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平賀譲は譲らない  作者: ソルト
3章 昭和編
177/231

 幕間話 16話 数奇な運命を辿った戦時標準船たち~作り手も想像しなかった其の余生

※6/1修正しました

 お断り 昨今小説家になろうにて無断転載される事例が発生しております。




其の為此処にてお断りしておきます。




この作品は 私ソルトが書いたもので小説家になろうにのみ投稿しアルファポリス・ツギクルにリンクが張ってある以外は無断転載になります。










 戦争という物は経済を活性化させると言われている、確かに工場は休む事を忘れて仕事に励むし、新しい飛行機や船、車両が作られて戦地に送られている。だがそれは戦争で大量消費させられる命と物資を考えると決してプラスの収支にはならないのだ。


                              戦争と経済より


 戦争によって増大する海上輸送に備える為に考案されたのが戦時標準船である。日本では第一次世界大戦時にその嚆矢というべき船が出てきていたが本格的な登場は第二次世界大戦の時となる。


 用途と大きさなどから数種類に分類されて居りA型からT型まで存在した。


A型(総トン数:9,300、機関:ディーゼル・蒸気タービン、試運転速力:15.0ノット)

B型(総トン数:4,400、機関:ディーゼル、試運転速力:14.7ノット)

C型(総トン数:2,700、機関:ディーゼル、試運転速力:13.5ノット)

D型(総トン数:1,820、機関:ディーゼル、試運転速力:13.2ノット)

E型(総トン数:650、機関:ディーゼル、試運転速力:12.0ノット)

F型(総トン数:490、機関:ディーゼル、試運転速力:12.0ノット)

K型(総トン数:5,250、機関:ディーゼル、試運転速力:14.0ノット)五千トン型戦時標準鉱石船

TL型(総トン数:10,000、機関:蒸気タービン、試運転速力:19.0ノット)一万トン型戦時標準油槽船

TE型(総トン数:5,200、機関:蒸気タービン、試運転速力:16.0ノット)五千トン型戦時油槽船

TS型(総トン数:1,000、機関:ディーゼル、試運転速力:12.0ノット)千トン型戦時標準油槽船

特TL型(総トン数18000、機関:ディーゼル・蒸気タービン、試運転速力22ノット)下記参照

超TL型(総トン数20000、機関:ディーゼル・ガスタービン、試運転速力25~19ノット)下記参照


 基本設計は海軍艦政本部が作成し部品の共通化や工程管理の方法まで決められており建造期間の短縮に貢献している。


 この中でTL型・特TL型・超TL型は海軍が特に熱心に開発を進めており正規空母の補助的な意味合いを持つ超TL型(隼鷹型)空母や強襲揚陸艦のベースとなったTL型(小田原型・姫路型)特TL型(速吸型)などがある。

 

 これらは三菱重工業・日本鋼管・日立造船所・石川島播磨(IHI)などの民間造船所でブロック工法と新型溶接技術を用いて建造された。


 特にブロック工法に関しては日本鋼管の石井技術中尉(予備将校)が熱心に研究しており彼の指揮の下、超TL型隼鷹・海鷹 特TL型の風早・針尾は僅か6~5ヶ月で進水・竣工するという早さであった。戦後日本鋼管を飛躍させ(後に造船部門は子会社ユニバーサル造船となりIHIマリンユナイテッド・日立造船と合併しジャパンマリンユナイテッドとなる)日本のトップクラスの造船所に引き上げた。


 同盟国イギリスでも同じように戦時標準船が作られたが特に特TL型はイギリス側にも図面が提供され異母姉妹というべきラパナ級、エンパイア・マッケイ級等を産んでいる。


(注 イギリスやその他の国に供与された艦船は別途記載する物とする。)


 又これ以外にも特設監視艇・海防艦等も同一規格で大量生産されたので戦時標準船に含まれるという説も有るので此処に記す。


 特設監視艇は漁船に無線機・レーダーやソナーを付けたもので日本近海で操業する漁業従事者に格安で貸し出された物である。戦後はそのまま格安で払い下げられた為、それまで無線機さえ積んでいなかった者が多かった漁業従事者の安全と漁業の発展に寄与した。


 大きさは100トン以上から5トン未満までで殆どが木船であったが試験的にFRP(強化プラスチック)が使用された船もあり戦後に軽合金で作られた物と共に主力となった。エンジンはディーゼルでそれまで存在した焼玉エンジン(ポンポン船)が姿を消すきっかけとなった。

 

 これらもトン数で幾つかの規格に分けて同一設計による効率化を示したので戦時標準船に含まれるとされるのである。


 海防艦も1000トン級の船体をベースに開発が進められ鵜来型・日振型が作られさらに小型の丙型(海軍内呼称一号型、艦番号表示)丁型(二号型)が存在しそれぞれ80隻ずつ作られている。


