SPREAD2 SIAN’S STYLE
僕は癒戯酒 紫杏といいます。一人称がおかしい? いえ、これで構いません。周囲の方と少しばかり距離を置きたいものでして。そんなことは今回は他に外して今の僕の行動などに目を向けていこうと思います。今、冷や汗を流しながら僕は廊下を歩き、とある部屋の前で止まった。
この部屋には必要がない場合はあまり近寄らない。この家の人々は恐らく外部の人から見れば僕も含めて変人の気質がある。その中で一番の狂人であるのが『お義母様』だからだ。言わずもがなここはそのお義母様の部屋の目の前。恐らく、もう僕が居る事自体には気づかれていて中で準備しているのだろう。
「失礼いたします」
「入りなさい」
「お義母様。お呼びでしょうか?」
「えぇ、そろそろ貴女にも危機感を与えておこうと思ってね」
「は、はぁ……。どのようなお話しでしょうか」
「貴女、元々は『人間』ではないことには既に気づいているわね? それでも貴方には『生き物』としての要素がある。貴女の封印の一部を解除します。その代わりに……タイミングバッチリね。入って来なさい」
「お、おじゃまします」
「失礼いたします。奥様」
「失礼いたします。十八代目様」
その部屋はお義母様の力に満ちていて外とは少し違う。元々が人間離れしている一族である『八岐』の一族は人間よりも魔族に近い。その部屋に三人の少女が入ってくる。三人とも見覚えがありその内の一人に関してはあまりにも近すぎて正直驚けなかった。
そこに現れたのは風祭家のお二人とレイオス家の一人娘。……どちらも名家だ。
そんな家門の高い方々の中に私が混じっていることに……どうしても気後れと見劣りを感じてしまう。僕の力は……あまりにも恐ろしい力と聞くけれど〝使ったことがない”以上その力がどの様な物かは理解できる訳もない。
呼ばれた三人は皆が濃い特徴がある。男子とも見れる程に活発な見た目の女性で…この中の四人の中では一番強気な性格で風祭家の長女、風祭 芳香さんがいる。この人は面識が無かったけど……力の程はよくわかる。強い……私の無心眼でなら見えてしまう。強烈な魔力の集中。完全な人間の体にこれだけの魔力の保持量……この一族は異常だ。
次の方も同じく風祭家の次女で万里さん。物事に対して冷ややかな像が映るけれど、この人は内部に秘められた波が強く揺らめいていて、それを放出したら恐ろしいことになりそうだ。サバイバルゲームでも一撃に重きを置く戦闘形態を持つという。この人も……怖い。性格や特出した部分がある人はそれが長所であり短所だ。それを見せないこの人は……。霧のようで掴めない人だ。セミロングの長さの違う髪で判断しなければ三人はそっくりで長男の駆さん以外はわからない。……その駆さんも甘い顔立ちだから女装したら案外解らないかも。
最後にイオーサ・レイオス。この子が今の段階では未知数なために一番怖い。僕の力は……この子に似ている。お義父様とお義母様に封印されているのに内側で燃え盛るようなこの力の波脈には気づいている。そんな自分が怖い。イオーサの力…それは古代の神の力。一族の元の体は人間ではないことも僕と似ている。でも、本当に自分が怖いのは……この子の力よりも僕の力の波が大きく扱い難いから。見た目からも異質でイオーサは極度に髪の毛が長く目立つ。深い紅色は見ていて血をイメージさせクールな面持ちはそれを加速させる。存在が濃くて……怖い。
「風祭のお二人も今夜初めて話すから困惑するかも知れないけれど…貴女方のお家は私の力を遺伝的に欲しがっている。邪神の眼が…ね。そこで、そちらより申し入れがあり婚約者候補としてお二人が選ばれたわ」
「……」
「……質問は受け付けていただけますか?」
「えぇ、勿論」
「私は勿論、姉も…紫杏さんがその立ち位置に立っていると思っておりました。しかし、それを否定されて居るということになりますが」
