幕閑話2 陸羽132号
※ 少し短めです
12/22修正
第三者視点
時系列は少し遡る。
譲の献策により朝鮮半島と大陸への領土的野心を捨てた日本が目を向けたのは国内、主に東北・北海道・台湾・樺太であった。インフラ投資を行い産業の発展に尽くす事でこの地域の開発は急速に行われた、鉄道が先ず幹線級の物が引かれそこからは道路網が補完する形で交通インフラの整備が行われた。発電・治水用のダムも作られそこに住む人たちの利便性は急速に良くなっていった。
嘗て東北・北海道では農家で米を作るのに冷害で被害を受けており、そのために餓死者を出したり身売りをする者たちもいて彼らは冷害に負けない稲を求めていたのだ。
そしてその希望の品種が生まれたのは1921年の事であった。冷害に強くおいしい「亀の尾」といもち病に強い「陸羽20号」を掛け合わせた「陸羽132号」が生まれたのであった。
「やあ、あの田圃の方は良くできているねえ、あれだったら大丈夫、陸羽132号を植えてるんだし、冷害が来ても問題ない」
そう言って教えを請う農家に視察の結果を話すのは宮沢賢治である、彼は新設された農業共同組合の指導員として農家を回り指導する事に喜びを感じていた。自分の働きで多くの農家が苦しむことなく暮らせることが出来ると意気込んでいた。
「陸羽132号をさらに改良するのですか?」
「さらに強く、おいしい米を作って欲しい」
東北農業試験場に現れた人物は{総研理事}と名乗り資料を渡して改良を依頼した、その直後農林水産省から予算が沢山付き品種改良は一気に進む事となる。
「陸羽132号からはコシヒカリもあきたこまちもひのひかりも生まれるんだ早くおいしい米が食べたいなあ」
どうやら自分がおいしい米を食べたいばかりに手を出したというのが本当のようだ。
結果東北・北海道では陸羽132号の子供たちが稲作の主流になっていったのであった。
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あくまで娯楽的なものでありますので政治論とかはご返事できないかも・・・
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