 戦後は独立した国々に供与(事実上の譲渡)され長く使用された例もある。


 今回は其の中で数奇な運命を辿った船を紹介したい。


>>>>>>>


 大鷹は隼鷹型空母の3番艦として日本鋼管鶴見造船所で建造された。


 日米戦のハワイ沖海戦が初陣でその後も主要な作戦に従事する。


 戦後隼鷹型は本来の姿であるタンカーに戻される事無く各国に譲渡されることとなる。


 ハワイに譲渡された隼鷹・飛鷹 (アリイカイ・イオラナ) フィリピンに譲渡された神鷹 (ホセ・リサール) ロシアに譲渡され強襲揚陸艦に改装された雲鷹・海鷹 (イズムルーク・ジェムチュク )等と共に大鷹もフィリピンに譲渡され(アポリナリオ・マビニ)と名付けられた。


 譲渡された時保守的な問題からガスタービンを止めオーソドックスな蒸気タービンに換装された。その後、フィリピンの経済状態から空母2隻は多すぎるとなりアルゼンチンに売却されインディペンデンシアの後継として名前を継いだ。売却された時には数年港に係留されたままだった為、各部に荒廃が酷かったが故里である鶴見造船所で整備を行いアルゼンチンに赴いたときは新品のようになっていたと言う。


 この売却にはイギリスはいい顔をしなかった。当時のアルゼンチンは軍事独裁政権を率いるレオポルド・ガルチェリで彼は国内の不満をフォークランド諸島の領有権問題を持ち出して逸らそうとしてそれに成功しつつあった。フィリピンはフェルディナンド ・マルコスの独裁政権で売却を阻止しようとするイギリスの活動は功を奏しなかった。


 イギリスは日本に修理を受けないように干渉したが、修理の受注が完全に民間ベースで行われていた為(フィリピンに食い込みたい日本の商社が仲介した為)国家が民間企業に圧力を掛けるのは問題であると国会で野党が騒ぎ活動家がイギリス大使館にデモを行う騒ぎにもなった。


 この中で修理を請け負ったユニバーサル造船(日本鋼管子会社)はあくまでも船体と機関の修理のみで武装に関しては請け負わないと宣言しそれを実行した。


 其の為この時点では非武装のまま入渠し修理を終えて日本を出航した。


 その後艦は太平洋を進みパナマ運河を通りアメリカのチャールストン海軍工廠で再艤装を受ける事になった。その時の諸元は以下の通りである。



インディペンデンシア(旧大鷹> アポリナリオ・マビニ)

基準排水量  29600トン


全長      267メートル

全幅      34メートル

機関      蒸気ボイラー4基2軸58000馬力

        

最大速力   26ノット

航続距離   8000カイリ 15ノット

飛行甲板   248メートル×35メートル

         エレベーター2基(内1基舷側)

武装      ファランクスCIWS 2基

         シースパロー短SAM8連装発射機4基

         


搭載機    最大搭載数25機 F-4 A-4


 

 アルゼンチンに到着した時アルゼンチン国民は熱狂し「マルビナス(フォークランド)を我が手に!」と大変な歓迎を受けた。


 その後ベインティシンコ・デ・マヨ(元イギリス軍ヴェネラブル)が機関の不調を繰り返していたので、代わってアルゼンチン艦隊旗艦に就役しフォークランド紛争に望む。


 フォークランド紛争では奮戦し搭載機である2機のA-4がAGM-65 マーベリックをイギリス艦隊に向けて発射し、駆逐艦シェーフィールドを撃沈する功績を立てた。


 だが艦隊運用に長けたイギリス海軍に対してはこれが限界であった。


 反撃を開始したイギリス艦隊はインディペンデンシア撃沈を掲げて波状攻撃を行った。

 空母インヴィンシヴルの搭載機ブラックバーン・バッカニア2機がインディペンデンシアを守るピケットラインを破り4発のシーイーグルを発射した。


 そのうちの2発が右舷に命中し1発は機関部に命中し推進力を失い、もう一発によって大規模な火災が発生した。消火に勤めたが命中したミサイルの燃料が原因で燃え広がった所に潜水艦コンカラーによる魚雷攻撃で止めを刺され沈没した。



 結局アルゼンチンはイギリスに破れガルチェリは失脚した。この勝利は七つの海を支配したイギリス未だ衰えずと言う事を示した。アルゼンチンにはアメリカを始めとしてフランスやソビエトが支援をしていたが英連邦諸国と日本が睨みを利かせていたので結局表立った軍の派遣等は出来なかったのだ。


 

 こうして日本海軍の空母として生を受けた超TL型戦時標準船は其の生涯を閉じた。


 

 その後2015年に海洋調査船が海底調査を行い当艦を発見した。現在動画投稿サイトなどで公開映像を見る事が出来る。

 




ご意見・感想ありがとうございます。



ブックマーク・評価の方もしていただき感謝です。



あくまで娯楽的なものでありますので政治論とかはご返事できないかも…



読んでいただくと励みになります。




※感想返しが遅れております、申し訳ございません。




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