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突然ですが……今僕は死ぬほど恥ずかしい状況に陥っています。
いいえ、陥れられました。最寄の駅から二駅ほどの割と近い場所に大きな商業施設の集まったところがあり、今はそこに艶染と二人で向かっていた。原因はお義母様からの連絡騒動だ。呼びたい時に僕を呼べないのと一応は年頃の女の子ということで、連絡手段を手にしていた方がいいということらしい。『携帯電話』と呼ばれる物を買いにそこへ向かっているのだ。今のご時世では高校生くらいなら持つのが当然のように思うかもしれないけれど、劔刃のお屋敷に出入りする人間以外には、友人らしい友人もいない僕にはあまり必要性が無い物なのである。ただし、僕は魔法の類をまだ解禁されていないことから思念通話はできない。トランシーバーを持ち歩くのは……。ということで女の子らしくしなさいと…ジオニオーサさんとイオーサさん、お義母様に寄って集ってマネキンとか実験体のようにされ、普段しない化粧までされて玄関から押し出されたのだ。
筋肉質な胸板にぶつかったことで止まり、前を向くと……。そこには仏頂面の艶染が居て…直視できないのがどうにも僕の女々しさを滲ませてしまった。女の子だから女々しくていい? いいえ、僕は艶染を守ると決めたのでそれごときで…ごとき…ご…ご…すみません。無理そうです。
「はぁ……」
「ご、ごめんね。艶染」
「なぜお前が謝る?」
「だって、僕の買い物に付き合わせたから……」
「俺はそんなことでは怒らない」
「え?」
彼は表情一つ動かさずにボソボソと小さく、それでも僕に聞こえるように言葉を飛ばしてくる。
彼の心の波は本当に微弱でそう言う能力を持っていたり、感情に敏感な人でなくては解り難い。艶染の場合は心の動きは読めなくても、彼は癖でなんとなくわかる。左手で後ろの髪をなでつける時は頭の中で考えて言葉や行動を選んでいる時だ。周りに人が居ないから僕らは向かい合い、座る。奇抜な服装の彼といるのだが……。彼は僕が小さく言葉を流すだけで何か反応を一応だが見せてくれている気がした。いつもはこんなことはない。何故なら僕が隣に行こうとしてもどこかへ消えてしまうのだけど、今日は逃げられないと悟ったのか必ず僕へ言葉を向けてくれる。
薄い緑と白を基調に淡い蒼色のベストみたいなのを羽織って薄緑色の帽子をかぶった僕はいつもと違い女の子っぽいのか? いつも女の子しか着ない…イレギュラーは別として、そういう服なのに……。艶染は僕に目を合わせない。前から僕にはそこまで濃厚な視線を向けてくれてはいなかったけれど、それにしても今日は露骨だ。虚ろな彼の瞳に目を合わせると、彼はため息をつく。何だろう。今日は少しいつもと違う。
「はぁ……」
「どうしたの?」
「別に何でもない」
「き、気になるよぉ」
「……俺はお前に怒ることは少ない」
「そ、そうなの?」
「……これまでもお前に対して怒ったことはないつもりだ。それに、今日のはお袋やジオニオーサさん達がお前を着せ替え人形にしてて遅れが出たのが気に入らなかっただけ」
「……」
「あと、お前は着飾らなくても十分なんだ。それが…そんな服装してたら目のやり場に困る」
こ、これは…意識してくれていると思っていいのかな? 濃密な彼の放つ一言一言が今日は胸の奥で温かみを強くする。化粧もこういう服も嫌いだけど…今日は着て来て良かった!! と、そんなことを考えて居ると彼は窓の方向へ視線を移している。色白な彼は太陽の光とかそういう物を受けるとより際立って白く見えるために綺麗だ。骨格も細めだからちょっと怖く見える。視線も彼はキツいし。
すると、その視線に気づかれたようで僕を見ずに僕へ言葉を投げかけてきた。明白な僕の態度は他のみんなからすると面白いということでかなり弄られる。でも、艶染だけは僕を弄ろうとしない。…というか、彼の場合は元から少し苛めっ子体質で意識しなくても他の子からしたら……。僕もそれの影響で彼には毎度泣き目を見させられている。まぁ、僕の場合はまた別の部分もあるんだけど。
「俺の顔に何かついてるのか?」
「へ?!」
「お前はそういう素っ頓狂な反応するから周りに弄られるんだぞ?」
「そ、そんなこと言われても……」
「ま、俺も面白いと思うから直さなくていいぞ」
「うぅ……」