「それに関してどちらがどうのと偏った意見をするつもりはないわ。でも、……この子達には長い間一緒に艶染と育ったという貴女達に無い過程もあるの。それに力の様子も大きく違うわ。条件が違うから貴女方は比べようが無いものね。生殖的に人間には人間が勿論、相性はいいわよ?」
ニヤリと気味の悪い笑いの後に八岐の家に特有の蛇神の力が漏れ出ている表れを目にする。長い舌に瞳孔の極端に広く鮮やかな瞳と異質な色合いの眼。額にある第三の眼に加え、鱗に覆われた肌の一部……。夜の間は彼女の力は増大する。それは紫神も同様でこの家族の恐ろしいところだ。風祭家のお二人が気づいているかは定かではないが僕達の細やかな仕草を観察するために全ての目が違う方向を見ている。
紫神の目とはまた違う目だ。お義母様は恐ろしい以上に行動の隅々に光らせる動きが『異常』な人だと僕は思う。
彼女等『八岐女』が持つ太古より受け継がれた力。それは人間だろうが他の生き物だろうが神や魔だとしても……。どんな物でも丸呑みにし、その力を奪い取れるという物。紫神も持つがお母様の力は他の存在から奪わずとも十分に無双できる程に過激で強烈であり邪悪だ。それをこの場で少し威圧を与えるために見せているらしい。
生唾を飲むのは僕を含んで三人だけ……。
イオーサは先ほどから何も言わない上に微動打にしない。長い沈黙の後に何を思ってか居住まい正しく立っていて、目を閉じていたイオーサが初めて口を開いた。
「奥様……」
「なぁに? イオ」
「そのお話。私は辞退させて……」
「ふぅ…。それは許さないわ。本当は言うつもりは無かったんだけど。現段階では貴女がまごう事なき第一候補なんだから。他の皆は現段階で等列。貴女のお母さんのジオも了承済みよ」
「ですが……」
「貴女には最終系の紫杏の本当の姿が見えているはずよね? でも、この子に今は使わせられる程のレベルがない。解るわよね? 爆華姫?」
いつも無表情なイオーサさんが怯えている。小刻みに体が震え、視線を落として唇を噛んでいる。彼女が怯えたり落ち着かない態度を見せるのは極稀なこと。初めてではないがこれはあまり見られない。
お義母様がこれほどまでに圧力をかけてくるなんて……。それだけ本気なのだ。確かに家督を継ぐことになる長男のことだ本気にもなるんだろうけれど、これでは僕たち四人にプレッシャーをかけて潰すだけの結果になりかねない。
このきわどくて居心地の悪い状況に更に新しい要素が加わり、流石のイオーサも含めた四人が当惑する。家の中ではあまり車椅子を使わないことや、面倒だと感じたり体調次第ではワープして移動するため、あの強烈で禍々しい気配があるのに僕たちには気づく事ができなかったのだ。
今やお義母様を抑え、世界の姿を変えてしまう程の力を有している少女。この話の中で一番のキーマンとなる艶染の妹にして、分家との扱いながら化物中の化物。本家にも劣らぬ力…いいや本家よりも危険な力を持つことから八岐の本家からも注視される少女。……………………僕の力を奪った張本人。
「母上は義姉上にお厳しいですね。本来、私の持つ『グングニル』はこの方の物。それでなくともお力を取り戻しさえすれば兄上を救うこともでき、最高の戦力となる事もお解りなのに」
「紫神…。貴女は少しお黙りなさい。それ程までに義理の姉を慕うのは兄弟愛としては良いでしょう。しかし、過分に情をかけることに繋がるわ。貴女は義姉を贔屓して評価してしまっている。こんなに感情的に脆い子を……」
「そうですか? フフ、それならば覚悟と言う意味で第一などではなく第二くらいまでなら許容範囲だと思うのですが? この『私』を表に出すくらいなら…ば。お安いでしょう?」
