Part 3
昼間の太陽の下で、改めてアトランヴィル・シティの街並みを眺めると、思わず唸るほどの大都会なんだと実感した。
見渡す限りの高層建築物。コンクリートジャングルとはよく言ったもんだよ。
そんで、ビルとビルの間を縫っていくスカイリニア。子ども用の列車のおもちゃみてーじゃん。地上は人、人、人、人だらけ。やーねえ、ゴミゴミしてるったらないわー。
塔の街もかなり派手に発展してるけど、この街の喧騒は、あそことはまた違った雰囲気を纏っている。
「夕べも同じこと思ったけど、人それぞれ、街それぞれなんだな。なあ、アンタもそう思わね?」
オレは目線を足元に落とし、必死な形相のおっさんに尋ねてみた。
そのおっさんは、五十階建て商業ビルの屋上の縁にへばりつき、命綱もなにもなしに、約十センチの出っ張りに爪先立ちになっている。
おっさんは、今にもウ○コ漏らしそうな涙目で、下から吹き上げる上昇気流にあおられている。おっさんの寂しい頭髪が、激しい風に撫で回されてぐしゃぐしゃだ。小汚い。全体的に小汚い。殴られて青く腫れた頬も痛々しい。殴ったのはオレだけども。
「なあ、おっさん。オレ訊いてるんだけど?」
「しっ……知るかそんなこと! い、いいから早く引き上げてくれ! 落っこっちまう!」
おっさん、オレの質問は無視。
「うーん、落ちるよなあ。そのままだと確実に落ちるよなあ。オレがアンタのデコッパチをつついてやったら、もっと早く落ちるよなあ」
オレは屋上の端、おっさんの真上にしゃがみ込んで、テカテカの広いおでこに人差し指を向けた。
おっさんはオレの指先を、まるで地獄へ導くウィンカーかなんかだと思ってるんだろう。両目をこれ以上ないほど見開いて、瞬きもせず凝視している。
「お、お、落とすな! 頼む、落とさないで! 助けてくれよう!」
「んな情けねー声出すなよ。男だろ、年上だろ、人生のセンパイだろ。若者に示しがつかねーような態度とっちゃいけねえぜ」
シャレのつもりで、おっさんのおでこをつんつんしてやった。おっさんは、なんとも表現しにくいがとにかく哀れっぽい悲鳴をあげ、鼻水を垂らした。
初の海外出張だというのに、オレはこんなおっさんと屋上なんかで戯れている。別に弱い者イジメなんかじゃないぜ。れっきとした仕事――“聞き込み”だ。ホントだってば。
昨晩ゆっくり休んだオレは、朝食のあと、はりきって街に繰り出した。
生物兵器【鵺】と密造武器【イノハヤ】の出処を探し出すっつっても、手がかりは焼け焦げた【イノハヤ】の欠片だけ。さて問題です。こんなとき、どうやって調査の糸口を見つけ出せばいいでしょーか。
答え。手がかりが少なく、手をつけるべき範囲が漠然としている場合は、最初に調査する的を絞ってやればいい。手広くやりすぎたらキリがない。オレみたいな単独行動ならなおさらだ。
そんなわけでオレはまず、直近で「塔の街に荷を運んだ船」がないかを調べるために、グリーンベイの港湾区域に赴いた。
クロイヌが言っていたが、塔の街とアトランヴィル・シティは、これまでほとんど裏交易を行ってこなかったそうだ。たぶん今までは、取引することで得られる旨味が、両者になかったんだろう。
そんな状況だから、塔の街への行き来のあった船を炙り出すのは、結構簡単だった。
オレの容姿は、良く言えば若い、悪く言えば童顔。認めたくはないが、背もそんなにない。つまり、実年齢より下に見られることが多い。