こういう会話の時も呆れ顔と濃淡の差が大きくない表情をしているから彼の感情は表面上読み難いし、他の人からしたら無愛想で怒っているとか勘違いされやすい。あと、そういうことを気にする人からすると、みんなが喜んでいる時に仏頂面だったりするから空気を悪くしやすいし、感情表現が希薄だから気持ち悪るがられたりしやすいのだ。
でも、慣れてくるとわかるようになるのだ。彼の表情は変わってない訳では無いし、行動の端々からその時の本当の感情がよくわかる。心情を変化させることに長けている劔刃の跡取りであっても体の記憶で動かしてしまう『癖』は簡単には治らない。思いの外彼はそういうところで感情が表に出てくるのだ。今だって彼は能面のように動きはないがこちらに体を向けて来た彼は脚を組んで頬杖でいる。彼の頬杖はイライラしている時か疲れている時、もしくは対話している時に対象への興味が濃い時の感情表現だ。脚を組んでいる時は大抵気持ち的に上向きの時……か極度にイライラしている時。よって、今の艶染は僕を弄って楽しんでいることになる。
そして、今日の彼はなんでか少しテンションとして高めなのだ。荒神君と道場に呼び出された時に一瞬だけ彼の心の動きは大きく変化した。それほどではないけど……彼の心の力は強すぎる。最近までは薄く感じ取れるだけの力しか持たなかった僕でもきっかけさえあれば解るほどに強力だ。今はそこまでしなくてもお義父様に封印の一部を解いてもらうことで、彼の弱い心の波を感じ取れるようになった。抑えをかけない彼の心の波を『心研剣技』の本来の使い方でない使い方だしても彼は大勢の人間を一撃で薙ぎ払えるのだろう。
「楽しいか? 出かけるのは」
「え? どうして?」
「いつもお前は俺に付き従うように家の中から必要な状況にならない限り出ないだろう? たまにはいいと思うが?」
「うん。楽しいよ“艶染”と出かけれて」
「そうか……『なんの気なしに……』」
「どうかしたの?」
「いいや、そろそろつくぞ」
「? ……うん」
一瞬彼の頬が赤らんだ気もしたけど……。何で?
ホームと電車の間に少し空間と段差があり、艶染に引っ張ってもらってホームに降りる。僕はいつもの靴ではないから履きなれていない。というか、イオーサさんやジオニオーサさんは本館のお仕事だけど、僕は艶染と僕の住む離れとその付近だ。だから土足でないことの方が多い。そのことからヒールのある靴は履き慣れないのだ。ジオニオーサさんやお義母様からはたかが5cmと笑われたけど……履いたことのない人間からしたらそれはかなり辛いことだ。実際の事を言うと靴擦れができていて、とても痛いしかなり違和感がある。
そのせいか歩くのも遅くなる。彼はそういうところによく気づくし、マメな性格であるから逐一後ろの僕の歩調を気にしてくれる。しかし、どうしても足が痛くて遅くなってしまうのだ。いつもならこれだけなのだ。だけど、今日の彼は違った。僕が辛いのがよくわかったのか横に来ると彼は左手を差し出した。この動作でいつもチクリと来るのは…彼には言わないことにしている。僕がそのことを気にしているのを彼は知っているのだろう。けど……彼は僕に必ず右手を向けない。それがどうしてなのか……聞きたいようで聞けないのがもどかしい。
携帯電話を買いに来たはずなのに足が疲れて歩けないせいで彼に迷惑をかけてしまう。それが嫌なはずなのに……。これまで優しくされなかった……。そういう機会がなかったから、僕はこういうことで彼が気にかけてくれるのがどうしても嬉しくてくすぐったくて……。
「大丈夫か?」
「う、うん。たぶん」
「多分とかいうのはやめてくれ……。気になる」
「あ、うん」
「それから…言うのはやめようかと思ったんだが腹の虫は大丈夫なのか?」
「……はい。お腹減りました」
彼は僕を引き起こしてくれる。
でも、僕の右手をはなさずに歩いて行く。……嬉しい。
水泡はまだ潰れていないけどその内潰れるかも。僕はそのまま和風な作りの定食屋さんに彼に手を引かれたまま入る。普通のカウンターに通されて隣りどうしになるように座り、メニューを選ぶ。彼の選ぶメニューを見ていると『味噌田楽』なる物を選んでいた。何なのだろう。味噌自体あまり見ないのだ。現在は3000年代で既に昔の人々が開拓しすぎており食糧がかなり不足している。人もその分減ってるけど。
その中で味噌などの発酵食品などは高級品に近い。それ以外にも昔の高級魚などは資源の枯渇から食べる事も希だ。それを食べる。彼はそうい味の濃い食べ物が好きで、家が基本的に和食で薄味が飽きているのかこういう時は濃い味の食べ物を主に食べる。でも、僕はモノともの素体が西洋文化にあることからどちらかと言うと洋食が好きだ。美味しい物なら何でも好きだけどね。