ギスギスした澱んだ空気が包み込む部屋は僕達には居心地が良い訳もない。芳香さんが落ち着かないのか足を踏み変えている。イオーサも指を握った手の指を組み替えたり、万里さんも癖らしい親指の爪を噛み始めていた。
だが、とある要素が投入されることでその空気は一瞬で消えた。この親子の相互威圧行為を止めたのはやはり家長たる人だ。父親の仁染様が止めに入る。
その直後に少々苛立ち気味の艶染も来た。まぁ、これだけ魔力を集中させれば空間が揺らいでも仕方がないか。それで先に仁染様、次に艶染が各々止めに来た訳である。ただ、この状況を知って居るのは仁染様だけ。息子の艶染はそれが解っていないらしい。腕の力を解いて眠そうに帰っていく。
その中でも仁染様はことの終息を図るために言葉を残していく。実際問題としてかわいそうなのは訳も解らぬ家族問題の応酬に巻き込まれただけの風祭のお二人だ。僕は……渦中の中心。その中でお父上が恐ろしいことを口にする。
怖い…。怖い…? 自分が揺らぐのは……とても怖い。自分が何者か解らないのに…。身勝手なことはわかる。それでも事が変わるごとに自らが急変していくことに僕は耐えられない。それがあるから紫神に力を奪われ、それを避けるべくお義母様に無駄な開放を封印されるに至った。それを……レベル3まで解くというのだ。最高値を10としての3がどれほど重い物かは皆には解らないと思う。しかし、0スタートでいきなりだ。訓練はさせて欲しい。
「何をしているんだ。母さん……紫神……」
「アナタ…」
「父上」
「……おっと、艶染まで来てしまったか」
「そりゃこんだけ魔力の波脈を引っ掻き回されれば感受性の低い俺でもわかる。この総会がなんなのかは知らないが五月蝿いのと面倒事だけは勘弁してくれよ。お袋、紫神。暴れたいのか? なんなら束で相手になるぞ?」
一瞬の濃密な殺気は本当にキツい物だった。強い風のように吹き抜けたそれは、まるで刃を突きつけられた様な、一瞬で……でも極度に濃い感情の波だ。本気の艶染の殺気?
解らない。でも、あの飄々と兄をからかい続けていた紫神が目を逸らし怯え、威風堂々のお義母様も猫撫で声ですり替えながら冷や汗を落とす。劔刃の血を受け継ぎ、なおも僕の力の一部を得てしまった哀れな少年。刃物を扱う体術に優れ、これまで数多の術師や悪魔、精霊、神仏を薙払って来た彼は…人間離れしている。
それを言うなら元来の姿が邪神だった僕が人間味を帯びている時点でかなり問題な訳だけども。それよりも力を操作しきれないのに……。その赤子の様な僕に力を与える人も…かなり際どい。お義父様はどのようなことを考えているのだろう。
「ふぅ、私としては紫杏の力は最初から三段階まで開放しておくべきだと思う。紫神に『グングニル』を奪われたのは私が能力で彼女の神体を破壊したことにも関係するが……」
「ですが、僕の力は……」
「おっと、言い方が悪かったね。君の主力は奪われた訳ではない。形が変わっただけだ。君が使おうとしないだけでね。そして、私も艶染の婚約者としては君を一番に推すつもりだ。
どうしてか理由が知りたいかい?」
「……はい」
「なら、この場では言いにくい事だ。また、場所を変えよう。それから母さんも紫神もあまり事を荒げないでくれ」
「はい。申し訳有りませんでした。父上」
「御免なさいね。アナタ」
「いいや、将来の姉になる人の話だ気にして当たり前だよ。母さんも息子の話だからね。過敏になるのは当然さ。
それから蚊帳の外にして申し訳ない。風祭姉妹もイオもそういう話があるのだということは受け取っていてくれ。それがどう傾くかは私達の自慢のヘタレ息子が決めることだから。みんなの思惑はこの際関係ない」
その場では解散させられたが僕はお義父様の部屋へと導かれた。暖かいココアはこの少々荒んだ状況ではとても有難かった。彼は生きてきた年数の違いが顕著に感じられる。優しいのだ。顔は艶染とそっくりでも彼に無い包み込む方法を知っていて、相手に負担をかけない間合いを理解しているのだと僕は思った。
