Part 1
この作品は、島津祥光さん作「イタチは笑う」とのコラボ作品です。
倉庫ってのは便利だ。何でも収納っておける。
例えば、家に置くスペースがなくなった家財とか、商品のストックとかな。愛車庫として使うのもいい。
あるいは、人目につきたくないモノを隠しておく、なんてのもアリだ。
つかオレの場合、職業柄かな、倉庫と聞くと「イカガワシイモノをたんまり保管してる場所」ってイメージしか湧いてこないんだよな。
今までどんなイカガワシイモノを見てきたのかって? それ訊いちゃう?
話してやってもいいケド、よいこのみんなには刺激が強いと思うぜ。吐いちゃうかもな。
よいこじゃないから構わないって? そこまで言うなら話してやるよ。
ただし、今オレの目の前にいる化け物をブッ倒してからな。
オレが今いるのは、郊外の物流倉庫区画だ。
時刻は深夜十時過ぎ。倉庫の作業員なんかとっくに帰宅してて、誰もいやしない。等間隔に設置された外灯が、ぼんやりした明かりを地面に落とすだけ。
こんなうら寂しい場所に、うら若き青年が一人で来るハメになったのは、とある人に呼び出されたからだ。
来いと指示された番号の倉庫は、区画内の奥の方にあった。無用心にも鍵がかかってなかったんで、オレは遠慮なく中に入った。ちゃんと「お邪魔します」って言ったぜ。
それで一歩踏み入った途端、上から落ちてきたのがコイツだ。
四つん這いになった人間? みたいなカタチだが、明らかに人間じゃない。
体長は三メートル近くあるだろうか。肌は半透明で、血管やら筋組織やらが透けて見えている。四肢の関節がありえない箇所にあるせいか、両手足はアメンボみたいに外側に向けて開かれている。ごつごつと隆起した背骨は、恐竜の背びれを連想させた。
頭部は禿げ上がり、顔には目がない。その代わり、削ぎ落とされたような鼻孔と、顔面積の半分を占めるでかい口が、醜い個性というものを演出していた。
「なーんだコリャ?」
オレは首を傾げて、化け物を仰ぎ見た。
オレは長いことキナ臭い世界に生きてきて、自分自身も言ってみりゃキナ臭い出自だから、何が起きてももう驚きゃしない。胸糞悪くなるようなモノも、うんざりするほど見てきた。
そんな百戦錬磨の優秀なオレでも、こんな化け物はちょっとお目にかかったことがない。
サバイバル系のホラーゲームに出てきそうな、そう、クリーチャーってやつ。それが現実世界に現れたのかって言いたくなるような造形だ。
化け物は、赤黒い鼻の穴をひくつかせながら、ゆっくりとこちらに近づいてきた。なるほど、目がないから、匂いで獲物を探るんだな。
ばかでかい口の端からは、イボだらけの長い舌がちろちろ見え隠れしている。うえ、気色悪い。
こいつ、オレの存在に気づいてんだろーな。食うつもりかな。オレの肉はきっと美味しいだろうけど、召し上がられても困るな。
なんて思っていると、クリーチャーの腹に機械みたいなものがくっついていることに気がついた。
機械にはいくつものメーターが付属していて、右端に緑の小さなランプが点灯していた。ありゃなんだ?
