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プラトニクス  作者: coach
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第108話:昔の話をするとき人は年をとる

 時には昔の話をしましょう。

 むかしむかしあるところに、それはそれは可愛らしい……いえ、そんなに可愛くもない、可もなく不可もないくらいの女の子がいました。女の子は普通の家庭に生まれ、普通に優しい父と普通に厳しい母に育てられ、幼年期をそれなりに問題はあったものの深刻な事態に見舞われることなく普通に過ごしました。そうして、普通に成長し中学生になりました。

 中学生になった彼女の頭に一つの疑念が生まれました。

――わたしは一生こんな風に普通な感じで生きていくのだろうか。

 来し方を振りかえった彼女は、行く末に同じものを予感してぞっとしました。このまま普通に生きて、普通に友だちを作り、普通に恋をして、普通に結婚する。普通に子どもを産み、その子にも普通の人生を生きさせる。どこまでも続く普通の無限連鎖! 入学式の校門前、春の温かな光の下で、彼女は身震いしました。

――変わらなければ! 

 普通の人生に見切りをつけるべく、彼女は中学デビューを決意しました。中学デビューと言っても、髪を金髪に染め上げるわけでもなければ、中学を仕切る女番長的な人にタイマンを売りつけにいくわけでもなく、さりとて生徒会長に立候補したわけでもありません。彼女の普通の頭では、そんな突飛な発想は浮かびませんでした。

――部活動をがんばろう!

 部活でヒーロー、いやもといヒロインとなり、部活メンバーからは信頼され、クラスメイトからは称賛を受け、あわよくば男の子のハートもがっちりキャッチ。そんな人気者になろう、と彼女は決意しました。何とも普通の発想ですが、しかし、その発想をすみやかに行動に移したことは評価に値するでしょう。

 彼女はがんばりました。一生懸命にやりました。中学校生活を豊かにするべく、自分の運命を変えるべく、努めたのです。しかし、嗚呼(ああ)、何という悲運、何という悲劇。時は彼女に味方せず、普通を脱却すべく身を削るようにした彼女に対して、信頼も称賛も男子からのラブアピールも何一つ降り注がず、空しく二年が経ちました。

 三年生になったとき、彼女は思いました。考えたくはなかったことだったのですが、どうやらそういう風に考えざるを得ないのです。なぜ清らかな乙女の努力が実を結ばないのか。もしかしたら、努力するところを間違っているのではないか。土の無いところに種をまいても芽は出ない。実など結ぶはずもない。自分は壮大に無駄な努力をしてきたのではなかろうか。

 彼女がそう考えたのも無理からぬところです。というのも、彼女の所属する部活、いつの間にか部長を務めるようになったその部活は、部長含めて部員三人の超マイナー部だったからです。しかも、活動内容はいまいちはっきりしないし、二人の部員はやる気ゼロ。そんなところでいくらがんばっても、いやがんばればがんばるほど、「あんなつまらない部活動に気炎を上げている変な子」というレッテルが貼られるようになってしまったのです。

 しかし、彼女は諦めませんでした。

「これは、絶望的な状況に屈せず、校内一のマイナー部をメジャー部に昇格させ、そうしてついには伝説の部長とまで言われるようになった一人の少女の物語である!」

 にやにやが止まらない。ニヤケ面は女の子としてどうだろうか、という注意の視線を周囲から受けながらも、杏子(アンコ)はあえてやめようとは思わなかった。嬉しい時にはほほえみ、チョー嬉しい時にはニヤつくのが、人としての正しい在り方である。別に気になる男子がいるわけでないので、誰に遠慮する必要もない。

「ノリノリだね、アンコ」

 隣を歩くのは、平井七海(ナナミ)。小学校来の友人である。二人は今、部活動を終えて、通学路を逆に辿っている。学校から家に帰っているところだった。一年でもっとも日が長い時期であるので、まだまだ周囲は明るい。明るいというか、美しい。世界は光に満ちている。輝いているのだ。

「まるでわたしを祝福してくれているみたい……て、そんなこと言ったら笑う?」

 ほっそりとした首を横に振る友人。

 杏子は自分の幸運を噛みしめた。オー、マイフレンド!