心か。話の通りに僕の前の姿は人ではなく封印された遺物だった。僕は…長い長い眠りの中で時折浅くなる時に、僕の中に一つの感情が芽生えていた。
”僕はとても寂しかった”
その寂しさを補うためにたまたまその場に居合わせたあの時の可愛らしくて小さな艶染に言葉をかけてしまった。作られて間もない若い神であった僕は他の封印された神のように心を安定化できず…近づくことで彼に取り付いてしまったのだ。そして、それを阻止してくれたのが目の前の御人であった。本来は人間に作り出され道具として使われる僕達を同等の存在として扱ってくれる。僕は……彼に救われた。
今更、艶染に対して罪滅ぼしをするつもりもない。今更できないよ。彼、艶染の心や感覚の一部を奪ったのは紛れもなく僕だ。それが心苦しいから彼には同等に見て欲しくなくて……、あくまで使用人さんのように……使われる存在に成りたかった。
昔の僕は本当なら道具として扱われることを望んだ。それを無理にお義父様やお義母様にお願いしたが、結局は緩和された待遇を受けて自ら殻に籠ってしまった。結果的にその負担から開放されたくて、力がさらけ出された時に僕の能力である『スピア』の大事な部分を奪われた。それが影響し歪曲して幅が広がったのが艶染の力である『ブレイバー』だ。その時に新しい絆が僕と艶染に生まれたのである。それが何かって? 僕を……武器としての僕を彼に捧げる契約だ。
「君が怖がるのも無理はない。本来、幼児に満たない状況で人間に封印、保管されていた君は外界を知らない。そして、魔力や異能の波脈が異常な程強かった艶染に共鳴し起動。同じく使い方を知らない艶染も同様に傷を受け、どちらも深い禍根と後遺症を残すこととなった」
「それは以前にお聞きしました」
「まぁ、ゆっくり聞きなさい。焦ってもいいことはないよ。その後に常識はずれを起こしたのは艶染の方だ」
「どういうことですか?」
「君は紛いなりにも邪神だった。それが何らかの作用なのか、それ以外の力により君は『人間の女の子』として転生した。しかし私はもちろん、妻にもそのような力はない」
「それじゃぁ……」
「今の段階では君は艶染から作られ艶染により生かされていると言える」
手が震えてくる。聞きたかった事とずれるがそれに必要なプロセスを踏んでいるのだろう。僕が生まれた経緯がそこに必要ということになるのならば…それを僕は知って置く必要がある。艶染の本当の力がどの様な物でどの要素を持っているのかが解らない。それを聞いてからでも遅くはない。僕の力。それがどの様な物になっているのかが知りたい。
艶染の隣に居る事が僕の願い。奪ってしまった彼の未来を僕が補えるならばそれがしたかった。彼の腕がどうしてああなったかも理解できるかもしれない。受け入れる事が……。 今なら聞いてもいい。確かに胸に突き刺さるような圧迫感や燃えるような熱さと高揚を感じる。僕が人間として生きていて良いなら……。彼と一緒に居たい。僕が生まれた理由が欲しい。僕の存在意義を……知りたい。彼となら見つけられるかも知れない。
「あの腕は君の元の姿の一部だ」
「……」
「君の体は艶染の腕を触媒に作られた物で君が焦って本来の力を取り戻せばその体は蒸発し、消えてしまう。そして、艶染は腕を失う」
「どうすればいいんですか?」
「焦るな。まだ、続く。それが解ったのか紫神は君の力の一部を奪い。心情的に変異させ、未来を変えようとしたんだ。それに母さんも君の背を押すために今回は叱咤激励しようとしたんだよ」
「紫神が? お義母様まで……」
「まぁでも今の状況ならイオーサの方が劔刃の嫁には適任だ。劔刃の一族を纏めるのに君の心は脆弱すぎる」
「では、その中で何故レベル3の危険度の力を開放するんですか? 理解しかねます」