もっとよく見ようと屈んだとき、化け物が口を大きく開けて飛びかかってきた。
図体のわりには速い。けど、オレにとっちゃ遅い。
オレは体勢を低くして、奴の懐に潜り込むように跳んだ。オレに掴みかかろうとした化け物は、フライングをかます形になり、オレの頭上を飛び越える。
奴と空中ですれ違う瞬間、オレは服の下からナイフを抜き出し、化け物の右足の腱に突き立てた。
刃が半透明の皮膚を切り裂いた途端、泥色した粘度のある体液が飛び散った。
「うっわ、きったねえ!」
オレは体液が自分にかからないように、身をよじりながら体勢を整えた。振り返ると、バランスを崩した化け物が、頭から地面にダイブして倒れる瞬間だった。
ナイフを振って、付着した体液を払い落とす。ねっとりした雫が、近くの柱に飛び散った。あーあーもう、ばっちいなあ。
そうしている間に、化け物はよろりと立ち上がり、オレの方に向き直った。右の腱が機能を失ったために胴体が傾いているが、オレへの敵意は少しも殺がれていないらしい。
やる気あるなあ。よし、ンじゃあ、こっちもそのやる気に応えてやらなきゃな。
化け物じみた人間たちとは、何度も戦ってきた。化け物よりタチの悪い連中だって、いくらでもいる。
でも、正真正銘の〈化け物〉と戦り合うのは、これが初めてかもしんねえ。オレはちょっとだけわくわくしていた。
そのわくわく感は、すぐにしぼんだんだけど。
化け物の攻撃手段は、「暴れる」コマンド一択のみだった。右足以外の手足を思いっきり振り回すか、イボだらけの舌を射出させてオレを絡めとろうとするか、体当たりをかますか、その程度だった。
うーん、残念だ。もうちょっと面白いかと思ったんだけど。これなら【スイッチ】入れる必要もない。
さっさと仕留めちゃいますか。
左足だけで跳躍した化け物。オレは楽々と奴の体当たりをかわすと、ナイフを持ち替えざま、左の腱も切り裂いた。
両足の支えを失った化け物は、前のめりに倒れる。骨の隆起した背中が、無防備に晒された。オレはそのへんにあった木箱を踏み台にしてジャンプし、奴の背中に飛び乗る。
オレを振り落とそうと、化け物が激しく身体を揺さぶる。オレはバランスをとりながら化け物の背中を駆け上がり、ナイフを逆手に持って、頚椎に振り下ろした。ナイフが肉をえぐり、骨を砕く感触が、オレの手に伝わってくる。
化け物は痙攣を起こし、背中を仰け反らせた。一瞬動きが止まったかと思うと、後ろ向きにゆっくり傾き始める。
オレはただちにナイフを抜き、奴の肩を蹴って飛び降りた。着地するのと、化け物が倒れるのとは、ほぼ同時だった。
「はい、いっちょあがりっと」
巨体が大の字になって倒れ、ぱかっと開いた口から長い舌が垂れるのを見ながら、オレはナイフをしまった。
はー、やれやれ。一体なんだったんだコイツは。
オレを呼び出した人物は、ここにコイツがいるってことを知ってたのか?
うん、知ってたんだろうな。だからオレを呼んだんだ。
しかし、オレにこんな化け物を倒させて、それからどうしろってンだろう。まさか今後の仕事は、こういう化け物を狩る内容になる、なんてことはないよな。冗談だろ、そんな漫画やアニメみたいなこと。
真意を測りかねたオレは、ぽりぽりと後頭部を掻いた。やることがなくなったので、倉庫内を探索してみようと、化け物に背を向ける。
そのときだ。
冷たい雫が肌を伝うような殺気を感じ、オレは振り返った。
すぐ目の前に、ぬらぬらと汚らしい唾液にまみれたイボの舌が迫っていた。オレはとっさに半身を退いた。的を外したイボ舌は、後方に立てかけてあった鉄パイプの束に衝突した。
