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Part 4

 アトランヴィル・シティ第八区随一の繁華街フィルマン・ストリートは、午後三時の渋滞時間を迎え、人も電動車も大混雑していた。

 この時間帯は、外回りの商社マン、荷運びの大型車両、観光バスなどが一気に増える。また、街に繰り出した人々が買い物を終え、小休止できるカフェを探し出す時間帯でもある。

 そんな賑やかしいストリートから、やや外れた裏通りの一角に、クラブ〈スリーリュクス〉はある。

 

 官僚や大会社の重役クラスを顧客に抱えた、この会員制高級クラブが開店するのは、夜も更けた午後八時である。

 だが今は太陽健やかな昼日中。開店五時間前の店内は、営業中の華やかさとは打って変わって、ひっそりと静まりかえっていた。あと一時間もすれば、厨房担当のスタッフたちが続々と出勤してくるだろう。

〈スリーリュクス〉は、四階建ての一階と二階を店舗として使用している。三階は事務所とスタッフのためのスペースを兼用しており、四階はオーナー専用のフロアだ。

 オーナーフロアには、限られた者しか踏み入ることがない。常に厳重なセキュリティシステムが作動しており、オーナーの許可なしには立ち入れないようになっている。

 そのオーナーフロア最奥の執務室に、当のオーナーはただ一人でいた。

 高級オーク材を贅沢に使った重厚感あるデスクの前で、ロイ・ヴィアネットは苛立たしげに両手を組んでいた。デスクと揃いの椅子に浅く座り、目の前に置かれたコンピューターの画面モニターを睨みつける。

〈スリーリュクス〉の二代目オーナーにして、裏社会の権力階級〈管理者〉の一人であるヴィアネットは、画面に映っている人物に向かって、落ち着きのない声を上げた。

「一体どうなってるんだ! こんなこと聞いてないぞ!」

 右手の人差し指で、ごつごつとデスクを叩く。眉間には皺が刻まれ、こめかみにはうっすらと血管が浮き出ている。歯を食いしばっているせいか、細く尖った顎にも皺が寄っていた。

 常日頃から、しかつめらしい表情でいるためか、三十代半ばだという実年齢より、少し老けて見える。

『君はいつもカリカリしているね、ヴィアネット君。支配階級の一人らしく、悠然と構えるゆとりを持った方がいいぞ』

 画面の中の人物は、ヴィアネットの焦りなどよそに、それこそ悠然と答えた。

 白衣を着た上からでも痩せていると分かる体型の男で、こけた頬には髭一本生えていない。肌の青白さと細めた目が、その人物の潔癖で神経質そうな性分を表している。

「あんたは俺の神経を逆撫でするのがお上手だな、プロフェッサー。あんたがよこした“荷物”におまけ・・・がついてきたぞ。どういうことか説明しろ」

『おまけ? はて』

 プロフェッサーと呼ばれた男は、更に目を細めて首をかしげた。

『君宛ての“荷物”は、先日無事に到着したと連絡をくれたはずではないかね。そして、中身もちゃんと確認したと言っていたではないか』

「ああそうだよ。だがそのあとだ問題は。これを見ろ」

 ヴィアネットは苛立ちを込めて、コンピューターのキーを激しく打った。たちまち画面の右端に、数枚の画像が映し出される。

 画像に映っているのは、東洋系人種の青年である。重ね着したTシャツにジーンズ、履いているのはスニーカー。一見して少年と見紛う面立ちの、どこにでもいそうな若者ではある。

 しかし仮にもヴィアネットは、アトランヴィル・シティ裏社会の空気と水で育った男だ。たとえ画面越しであろうと、青年の瞳の奥に猛獣の煌めきが潜んでいることは、充分に読み取れた。

 この男は、危険だ。

 ヴィアネットは東洋人の青年の画像を、プロフェッサー側のコンピューターに送信した。

 画面に映るプロフェッサーの仕草で、画像ファイルを開いた様子が確認できる。青白い顔は無表情だが、片方の眉がくいっと持ち上がった。ヴィアネットは鼻を鳴らす。腹の読めない男ではあるが、何かに興味を持つと、意外と分かりやすく反応を示すのだ。

『ほう、この顔立ち……。明らかにそちらの大陸の人種ではない。さりとて、移民系でもなさそうだな。つまり……』

 プロフェッサーは、もったいぶった口調で言った。

『こちら側――〈塔の街〉の人間か』

「ああそうだ。つい昨日のことさ。チャールズマーク空港から出てきたコイツを、周辺の防犯カメラが捉えた。搭乗記録や何やらを調べれば、コイツがどこから来たのかなんてすぐに分かる。そして〈塔の街〉から来たとなれば、俺たちと無関係だとは思えない」

 ヴィアネットはデスクに身を寄せ、画面に顔を近づけた。

「誰かがコイツを送り込んだに違いない。俺たちの計画をぶち壊しに来たんだ。コイツは誰だ? 誰の手先なんだ?」

『少し落ち着きたまえ。不測の事態にすぐに慌ててしまうのは、君のよくないところだよ』

 痛い部分をつかれ、ヴィアネットは歯噛みした。

 本名を明かさず、ただ“プロフェッサー”とだけ呼ばせるこの男は、知り合ったときから常に、ヴィアネットの上から物を言う人物だった。大事な“商売相手”でなければ、とっくに始末している。

