52話 生前譲位
※ プロットでは考えていたのですがまさか現実でも起こるとは思いませんでした。
本当に「事実は小説よりも奇なり」ですね。
11/19修正しました 薨去>崩御
※4/1修正
第三者視点です
1921年4月29日
摂政を務める裕仁親王の誕生日に政府より重大発表が行われた。
「今上天皇陛下退位、摂政宮即位へ」
多くの国民は知らせを聞いて驚いたが識者たちの中にはこのことを予測していた者もいた。
「児玉内閣のときに多くの改革が行われたがその中で皇室典範の改正も行われていた、その内容が天皇位の譲位であった、その頃から今日ある日を予想していたに違いない」
ある法学者は新聞の取材に応えている。
国民の間でも現天皇が{御病弱}との情報が流れており、この発表は国民の同情と次代の天皇への期待から支持する声が多かった。
こうして、譲位の儀式の日取りなどが決議されその準備が進められるのであった。
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譲視点
「爺さんたち思い切ったな」
俺は出張先の大神工廠の秘匿船台で号外を見ながら呟いた。
「まあな、だが無理強いしても良くないのは分かってるからな」
号外を届けてくれた本郷大佐がラムネを飲みながら答える。
そうなのだ、史実では大正天皇は1926年に崩御なさるがその原因は第一次大戦などの対応で激務に晒されたからと言われている。
摂政宮に裕仁親王が立ったのが1921年であったがこの世界ではすでに摂政として公務の殆どを代理されており負担は軽かったはずだだが、全くというわけではないのでこのところ体調が優れなくなっており裕仁親王が20歳になるのを機に譲位するということになったのだ。
「今後はどうなされるんだ?」
「離宮に住まわれ、葉山や那須などの御用邸を行き来されるということだが、もしかしたら静養の為に新しい場所に離宮を作るかも知れないな」
落ち着いて元気になって欲しいものだが…
「山縣の爺さんも年だしな、インフルエンザになったし」
山縣の爺さんは何とかインフルエンザからは生還するんだよな。
だが来年には史実では死去してしまうのだが…
「宮中某重大事件も原敬暗殺も無いから大丈夫かな?」
そう、この二つの事件は無かったことになっているのである。
宮中某重大事件は裕仁親王の妃に内定していた久邇宮良子女王が家系に色盲の遺伝があると婚約辞退を、山縣の爺さんたちが求めたことが事の発端である。
が、今回はその情報が出ても爺さんは動かなかった、自分が盾になるのが分かってて動かないよな。但し、久邇宮家にはキツーい釘が刺されている、天皇家の縁戚に相応しい振る舞いをすることを求めそれに反するようならば臣籍降下させるという約束だ、これは後に久邇宮家が天皇家の認めた婚約話を破棄して天皇の顔に泥を塗ったのと度々金の無心を求めて宮中に出入りし大正天皇の皇后を怒らせたりしたからだ。
原敬もまだ首相になっていないから暗殺されようも無い。彼は大臣を歴任しているが後藤新平が先に首相になったので現在は司法大臣をしている。それに現在は大臣クラスにはSSが付いてるからね。
この二つの出来事が心労になったんだが無くなったため、そのため爺さん元気なんだよな。
「伊藤の爺さんも元気だな」
大磯の別邸に普段はいるのだが近所を一人でぶらぶらと散歩して近所の人たちに「大将」なんて呼ばれているらしい。
この二人案外しぶとく長生きしそうだ。
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第三者視点
其の頃摂政裕仁親王はある人物を召していた。
「院長閣下、お久しぶりです」
「殿下もご壮健で何より…もうすぐ殿下では無くなるのでしたな」
そう答えるのは学習院院長を勤めた乃木希典である、現在は高齢の為一線を引き名誉院長の称号を貰い全国を回り講演活動や学習院の生徒たちに話を聞かせたりしている。
「院長閣下のお陰で何とかこれまでやってこれました、そして父上の後を継ぐことになる、そうしたら御顔が見たくなりましてね」
「畏れ多いことでございます、私のような無骨な軍人が院長など勤まるのかと思っておりました」
「いかにもな学者が院長でなかったからこそあの学校の生徒たちはたくましく成長できたのです、胸を張ってください」
そう殿下に言われて乃木の顔も綻ぶ。
「有難うございます、先帝陛下に勤め上げるようにと言われて居らねば陛下の後を追うつもりでしたからな」
「やはりそうか…あの時の感じたことは…」
「ですがこうして生きて多くの皆様を御迎えし、共に喜び共に苦労することで生きることを楽しいものだと思いました先帝陛下のご配慮に感謝しております」
「そうか、それは良かった」
摂政宮はこの乃木との会話を後に独白録で書き残している。
「いまだ老兵は死なず、矍鑠なり」
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