56話 災害救助 その2
※ 注意!震災についての描写があります。
大分 大神工廠
「関東で大地震発生、直ちに各艦は救援物資を搭載し急行せよ。」
この命令を受けて「夕張」も物資を積んで出航した。
もちろん事前に集めたお陰であっという間に積み込めた。
艦長たちは不思議がっていたけどね。
よそでも同じ事は起こっているはずだ。
出航してすぐにイギリスの巡洋艦「ダーバン」と同航することになった。
「どうします?全速を出したら艦の機関の秘密がばれるんでは?」
「問題ありません、全速を出してください。」
全開全速を指示すると「夕張」は「ダーバン」を後ろに置いて
進んでいく、ダーバンも煙突から黒煙を出さないのを不審に
思っているだろう。
そう、夕張は世界初のガスタービン動力艦なのである。
ガスタービンは実はジェットエンジンと同じ構造をしている、
この基礎理論は1903年にノルウェーのエリングが完成させており
1930年にはフランク・ホイットルが特許を取ったがエリングの
技術を知っていれば10年は早く作れただろうと語っている。
つまりは少々早めに出しても問題はあるまいと思ったが
それを艦船用にするには克服すべき問題が多くあった。
W○kiの知識総動員と埒があかないので石川島造船所と
播磨造船所を合併させてしまった。
これは少し大人気なかったかも知れない。
正直もう少し熟成期間が必要とは思うがこの機関のいい事は
比較的軽量でユニット化しやすいのでメンテの時は
丸ごと交換もありかなと思っている。
COGAG(コンバインド・ガスタービン・アンド・ガスタービン)方式
(同種或いは異種のガスタービンを複数組み合わせた
推進方式で燃料効率良く動かすために作り出された。)を採用しており、
前世では自衛隊の艦船に採用されている機関である。
そうして進んでいくと現地の様子が無線で入ってきている、
すでに東京湾には「長門」「陸奥」を擁する第一艦隊が到着している。
それもそのはず15年ほど前に伊藤の爺さんが
「最初から判っているのなら避難させておけばよいのじゃ。」と言って
(災害避難訓練の日)という祝日にしてしまったのだ。
そのため全国で地震や津波などあらゆる災害を想定して
避難する訓練の日となったのであった。
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東京湾 横須賀沖
横須賀に到着した、横須賀工廠も被害が出ているな。
だが船渠にも船台にも船はいない、現在工廠は船渠の拡張・機材更新で
お休みという事になっている、工員も山口の室積に新設した工廠や
大神や呉などに一時的に異動している。
湾内に海軍の物とは違う艦船が停泊している、横に(LNIR)と大きく
ペイントされている。
「国際救助隊も来ていたのか。」
艦長が呟いた。
「極東支部の連中でしょう、防災の日に合わせて東京湾に来ていたのだと思います。」
(国際救助隊)League of Nations International Rescue は
新しく作られた国連の組織である。
半ば冗談で皆に話したらやけに乗りが良くて本当にイギリスに話を通して
共同提案してしまった、イギリス側も乗ってきたと聞いたときには天を仰いだよ。
実働部隊も1大隊の下に5中隊が存在し第5中隊が通信インフラの確保が任務で
第4中隊は海上(海中)の担当で、第3中隊が航空(航宙)担当、第2中隊が輸送担当
そして第1中隊が偵察、及び現場の全体指揮を執るようになっている。
そしてこの極東支部だが本拠は日本で主に退役軍人などが入隊している、
それはいいことなんだが何故か部隊で使う機体や艦に雷鳥○号
なんてつけるのは悪乗りのしすぎだと思うんだ。
そう思っていると目の前に濃緑色に塗られた強襲揚陸艦が通過した
舷側に{LNIR-02}と書いてある、噂をすれば{雷鳥2号}だ。
あの艦は第一次大戦の時に遣欧部隊を輸送した艦でLNIRに払い下げた物だ、
外見は航空母艦のような平たい甲板に小さな島型艦橋、船体後部には
大発動艇の格納ハッチがあり人員や物資の揚陸がしやすくなっている。
海軍仕様の艦は姫路級輸送艦という正式名称だが皆強襲揚陸艦と呼んでるのは
俺が基本計画図の隅に書いた落書きのせいらしい、
まったく本人の知らないところで勝手に使わないで貰いたい物だ。
この輸送艦は搭載している大発動艇と共に欧州で注目を浴び
ジェーン年鑑に掲載されてしまった。
しかも輸送船という名前ではなく此方でも強襲揚陸艦(Amphibious assault ship)
になっていた。
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第三者視点です
大発に乗った避難民たちは川を下り河口を抜けたところに停泊していた
濃緑色の艦に収容された。
大発から降ろされた彼らは着の身着のままで途方に暮れていたが
すぐに誘導係が彼らを連れて行ったのは沢山の器と割り箸が置いてある
テーブルであった、そこにいた係りの者は家族に器と箸を渡すと
器にお湯を注いでくれた。
「わあ、ご飯だ。」
子供たちが歓声を上げる、器にあらかじめ入っていた物は
フリーズドライされたご飯などの食品であったのだ。
これは譲が総研を通じて星一の低温工業に研究させて
軍用の戦場食や非常食として採用されたものであった。
このような事態に備えて各地に大量に備蓄されていて
避難民たちはお湯さえあれば温かい食事を受ける事が
できたのであった。
消防や軍は海上だけでなく陸上でも活躍した、火災の延焼を防ぐために
近衛師団や東京近傍の工兵部隊が建物を破壊して広がるのを防いで行き、
消防庁で編成されていた特別救助隊は犬などを使って瓦礫の下に埋まった
人の救助に活躍した、後にハイパーレスキュー隊と呼ばれる部隊である。
これらの部隊の活躍と元々避難訓練を行っていたために、
人的被害は譲の知る前世よりもかなり少なくなったのであった。
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