Part 5
絶対に高価だとしか思えない、艶やかな黒のスポーツカーに乗せられたオレは、流れゆくグリーンベイの景色を、窓越しに眺めていた。
運転しているのはレジーニだ。なんだかよく分かんねーけど、高級車を運転している姿が、やたらとサマになっている。
レジーニは初対面のオレを、気安く助手席に乗せて走り出したが、どこへ連れて行くつもりなのか、具体的なことは言わなかった。
道中レジーニが、オレがこの街に来るはめになった経緯を尋ねてきたので、かいつまんで説明した。レジーニは【鵺】や【イノハヤ】に興味を示したようだが、質問を挟んで話の流れを滞らせたりはしなかった。
「改造したメメントか。どこへ行っても、似たようなことを考える人間はいるものだな」
レジーニは皮肉っぽい笑みを口の端に浮かべ、鼻で嗤った。「似たようなことを考える人間」という物言いに、因縁めいたものを感じたが、今回の件に関わっているとも限らないので、ここはスルーしておく。
しばし無言の空気が流れ、ふとオレは、鼻筋の通ったレジーニの横顔に声をかけた。
「なあ、キザ次郎さん」
「誰がキザ次郎さんだ」
おお、迅速かつ冷静な反応。ツッコミ慣れしてるな、この人。
「アンタさっき、オレの街で猿が一匹迷惑をかけてるだろうから、そのお返しっつったよな。あれ、どういう意味?」
キザじろ……レジーニはオレを一瞥すると、ちょっと渋い顔つきになった。
「猿でも馬鹿でもアホでも、この際何でもいいが、とにかくこちらからも一人〈塔の街〉に渡った奴がいる。正確には二人だ。猿じゃない方のもう一人は、おそらく人質として、一緒に誘い出したんだろうと思う」
「誘い出したっつーと」
「どこかの根回しがあったようなんだ。あいつはまんまと策に嵌まり、“塔の街”へ向かった。今頃は、それなりの面倒事に巻き込まれてることだろうな」
「こっちの街から、〈塔の街〉へ……か。それって」
オレの考えが読めたのか、レジーニが頷く。
「ああ。まるで君と入れ替わるように、ね」
オレは腕を組んで考えてみた。
オレがこのアトランヴィル・シティに来たのは、クロイヌの依頼を受けたからだ。今さらクロイヌがオレを嵌める理由はない。だから、この依頼そのものに偽りはないだろう。
オレの仕事は、【鵺】と【イノハヤ】の出処を探り出し、大元を潰すこと。その大元は、ここアトランヴィルのどこかにいる。
そして同時に、アトランヴィルの方からも誰か――レジーニの身近な人物だと思われる――が、〈塔の街〉に向かった。こちらは、何者かが画策しておびき出した。計画的犯行だ。
「〈塔の街〉に誘い出された猿ってのは、アンタとどういう関係?」
「僕の不肖の相棒だ。まったく恥ずかしいね。あの馬鹿は浮かれまくって、婚前旅行のつもりだったんだ。ハメを外したところでトラブルに巻き込まれるかもしれないが、間違っても僕に恥をかかせるような真似だけはしないでもらいたいものだよ。無理だろうけどね」
つまりキザ次郎さんは、不肖の相棒のせいで、見知らぬ土地で余計な恥をかく宿命にあるわけか。お気の毒に。
「それじゃあさ」
オレは気を取り直し、今疑問に思ったことを口にした。
「この事件の主軸はどこだ? 何を真の目的としたことなんだろうな。アンタの相棒?【鵺】や【イノハヤ】? まさかオレ?」
「それを知るためには、僕側と君、双方が知っている情報をすり合わせる必要があるね」
キザ次郎さんことレジーニは、横目でオレをちらりと見た。
「だから、盗聴の心配のない、安全な場所に移動しているのさ」
それから三十分ほど後、オレはとある屋敷の奥の部屋に通され、お茶をいただいていた。
赤茶色の円卓の前に座ったオレに、湯気立つ琥珀色のお茶が差し出された。ウッスと会釈し、茶碗を受け取る。白地の器に金色の花模様が描かれた茶碗で、ポットとセットになっている。注がれたお茶は、ほのかに桃の香りがした。
お茶の作法なんて気にしたことはないので、普通に飲むことにする。喉を通った瞬間、さわやかな果実の味がふわっと感じられた。うんまい。
「スゲーうめえ。こんなお茶もあるんだな」
率直な感想を述べると、オレにお茶を注いでくれた人物は、ギョロ目をほころばせて、うんうんと頷いた。
