10話 譲(おれ)の出発した後の日本 その3
※11/22 修正
※3/14修正
※第三者視点
ポーツマス条約調印のニュースが全世界を駆け巡った。ある国では終戦に安堵し、ある国では日本の勝利に勇気付けられた、西欧諸国に虐げられていた諸国の民はそこに希望の光を見たのだ。
日本ではマスコミは概ね好意的な論評であった、政府系新聞社では「勇気ある決断、国民を救う」「勝利の誉れがすべて」などと書きたて特命大使の伊藤の交渉の巧みさが曲者ウイッテを封じたと伝えた。
だが一部の新聞は「桂太郎内閣は国民を売った」「伊藤許しがたし」と書きたてそれに乗せられた者たちが各地で気勢を上げることとなった。
ここで、政府は明治天皇の勅語を披露した。
「今、この時こそ国民一丸と成りて諸国に我が国の誠の心を示すべし」
諸外国に、欲からこの戦争を起こしたのではないと知らしめよとの言葉に感じ入る国民も多かったのだがやはり幾らかは扇動に乗る者が居るものである、それらは日比谷公園に集まり始めていた。
政府の制止も振り切って集まった者達は気勢を上げていたが、その公園を取り巻くように憲兵隊が集結していた。彼らは暴徒鎮圧用の装備を持ち公園から打って出たならすぐさま捕縛するように
命じられていた。
また、近衛師団にも出動が命じられ皇居や各官庁、各国の公使館や新聞社キリスト教会に対しても護衛についていた。
公園を包囲していた憲兵隊より一人の男が進み出て置いてあった演台の上に立った、何事ならんと注視する集団にその男はメガホンを口にして声を張り上げた。
「東京憲兵隊中尉 本郷嘉明です、こちらにお集まりの国民の皆さん、日本はロシアに勝利しました、戦地で戦った兵士の皆さんも、その兵士の出征を支えた銃後の皆さんも皆戦友です、皆、本分を尽くして今日を迎えました、怖い顔をした憲兵たちも心の中では戦勝を喜んでおります、戦が終わった喜び、勝った喜びを胸に家に帰ろうではありませんか、日本軍は戦えば鬼神も避けるほどですが、戦が終わればフェアプレーの軍隊として世界に認められております、貴方たちもその栄えある一員であります、皆さんが秩序を持って帰宅されるのを憲兵たちからのお願いでもあります」
この説得が功を奏してか集まった者たちは恥ずかしそうに三々五々公園から出て行った。
そうして、この説得に感動したのか「憲兵さん、憲兵さん!」とエールを送る者まで現れ始め、暴発一歩手前の事態は避けられたのであった。
翌日新聞は、「説得憲兵お手柄!」「力に頼らない鎮圧お見事」などと書きたて、海外にも「HIBIYAの奇跡」と伝えられることとなった。
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「良くやってくれた、本郷君」
「いえ、私よりもこの鎮圧法を考えた平賀君こそが褒められるべきです」
伊藤博文に激賞された本郷中尉は少し苦笑しながら答えた。この人物は平賀と伊藤たちが会ったポーツマスの会場に居たイケメンである。
「あの後あの憲兵さんに娘を嫁にやりたいが独身か?などと憲兵司令部に問い合わせが殺到しておるそうではないか、うらやましいのう」
そばに居た児玉源太郎は褒める伊藤の顔が心底うらやましそうにしているので女性好きの伊藤の又悪い癖が出たと半ばあきれ顔である。まあ、天皇陛下にまで女性関係の盛んなことを注意されたのは恐らくは長い歴史では伊藤くらいの者ではないかと思い直し口の端をあげる。
「まあ、あれで収まってくれてよかった、備えはしとったが戒厳令をせんで済んだからな」
「全くですな、そういえば今日発表でしたか?」
「うん、桂君も顔が立つであろうよ」
桂太郎内閣総理大臣は、日露戦争の終結というのを節目としてまた勝ったとはいえ多くの犠牲を出したことの責任を取って今日辞職を表明したのであった。
潔い桂の態度は「日比谷の奇跡」もあり好意を持って迎えられた。今後、再び総理の座が回ってくることもあるだろう。
「そして児玉さんに大命が下ることになりもすの」
山本権兵衛がうなずきながらそう言うと、児玉が答える。
「この機会を持って改革を進める、今この時が唯一の機会だろう」
「そうだな、日本の将来を決める大事な事だ、わしらも付き合うぞ」
最後に山縣が引き取り今後についての打ち合わせが始まった。
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桂の後には内務大臣兼台湾総督にして満州軍総参謀長だった児玉源太郎に大命が下った。
児玉は直ちに組閣に入り台湾総督と参謀総長は辞職したが内務大臣は兼任とした。前例の無い事に対しての質問に児玉は後に
「内務省をぶっ壊すつもりであったから」と答えている。
明治政府が始まって約40年、激動の一年が始まろうとしていた。
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