イボ舌の唾液には、酸がたっぷり含まれていたらしい。鉄パイプをまとめていた結束帯が、イボ舌に触れた途端、蒸気を上げて融解した。
バラバラになった鉄パイプが、耳を塞ぎたくなるほどけたたましい音をたてながら、地面に倒れた。やかましすぎる音に、オレは思わず身をすくめる。
殺したはずの化け物が、両腕の力だけで跳び上がり、オレに喰らいつこうと顎を開いた。
単純だが危険なその攻撃を、横跳びでかわす。またしても標的を見失った化け物だが、さっきより俄然殺る気が湧いているらしく、匂いでオレの位置を掴むべく、鼻息を荒くしていた。
化け物とはいえ、ヒトに近い形をしているから、頚椎を突けば即死するだろうと思ったんだが、目論見が甘かったようだ。
「ンだよ。化け物らしく不死身ってか」
「いや、不死身ではない」
オレの独り言に応えた声は、壁際の柱の陰から発せられた。
さっきからそのあたりにいるんだろうなー、とは気づいてたケドさ、まったくいいタイミングで登場してくれるね。
「イタチ、これを使え」
柱の陰の人物は、オレの名前を呼びながら、何かを放ってよこした。倉庫の照明を受けてぎらりと光ったソレを、オレは空中でキャッチする。
「これは……」
受け取ったソレは、一見するとシースナイフのようだった。だがよく見れば、刃の峰部分に機械の部品が備え付けられている。鍔の役割を果たすヒルトは、ごてごてした機械で造られており、全体的に、ただのシースナイフとは言いがたい形状だった。
例えて言うなら、「特撮ヒーローが持っていそうな未来ちっくな武器」って感じだ。こんなごついナイフ、戦いのプロなら絶対に得物に選ばないんだが。
「なんだよコレは。ちゃんと刺せンのか?」
「つべこべ言わずに使え。いくらお前でも、それでなければあの化け物は倒せん」
柱の陰の人物は、反論を許さなかった。これじゃなけりゃ倒せないって、どういうこったよ。
そうこうしている間に、オレの位置を特定した化け物が、酸の唾液を垂れ流しながら這いずり寄ってきた。
「へっ、やってやりゃあいーんでしょ! 分かったよ!」
オレはオモチャみたいなそのナイフを逆手に持ち、迫り来る化け物に切っ先を向けた。
ナイフを持ち替えた拍子に、親指がグリップヘッドに触れた。すると、刀身に小さな放電現象が起きた。
なんだ? と思ったが、じっくり眺めている暇はない。奴はもうすぐそこだ。
化け物が大口を開ける。オレを頭から丸呑みにするつもりらしい。オレは再度身をかがめて、奴の腹の下に潜り込んだ。
だが、今度は通り過ぎては行かない。オレは放電するナイフを、化け物の喉元めがけて突き上げた。
オモチャみたいなナイフは、しっかりと殺傷能力のある武器としての機能を発揮してくれた。刃は化け物の喉頭隆起、つまり喉仏に深々と刺し込まれた。
化け物の絶叫が、倉庫内に轟き渡る。握ったグリップから、奴の喉の震えが伝わってきた。
と同時に、ナイフの放電が一層強くなる。
「あちっ!」
グリップが急激に高熱を帯びた。オレは反射的にナイフから手を離し、化け物との距離を空ける。
ナイフから発せられる放電は勢いを増し、化け物の全身を覆った。化け物は苦痛に悶え、喉を掻き毟りながら地面を転げ回った。
奴の喉元で光が閃く。次の瞬間、化け物の肉体が爆発炎上した。
オレは両腕で顔を覆い、吹きつける熱風と眩しい光から目を庇う。
炎上が収まるのに、一分もかからなかった。炎は、化け物の内部に吸い込まれるようにして縮小していき、化け物の焼け焦げた全身は、灰となって崩れ散った。
オレの自前のナイフでは死ななかった化け物が、柱の陰の男に渡されたオモチャみたいなナイフでは、あっけなく滅びていった。こりゃいったいどういうわけだ?
