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平賀譲は譲らない  作者: ソルト
3章 昭和編
74/231

幕間話4  運命の出会い

※ 書き終わり投稿する段になって気が付いた、史実どうりだと!


  という事で飛ばして読んでもらってもOKです。

第三者視点です


1932年  ロスアンゼルス 8月14日


オリンピックの最終競技である「大賞典障害飛越競技」(Grand Prix des Nations )が

行われようとしていた。


競技に出るのは12組であったが日本の選手が怪我で棄権したため

11組で競技が行われる事となった。


その中の10番目に出るのが西竹一中尉であった、待つ間彼は相棒の鼻面を

なでながら彼らが出会った日を思い出していた。


>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


1930年 イタリア


欧州に出張していた彼は同僚からイタリアに凄い馬体を誇る馬を見つけたと

教えられ尋ねていった、オリンピックまで後2年、どうしても勝てる馬が欲しかった

その情報に縋るように訪ねてた先で見たものは体高が181センチもある

巨大な馬であった。


元々フランスで生まれたこの馬はイタリアの騎兵将校が買い付けたものだったが

気性が激しく乗りこなす事が出来ない馬であった、そのため持て余されて

いたのであった。


「気に入った!」


彼はひと目でこの馬を気に入った、軍から予算が下りなかったが自費で購入

名前は「ウラヌス」と名づけ早速欧州で馬術競技に参加して行った、

最初は合わなかった息も徐々に合いだし好成績を挙げるようになって行った。


そして今ここに彼らは居る。


彼はウラヌスに語りかける、「俺達は勝つ」

ウラヌスは言葉がわかるのか鼻を鳴らし首を摺り寄せた。


>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


過酷な内容の競技の前に失格者が続出していた、

現在のトップはアメリカのチェンバレン少佐、僅か12点の減点で

それを上回るには障害を一つも落とす事は出来ない。


そして10人目、入場した人馬は軽やかに競技場の周りを一周、

そして競技が始まった、次々と障害を飛んでいくのを見て

観客がどよめきの声をあげた、そして最難関といわれる第10障害

障害前で足が止まったウラヌスであったが西が切り替えし

再度跳躍へ誘う、今度はそれに応えるウラヌスは高く飛び

僅かに腰をひねって後ろ足が障害に掛からぬように飛び越えた、

観客はまさに人馬一体の動きに熱狂した。


最後の障害をクリアしたときに、すでにこの競技の勝者は誰だか

見ていた者たちにはわかりきっていたと言えよう。


表彰台の一番高い場所に立った西中尉は記者の質問に

「我々は勝った!(We won)」と答えた。


ここに日本で始めて馬術で金メダルを取った彼ら。


その偉業はその後も長く語り継がれる事になるだろう。


彼らの名前は全米に鳴り響き日米友好に好影響を与える事となった。

ご意見・感想とか歓迎です。

あくまで娯楽的なものでありますので政治論とかはご返事できないかも・・・

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