「君は本当に短気だね。落ち着きなさい。大きな理由は紫神を出さないため。それと艶染の神格化を遅らせるためだ」
「深刻なんですか?」
「いいや、艶染の腕は君が力を開放すればするだけ元の姿に戻る。ゆっくりとね。そして、高め合う。これが幼いながらの智将の才を持つ紫神の決断とその上を行く英知の箱である妻の決断でもあるんだ。
だが、一気に開放するのは先に言ったが艶染が追いつけない。君の力を理解し、アイツが君を隣に置いておけると感じた時こそ……新たな『劔刃』の当主と妻の誕生なんだ」
壮大なスケールの話を切り出され、困惑では間に合わない程に整理が追いつかず少しの間惚けてしまった。レベル3の力は体を硬化したり凡そ人間では有り得ない筋力補正と物理的な力の歪曲を引き起こす。そんな力だ。姿は人のまま……。化物になる。元に戻るだけと言えばそうだけど……。
「最後になるが何故、君を一番に推すかを教えよう。これが一番知りたいんだろう?」
「は、はい」
「君は私の娘であり幸せになって欲しい。その点丁度よい位置にアイツも居るしな。しかし、現段階では厳しい。どの面を挙げても君はイオに敵わない。君の意識しだいだ。アイツを護りたいか?」
「はい!」
その直後に体を包む暖かい空気に驚く。これが私の力を縛っていた物だとは考えにくかった。それでも何か暖かな物で重かった肩が軽くなる。
お義父様の力は暖かな派脈だ。なぜ、この人とお義母様が結婚したのか良く分からない。全くもって逆なのにだ。僕は作られた存在であるからルーツも何も無い。強いて言うなら僕は僕自身がルーツなのだ。書物に記された伝説や伝わり続ける出来事だけが神仏を象徴する方法ではない。
僕は……剣に封印されたとある力を持つ生き物の象徴。キリスト教に伝わり唯一絶対の神とその一族以前に栄えた神々が作り出したとされる神をも凌ぐ巨怪の力だ。僕の真名を聞くだけで人間はどのような生き物か錯乱する程に曖昧な巨大生物。
「ははは、君は本当に素直でよろしい」
「え、えと、その、な、何故?」
「私が妻と結ばれた理由を知りたいのかい?」
「こ、心を読まないでくださいよ」
「はは、私にそんな力はないよ。だから、君は正直だと言ったんだ」
強烈な人だと理解している。この人も劔刃流古式剣武術の免許皆伝の剣士で居合の達人だ。過去の劔刃流で類を見ない最強かつ美麗の剣士として名を残した人。そんな彼の息子はそれを凌駕する力を既に持つ。力……。力? 違う。僕に必要なのは力じゃない。
お義母様にも言われた心の面での成長が僕には必要不可欠なのだ。でも、どうしても、僕の中で受け入れない物が渦巻いていて……何もできない。いいや、怖がっているだけだ。変化に弱い僕は何かあった時にそれを受け止めて耐えられる自信がないから。確証を持てないから。逃げているのだ。
「ふぅ……。久しぶりに劔刃の家長の責を離れられる。はぁ……。あの頃が懐かしいよ。実はな。今と同じような事が昔にもあったんだ。あの子も……昔はああじゃなかったんだが」
「……どうしてお義母様はあのように?」
「僕が弱かったからだ」
「え、そんなはずは」
「今、君も思ったはずだ。それが君に必要な物だ。新約の巨怪『リヴァイアサン』。確かに僕は今の艶染の歳には免許皆伝の座についた……」
遠くを見るような緩やかな悲哀は彼の年齢も相まって雰囲気がなめらかに変わる。僕に何を伝えたいのか。僕を娘と言うお義父様は僕の真名を口にし少し問いかけるような視線を送ってきた。優しい瞳……。艶染もあんな風になるのかなぁ。
そんな未来を想像するだけで赤面している自分が情けない。あんな瞳の艶染に見つめられたら……。確かに想像しなかった訳ではないのだけど……。今更になってその先を考えてしまうと恥ずかしくて仕方ない。あまりにも今とかけ離れといるから夢物語にも近い。