 

 

 ヴィアネットの今の地位は、先代である父から継承したものだ。が、それは正当な手続きの上で成立したものではない。

 父フランクリンは長年〈管理者〉として、アトランヴィル・シティの一部地域を支配していた。曲者揃いの裏社会において、フランクリンは比較的人格者として評価されていたが、息子に言わせれば「小心者ゆえに甘い」男だった。

 大した出世欲もなく、与えられた地位だけに満足し、自分自身も所詮は上の階級から支配されているだけであることを、まるで当然だとばかりに受け入れていた。

 そんな父が情けなく、小さな男に見えて仕方がなかった。

 裏社会に生まれた男なら、あらゆる手を使って他者を追い落とし、蹴散らし、抹消し、頂点を目指すべきではないのか。

 無欲な〈管理者〉などに、存在する価値はない。


 だからロイ・ヴィアネットは、父をその手にかけ、王位を奪い取ったのだ。

 

 しかし、いつまでも父と同じ場所に居座り続けるつもりはない。見上げれば遥か先に、真に目指すべき天の玉座があるのだ。

 アトランヴィル・シティを含む、大陸東エリア三十四都市の四分の三を掌握する〈帝王〉の座が。

 プロフェッサーとの取引は、ヴィアネットの権力を増幅させる手段の一つにすぎない。

 いずれ邪魔になるようなら、葬ればいいだけだ。



『ヴィアネット君。誓って言うが、私自身はこの青年を知らない。けれども、誰が彼を遣わしたのかは、おおよそ見当がつく』

 プロフェッサーは他人事のように肩をすくめた。

『おそらく、九頭龍の一人だろう。【ヌエ】の臨場実験に勘づいた九頭龍の誰かが、実態調査のために手駒を一人送り込んだ、というところではないかな』

 九頭龍。

 プロフェッサーが身を潜めている、遠い東の地“塔の街”を支配している組織、その手足となっているのが、九頭龍だという。九頭龍は区域の名前であり、組織構成員そのものを指す名称でもある。アトランヴィルでいうところの〈管理者〉に当たるのだろう。

 ヴィアネットは舌打ちすると、右手を口元に近づけた。無意識のうちに親指の爪を噛む。

「くそっ! ここまで順調だったってのに……横槍入れられてたまるか!」

『だから落ち着きたまえ。アトランヴィルは広い。その手駒がいたとしても、君に辿り着くまでには、相応の時間を有するのではないかね。その間に対策を講じればよかろう』

 悠長なプロフェッサーの言葉に、ヴィアネットは歪んだ笑みを返した。

「あんた、何も分かってないな。ここに映ってる九頭龍の犬が、この街に来て誰と接触したか教えてやるよ。ついさっき報告を受けた。俺があんたとの取引で使っている港で、新たにあんたに送る予定だった化け物メメントを、この犬がダメにした。そしてその現場に、あのアンセルムの奴が現れたんだ!」

 息巻くヴィアネットは、高まる興奮に任せて、頑丈なデスクを殴りつけた。画面向こうのプロフェッサーが、何事かと眉をひそめる。

「アンセルムは、あんたにやった猿顔坊主の相棒だ。〈異法者ペイガン〉なんだよ奴は。メメントの専門家だぞ。すぐに嗅ぎつけられる」

『私の望みどおり、エヴァン・ファブレルをこちらに送ることを承諾したときから、その相棒とやらが動き出すことくらい、君だって予想できただろうに』

「ああ、分かってたさ。だが、こうも早く動くとは……」

 標的ターゲットのエヴァン・ファブレルとその相棒は、大して仲は良くないと聞いていた。ならば、片割れが急にいなくなったところで、即座に動くことはないだろうと踏んでいたのだが。どうやら目測を誤ったらしい。

 即刻手を打たなくては。アンセルムはかつて、あの卑劣なるヴェン・ラッズマイヤーの下についていた男だ。決して侮ってはならない。

 九頭龍が送り込んだ犬がどんな男か知らないが、計画の妨げとなるモノはすべて排除する。

「まあいい。計画に変更はない。やることはシンプルに、だ」

『その意気だよ、ヴィアネット君。こんなときこそ、私の“贈り物”を試すいい機会ではないかね? 君の恐ろしさを分からせてやるといい』

 プロフェッサーは不敵に笑うと、画面に顔を近づけた。

『私の【鵺】とシステムは完璧だ。あとは君次第だが、きっとうまくやり遂げることだろう。実はこちらでも、九頭龍に動きがあってね。空港でエヴァン君を確保する手筈だったが、邪魔が入ってしまった。それでも君の言葉通り、計画に変更はない。お互い、健闘を祈ろうじゃないか』

 プロフェッサーとの秘密の会談は、そこで終了した。 


(そうとも、計画に変更はない。俺ならやれる)


 ヴィアネットはコンピューターの回線を切ると、デスクの抽斗ひきだしを開けた。中に納まっているのは、奇妙な機械だけだった。

「俺は親父とは違う。ラッズマイヤーとも違う。あいつらみたいなヘマはしない」

 必ず頂点に登りつめてやる。そのためには――、

 手段は選ばない。


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