「お前は何にする?」
「じゃ、じゃあ、僕も同じやつ」
「わかった」
その時オーダーに来ていた男の子と彼は親しそうに話し、艶染はいつも持ち歩いている手帳へ何かを書き込んで僕へもう一度視線を返した。
彼の体つきから考えると僕は肩や腕は凄く華奢に見えるのだろう。毎日トレーニングしている彼は凄く筋肉質で角ばった体つきだ。でも、毎朝ストレッチをしてからランニングをするのだけど…彼はとても柔らかな柔軟性を持っている。この下積みが劔刃最強を実現させているんだと……最近になって気づかされた。彼は天才ではないのだと。
元々の才能を伸ばせる努力をそれだけしてきているから彼はとても強いのだ。そんな彼を眺めていると、いきなり彼の人差し指が僕の目の前にゆっくり近づいて来た。な、何? ……あてっ。デコピン? どういうこと? え、え、え? 何で? 何で? 何でデコピンされたの? ほへ?
「だから、俺の顔に何かついているのか?」
「……ち、違うよ」
「ん?」
「艶染は感情表現が薄いから、どうしても見てないとわかんないんだもん!!」
「そうなのか?『コイツ…こんなに明るい性格してたんだな』」
「だから見るの!!」
「そうか、悪かったな。悪かったついでに飯来たぞ」
何がついでなのかはまったくと言って解らないけども、僕らはそのまま昼食を食べ始めた。量も多くてお腹いっぱい食べれそう……。僕の趣味は食事と艶染の観察だ。……ストーカー? そんなこと知らないよ? え、だって一緒に住んでるし……。プライバシー? 大丈夫、僕の知らない彼の方がもっと多いと思うから……。
美味しそうに食べる艶染。彼は本当に美味しそうにご飯を食べる。そんな彼を見ていると僕も食べたくなるのだ。そんなこんなで僕は食事が趣味になっていて…美味しい。味噌って美味しいんだね。豆腐との相性もいいし、一緒に出てきたさっぱりしたお吸い物と塩味のほんのりある菜飯がとっても美味。
もう鼻歌も出てしまうくらい美味しいのだ。
そんな僕を見たらしい彼は僕のご飯のお茶碗に彼の味噌田楽をひと切れ置いた。表情の変化はやはり薄いけど……、少し口元が緩んでいる。そんな彼を見返すと小さく口を開いて僕へ言葉を飛ばしてきた。彼も僕を見ていてくれている? そうなのか? 前までも…というか確定的に僕と一緒にいなくてはいけない時以外は口も開かない彼が…今日は変だ。
「お前は嬉しそうに食うからな。ここはいいと思ったんだ」
「(ごくっ)……ふはぁ。うん、ありがとう」
「この後にお前用のデザートが来てから携帯電話を買いに行くぞ。その頃には足も少しは楽になってるだろうしな」
「僕だけなの?」
ちょっとだけ寂しくなるけど…そう言えば彼はそんなにたくさん食べないようだから……。僕がどんぶりでご飯をおかわりしていると隣でドン引きしていたのが懐かしい。でも、寂しい方が大きかった。気持ちの上では彼とご飯に来ているのだから、最後まで一緒に食べて欲しかったんだけど……。
すると、運ばれてきた…見ただけでわかる。とても美味しそうなあの水分の多い光沢のある香り高い果物……僕の大好物の『メロン』。艶染にしては珍しく微笑みというか呆れというか……よく解らない表情をした。でも、アレは笑顔と言えるだろう。急に恥ずかしくなり僕は顔を下に向けてしまった。恥ずかしい。普通の男の子ならよく食べる女の子は普通引くと思う。けど、慣れというか僕がよく食べることをしっているから彼もそれについては免疫があるんだろうな。
ご丁寧に半分に割られたメロンを更に四分割してある。そして、切り分けて食べやすいようにされているから楊枝で突き刺して口に運ぶだけだ。彼は甘いものが好きなはずなのになぁ……。彼はそのままもう一度手帳を確認してから僕の方に顔を向けようとした。その時を待ち構え、彼の口の中にメロンの一切れを押し込む。彼は一瞬驚いた様な顔をし、そのままどうやったのかは解らないけど別の楊枝で僕の口におお振りなメロンを押し込んで来た。うん……美味しい♡
「仕返しだ」
「……」
「どうした?」
「なんか、今日の艶染はいつもと違う」
「……それくらいの使い分けはできるつもりだ。家の中では俺は跡取りとしての姿がある。今は……妹と出かけてるんだ。これくらいは当たり前だろう?」
「……」
い、妹? 妹として……?
