Part 8
胴を低くし、臨戦態勢をとったダーマンテは、ガラスのような無機質な一つ目でオレたちを見る。
人間以外の生き物であっても、瞳の中には何がしかの感情の光が灯るものだが、ダーマンテの作り物の目には、憎悪の炎さえ燃えていない。操縦者がいなくなり、半端に機能する指令だけが行動源力となった【鵺】に、排除すべき獲物に対する感情など芽生えるわけもなかった。
ダーマンテが身震いした。こっちに向かってくるか、というオレの予想は外れた。奴はその場でぐるりと反転し、目標をブラッドリーのおっさんに変更したのだ。どうやら、誰が最重要標的なのかということだけは理解しているらしい。
「おっと」
オレは軽く舌打ちして駆け出した。レジーニがあとに続く。
ブラッドリーはレジーニにとっての大ボスだ。ここで死なせてはレジーニの立場が危うくなる上、アトランヴィル・シティ裏社会に大混乱を招く。
一方オレにとってのブラッドリーだが、たぶん「守っておくべき人物」なのだろう。あのおっさんは、今回のオレの仕事に何らかの形で関わっている。そんな気がしてならなかった。でなけりゃ、さっき意味あり気な目つきで、オレを見るはずがない。
そんなわけでオレとレジーニには、ジェラルド・ブラッドリーを見殺しにしていい理由がない。つまり、助けなきゃならないってことだ。
ダーマンテは、ヒトの手型の六本足をわさわさと動かし、まっしぐらにブラッドリーの方へ突き進む。ブラッドリーはというと、迫る化け物から逃げようともせず笑っている。クレイジーなおっさんだなオイ。
鵺は、顔の半分ほども占めている大きな口をめいっぱい開けた。化け物の影が、帝王に覆い被さる。
オレは走る速度を上げながら、【スイッチ】をONにした。
瞬間、オレと、世界の時間の流れが異なるものになる。周囲すべての動きが、オレには明瞭に見える。今このとき、オレだけが世界の理から解放されたのだ。
オレは緩慢なダーマンテの足の下をすり抜け、奴の前に出た。途中レジーニを見やると、目が合った。
オレの考えが読めたのか、レジーニはすぐさま蒼い機械剣を円形状に戻し、ブラッドリーのもとに急いだ。察しのいいヒトで助かるね。
ダーマンテの注意がオレに注がれているうちに、レジーニがブラッドリーを外に連れ出す。崩れ落ちた出入り口の裂け目に、二人の姿が消えるのを、視界の端で確認した。
これでよし。ホールにいるのはオレとダーマンテだけ。これで余計に気を回すことなく、このバケモンをぶっ飛ばせる舞台が整った。
ダーマンテは、巨体にまかせた大雑把な動きと荒々しさを武器に、オレに襲いかかってきた。オレは軽いフットワークで攻撃をかわしつつ、足や腹を蹴りつける。ダーマンテの表皮は固いが、オレの一撃は鋼の一撃にも等しい。強固な皮膚の下の肉に、確実にダメージを与え、巨体をよろめかせた。
だがさすがに、〈塔の街〉や港湾地区で倒した鵺とは一味違う。オレが数発攻撃を喰らわせても、簡単には倒れない。じゃあ、ちょっとオーソドックスな戦法に切り替えよう。
オレは走りながらオートマグを構え、ダーマンテの即頭部に並ぶガラスの目玉に狙いを定めた。大物相手は足と目を潰す。基本中の基本だが、これが一番だ。
オートマグに込めた弾丸六発を、連続で撃ち込む。オレのオートマグの最大装弾数は八発だが、七発撃つと故障率が上がるんで、通常は六発しか込めないようにしている。
六発のうち三発は目玉の破壊に成功。あとの三発は頭部のあちこちに被弾した。ダーマンテの胴は再び傾いだが、奴はそのままの姿勢で踏ん張り、尻尾を振り上げた。
尾の先の皮膚が、花開くようにめくれ上がる。そのめくれた皮膚の下から、血肉をこびりつかせた棒状の物体が飛び出した。それは骨格ではなく金属物体で、オレには嫌というほど見覚えがある。これまで何度も、アレを自分に向けられた経験があるからだ。まさか体内に仕込んであるとはなー。
鵺の尾から姿を現したのは物々しい銃器の一部。アサルトライフルをモデルにしただろう銃器の、ハンドガードより前の部分だ。
ライフルがオレの真正面に向けられた。次の瞬間、銃口が火を噴く。