十代風の男が、明らかに真っ当じゃない業者の集まった港湾区域を、一人でウロウロしていれば、コワい顔したいかにもな連中が、呼びもしないのに寄ってくる。
そうやって引っ掛かったのが、このおっさんを含む六人の野郎どもだ。連中はオレに、「どこの者だ。何しに来た。とっとと出て行かないとタダじゃ済まさねえぞ」と、お決まりの脅し文句をひととおり吐いた。オレは彼らに“丁寧な対応”をして、五人海に突き落としたあと、港湾区域から一番近かったこの高層ビルにおっさんを引っ張ってきたってわけだ。
「なあおっさん、最初の質問に戻るぜ。最近、塔の街に荷物を運んだ船はねえか? アンタとお仲間は、あの港で働いてるんだろ。まともな業者じゃねえってことは、見りゃ分かンだ。こんな所であんま時間かけたかねえから、ここで答えてくれなきゃ、マジで落とすからな」
おっさんに顔を近づけて、ちょっとキツく睨んだら、おっさんは忙しなく頷いた。そうそう、最初から素直になってればいいの。
「あ、あの港から出航した密輸船は、た、た、たしかにある。行き先が塔の街だってのは、小耳に挟んだ程度だ。き、聞いたこともねえ場所だったから、よく覚えてる」
「荷はなんだ? 誰が手配した?」
「そ、そこまでは知らねえよ! 俺たちはただの荷運び係だ!」
おっさんは、今度は激しく首を横に振る。
「指示されたとおりに、倉庫にあった積荷を、人目につかずに船に乗せるまでが俺たちの仕事だ! 中身が何で、どこに何の目的で密輸出されるかなんて、俺たちが知るもんか!」
うーん。この期に及んでおっさんが嘘をつくとは思えない。たぶん本当に、輸出の目的や荷物の中身は知らないんだろう。こんな下っ端でも、あまり深入りすると命取りになる、ってことくらいは承知してるはずだから、積荷の中身や行き先まで知ろうとはしないだろうな。
「よし、じゃあ、その積荷が置かれていた倉庫ってのはどこだ?」
「あ、あの港の西側にあるD倉庫だ! 俺はこれ以上は何も知らない! ほ、本当だ! だから早く助けてくれ!」
「あーもーうっせーなー。分かったから喚くなよ」
泣きべそがうるさかったんで、オレはおっさんを屋上の地面に引き上げてすぐ、鳩尾を突いて失神させた。おっさんは口から泡を吹き、白目をむいてぶっ倒れた。
静かになったので、オレは安心してその場を離れた。さて、D倉庫とやらに行ってみるか。
*
回れ右して港湾区域に戻ったオレは、D倉庫とやらを探して港の西側を歩いた。
倉庫は整然と並んでいて、列ごとにAから順に割り振られている。だから、D倉庫の列を見つけるのは簡単だった。ただ、列の何番目の倉庫に、荷物が置かれているのかは分からなかった。ちぇっ、おっさんめ、肝心なトコロも吐けよな。
仕方がないから、一棟ずつ中を覗き込んでいく。一棟一棟それぞれには、いろんな荷物が置かれていた。怪しいと思えば、どれも怪しく見える。
だが、十一棟目の倉庫を開けた瞬間、オレは頭の中で「ビンゴ!」と叫んだ。
倉庫の奥に、一際でかいコンテナが置かれていたからだ。どうぞ怪しんでください、と言わんばかりじゃねえか。
そういうことならと、オレは遠慮なく怪しむことにして、倉庫内に足を踏み入れた。
その途端、背後の出入り口が閉じられ、外から鍵がかかる音が聴こえた。うん、まあ、そんなこったろーと思った。そんな簡単にコトを進めさせちゃあくれねえよな。ついでにいうと、昨日とまったく同じ展開じゃねーか。
それじゃ、次に何が起こる?
