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プラトニクス  作者: coach
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第11話:今どきの姫は自ら剣を持つ

 環が代わる代わる試着している間、彼女のファッションショーのただ一人の観客である怜はいたたまれない思いだった。店内には、もちろんカップルもいたのだが、店は量販店ではない、さすがに中学生はいなかった。居心地の悪そうな怜に対して、行きつけの店なのか、環の方は若い女の店員と親しげに話し、新作や一押しのものを持ってきてもらっていた。

「これにしようかな」

 制限時間ギリギリまで使って、最終的に彼女が選び出したのは、爽やかなサックスブルーのワンピースだった。清潔感と共に、ウエストのサテンリボンやスカートのプリーツが女の子らしさを強調していた。怜は頭がくらくらした。それは、店に来て彼女が一番初めに試着したものだったのだ。

「どう思う、怜くん?」

 もちろん怜はこれでもかというくらい褒めておいた。半ば自棄(やけ)である。カレシの不自然な態度に環はその整った眉を上げ、

「やっぱり別なやつの方がいいかな」

 とひとり言のように言った。うろたえる様子を見せた怜を見て、いたずらっぽく笑う環。店員に、服を包んでもらうように言ったあと、店を出る二人。

 環の母を呼びに行くオープンカフェまでの途上で隣の少女の顔が弛んでいるのを、怜は見咎めた。

「何が可笑しいんだよ?」

 訊かずとも理由は分かるような気がしたが、一応訊いてみると、

「ごめんなさい。でも、おろおろしてる怜くんって、新鮮だったから」

 とやはり予想通りの答え。楽しげな少女に、

「環にはないんだろうな、そんなこと」

 と訊いてみると、

「あら、もちろんわたしにもあるわ、おろおろすることくらい」

 と心外な振りで答えた。

 どうだか、疑わしい。まだ付き合いが短いせいか――ちなみに、三ヶ月強が中学生カップルにとって長い付き合いか短い付き合いか、怜にはよく分からない――彼女が驚いたところや戸惑ったところを今まで見たことがなかった。なすべきことが常に分かっているような、そんな印象がある。

「明日は緊張すると思うから助けてくださいね、我が騎士よ」

 環が言う。怜の家に来るのは、昨晩の電話の時に明後日、すなわち今日から考えると明日ということになっていた。

「そんなことにはならないと思いますけど、一応剣を磨き準備をしておきますよ、姫」

 軽口をたたきあっているうちに、環の母のいる洒落たカフェについた。

 対加藤家攻略のための武装を手に入れたあと、一行は車で環の家に戻った。家では豪勢な昼食が待っていた。環の二人の妹が怜をもてなすために用意してくれていたのだった。二人の少女の態度は好対照をなしていた。下の妹の旭の方は、さっさと怜の横に陣取って、食べるのも忘れ――そして客に食べさせるのも忘れ――小学一年生の日々がどんなに過酷なものかおしゃべりを続けた。母親に再三たしなめられてもどこ吹く風で話し続ける。よほど怜といるのが楽しいらしい。対して、もう一人の妹である円の方はほとんど口を開かなかった。怜から話しかけても、礼儀を通すためだけに言葉を返しているようで、あまり話したがらない。思春期特有の照れであると思いたいが、どの時期であれ自分が女の子から照れられる人間かどうかくらいは分かっているつもりである。仕方ないところである。誰からも好かれることなど、少なくとも怜には、無理な話だった。

 ただし、嫌われても構わないなどという態度はいかにも幼い。嫌われていたとしても、好かれる努力をするのが大人というものである。もちろん、そういう努力をするのに値しない人間もいるが、カノジョの妹であればそれに値するかどうかなど考えるまでもない。食事が終わったあと、旭がちょっと席を外した隙を、怜は見計らった。

「拭く方と洗う方、どっちがいい?」

 後片付けをしているところに、突然闖入してきた招かれざる客に、円は無表情を崩し、驚いた声を上げた。

「お客様にそんなことさせられません」

 怜はさっさとそでをまくると、

「割と得意なんだ。ウチでいつもやらされてるから」

 と自分より少し背の低い少女の横に立つ。その時点で劣勢に立ったことを認めたのか、円は不承不承といった調子で、怜に皿を拭くように指示した。

 ここからが本番である。怜は、円が洗った皿を受け取って、布巾で拭きながら、

「円ちゃん。料理得意だね。美味しかった」

 と明るい声でいった。円は食器を洗うのに集中している様子を見せ、

「あのくらい普通です」

 とそっけない答えを返した。沈黙を作ったらそこで終わりである。怜は何とか話を続けた。

「そのセリフ、ウチの妹に言ってくれないかな?」

「……妹さん?」

「そう。一人いるんだけど、これがヒドいやつで。家のことなんか何もできない上に、がさつだし、嫌なことは全部兄に押し付けるしでさ。もしかして、円ちゃんがオレの役だったりする? 家のこと、お姉さんに押し付けられてたりして」

「好きでやってるだけです。無理にじゃありません」

「今度、オレにも教えてくれないかな。料理って全然できなくて」

「姉に聞いたらどうですか?」

「お姉さんって料理できるの?」

「……わたしができることは姉は何でもできます」

 その声の冷ややかさに、怜には円の環に向ける感情の所在が少しだけ分かった気がした。無論、そういう感情だけではないだろうが。ふとそんなことを思っているうちに、怜と円の間に沈黙の帳が降りかけていた。危ないところである。怜は口を開いた。

