、カイルのために自分の命を捨てようとするところがホント泣けるね。いや、実際、泣いたよオレ。もう号泣ですよ」
浅井氏の細い目がじろじろと向けられるのを感じながら、宏人は少しわざとらしかったかと反省した。まるで一夜漬けで覚え込んだことを、忘れないうちにすばやく試験用紙に書いてしまおうとする、定期試験開始直後のような格好になってしまったのは、事実、宏人の中に、まだまだ「テンス・ゲート」に関する教養が定着していないからである。
浅井氏は生真面目な顔をしている。ちょっと怒っているようにさえ見える顔である。宏人は、己のエセファンぶりを感じて癇に障ったのだろうかと戦々恐々としていたが、しばらくすると、急に浅井氏は顔を崩して、にへらっと笑った。「浅井信吾、グループ勧誘作戦」の第一関門を突破した瞬間だった。
その後、浅井氏の家に招かれる運びとなるまでとんとん拍子に話は進んだ。浅井氏は、クラスの中で漫画の話をする友を探していたところであり、宏人はうってつけの存在だったそうだ。浅井氏は宏人のことを真に語るに足る心の友と認め、是非二人きりでゆっくりと話がしたいと申し出て、宏人を大いに気持ち悪がらせた。同時に、宏人は志保の眼力の確かさに感心した。志保の言う通りにやることで、浅井氏と仲良くなることができた。今度から仲良くなりたい女の子がいたら志保に相談しようと、宏人は心に決めた。そうしてただ今に至るのであった。
「漫画もそうだけど、クラスの中にラノベに興味のあるヤツもいないからさあ。いや、良かったよ。倉木がいてくれて」
信吾は満面の笑みである。
宏人としては、ラノベに興味があるなどということは一言たりとも言った覚えはないのだが、いつの間にかそのような名誉なレッテルを貼り付けられていた。会話の中で誤解させたのかもしれない。とはいえ、ともかくもあちらは上機嫌であるので、話を合わせておくが吉である。
――さてと、どうすっかな。
志保の指示は信吾と仲良くしろというところまでしか出ていない。いつグループに誘うかということは宏人に一任されている。折角の邪魔が入らない状況なので、これを機に思い切って言ってしまった方がいいか。それとも、今日は大人しくしておいて、もう少し時間を取ったほうがいいか。宏人は、意中の女の子に告白するタイミングを計るならまだしも、何で男相手にこんなことを考えなければいけないんだ、と軽くげんなりした。そうして、宏人がテンションを下げていると、
「そうだ、倉木に見せたいものがあるんだよ」
と言って、信吾は座を立った。
彼が向かった先に机の引き出しがある。
次回に続きます。やっと更新できました。