「奥様? 悪役を演じられるのはおやめになってはいかがですか?」
「い…ま…さ…ら…あっ! ちょっとジオっ! 嫌がらせ? 痛いじゃない……」
「娘は『あの方』の事を好いてはいません。確かに主人として尊敬していますが、それ以上には見れないのでしょうね」
「ん…そうね。ちょっと強引だったわね。でも、劔刃の血を守るためにはやむを得ないわ。あの子がダメなら……」
「……娘も私もお家の内情を存じております。その時は娘も覚悟を固めましょう。でも、幼馴染として言うわ。紫神ちゃん。……無理をしてはダメよ? 体……辛いんでしょ?」
「ジオには何でもお見通しなのね。八岐の一族は代々が短命。あの人を支えたい。その一心で生きてきた。でも、終わりが近いのかもね」
「なりませんよ? 私やイオが居る内は……絶対に」
「なーんてね。そんなに早く死なないわ。私もやるべき事があるから」
僕と艶染がそのようになる未来が簡単には想像出来なかった。それは頑なに僕を遠巻きに追いやろうとする艶染の動きが理由だ。僕はどのように思われているのだろうか? 彼は間違いなく、現段階でもお義父様よりも強烈な力を有していて剣術も体術も魔の力を使わずとも飛び抜けている。
先程の初顔合わせで一人だけ、ただ一人だけ体に纏う魔力のベールが異なった彼に……実力で僕がついて行けるだろうか。レベル3の能力解放は確かに戦闘を解禁するという号令だ。でも、破壊を許された訳ではない。そのボーダーが覚醒レベル3と4で、さらにここで力の現れ方がかなり変わってくる。レベル4の発動は軍隊などを相手にする様な大規模な力になる。レベル3はまだ……。
「そこで……君にはボディガードと先生として人を呼んである」
「外部講師の方なのですか?」
「? 近いものはあるかな。僕は今回は艶染より上部の指揮官扱いだから個人的には教えてあげられないし。僕の戦術は対個体。君は乱戦向きだ。乱戦はまた少し違うからね」
戦闘を習うのは僕だけではない。でもほとんどのメンバーがまずは魔術の基本構造を学ぶところからのスタートだ。僕は一応のところ元が邪神だから今は使えなくとも魔術の構造や基本理念程度なら理解できているし。それよりも足りない物。それはお義父様が僕に言伝たとおりに格闘戦術の強化だ。それを学ぶために僕は別の人と学ぶのだという。それに関しては何も悪いことはないが……この力をどう使うべきか。僕は剣を使えない。能力が完全に把握できずともこの体がどの様なものかぐらいはわかって居るつもりだ。
「紫神ちゃんはどうしてリヴァイアサンに肩入れするの?」
「肩入れ何て余所余所しいものじゃないわ。私は彼女の昔の姿なんて今はどうでもいいの。……昔の私みたいで…可愛いのよ。お世話したくなっちゃう」
「そうだね。紫神ちゃんは昔はドジっ子で空回りが得意だったし」
「そ、それは秘密にしてよね」
「紫杏ちゃんは……どっちかというと石橋を叩いて割っちゃう感じだよね? 昔も虚ろで心のない人形みたいだったし。それが今、あれだけ成長したなら。私なら合格なんだけど?」
「ダメよ」
「何故?」
「劔刃の家に嫁として来るのなら。まだまだ甘いわ。弱すぎる。心の面で彼女は家のバカ息子を支えられないわ」
「……それで、あなたが悪魔に心を売って……、仁染は喜んだの?」
「……」
「あなたも真面目だし仁染君はとってもあなたに優しいから何も言わなかったんだろうけど。本当はドジで可愛かった貴方の方が彼は良かったのかもよ?」
ココアを飲みきり、お義父様の部屋から就寝の挨拶と共に出る。そして、僕の目の前にあろうことかお義母様が現れた。正しくは夜の時間は空気を吸って落ち着きたいのだろう。散歩するために廊下を歩いていた所を鉢合わせしたのだ。僕が明白な態度で後ろに引いたのを……あれ? 苦笑い?
