第102話:『イーストボウル』の攻防
前回からの続きになります。
輝vs怜。
お楽しみください。
待ち合わせ場所に指定したボーリング場。その駐車場入り口で輝を見たのは校門を出てから十分ほどしたころのことである。天高くそびえるポールにつけられた「イーストボウル」という看板の下、輝は柔和な笑みを湛えていた。
「告白するにしてはあんまり色気の無い場所だけど、ここでいいのか、レイ?」
表情から窺える通り機嫌は良さそうである。怜は駐車場入り口から少し離れたところに誘いつつ、自分には既に運命の人がいる旨、輝に伝えた。
「ああ、川名さんだろ。可愛いけどなんか独特の雰囲気がある子だよな」
「逆だろ」
「ん?」
「独特の雰囲気があるけど可愛いんだよ」
輝はちょっと驚いた顔をした。
「レイってそういうヤツだったのか。新しい発見だなあ」
「オレがそう言ってたってこと、タマキに会ったらそれとなく言っておいてくれ」
「え、オレが?」
「点数を稼ぎたい」
「何だ、そういうことか」
「それ以外にあるか?」
歩道を少しあるいたところで怜は立ち止まった。天下の往来であるが、そう時間をかけるつもりではない。歩道の幅も広いし大した通行の邪魔にはならないだろう。おもむろに怜が本題に入ると、にこやかに微笑んでいた少年の顔はみるみるうちに能面に変わっていった。
「呆れたな……」
怜が用件を伝え終わると随分長い間沈黙があって、やがてぽつりと聞こえてきた言葉がそれだった。
「もう少しマシな人だと思ってたよ」
輝のまっすぐな瞳に軽蔑の色が濃く漂っていた。怜は、少しでもマシな人間になれるように日々努力はしているのだが、それがなかなか実らないのだ、と答えた。
「十年計画だな」
輝は顔を横に振った。繊細な黒髪がさらさらと揺れる。
「違う」
「十年じゃ足りないって?」
「いや、そうじゃない。レイのことを言ったんじゃなくて、オレが言ったのはサラサちゃんのことだよ」
怜は先手を打つことにした。確かに、自分で行動する前から第三者に仲裁を頼むのはまっとうな行為とは言えないかもしれない。しかし、それも理由による。更紗が自分で輝に会いに行かなかったのは臆病だったからではなく、単に可能性の問題である。自分で会いに行くよりも第三者を介した方が成功する見込みが高いと踏んだだけの話。
「つまりはそれだけお前との仲を大切なものだと考えてるってことだよ」
怜の熱弁は聞き手を感動させたりはしなかった。千の涙の代わりに得たものは、一つのため息のみである。気持ちを落ち着かせる時間を取るかのように俯く輝を見て、怜はどうやら旗色が悪いということに気がついた。短い付き合いではあるが、怜なりに輝の人となりを見たところ、彼の一番の特徴は、
「嫌いなんだよ。こそこそする人ってさ」
潔癖であるということだった。
「言いたいことがあるなら自分で来ればいい。仲を大切にしてるって? 仲ってどんな仲だよ? 必死になって繕わなければいけない仲なんかいっそ破れた方がいいよ。くだらない」
困ったことに、これには怜も全く同意であった。気を遣わないと維持できない関係など、およそ友人関係とは言えない。もちろん、親しき中にも礼儀があり、友人関係にも最低限のわきまえは必要であるが、それ以上に注意を払う必要があるとしたら、それは友人ではなく、単なる隣人である。たまたま社会生活上近しい位置にいたという人であって、円滑な社会生活を送るためにある程度の社交性が必要とされるに過ぎない。
「隣人としての敬意は払ってるつもりだよ。それ以上のことをしてくれって言われても困る」
輝ははっきりと言った。言外にあるメッセージに怜は気がつかない振りをした。怜には関係の無い話である。
それはそれ。理は彼にある。理で押せないのならば、情で引くほかないのだが、情に訴えるのは怜の得意とするところではなかった。とはいえ、手が残されていないなら苦手でもやるほかない。そもそもなぜ自分がこんな目に遭っているのか。怜は極力考えないようにした。とかく世は渡りづらい。そういうことである。
「一回の失言くらい許してやれよ」
「一事が万事だよ、レイ。サラサちゃんのことはもう良く分かった」
「人は変わることもある」
「それを認めるとしても、変化を待たなきゃいけない義理はないだろ」