その後、僕のテンションは一気に下がってしまった。妹……。確かに僕は義理の妹の扱いだ。でも、それでは嫌なのだ。ご飯でテンションが一気にあがったぶんだけ下がった速度と落差があり、とても惨めな気分になる。彼は…そんな僕の心内がわかるようで何か気に障ったのか必死に考えているらしい。手を離してもらえないし……。あぁ、やっぱり……隣にいるだけでは認めてもらえないの?
前までは…それで良かった。でも、艶染と一緒に何かをする時間が濃密になればなるだけ、僕は彼との時間の暖かさにのめり込んでいる。もうそれを失う事ができないレベルにまで至っていたのだ。前までと彼の態度は際して変わらないのに……。僕はどうすればいいんだろう。もっと知りたいしもっと彼と居たい。でも、彼の中で僕の位置は動かずにずっとこのまま……。
「ついたぞ」
「う、うん」
携帯電話のショップなんて初めて来た。足も休憩を入れていたからかなり楽だ。でもショップの中では歩き回るなんてことはなく、棚に置いてあるデモ機を見て、軽くカタログで内容を確認するだけだ。
それでも艶染は真剣に見ている。何なのだろう。お義父様が使用料金については支払ってくれるとのことで僕はその携帯電話を持つ事ができる。それに今日は僕の携帯電話を買いに来たのでは? 彼もかなり真剣に見ている。そして、何故か彼も決めていた。彼はその携帯が気に入ったのだろう。実は僕もそれが気になっていたし……それにしようかな。
「紫杏は決めたのか?」
「う、うん」
「ん? 同じものなのか?」
「嫌?」
「そうではなくてだな。俺とお前の趣味が被るのは珍しいから少し新鮮なだけだ」
「……こらこら、許嫁ですら困らせるのかい? 君は」
「? 矢枕さん? なぜ……あぁ、ここに就職されたんですか」
だ、誰? 疑問符が飛び出した。元々僕は頭の回転は速くなくて、彼にいつも置いていかれる。今日もフォローされてばかりだし。そして、申し込みの際にその『矢枕 碧』さんから自己紹介があった。どうやら彼女も劔刃系列の関係者らしい。
これまで説明がなかったけど、劔刃流の総本家の苗字は『劔刃』だが…他の流派は皆の苗字が異なる。それに、劔刃の門下には何も日本人だけがなる訳では無い。本来、外国人はルーツの関係で使えないはずなのだが2000年に起きたグローバル化の関係で血が流れ出ている。それだからイオーサさんもお母様であるジオニオーサさんと同様に忍の型に属し、お母様に至っては免許皆伝の術師さんらしい。忍術の流派はあまり適正者がいないことから空席だったらしいけれど……。ジオニオーサさんもイオーサさんもすごい人なのだ。
そして、この人もその一人で…日本生まれなのだけど彼女は青い目に金髪だ。お母様が日本人でお父様がイギリスの方なのだとか……。
「なに? まだ縁組もしていないだと?」
「声が大きいですよ。それに……何を勘違いしているのか知りませんが、この紫杏は一応義理の妹です。今はそのようになることはないです」
「義理の…と認知しているならその気があるんだろう? ん? 答えておくれよ。艶ぉ……『それに…今はと念押ししたな』」
「拒否します。それから仕事をしてください」
「つまらん奴め」
二人の会話の中に気になるワードが幾つか出てきたが…今何かを言うとこちらに攻撃の手が向きそうなので僕は黙って下を向いていることにした。こういうお姉さんを相手にするとロクなことにならない。風祭の三兄妹の芳香さんもあまり僕は得意ではなく、気が強くてズケズケくるタイプはどうにも受け入れられないのだ。それが同性ともなればかなり深い所まで聞かれるに決まっている。
そして、僕のところに魔の手がのびた。いきなりの攻撃に僕は完全に取り乱して艶染の手助けがなければ完全に…一撃で壊滅状態に陥っていただろう。僕の気持ちをつかみに来た。彼女は何を思って僕にまで手を伸ばしたのだろうか……。今年で新卒の矢枕さんは劔刃の関係で特に艶染の家族と親しい流派の次期当主なのだとか。お婿さんを見つけたら彼女もこのショップをやめてそちらに専念するというけれど……この人の旦那さんになる人はどんな人になるのやら。
