幕間話5 ユトランドの華
※勢いだけで書きました、問題点があればご指摘お願いします
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1936年 兵庫県小浜村
この地に阪神急行電鉄が1913年に宝塚歌唱隊を作ったのが後の宝塚歌劇団の始まりであった、その後1921年には公演も増え花組・月組が生まれた。その後も星組の新設など躍進著しいこの劇団にある話が持ち込まれたのはこの年の初めの事であった。
そして時は流れ1937年2月の事である、その持ち込まれた企画がついに日の目を見ることとなる。
「{軍艦撫子~ユトランドに咲く華~}ついに初公演か……長い様だが短い日々だった」
こう一人ごちるのは海軍の軍服を着た男である……がどちらかと言うと芸能事務所の敏腕マネージャーにしか見えないのはそこが宝塚大劇場だからであろうか?ともかく軍人らしく見えない男、海軍大佐平出英夫はここまでの道程を思い出していた。
彼がこのような一見軍とは関係の無い所にいるのには訳があった、{3・10}事件のお陰で人気が地に落ちた海軍の窮地を救うために総研に知恵を借りに行った所提案されたのが{軍艦撫子}企画であった、最初は軍の高官たちはあまりの馬鹿馬鹿しさに呆れていたのだが国民の海軍離れの実情に背に腹を代えられずに採用したのであった、そのために打たれた奇抜なアイディアには皆が目を白黒させたがやがてその人気が上がるにつれてその風潮に変化が起き始めた。若者を中心に{撫子}ファンが激増していくのを黙ってみている訳には行かない、この人気にあやかりさらに加速するのだとばかりに多方面に向かって展開を始めようとしたのだ、そして平出大佐にその責任者としての任務を与えた、彼が報道課長だったからである。
{軍艦撫子}とは日本に良く似たヒノモト国の海軍の軍艦が化身した少女の姿をした者たちである、彼女たちは世界の七つの海に突如現れて手当たり次第に船を沈める{プロイツの艦隊}と戦うために現れ、プロイツの艦隊の鬼神艦たちには撫子の使う{兵装}しか通用せずヒノモト海軍は彼女達の力を借りて戦うと言う設定である、彼女たちは戦艦から支援艦艇までがすべて網羅されておりその各艦に性格とか容姿が設定されている、例えば金剛はヒノモト国の友好国である紅茶帝国で生まれ後にヒノモト国にやってきたと言う設定で同型艦の妹たちはヒノモト国で生まれた、その為彼女だけが故国の名産である紅茶が好きであるといった具合である。
その人気は本来のターゲットであった軍に入る前の若者だけでなくもっと年齢の高い者までも巻き込んで行き、遂には天皇陛下まで目にされたと聞いて平出大佐もこの盛り上がりにいささか引き気味であったが宮仕えの性か彼は人気拡大の為に色々な手を考えるのであった、設定を元に小説を出したり、カードを使ったゲーム大会の開催、特別なカードの販売を基地祭などのイベント限定で行う、キャラクター商品の販売も行った、そして冒頭に出たとおり宝塚の歌劇に使ってもらう事に成功した。
脚本家を交えて歌劇の内容を考えた結果選ばれたのが{ユトランドに咲く華}でこれはユトランド沖海戦を元に作られた物である、その内容とは……
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撫子たちの活躍でヒノモト国の周辺海域からプロイツ艦隊は姿を消した、だが友好国紅茶帝国ではプロイツの大艦隊が襲い掛かろうとしていた、それをユトランドの沖で迎え撃つ紅茶帝国のG艦隊の撫子たちであったが苦戦を免れないでいた。
「インディファティガブルがやられました、艦隊に穴が開きます」
「急いで埋めるんだ、戦える者は我に続け!」
西洋騎士甲冑姿の指揮艦ライオンは皆を鼓舞するが敵の攻撃は巧妙で皆傷を負っていた、奮戦しているクイーン・メリーに鬼神艦が殺到する。
「避けろ! メリー!」
ライオンの叫びも空しく倒れるクイーン・メリー。
「逃げてください、ライオン……貴方までやられたら……」
すべてを言葉にすることなく動かなくなるメリーを見ながらも敵の猛攻を受けるライオンたち、遂には追い詰められてしまう、彼女たちが最後を覚悟したとき一番近くの鬼神艦が打ち倒される、「誰?」「ダレダ?」ライオンと鬼神艦たちが見た先には見慣れない姿をした撫子たちの姿があった。
「金剛只今より参戦します! 皆続け!」
武士の戦装束をした金剛たちが戦場に到着した事で戦況は一変する、鬼神艦たちは次々に打ち倒されていき我先に逃げ出した、だが回り込んでいた山城たちによって残りの鬼たちも討ち果たされ紅茶帝国の危機は去り平和な世界を取り戻すのであった。
粗筋としてはこのような内容になっている、架空の国のお話にしたのはやはり国際的に問題が起こりうるからでありこの辺の改変は昔からの演劇である歌舞伎などではお馴染みの手法であったので全く問題は無い、心配な所は果たしてこのストーリィが観客に受けるかどうかであったのだが、反応はラストで観客が満場総立になったことでそれも解消された。
平出大佐はこの光景を見て感動の余り泣いていた、彼の苦労が実ったからでもあった。
この成功を受けて宝塚歌劇団は{訪欧芸術使節団}を欧州に派遣する事にした、イギリスではジョージ6世戴冠式が行われる事になっていたのでそれに合わせる事になったのである、平出大佐らはイギリス政府に{軍艦撫子}の企画を持ち込んでタイアップを申し込みイギリスも了承したために{軍艦撫子・英国海軍版}を作成しイギリスで売り出された、宝塚歌劇団の歌劇とセットで売り出されたそれは評判になり英国でも{撫子旋風}が起きる事になり何故か日本版の撫子グッズも爆売れして平出たちを不思議がらせたりしたがユトランド沖海戦での金剛たちの活躍が広く知られていたのと遣欧艦隊が頻繁に寄港して馴染みがあったからであった。
こうしてイギリスでも広まった{軍艦撫子}はそこを橋頭堡として各国に広まっていきコアなファン層も開拓していった、最初に企画を出した人物の想像以上の広まり方にその人物がどう感想を述べたかは後の文化史研究者が調べたが遂に判らなかったそうである。
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あくまで娯楽的なものでありますので政治論とかはご返事できないかも…
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