幕間話1 雨にもマケズ
※3/14修正
第3者視点です
1914年
「ようやくこの日が来たな」
伊藤博文が感慨深そうに話す。この日は全国的に始まったある事の第一歩であった。
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「うん?反応はないな、結核にはかかっていないようだ、BCGの接種を受けるように」
医者にそういわれた彼女は安堵のため息をついた、後ろで心配そうな顔をしている兄に振り返り笑顔を見せた。
「トシ、よかったな!」
最愛の妹の笑顔に兄の賢治の顔もほころぶ、彼は検査の結果初期の結核に罹っていることが判ったが治療薬も開発されているため、その服用を決められていた。
ここに、「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」で知られる作家宮沢賢治の人生が変わった、「永訣の朝」は生まれなかったが妹の無事な成人と結婚を見守った彼はそれ以上にすばらしい作品を後の世に送り出したのであった。
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予防接種法
1908年伊藤内閣の時に成立,伝染のおそれがある疾病の発生及びまん延を予防するために、予防接種を行い、公衆衛生の向上及び増進に寄与するとともに、予防接種による健康被害の迅速な救済を図ることを目的として制定された法律である。
(参照○ikipedia)
この法律も譲が渡していた資料から生まれたものであった、これによって結核から始まりインフルエンザ、日本脳炎また結核と近縁関係にあるためにらい病の治療法も進み、患者の新規発生の抑制と治療が進むことになる。
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「労咳(結核)が治せる時代が来るとはな、高杉さんも今なら…いや、今更言っても詮無いな」
伊藤博文は暗殺される筈だった年に高杉晋作の顕彰碑を寄進してその撰文もしている、彼にとってはどこまでも追いつけない先輩なのかもしれない。
又国民健康保険も整備され、農民などの自営者なども入れるようにして「国民皆保険」が実現した、この制度は欧州でも取り入れられだした制度で年金制度なども整備されていく。
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後に譲は「なんか大変大事になった」と語ったとされる。
本人は自分が結核になりたくなくて始めたことがこんなに大きな事になるとは思わなかったのだろう、その言葉を聴いたのが本郷嘉明であったかどうかは伝わっておらず、本当に彼の言葉であったかは定かではない。
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あくまで娯楽的なものでありますので政治論とかはご返事できないかも…
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