作務衣を着て頭にタオルを巻いたその男の容姿は、オレや〈塔の街〉の住民たちの特徴に似ている。たぶん近い人種なんだろう。
「イイネ、イイネ。素直な飲み方ダネ。私がジブンでブレンドした花香茶ヨ。いいデショ」
男の言葉は訛りが強かった。彼は親しげに笑いながら、円卓を囲む一同を見渡す。
円卓の部屋には、オレとギョロ目の男以外にあと二人いる。
オレの左隣にはレジーニがいて、注がれたお茶を、品良く飲んでいた。
レジーニの左隣、オレから見て正面の席には熊が座っている。見た瞬間、ストレンジウルスがまた出たのかと思ったが、幸いにも人間だった。
身体も腕も樽みたいにぶっとい熊男は、熱燗でも飲むみたいな仕草でお茶をすすっている。一気に飲み干し、茶碗を円卓に置くと、オレを静かに見据えた。
円卓を囲む男たち、なんて表現すると、どこかの英雄物語を彷彿とさせるが、あいにくこの場にいる誰一人として英雄じゃない。
レジーニがオレを連れてきたのは、アンダータウンと呼ばれる地下街だった。東洋系移民の熱気と商魂あふれかえるその場所は、オレが育った“アンダー”と似た雰囲気を漂わせていた。そういや名称も似てるな。だけど、規模はアンダーの方が大きい。
そのアンダータウンを牛耳っているのが、花香茶を淹れてくれたギョロ目の男、ファイ=ローだ。レジーニの言っていた「盗聴の心配のない安全な場所」とは、アンダータウンのファイ=ローの屋敷のことだったのだ。彼の私室には盗聴防止システムが備え付けられており、秘密の話をするにはうってつけ、というわけ。
で、熊男の方は、第九区を中心に裏稼業者たちに仕事を斡旋する〈窓口〉、ヴォルフ・グラジオス。二人とも、レジーニの仕事なじみらしい。
レジーニは互いの紹介を手短かに済ませたあと、オレ側の事情をヴォルフとローに説明した。
説明が終わると、ヴォルフとローは顔を見合わせ、納得したように小さく頷きあった。
「〈塔の街〉や九頭龍ってなァ、名前くらいは聞いたことはあるが、一生関わるこたァねェと思ってたぜ」
ヴォルフの言葉は、小人が吹き飛ぶような厚い鼻息とともに吐かれた。
「それがなんでまたよりによって、メメント絡みでこんな騒ぎになッちまったんだか」
ヴォルフは毛の硬そうな頭をぽりぽりと掻く。オレはそんなヴォルフに、人差し指を突きつけてやった。
「それを言うならコッチも同じだからな。あんたらの土地から化け物が運ばれてきたんだぜ。ついでに厄介な武器も。おかげでオレが、海を渡ってくるはめになってんだ。お互い様だろ」
「それもそうだ」
ヴォルフはごつい肩をすくめた。
アトランヴィル側で起きた出来事については、車での移動中、レジーニからあらかた話を聞いている。
あらかじめ把握しておくべき点として、生物兵器【鵺】の素体となった化け物は〈メメント〉と呼ばれているのだと、レジーニは言った。ありとあらゆる生物の死骸に、モルジットという目に見えない物質が侵蝕することで、生前の生態とまったく違う異形に変異してしまう。その結果が〈メメント〉なのだそうだ。
メメントを倒すために開発されたのが、〈クロセスト〉という武器だ。レジーニが振るっていた蒼い剣の他にも、様々な形状のものが造られているらしい。【イノハヤ】とは、それらクロセストを模造したものだったのだ。
――ここ最近クロセストの横流しが行われているようだ。密かに取引されたクロセストは、海の向こうへ運ばれている。その際、奇妙な生き物も一緒に、密輸出されている。
という情報を、最初に聞きつけたのはローだという。
「仕事柄、モノの流れがヨク見えるのヨ、私」
地下街のボスは、いたずらっぽく笑う。
ローは、すぐに噂の奇妙さに気づいたそうだ。
クロセストは武器としては希少で、対人武器としても絶大な威力を発揮するが、基本的にはメメント相手にしか使用されない。
加えて現在、この大陸以外でのメメント目撃例は、ほぼないに等しい。
つまり、メメントのいない土地でクロセストの取引をしても、ほとんど無価値で意味がないのだ。
ここでポイントになるのが、「奇妙な生き物も一緒に」という点。
要するに、その「奇妙な生き物」というのはメメントのことなのだ。
まがりなりにも武器であるクロセストはともかく、自然界の存在ですらないメメントを捕獲し、どこかへ密輸するとは。
何者が、何の目的で?