ドゴン! 重々しい音が倉庫内に響き渡った。音のした方向を追って首を巡らせ、奥のコンテナを見やる。
重い音は、コンテナの内側から聴こえてくる。最初に見たとき、きれいな立方体だったコンテナは、いつの間にかあちこちがひしゃげてしまっていた。内側から何かの衝撃を受けて、変形してしまったのだ。
中で“積荷”が暴れてるんだろう。塔の街に運ばれるはずの化け物が。
コンテナの搬入扉が、勢いよく吹き飛んだ。飛ばされた扉は、オレのそばをかすめて、背後の壁に激突した。
開かれたコンテナから、何かがのっそりと這い出てきた。丸々とした毛むくじゃらの熊みたいな胴体に、同じく毛で覆われた太い足が六本生えている。足の先は鈎爪状になっていて、歩くたびに地面をえぐっていた。頭は、皮が剥がれて筋組織がむき出しになり、目は八つあった。
「おおっと、こりゃ昨日ぶっ倒したヤツよりデカいな。お前、熊なの? 蜘蛛なの? どっちだよ」
化け物の全体をざっと見たところ、機械装置は取り付けられていないようだった。つまりこいつは、生物兵器【鵺】になる前の天然モノってことだ。マジでフツーにこんなのがいるのかよ、アトランヴィル・シティってトコは。
熊蜘蛛が巨体を震わせ、咆哮をあげた。それは大太鼓の乱れ打ちのような、腹の底に響く重低音だった。
熊蜘蛛が体勢を低くする。来るか、と思ったオレは、とっさにヒップホルダーに手を伸ばす。
オートマグを抜こうとしたが、やめた。直後、熊蜘蛛が前足を振り上げ、襲いかかってきた。意外と素早い。毛むくじゃらの足は、風を切る音をたてながら、オレの頭上に落とされた。
前転で奴の腹の下に潜り込み攻撃をかわすと、オレがいた場所は、振り下ろされた足によって大穴を穿たれた。
熊蜘蛛の腹が二つに裂け、何本もの管が放出された。イソギンチャクのような内臓のようなソレが、オレに絡みつこうと伸びてくる。
「うげっ、気色悪ィ!」
粘液まみれの管が、何本か肌に触れる。ねっとりした感触が、ものすごい不愉快だ。
オートマグは使いたくない。どうせコイツも【イノハヤ】でなけりゃ死なねえに決まってる。予備の【イノハヤ】なんか持ってないんだ。弾丸が効かない相手に撃ち込んだところで、弾の無駄遣いにしかならない。
倒せなくても、身動き取れないくらいダメージを与えることは出来るだろう。
オレは熊蜘蛛の背後に回り、右の後ろ足を腕で抱え込んだ。太くてちくちくする剛毛の生えた化け物の足を抱えるなんて、この先二度と御免だが、今は手段を選んでいられない。
オレは奴の足を完璧にホールドすると、半回転するように身をひねった。オレの動きに巻き込まれた熊蜘蛛の足は、凄まじい音をたてて、あさっての方向に折れ曲がった。
雷鳴にも似た化け物の絶叫が、コンクリートの壁に反響して、オレの耳をつんざく。
「うっせえ! 静かにしろ!」
オレは反対側の足も同様にへし折ると、ナイフを手に、熊蜘蛛の背中に飛び乗った。これ、昨日もやったよなあ。
だが、昨日の【鵺】と違ったのは、熊蜘蛛の頭部が百八十度回転し、不気味な八つの目がオレを睨みつけたって点だ。
「おっと、こんちわ」
軽く挨拶したオレは、熊蜘蛛からの挨拶返しを待たずにナイフを突き出した。毎日欠かさず手入れしているおかげで、ナイフの切れ味は抜群だ。熊蜘蛛の目をいともたやすく貫き、再び絶叫させた。
暴れる熊蜘蛛にしがみつきながら、オレは残り七つの目も次々と潰した。すべての目を潰してから地面に飛び降りたが、危うく暴れる熊蜘蛛の前足に吹っ飛ばされるところだった。
視力と後ろ足が使いものにならなくなった熊蜘蛛は、残る四本の足をがむしゃらに振り、腹の管もうねらせて、オレへ報復を開始する。
「しつけーんだよ! とっとと沈めッ!」
本能のままに暴れるだけの化け物に、オレは容赦なく拳や蹴りを叩き込んだ。
オレは自分が全身凶器であることを自覚している。自分で自分のことをバケモノだと思ってるくらいだ。
オレがこの熊蜘蛛に見舞ったすべての技を、生身の人間に対してやったら、そいつは間違いなくミンチになっている。比喩じゃなく、本当の意味でだ。