「こら……お前は総代に突っかかるな。申し訳ありません。艶染さん。あと癒戯酒さんも」
「あぁ……十文字さんがここの責任者だったんですか。なら納得です」
「ですが、御曹司自らがお連れしているんですから驚きましたよ。今日はお二人共が新規のご契約ですか?」
「そうですね。高校生になったので母に持つようにと言われまして」
「癒戯酒さんもそうなのかしら?」
「は、はい」
「お二人はお似合いですね。お二人で居られると本当に映える。先代様達にも負けませんね」
この人は『十文字 周』さん。武芸の達人といった風貌の凄く筋肉質な人だ。身長も大きい人で荒神君を思わせる。でも、比較的細目な荒神君と違い……本当にモンスターとかゴーレムみたいな人だ。いわゆるゴリマッチョ? 軽く矢枕さんを叱って僕らに話しかけてきたのだ。この人も劔刃に連なる人で当代の劔刃流槍型の当主さんらしい。若いのにすごい。
年齢は30歳くらいらしい。僕とは初対面だけど…艶染とは何回も会ったことがあるようでそう言う話し方だ。艶染を信頼し、艶染も尊敬しているという師弟の様な仲なのだと思う。優しそうだけど場をわきまえ、姿を変える本当の武士の様な人なのだろう。無心眼で見ると闘志のオーラがすごい。その瞬間に僕の方に彼は視線を向けた。
「癒戯酒さんは…正式に婚約されるつもりはないんですか?」
「へッ?!」
「十文字さんまで何を……」
「この場であまり大きな声を出せませんが……旦那様に申し付けられ様々に手を回しました。ですが、やはり、ほとんどの流派は堕落しています。艶染さんの本当の姿を知らないという事もあるのでしょうが……私はお早く貴方のお立場を固めることをお勧めします」
「考えていますよ。猶予がないことも…俺がどうしたらいいのかも。それよりも、十文字さんこそお早く結婚されるべきでは?」
「いやはや、流石は次代の総代だ。……しかし、貴方が思っている以上に貴方がしている防御は周りを傷つけています。お早く」
「それは家のことか?」
「いいえ…いずれお分かりになりますよ」
僕を見ながら言うあの人は僕が何を考えているか見透かしたように言葉を告げる。
怖い……猛将なのだ。智将の才を兼ね備えた獅子の様な人物。僕では到底人としての密度で追いつけない。そんなこんなで二人に送り出されて店の外にでた。契約や他のあれこれは店人と艶染にほとんど任せきりで、僕がしたのは契約者の欄に名前を書くだけだった。 保護フィルムやカバーなんかも艶染と一緒に選ばせてもらって十文字さんがプレゼントしてくれるというから何から何まで至れり尽せりだ。
……最後に十文字さんに意味深なことを言われていた艶染は何をするつもりなのだろう。お家のことに関わる事は僕には解らない。紫神もそこはシャットアウトされているらしいし、彼女の場合は興味がないだけか……。でも、僕にはとても興味のある内容だった。最後まで明言しなかった彼自身のこれからのことや彼が将来お嫁さんとしてもらう人のこと……。お家のことは早く決めなさいという十文字さんのアドバイスは彼の心にどう響いたのだろう……。
「仁染君、やはり君の息子の進む道は険しいよ」
『そうか……。ありがとう。それと済まないね。こんな面倒な仕事を押し付けてしまって』
「いいや、本家に仕えるのが僕ら門下の努めさ。でも……いい目をしているじゃないか。あの子」
『あの子?』
「癒戯酒 紫杏さん」
『艶染ではなく?』
「うん。多分、艶染君は早くから当主としての自覚を持ちすぎたせいか周囲に頼ることを完全に忘れている。背負う事が周囲を助けるのだとね。昔の君に似て…頑固な青年に育ったね、彼は」