「あのくらいの人数になると、部活って感じになるね」

 七海の言葉に、杏子はうんうんと満足げにうなずいた。

 杏子がリーダーを務める部、文化研究部の部員は部長を含めて九人となり、以前とは比べ物にならないほどの活況を呈していた。以前は、まるで「沈黙は金」という語を部員のそれぞれが座右の銘にしているかのように、みな何もしゃべらなかった。死のような静けさで部室は満ちていた。しかも部員がやっていることといったら、部活動などではなく、本や雑誌を読んだり宿題をしたりといったレジャー活動だったのである。ところが、今や、みな競って発言するし、その発言は部活動の内容に関係のあることなのだ。

 部員が侃侃諤諤(かんかんがくがく)やっている様を見るのは格別だった。部員が議論をしているのを悠揚に見おろす所作、それはいかにも部長っぽかった。杏子は実に二年のときから部長をやっていたわけだが、三年の夏になってようやく部長の醍醐味を味わうことができるようになった。部長、サイコー。

「よかったね、アンコ。『天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず』っていうけど本当だね。神さまは見てくれてるのよ」

「……あのさ、ナナミ。言いたいことは分かるんだけど。その諺は悪事は必ず露見するっていう意味だよ」

「細かいことは気にしない」

 杏子は咳払いをして、何気ない口調で切り出した。

「それで、ナナミ。決心した?」

 七海は首を傾げた。

「何のこと?」

「またまた」

「いや、ホントに。なに?」

「ナナミらしくないなあ。入るんでしょ、文化研究部に?」

「全然そんな気ない」 

「やっぱりね、もちろん歓迎するからね……って、ん? 今、何て?」

「いや、入る気ないよ。やっとこの前、部活動終わって落ち着いたばかりなのに、何でまた新しく入んなきゃいけないの?」

「えっ? じゃあ、何で今日、部に来たの?」

 今日の部活動時間に、七海がふらりと部室にやって来て、部活動に参加したのである。杏子に会いに来たというわけでもなく、冷やかしという風情でもなく、真面目に議題――文化祭の出し物をどうするか――の討議に加わっていたりしたので、その様子を見ていた杏子はてっきり七海のことを入部希望だと考えていたのだった。

 七海は、たまには杏子と帰りたかったから、とだけ言うと口を閉ざした。杏子はしばらく七海の横顔を見つめていた。横からでも白い頬があらわに見えるほどのショートカットだが、愛くるしい目元と艶のある口元で十分に女の子としての魅力がある。

「ナナミ、髪伸ばしてみたら?」

 杏子は誠心からアドバイスした。杏子には友人の美を羨む気持ちはあっても、妬む気持ちは無い。七海の髪が長くなればよりガーリーな魅力が増してこれまで以上に人目を引くことだろう。

 七海は考える振りをした。

「アンコが、眼鏡からコンタクトにして、そのお団子やめるならやってもいいよ」

「まあた、そういうこと言う。不公平でしょ。ナナミは髪伸ばしたら可愛くなるけど、わたしはコンタクトにしたりお団子やめたら今よりブスくなるじゃん」

 つと立ち止まった七海に、どうしたの、と訊く暇も無く、杏子は自分の顔に七海の手が伸びてきて、一瞬後、目のあたりがすっとした。眼鏡を外されたのだ。

「ちょっと、ナナミ」

 ぼんやりとした視界の中央から、少女の笑い声が聞こえた。やみくもに差しだした手になめらかな手が触れて、ついで金属の固さを感じた。杏子が眼鏡をかけると、クリアになった視界に七海の微笑が見えた。

「アンコの素顔を初めて見る幸運な男子は誰だろうね」

「不運の間違いでしょ」

「友だちを信じないの?」

「ただの友だちなら信じる。でも親友はしばしばウソをつく」

 現に今も彼女はウソをついているのである。それを責めようとは思わない。ウソをつくには、それなりの理由があって、その理由を尊重したいくらいには七海のことが好きである。またウソも付き合えない関係などいかにも窮屈である。

 歩き出す七海の隣に杏子は並んだ。

 とはいえ、黙ってウソを見過ごしてあげるほど成熟した関係ではないし、そんな成熟は嫌だと杏子は思っていた。なので、黙って考えた。別れ道までの間、五分ほどずっと考えていた。部に興味が無く、杏子に会いに来たわけでもないとしたら、何をしに来たのか。杏子以外の誰かに会いに来たのだろうか。でも、誰に? 部員一人一人の顔を思い出してみたところ、有力候補が上がるのに時間はかからなかった。

「塩崎くんを見に来たのね」

 杏子の断定口調に七海は答えなかった。

 しかし、答えないというそのことが雄弁に真実を物語っていた。

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