弾撃が雨あられと連射され、雷鳴の如き轟音かホール内を揺るがした。ホールを横切るように走るオレの背後から、無数の弾丸が追ってくる。目を潰したせいか、そもそも命中率が低いのか、弾はオレにかすりもしない。代わりに被弾した壁や床の破片が飛び散り、降りそそぐのが非常に鬱陶しい。
ダーマンテの銃撃は休むことなく続いたが、オレがホールを半周したあたりで、唐突に動きを止めた。どうやら弾が尽きたらしい。
オレは即座に急ブレーキをかけて方向転換し、怪物に突進した。一気に距離を詰めてキッツイ一撃をお見舞いする。はずだった。
ひゅっ、と空を切る音が耳に囁いた。なんだ、と思った次の瞬間、まるでダンプカーに轢かれでもしたかのような衝撃が、左半身を襲った。オレは小石のように吹っ飛び、数メートル離れた瓦礫の山に叩きつけられた。
「うぐっ!」
背中をしたたかに打ち、肺の中の空気が喉をせり上がり、呼吸困難に陥る。さすがのオレも、病人みたいに咳き込んでしまった。
いったい何が起きた? 顔を上げてダーマンテを見る。カマキリの鵺は、ライフルを露出させたままの尾を高らかに掲げ、こちらを眺めていた。なるほど、あの尾で盛大に弾き飛ばされたのか。動きが見えなかった。ちっ、油断しやがって、ダッセェぞオレ。
怪物の表情変化なんて読めないが、今のダーマンテは勝ち誇っているに違いない。
オレは呼吸を整えながら立ち上がり、ダーマンテと対峙した。強烈な一撃ではあったが、オレの回復能力は人並みをはるかに超えているのだ。
「へっ、簡単にヤラレるつもりはねえってか。上等上等」
軽くステップしながら、奴との距離を保つ。
ダーマンテが顎を開けて吼えた。アスファルトと激しく摩擦し合い悲鳴をあげるタイヤのような、不快で耳障りな咆哮だ。
大口を開けたダーマンテが、真っ向から仕掛けてきた。巨体を前のめりに倒して、オレに覆いかぶさろうとする。
オレは右拳を硬く握りしめ、奴の懐に潜るように左下へ身をかがめた。ダーマンテの頭部とすれ違う瞬間、
「オラァッ!!!」
その頭部の先端に渾身の拳を叩き込んだ。怪物の分厚い皮膚と肉の下で、何ががゴキリと砕けた音を、オレの耳はしっかりと捉えた。
骨を潰されたダーマンテは、怒涛のような絶叫をほとばしらせた。胴体を大きくのけぞらせ、ひしゃげた頭部を振りながら後退していく。
オレは跳ねるように踏み込んで、鵺の左足に接近。これまで以上のパワーをもって、足の付け根に回し蹴りを叩き込んだ。
再び響き渡る化け物の叫びをBGMに、オレはもう一度同じ箇所を蹴りつける。体幹を鍛え抜いたオレの蹴りを二発も受けたダーマンテの左足は、骨格もろとも決壊し、巨体はあえなく地に崩れ落ちた。
だが、攻撃の手を緩めるつもりは毛頭ない。たった今潰したばかりの足を踏み台にして、オレはダーマンテの背中に飛び乗る。暴れる化け物の背を駆け上がりつつ、隠し持っていたフォールディングナイフ型の【イノハヤ】を取り出し、刃を起こした。
苦痛にもだえるダーマンテの胴体が、嵐の沖のごとく荒れ狂う。オレはさしずめ、その嵐海を突き進む孤舟か。【イノハヤ】を逆手に持ち、グリップを両手で握る。と同時に、グリップの頭に取り付けられたスイッチを押し込んだ。
【イノハヤ】の刀身が光を纏い、熱を帯びる。キュイイン……と、録画テープが巻き戻るような小さな機械音が発せられ、フォールディングナイフが振動し始めた。
オレは激しく揺れるダーマンテの首筋に足を置き、深く身をかがめた。ガラス玉のようなお化けカマキリの目が無機質に、だが恨みがましくオレを睨む。そんなナマイキな目つきしていられるのもここまでだ。
【イノハヤ】の輝きがいっそう増したとき、オレはその切っ先をダーマンテの目玉に突き刺した。
化け物が断末魔の叫びをあげ、胴体が痙攣する。ナイフを突き立てた目玉が、ゼリーのようにぶるぶる震えだしたかと思うと、急速に膨張を始めた。
お、なんかヤな予感。
オレは【イノハヤ】を回収しようと、膨れていくダーマンテの目玉に手を伸ばした。しかし、指がナイフのグリップに触れるか触れないかの瞬間、ぱんっと音を立てて破裂した。内部の部品が蜘蛛の子よろしく飛び散り、細い煙がくゆる。
オレは小さな舌打ちを残し、ダーマンテの背から飛び降りた。地面に着地するや、鵺から離れるべく走り出す。
