25話 金剛と日本の参戦
※ 3/18修正
話は少し時間を遡る
1913年8月16日に巡洋戦艦金剛は竣工した。1911年に起工してから2年と少しさすがにヴィッカースは仕事が速い、尤も組み立てはイギリスで行っているが機関とかは外注である、国際企業は違うね。
現地に派遣されていた乗組員たちが日本まで回航して到着したのは11月に入ってからで直に横須賀鎮守府所属になった。
日本で建造されている姉妹艦は2番艦比叡が進水して艤装中その後の三菱と川崎で建造中の榛名と霧島も同時に進水して竣工も同時になる予定である、どっちかが遅れたとか言って責任問題になって自刃なんてさせないのだ。
金剛だが俺の提案で前世と大分形が変わっている、もちろん球状艦首を装備している、これは最初秘匿するべきとの話もあったがどうせイギリスの情報収集力の前にはすぐにわかるし、実際に実験水槽で造波抵抗を割り出して形を決めないと態々その形にした恩恵が受けれないので猿真似しても意味のない物だからである。
あとは主砲の仰角を33度まで上げて最大射程を延ばし、13式方位盤も先に日本で作って搭載した、これで統一した射撃が出来るようになる、装甲も弾薬庫や主砲の装甲、水平部分の装甲はかなり厚くしておいた、尤も自分的には不十分なのだが思うように機関の出力が上げられなかったので速度低下が問題になるのでここまでにした、今後の改装に期待だな、装甲増加分は魚雷発射管を設けなかったこととケースメイト式の副砲を止めて砲塔型の速射砲を片舷6基12門搭載にしたことで軽量化に持っていった、これで27.5ノット公試で出せた。
要目は以下のとおりだ
満載排水量27550トン
全長215.5メートル
全幅29.5メートル
蒸気タービン2基4軸74000馬力
後続距離8500海里(14ノット時)
兵装 45口径35.6cm連装砲4基
50口径15.2cm単装砲12基
同時期に作られている俺が軍令部と揉めた戦艦の要目の方は
満載排水量32500トン
全長219.6メートル
全幅32.5メートル
蒸気タービン2基4軸55000馬力
速力24.5ノット
航続距離9500海里(14ノット時)
兵装 45口径35.6cm連装砲5基
50口径15.2cm単装砲12基
艦名は山城、扶桑、伊勢、日向になる予定だ。
これらは砲力を1基分上げて装甲をさらに増しているタイプだ。集中防御方式を用いていて砲塔、司令塔、弾薬庫、機関、舵機室の装甲を特別に厚くしている。
その分速度が犠牲になっているが同時代の戦艦が22ノット位だから十分太刀打ちできるだろう。
そして造船所と研究所の往復で忙しくしている最中に入ったのが第一次世界大戦の始まりであった。
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第三者視点
「日英同盟のもと直ちに参戦することを決定したい」
内閣総理大臣の発言にそこに居た者たちは唸り声を上げた、天皇陛下ご臨席(摂政宮も同席)の御前会議である。
元老として山縣が質問する。
「して、参戦は約定ゆえ合いわかったが、どこに軍を進めるのか?欧州かそれとも敵対しているドイツの東洋にある植民地か?」
「軍としては欧州へ派遣軍を送るべきかと」
防衛大臣がすぐさま答える。
「だが態々遠くまで行く必要があるのか?日露の時もイギリスは軍を送ってきてくれたわけではないぞ」
「いや、軍こそは送ってはこなかったが、イギリスが協力してくれたお陰で戦費も武器もそして敵の情報も得ることが出来たのだ、さらにバルチック艦隊を行く先々で妨害工作してくれて万の兵を送ってくれたに等しい」
ある大臣の言葉に総理大臣が答える。
「それに、今後の国際社会での日本の立ち位置を決める大事な戦になると思う、そのことも考えるべきだろう」
普段は慎重論が多い伊藤博文の言葉に驚く大臣たち。
「私も伊藤公の意見に賛成である」
さらに今上陛下(大正天皇)の発言に出席者は驚いた。普段は目立たず国事も摂政裕仁親王に任せていることから陛下は自分の意見を言うとは思っては居なかったからだ。
「国と国との間には信義が必要である、それ無くしては獣の争いと何も変わるまい、我が国は信義無き戦いはしてはならぬ、又信義を護るために戦うことは尊いことだ」
その言葉にはご病弱ながらも国を思う心に溢れており列席する皆を感激させた。
こうして日本は日英同盟に基づいて連合国側に付きドイツ、オーストリアなどの同盟軍に宣戦を布告することになる。
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