それから僕はお義母様に半ば強制的に連行された。劔刃の家の敷地は広い。キャンプくらいしても全然間に合うから、初めての人だと迷うこともあるかも。お義母様は何を話すともするともなく僕の少し前を歩くだけだ。そんな時にとある事件が起きた。
「ぴぎゃっ!」
「……だ、大丈夫ですか!?」
「う、うん。ありがとう」
「鼻血出てます!! テッシュありますから早く上を向いてください!!」
何につまづいたのか解らないけれど…というか何もない舗装された道で転んだ……。
お義母様ってこんなキャラだっけ? と考えていると…忘れていた。この人には読心術がある。神経を研ぎ澄ますとか魔法を行使するとかの準備をしなくとも、彼女の目には字幕でも出るかのように僕の考えている事がわかってしまう。あぁ、まずい。お仕置きが……。
と、思ったらお義母様の方が小さく肩を落としていて小動物のように見えてしまう。お母様はかなり小柄な人であるから私と並んでも童顔であることも関係して、私の今の姿が人間であるから義理の姉くらいに見えてしまうくらい幼く見える。何歳かは…怖くて聞けないけど。
「私のこと。そんなに怖い?」
「え、えと」
「いいのよ。そう思わせるように生きてきたし」
「へ?」
「ねぇ、貴女は艶染のこと…好き?」
「お義母様。僕は…そんな簡単に今は言えません。艶染に僕が必要とされているなら……」
「これだから面倒臭い女って…はぁ、同族嫌悪かなぁ」
「お、お義母様?」
「私は力が異常に……いいえ、魔力と異能だけが異常に強いから人間としては体が弱くてね。病気がちで激しい運動もできない文字通りの箱入り娘だった。そんな私の実家には幼馴染の男の子が週一くらいで来てくれていて、その彼が私の心の支えで……彼がいなくなるのが嫌で無理やり今の形を結んでしまった。驚いたでしょ? 厳格で堂々としていて…鬼気とした化物だと思ってたんでしょ?
でも、違うの。本当は仁染がいないと何もできないし暴走するし、ドジで不器用で未だに家事の一つこなせない超絶ダメ女なのよ」
そ、壮絶なカミングアウトに息を飲む。惚けていると急に笑顔が飛び出した。綺麗……。今のお義母様の笑顔がお義父様の心の支えということなら、僕にも心のそこから理解出来た。でも、お義父様の言っていた意味はよく解らない。お義母様はお義父様と一緒にいる事が至極の幸せだと言わんばかりに頬を紅色に染めている。童顔だから本当に可愛らしい。小じわの一つもないし、これですっぴんだから驚きだ。
引きずる程の長く深い紫色の髪をいじりながらもう一度僕に問いかけてくる。僕の弱いところを自分と照らし合わせて、僕を変えて、僕を……艶染のパートナーとしたいのだと感じた。でも、申し訳ないけど。僕の中で彼の隣に居られる資格ができないとそれは許されない。僕の力はまだ未開。これから作れる。
……これから僕も頑張れる。