ふと、摩擦するタイヤのようなダーマンテの絶叫が聞こえないことに気づき、オレは足を止めて振り返った。
直後、限界まで膨張した鵺の目玉と胴体が、耳をつんざく音と共に破裂した。火山噴火のごとく化け物の体液や肉片、骨格が天井高く噴き上がり、周囲におぞましい雨を降らせた。
「うげっ!」
オレは急いで、近くに転がっていたテーブルの下に潜り込んだ。全身が化け物の血肉にまみれるなんて冗談じゃねえ。
グロテスクな雨は、一分も経たずに止んだ。テーブルの下から出たオレが目にした光景は、お世辞にもすがすがしいとはいえない。ダーマンテの破片と体液によって、パーティーホールはすっかり地獄絵図と化していた。
鵺の血と肉が瓦礫の山をドス黒く染め上げている。ついさっきまで華やかな宴が催されていた場所とは、到底思えない有り様だ。
ホールの中央に、爆発したダーマンテの成れの果てが転がっていた。壊れた【イノハヤ】も、胴体に取り付けられていた機械装置も、そしてロイ・ヴィアネットの野望も、すべてがこの血肉の海に潰えた。
そういえばヴィアネットの死体が見当たらない。おそらくダーマンテが暴れている間に瓦礫に埋もれたか、あるいはもっとすり潰されて原形が失われたか、だろうな。
あとに残るのはオレと、鵺――メメントが死んだときに発生する、硫黄に似た異臭だけ。
今頃はレジーニもブラッドリーを無事に逃がして……、
「ん?」
何か変だ。
妙な感じがする。誰かに見られているような。
オレは周囲をぐるりと見回した。何者かが隠れているなら、オレが察知できないはずがない。どこに身を潜めていても、気配を完全に殺せる奴なんてそうそういないもんだ。悪意だけは、滲み出るのを止められないから。
レジーニが戻ってきたのだろうか。いや、どうも違う。
オレはもう一度、ゆっくりとあたりを観察する。180度回転、つまり背後を振り返ると、視線の正体がそこに立っていた。
オレを見ていたのは、オレだった。
オレと同じ顔、同じ服、同じ体勢の男が、オレをじっと見ているのだ。
要するにそれは鏡で、オレの姿が映っているだけだった。
だが、明らかにおかしい。鏡なんてさっきまでなかった。あったとしても、オレとダーマンテとの対決で、とっくに壊れているはず。鏡が突然、どこからか出現したとしか言いようがない。
それに、ただの鏡でないことは一目瞭然だった。なぜなら鏡は、ヒトの形をしていたからだ。
「なんだ、コイツは……」
鏡の頭部が中心からひび割れ、映っているオレの顔が真っ二つに引き裂かれた。鏡の破片が一枚また一枚と剥がれ落ち、オレの顔が崩れていく。
顔半分ほどの鏡が剥がれてあらわになったのは、赤黒くただれた筋肉組織。ぎょろりと見開かれた片目に瞼はなく、ただ静かにオレを凝視している。
「テメェ……」
なぜそう思ったのか、説明はできない。そうであるという確証もない。
だが、虚空を固めたような感情のない目に覗かれたとき、オレは直感した。
「まさか、ヴィアネットか?」
返事は期待していない。こいつが本当にロイ・ヴィアネットの末路なら、もうヒトの言葉は解さないだろうからな。
今回の事件のきっかけである【鵺】は、アトランヴィル・シティの闇に跋扈する異形メメントを、兵器として改造されたモノだ。その素体となるメメントとは、あらゆる生物の死骸が変貌したものだという。メメント化すると、もはや以前の生態は失われ、まったく違う存在になる、と。
下克上を企てたロイ・ヴィアネットは、制御しそこねた【鵺】に潰され絶命し、化け物となって蘇った。
正真正銘、本物のメメントとして。
父親やボスの威光を借りるばかりで、自ら光ることができず、一念発起してデカい花火を打ち上げるつもりが、見知らぬ外国の掃除人のせいで計画はぶち壊し。最期は化け物に成り下がった。
哀れだとは思うが、同情はしないね。どれほどの甘ちゃんだったとしても、裏社会に生きてたなら分かるよな、ヴィアネット。
オレたちは所詮そんなもんなんだと。
メメントとして生まれ変わった今のテメェには、何の後ろ盾もない。その身一つでオレと戦り合わなけりゃならない。
かかって来いよ。虚勢の鍍金が剥がれたのなら、かえって気が軽いだろう?
〈鍍金の愚者〉――。
頭に閃いた単語だが、このメメントには似合いの名前だ。