「ところで、円ちゃん、中学校には慣れた?」

「もう一ヶ月になりますから」

「友だちとかは?」

「まだ一ヶ月ですから」

「部活は? 何に入るか決めた?」

「まだです」

「小学校のときは何やってたの?」

「特には何も」

「好きなこととかは?」

「読書です」

 怜にしてはがんばった方だったが、結構な量の皿を拭き終わってもなお、円の心の扉を数ミリでも開くことはできなかった。まあ、いいだろう。結果よりも過程が重要だ。結果重視は、学校の成績だけにしてもらいたいものだ。

「おつとめ、ご苦労様でございます」

 やることがなくなって話す種も尽きた怜がリビングに移動すると、環が訳知り顔に微笑を添えて迎えてくれた。

 そのあとは、主に旭の相手をさせられて午後が過ぎた。家を辞すとき、まあまあ大過なくできたことに怜は満足した。次は、環の番だが、これは心配には及ばないだろう。姫を守るために剣を研ぐ必要は感じなかった。

 明くる日。環の訪問は加藤家にとってはセンセーショナルなものとなった。昨日買ったワンピースをまとい大人しやかな所作をする彼女は確かに美しかった。

「怜さんと親しくお付き合いさせていただいています。川名環と申します。初めまして」

 と言って、玄関先で頭を下げる可憐な彼女に、休暇中の父と母の方がうろたえたくらいである。普段、親が動揺するところなど見ることもないので、これは中々面白い見世物である。

 あいさつを済ませたあと、車でドライブということになった。父が間が持たないことを心配したのだろう。年の功である。ワゴンタイプの車に、運転席に父、助手席に母、真ん中の列に環と彼女を崇拝する都、最後尾に怜が一人で座ることになった。

 車中は和やかな空気だった。普段、無口な父が饒舌になっている。環は聞き上手だった。相手の話にうまくあいづちを打ち、関心と感心を示す。あまり家族に話を聞いてもらえない寂しさを一時環が埋めてくれるだろうと、怜は父のために喜んでおいた。

 車は新緑の丘を進んでいく。

 車中に朗らかな笑い声が響く穏やかな時間。そんな時こそが、加藤家のトラブルメーカーが本領を発揮する時だった。

「環先輩、一つ訊いてもいいですか?」

 環が都のほうを向いた。 

「なに、都ちゃん?」

「先輩はどうしてウチのお兄ちゃんなんかと付き合ってるんですか?」

 その瞬間、車中は凍りついた。

「ミヤコ、何てこと訊くの」

 母がたしなめるが、

「お母さんだって気になるでしょ。こんな綺麗な人がどうしてお兄ちゃんとってさ」

 都は気にしない。母が反論しないのをいいことに、

「お兄ちゃんのどこが良かったんですか、先輩?」

 と妹は言葉を継いだ。兄は心中で舌打ちした。終始和やかな雰囲気でいくなどと甘い見通しを立てていた自分に腹が立つ。環については何も心配なことなどなかったが、都がいたのだ。こちらを牽制しておくべきだった。

 環の目がちらりと後ろを向いて怜と目が合った。まさか、と思ったが、昨日磨き切らなかった剣で妹と戦わなければいけないのだろうか。環は目をしばたたかせた。助けは要らないらしいことはすぐに分かった。

「優しいから」

 環の声が車内に響き、続く言葉を待つ都に、

「とても優しい人だから、好きになりました」

 そう言って、環は恥ずかしそうに目を伏せた。都は納得の行かない顔をした。

「優しい? お兄ちゃんが? 先輩、それ騙されてますよ。お兄ちゃんは全然優しくないですって」

「妹っていうのはありがたいもんだな。必死に兄のフォローをしてくれるんだから」

 怜は一太刀浴びせてやろうとしたが、

「お兄ちゃんは黙ってて」

 と軽く切り返された。

「お兄さんはとても優しい人よ、都ちゃん」

 環が、微笑ましい兄妹の間に、割って入った。

「そうですか?」

 うさんくさそうな都に、

「今まで都ちゃんが困ったことがあったときに、お兄さんが助けてくれないことがあった?」

 環が続ける。都は視線を宙に浮かせ、思い出すような顔をした。

「うーん、あんまり助けを求めたことないけど……確かに、そう言われれば……」

「今までも助けてくれたと思うし、都ちゃんが困ってるときは、お兄さんはこれからも必ず助けてくれるわ」

 環の確信ありげな声は、妹に対して説得力を持っているようだった。都が新たな目でこちらを見ているのを感じながら怜は環に感謝した。義理堅いことである。都の問いに答えるとともに、いつかの約束を果たしてくれたというわけだ。

 そう言えば、と怜は思った。環が自分に告白した理由は聞いたことがなかった。はからずも妹のおかげでそこに思い至ることができた。感謝する気はないが。確かに妹の言うとおりである。なぜ彼女が自分と付き合っているのか。まさか今しがた彼女が言った言葉通りを信じるほど、怜は人は()くない。では、どういう理由なのだろうか。しかし、その問いは怜の中ですぐに霧散した。それは環の側の話で怜の側の話ではない。彼女が何を考えて付き合っているのかは分からないが、教えてもらいたいとも思わない。環が話したければ話すだろう。

 その後は何ごともなく、車は木漏れ日差す木々の間を抜け、軽快に走っていった。

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