ローは噂の真偽をレジーニに調べてもらうため、先日彼をこの屋敷に呼び出した。
その矢先に、もう一つの出来事が起きた。
「くじ引?」
もちろんくじ引が何なのかは知っている。でも、いきなりレジーニの口から意外な単語が飛び出てきたんで、オレは思わず鸚鵡返しに聞いたわけさ。
「えーっと、それってアレだよな。こう、ぐるぐる回して、当たりの玉を出すっていう? 縁日で見るような?」
「んー、ソッチじゃないタイプだね。箱の中から紙を引くヤツね」
と、細かい訂正を入れたのはローだ。
「種類はともかくさ。その福引がどうしたって?」
「アノね、何日間か無許可の屋台が出てたのね。注意しタラ、おとなしく撤去してクレタのはイイんだケド、ハズレなしのくじ引やってたのヨ、そこ」
「空くじなしなんか、わりとよく見かけるだろ」
「ウン、そうなのヨ。だけど、空クジにしたって、それなりに利益出ルようにスルデショ? でもその屋台ね、どう考えても大赤字にシカならないのよ」
「アンダータウンで商売するなら、ローの許可を得なけりゃならん。飴玉売りだろうが靴磨きだろうが、例外は無ェ」
ローの話を、ヴォルフが補足した。
「ローはこの辺りの顔役でもある。そのローの膝元でだ、わざわざ許可なく屋台を出したってェのは、どうにもキナ臭くてしょうがねェ。しかも数日の間、ローの目から逃れられていたってェのも見過ごせん」
「要するにその筋の奴らがしでかしたってコトかい?」
オレの言葉に三人は頷き、レジーニが口を開いた。
「無許可で屋台営業していた連中には、明らかな標的がいた。その標的を釣り上げるためだけに手の込んだ罠を張って、そいつが引っ掛かるのを待っていたんだ。なんとも気の長い話だろう?」
「あ、わかった」
一瞬でひらめいたオレは、右の拳で左手をぽんと打つ。
「その標的って、アンタが話してた『不肖の相棒』のことなんだな? そいつ、福引やって〈塔の街〉への旅行券かなんか当てたんだろ。いや、当たるように仕向けられたってコトか」
「まあ、そういうところだ」
レジーニはうんざりした様子で頷いた。普段から『不肖の相棒』に手を焼いてんだろうな。どんなヤツだよ。
「アンタの相棒が、塔の街に引きずり出される理由って、なんかあんの?」
「あいつが狙われること自体は、実は不可解ではないんだ。ちょっと経歴が複雑でね。だが〈塔の街〉に招待される理由はないはず。エヴァンがおびき寄せられた件。メメントとクロセストが塔の街に密輸され、【鵺】と【イノハヤ】として改造された件。どちらも共通の人物が、裏で画策したことだろう」
二つの事件が関連しているという考えには、オレも同意する。つか、どう考えてもそうとしか思えない。
アトランヴィル・シティから、メメントとクロセストを秘密裏に取り寄せ、それぞれ【鵺】と【イノハヤ】という模倣品に改造し、かつレジーニの相棒までも誘い出した。
そこまでやってのけたのは、一体何者なんだ。
残念ながら、この場にいる誰も、その正体が分からないままだ。
「まあ、双方の街で起きた事件が繋がっているのは明らかなんだ。塔の街はあちらで解決してもらうしかない」
レジーニは軽く両手を広げ、肩をすくめた。
「あのバカはともかく、巻き添え喰ったアルの方は心配だな」
と、ヴォルフ。
アル、というのが、人質として一緒に招かれた人物なのだろう。婚前旅行のつもりで、とかなんとか言ってたから、恋人なんだろうな。
「嶺花にナニかあったらと思ウト、私は胸が張り裂けソウダヨ」
ローは不安そうに眉間に皺を寄せるが、レジーニとヴォルフはけろりとしたもんだ。
「彼女のことは大丈夫だろう。面倒ごとに巻き込まれたからといって、めそめそするような子じゃない」
「あれは馬鹿で猿だが、アルだけは死んでも守る。そういう奴だ」
二人が口々に言い、きっぱりと頷くので、ローは少し安心したようだった。
「さて、イタチ」
レジーニは、もう冷めているだろうお茶を一口飲んだあと、人差し指で眼鏡を押し上げた。
「一枚噛んでいるだろう人物は、もう見当がついたよ」
「お、マジで」
「ああ。君が倒すべき相手は十中八九そいつだと思うね」
「誰?」
レンズ越しのレジーニの碧眼が、意地悪そうに煌めいた。
「〈管理者〉の一人、ロイ・ヴィアネットだ」
「居場所わかんの」
「もちろん」