だが相手は、正真正銘の化け物。しかも特定の武器でないと殺せないときた。
オレの攻撃を受けた熊蜘蛛は、明らかに弱体化した。巨体はふらふらと揺れ、体液も滝のように流れ落ち、もはやただ蠢くだけの剛毛の塊だ。
でも、死なない。いくらぶん殴ろうとも、オレの拳は【イノハヤ】じゃないからだ。
オレの中で、何かがぷっつんと切れた。攻撃をやめ、熊蜘蛛から離れ、大げさにため息をつく。
「ああああああああもおおおおおおおおおおう。もういい、やだ、飽きた」
背後を振り返ったオレは、熊蜘蛛を指差しながら、そこにいる人物に訴えた。
「あとアンタやってくれよ。こいつを殺る手段を持ってんだろ。やってくれたら見物料取らねーからさあ」
その人物は、さっきからずっと倉庫の出入り口に背を預け、戦闘をタダ見していた。何者かが入ってきたことにはすぐに気づいたのだが、顔をしっかり見るのはこれが最初だ。あー、この展開も昨日と同じじゃんか。まったく、なんなの今回は。
「おや、僕がとどめを刺してもいいのか」
そいつはオレをからかうように、片方の眉毛を上げてみせた。高そうなスーツで決めた、黒髪に碧眼、眼鏡をかけた男前だ。
「遠慮せずに、君がやるといい」
メガネ男は小賢しく微笑み、ボロ雑巾と化した熊蜘蛛を指差す。
「助言すると、そのストレンジウルスの弱点は、二番目の左足の付け根だ」
「そこまで分かってんなら、いいって、アンタやってよ。どうぞどうぞ」
オレが両手を使ってうやうやしく促すと、メガネ男はひょいと肩をすくめて、すたすた前を横切っていった。ちくしょー、なんだその足の長さはよ。
メガネ男の手には、蒼い光を湛えた機械の剣が握られている。男が愛用する【イノハヤ】なんだろう。
柄を握る男の指が、何かを操作するように動く。すると、剣が纏う蒼い輝きが一層強くなり、白い靄が発生した。
「ストレンジウルスはスタミナが高くて、倒すのが面倒なんだ。体力を削ってくれて助かったよ」
歩きながらメガネ男は、顔だけで振り返り、キザったらしいセリフを吐いた。
「別にアンタのためじゃねーんだけど」
オレはお下品にも中指を立ててやったが、男はクスッと笑うだけだった。
「言ってみただけさ」
熊蜘蛛――ストレンジウルスが、錆びついた歯車のような咆哮をあげながら、メガネ男に覆いかぶさってきた。男は落ち着きのある所作で、大雑把な攻撃を難なく回避すると、ウィークポイントだと言っていた二番目の左足の付け根に、蒼い機械剣を突き立てた。
瞬間、刀身から白い靄が吹き出す。剣が突き刺さった箇所から、化け物の胴体が急激に凍りついていく。化け物はもう、叫ぶことも出来ない。
ストレンジウルスの胴体の半分が凍ると、メガネ男は剣をもう一度深く食い込ませてから、一気に引き抜いた。その衝撃で、ストレンジウルスの胴半分は、氷の欠片となって崩れ落ちた。
残った体は、あっけなく地面に倒れた。間を置かず、例の異臭を伴った蒸気が発生し、ストレンジウルスは消滅した。
ひと仕事終えた――オレのおかげだけどな――男は、オレのもとに戻ってきた。蒼い剣はいつの間にか、円盤形状に変わっていた。
携帯に便利そうな形に変えられる【イノハヤ】もあるんだな。敵を凍りつかせるほどの冷気を生み、使用しても壊れていない。これが模造品【イノハヤ】のオリジナルの一つなのかもしれない。
メガネ男はためらうことなく、オレに右手を差し出した。
「レジナルド・アンセルムだ。レジーニでいい。この街を含む地域で〈異法者〉という裏稼業を生業にしている。さっきのような化け物メメントを倒すのが仕事だ」
オレは握手に応じながらも、首をかしげた。
「メメント?【鵺】って呼び名じゃねえのか」
「ヌエ……。なるほど、土地が変われば呼び名も変わる、か」
レジーニと名乗った男は、一人納得したように頷くと、出入り口に向かって歩き出した。
「ついておいで。君に手を貸そう」
「アンタが? なんで?」
オレが怪訝に顔をしかめると、レジーニは一瞬、何かを諦めたかのような遠い目をした。
「たぶん今頃、君の街で猿が一匹迷惑をかけているだろうから、そのお返しだと思ってくれ」