取りつくしまもない。怜はだんだん面倒になってきたが、そんな自分を必死で鼓舞した。依頼者連には期待はしないように言っておいたが、とはいえ、単に「説得してみたけど無理でした」ではお話にならない。眉を吊り上げる澄の顔とがっくりと肩を落とす更紗の様子が頭に浮かんだ。やれることは全てやっておかなければならない。怜は、今回の不仲のきっかけを作った更紗の発言について言及した。彼女はそれほど大したことを言ったわけでもないのだから気にする必要もないだろ、と。
「レイは聞いてなかったからそんなことが言えるんだよ」
確かに聞いてなかった。ただし、更紗の発言の要旨は先ほど聞いて知っていた。委員会活動のとき、仕事をサボっている委員を注意しようとした輝に、「自分に関係のないことをするな」と言ったそうなのである。今の自分にこそかけてもらいたい言葉だと怜は思った。
「言ってる内容もだけど、言い方もイライラした。あの口調! 母親は一人で十分だと思わないか、レイ?」
一人でもひとり多すぎるくらいである。
「だろ。いかにも『あなたのことを考えてます』みたいな言い方でさ。二人目の母親は要らないよ。何かの面倒をみたいなら、ペットでも飼えばいい」
女の子の言動に耐えることによって、男の子の格というのは上がっていくのである。
喉元まで出かかった言葉を怜はどうにか抑え込んだ。自分ができないことを他人に要求するのは傲慢というものである。沈黙が落ちた。
どうやら怜にできることはもう無いようだった。理では勝てないし、情に訴えてもダメだった。できることはやり尽くした。このままきびすを返しても誰にも責められまい。勝敗は兵家の常である。しかし――
この期に及んでもなぜか怜の足は帰路を取ろうとはしなかった。もうやり残したことは無いというのに。弓折れ矢尽きてもなお前に進もうとするのはなぜか。そのとき怜の頭に、一人の少年と少女の姿がほわほわと浮かび上がってきた。怜を特使に推薦してくれた二人である。全くいまいましいことだ。怜は二人の友人の価値を再確認すると、頭を少し前に倒した。
「レイ、聞きたいことがあるんだけど」
「何だよ?」
怜の目は輝の足元を見ていた。
「サラサちゃんのこと好きなのか?」
「……まあ、嫌いじゃないっていう意味ではそう言ってもいいけど」
「大して好きってわけでもない?」
「ヒカル、一つ諺を教えてやろうか。『壁に耳あり』」
「じゃあ、何でサラサちゃんのために頭まで下げるんだよ。理屈に合わないだろ」
「こっちにも色々事情がある」
とはいえ、これ以上のことは本当にもうできなかった。ここから先、更紗のために何かをすればそれはウソになる。怜ができる限界がここまでだった。
地から乾いた音がニ、三度上がった。輝の足が軽くアスファルトを叩いていた。
「分かったよ。分かったから、頭を上げてくれ。負けたよ、レイには」
顔を上げた怜の目に、整った顔立ちがしかめられるのが映った。輝は、大きく深呼吸すると、地面に下ろしていた鞄から携帯電話を取り出して、咳払いをした。怜は自分の役割が終わったことを知った。どうやら成功したようだ。輝が電話に向かって詫びている言葉が怜の耳に聞こえてきた。
「レイは優しいな」
しばらくして携帯を切ると、輝は微笑んだ。
「そう思ってくれる人は本当に少ない」
「その優しさにオレも甘えてもいいか? 是非聞いてもらいたいことがあるんだけど」
「確認させてくれ、それは今回の件と関係あることか?」
「あるよ」
「じゃ、ダメだ」
「ええっ!」
驚きの声を上げる輝に、怜はもうこの件に関わるつもりはないことを厳かに告げた。
輝は食い下がった。
「一言で済むんだ、聞いてくれてもいいだろ」
「言えばお前は楽になるかもしれないけど、オレの身にもなれよ」
「なんだかサラサちゃんとオレへの対応が違うような気がするんだけど気のせいか?」
「気のせいだ」
「だと思ったよ」
輝は大げさに長いため息をつくと、鞄を肩にかけて、歩き出した。これから更紗に会って直接話をするらしい。怜は輝の後ろ姿を見送ったあと、疲労している自分に気がついた。恋の仲立ちなど、柄ではない役回りを演じた代償である。怜は、ヒロインを想う誠実な友人という実にインチキくさい役に自分をスターリングしてくれた二人の監督へ抗議のメールを打ち始めた。