おかしなことはまだ続いた。化け物の灰はその場に残らず、蒸気を発しながら跡形もなく消えたのだ。硫黄に似た臭気があたりを漂う。
「うわっ! くっせえ! なんなんだ一体」
異臭は鼻の奥を刺激し、オレは思わず顔を背けた。
臭いが落ち着いてから、化け物が消滅した跡を観察する。奴の肉体は欠片も残っていなかった。焼け焦げた地面の黒ずみだけが、そこに何かがあったことを示している。
化け物消滅跡の真ん中あたりに、あのオモチャみたいなナイフが転がっていた。化け物を燃やした炎に巻き込まれたナイフは、高熱によって溶かされ、ガキが丸めた紙屑みたいに、ひしゃげて縮んでしまっていた。
ただの金属の塊となったナイフを、オレはスニーカーの爪先でつついてみようと、右足を持ち上げた。が、それより早く、ナイフのなれの果てを拾い上げた人物がいる。柱の陰からオレを見ていた男だ。
男は全身を黒いコーディネートでまとめていた。出で立ちはマフィアのボスそのものだ。しかし、彼はマフィアとは少し違う。
「ふむ……、一応の効果はあるものの、使えるのは一度きりか」
黒ずくめの――クロイヌと呼ばれるその男は、黒い革手袋を嵌めた手で拾い上げたナイフの残骸を、ためつすがめつ眺めた。それからそいつを、ハンカチにくるんでコートのポケットにしまい込んだ。
クロイヌは、この〈塔の街〉を支配する幹部組織【九頭龍】の一人だ。この人がいろいろと持ち込んでくる話のおかげで、オレは【仕事】には困らない。
オレをこの倉庫区画まで呼び出したのは、他ならぬこのクロイヌだ。
「クロイヌさんよ。さっきの化け物とそのナイフ、一体なんなんだよ。今日オレを呼び出したのって、アレを倒させるためだったワケ?」
「そうとも言えるが、それだけじゃあない」
クロイヌは懐から葉巻のケースを出し、一本手に取った。あ、こりゃ話が長くなる合図だわ。
葉巻の吸い口をシガーカッターで切ったクロイヌは、ガスターボライターで火を点け、ゆっくりと吸った。白灰の煙がもわっと広がって、やがて消えていく。
「それだけじゃないって?」
オレが問うと、
「まず、お前が倒した化け物だが」
クロイヌは顎をしゃくって、化け物がいた場所を示した。
「ここ数ヶ月の間、“裏”で噂が流れていた奴でな。とある場所から持ち込まれた生命体に、改造を施した生物兵器だそうだ」
「生物兵器? へっ、嫌な響きだぜ」
オレは鼻の頭にシワを寄せ、肩をすくめた。
「けど、そんな噂、オレは今まで聞かなかったけど」
「ああ、この俺も最近知った」
へえ。長い間クロイヌの目から逃げ続けられたなんて、なかなかやるじゃん。どこの誰だか知らねーけど。
「で、そのセーブツヘーキとやらを倒せるのは、さっき渡された機械みたいな武器だけってコトっすかね」
「そうだ。だが、それらはすべて模造品だ」
「すべて? 大量生産されてるとか?」
「どれほどの量が造られているかは分からんが、少なくとも両手では数えられんだろうな。出回っている機械の武器には、それぞれ固有名詞がない。総称して【イノハヤ】と呼ばれているそうだ」
「【イノハヤ】ねえ」
名前からして胡散臭い。
模造品というからには、元になった正規品があるってことだ。しかし、化け物殺し専用の武器なんて、そんなの知らねーし。
問題は、どこから流れてきたのかって点だが……。
「イタチ、お前に【仕事】を依頼する」
本題が来なすったか。夜はこれからだし、クロイヌの葉巻も、まだまだ残っている。
おっと悪い悪い。自己紹介が遅れたな。
オレの名前はイタチ。
腐りきった〈塔の街〉の底辺で蠢く、チンケな悪党の一人さ。
これはオレのもとに舞い込んできた、オカシな化け物退治の話だ。
今このとき、同じようにオカシな事件に関わった猿っぽい男がいるんだけど、そっちの話はまた別の所で語られるだろうぜ。