100話 欧州東部戦線 ~戦いは数~ その2
第三者視点
地上で両軍が戦っている頃空でも激戦が続いている、日本空軍はすでに数度の空戦を行い多大な犠牲をソ連空軍に与えていた。だがソ連空軍も落とされる端から増援を送ってきており多数のI-16と開発されたばかりのLaGG-1を投入してきていた。
立て続けに続く戦いに数で劣る日本空軍はなんとか機体と人員の遣り繰りを行いイギリスに機体の受領に行っているポーランド空軍の帰還を待っていた。
だが其処に計算違いの事が起きる。
ポーランド空軍に割り当てられるはずの機体、イギリスのスピットファイアの供給が不足していたからである、その原因はドイツの西進にあったのは皮肉な事であった、その為イギリス空軍は新型機体の更新を急がなければならなくなったのだ、さらに西進する独軍に恐怖したフランスが兵器の供与をイギリスに求めそちらへの割り当てをしなくてはいけなくなったのである。
さらに生産についても問題が生じた、エンジンを製作しているロールス・ロイスは、マーリンエンジンの作成を自社だけでなく共同開発していた石川島播磨(IHI)や川崎らと分業する事でエンジンの量産を進める事が出来た、だが機体の製作をしていたスーパーマリン社側の生産が追いつかず機体1機を仕上げる間にエンジンが2基出来る結果となり機体待ちのエンジンが大量にできる事となったのだ。その為ポーランド空軍には30機しか回って来ておらず持ち帰った物の焼け石に水という状態になったのである。
その為日本空軍は超過勤務体制を強いられる事となった為増援として海軍の艦載機を一時的に陸揚げする事になった、本来なら行ってはいけない事であるがそうしないと制空権を維持できなくなるので止むを得ない事とされた。
「各小隊、目標敵戦車! 突撃せよ」
欧州派遣艦隊空母天城艦爆隊隊長を務める江草少佐は麾下の部隊に指令を出す、彼らの搭乗する三十四式艦上爆撃機が急降下制動板を開きながら地上に向かって急降下していく。
「高度600mです!」
後席の偵察・電信員が所定の高度計の表示を読み上げると江草は爆弾を投下する、爆弾は狙いを外さずに戦車に命中し、BT戦車を血祭りに上げる。
「命中多数です!」
戦果確認をする後席の弾む声を聞きながら江草少佐は編隊に迫る敵機に気が付いた。
「敵機左上方! 全速で逃げろ!」
爆弾を落として軽くなった機体で全速を出して逃げるが流石にソ連の戦闘機の方が優速である、しかも数が多い。
「こっちの三倍はいやがる、制空隊は期待できんな」
上空を警戒する味方の戦闘機もいるはずだが相手の数が多すぎた、江草は覚悟を決める。
だが先頭を行く敵機が此方に鼻先を向けて撃とうとする刹那に上方からの火線が降り注ぎ敵機は火を吹いて錐揉みをしながら落ちていった、後続機も同じ末路を辿っていく。
「味方機です、ポーランド空軍機!」
旋回機銃を構えていた偵察員が歓声を上げる、江草は改めて味方機を目にして驚いた。
「スピットファイアじゃない? どこの機体だ?」
スマートな鼻先は液冷エンジン特有なデザインだが丸みを帯びた主翼を持つスピットと違うスマートな機体である、英国基地でも見たことの無い機体に江草は興味を持ったがここは戦場である、直に気持ちを切り替えて全機帰投を命じる、基地に帰れば判るだろうと判断して。
この日現れた新型機は東部戦線ではこの後なじみの機体となっていくのであった。ポーランドや日本・フィンランドにとっては頼れる同志でソ連にとっては忌々しい仇敵として。
イギリスのエンジンを積んだ日本の設計の機体jaskółka (ツバメ)の初実戦投入であった。
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マーリンエンジンが供給過剰になる事態は事前の調査ですでに総研は把握していた、その対策としてイギリスに進出していた川崎重工業に1943年に制式採用予定でテストを開始していた機体キ61邀撃機を現地生産するための打診が行われていたのであった。マーリンエンジンの開発に関与して気化器の改良に携わっていた川崎にとっては願っても無い話でイギリスのマンチェスターに進出していた工場で機体の製作を行うと共にオーストリアでも生産を開始した。
川崎jaskółka戦闘機(フィンランド名pääskynen)(両方ともツバメを指す)
全幅 12m
全長 9.15m
全高 3.7m
自重 2965kg
発動機 RRマーリンtype66 1780hp
最大速度 650k 6000m
航続距離 1600km (増槽無し)
武装 翼内 ボフォース20mm機関砲 ×4 (武式機関砲のライセンス生産品)
機首 同上 ×2
後に日本空軍でも欧州派遣軍に配備され三式戦闘機(飛燕)となる、正式採用は1943年ということになっているが現地で機種転換訓練を行い1940年後半には使用されていた。三七式はオーストリアで現地生産されていた関係でオーストリアでは採用されなかったが、機体はオーストリアに進出した川崎が機体を製作しポーランドやフィンランドに送りイギリスから送られたマーリンエンジンを現地で搭載して使用した、この戦闘機の登場で機体の不足はどうにか解消できたのであった。
又爆撃機の方も三十四式が固定脚の速度の出ない旧式であったため愛知航空機が開発していた機体にマーリンを乗せた物が登場した。日本では二式軽爆撃機(海軍名二式艦上爆撃機)と呼ばれた機体である。
二式軽爆撃機(海軍では二式艦上爆撃機) 彗星
全幅 11.5m
全長 10.21m
全高 3.12m
自重 2645kg
発動機 RRマーリンtype66 1780hp
最大速度 630k 6000m
航続距離 1500km
武装 機首 武式12.7mm機関砲×2(各400発)
後部旋回機銃 武式12.7mm機関砲 (110発×3)
爆装 胴体250kg又は500kg爆弾×1 両翼パイロン250kg爆弾×2又は噴進弾×2
当然ながらポーランド・フィンランド・オーストリアでも採用されkometa ・ komeetta ・komet(各言語共に彗星)と命名され活躍する事になる。
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地上軍はソ連領に入って50キロの所まで逆侵攻している、其処では掩体壕を掩体掘削機が掘削し地面をブルドーザーが均し余った土をホイールローダーがダンプカーに積み込み作業をしている。さらにトラッククレーンがコンクリートブロックを下ろして行き急造の野戦陣地を構築していく、その速さは同行していたポーランド軍将校も驚愕するほどの早さであった。
「うわさには聞いていましたが日本の工兵は優秀ですな」
「まあ、日頃から鍛えていましたからな」
答えるのは現在作業中である新編成された第一工兵師団の師団長である秋山徳三郎中将である。彼は若い頃派遣学生として東京帝国大学工学部で土木を学び野戦築城を専攻している。平時の工兵部隊は土木工事の受託を行って訓練を行っていた、新幹線の建設現場や三陸津波の復旧作業などをずっと行っており民間の建設会社も知りえぬ最新の技術を披露する彼らには除隊後に雇おうと建設関係の会社が虎視眈々と狙っており「工兵食いっぱぐれ無し」と呼ばれるようになるのであった。
「とりあえずここに防御施設を立ち上げて今後の拠点にします、敵が再侵攻してくればここで迎えう撃つことになります」
この防衛線はその後もソ連軍の侵攻を阻み続けポーランドを守ったのであった。
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