『耳が痛いな、はは……。だが、君がそう言うなら紫杏はとてもいい嫁になってくれそうなんだね?』
「うん。少なくとも以前にあった婚約者騒動の時に集まった子達より数十倍…いいよ。ここまで言うと少し行きすぎかも知れないが…ベストパートナーというやつかな」
足が疲れてしまい、家から最寄りの駅の改札口から出ると靴の上の所に血が滲んでいた。
転びそうになった僕の手を艶染が握ってくれて……恥ずかしかったけど抱き上げてもらい、家まで背負ってもらった。玄関先でお義母様と私服姿のジオニオーサさんが待ち構えて、直ぐに駆け寄っきた。艶染が二人にいつもとは違う感情のキツい波をぶつけている。僕の靴のことや服装のことに関してかなり怒っている。あんな彼は珍しいけども……。
そして、そのまま僕は抱き上げられて自室まで運び込まれた。至れり尽せり…というか恥ずかしい。ぐったりしたイオーサさんに見られた瞬間に激写されたし……。もう今日が濃密すぎて嫌になる。そして、澄ました顔でそういうことをやってしまう彼が怖くもあう。僕はもう何回か彼にお姫様抱っこされて運ばれていた。何回されてもこれだけは慣れる事ができない。
その後、解りやすい程強い気配が僕の部屋の扉の前に現れる。お義母様だ。ノックをした後に僕の応答とは関係なく部屋に入ってくる。お義母様? ノックの意味わかっていますか?
「どうだった? うちのバカ息子は」
「あのですね……。僕もお義母様の義娘なのですけど」
「そう言えばそうね。でも、おまじないは効いたみたいだし、今日のところはいいわ」
「おまじない? 何か術でも?」
「はぁ……昔の私も同じことを聞いたでしょうね。でも違うわ……あの子が、何かの制約にとらわれずに真っ直ぐになれるおまじない。……貴女には女の子として好きな人に直接甘えられるおまじないよ」
そして、直後に今度はノックもなくレイオスさん親子が僕の部屋に乱入してきた。手押し車の上には大量の今日僕が着た様な衣装がある。それに、靴、化粧品、アクセサリー、バッグなど一通りの物があるのだ。
お義母様やジオニオーサさん曰く僕やイオーサさんは節約のしすぎだというのだ。必要以上の物をもとうとしないから僕らは地味になりがちになるという。だから、僕とはまた別口でイオーサさんを今日は連れ回したのだという。……だから、あのイオーサさんが化粧品までしていたのか。僕は…一瞬寒気がした。
「艶染とデートして…どうだった?」
「もっと、艶染の方からさらけ出して欲しいです」
「そうね、なら…貴女の方ももっとわがままになりなさいな」
「え?」
「私の子供の頃と貴方の決定的に違う所はそこね。私は…仁染を手に言える為にかなり貪欲だったわ。貴女はそれがない。何故なら…貴女は艶染の心の一部分をベースに作られたからよ」
……やっぱりそういうことだったんだ。
お義母様が言うには僕の前形であった剣の形状をした遺物には初めて手にした物が吸収され、糧となり新たな人間の形をした…意志のある遺物を作る禁術がかけられていたのだという。過去にさかのぼり、記憶を整理することでお義母様が見つけた事実だという。そのことをここでいうのだから何かしらのことがあるのだ。レイオス母娘がとても心配そうにこちらを見る。でも、向こう側からは見えないけれどこちらから見ると、お義母様は微笑んでいる。そして、僕を確りと抱きしめた。体温の低い人だ。そして、細くて華奢で小さな人。こんなにお義母様は頼りないのか?
「貴女は……艶染の優しさと諦める部分を吸収したの。でも、仁染によって術が完全に作用する前に切り離されてしまった。普通は…ここで貴女は存在していないはずなのよ」
「どういう…ことですか?」
「術が途中で壊れた場合…どうなるかしら?」
「作用しなくなり崩壊してしまいます。結果なにも残ら……」
「そうよね? そのはずよね? なら、貴女はなぜここにいるのかしら?」
「?」
お義母様は……僕をとても慈しむように抱きしめてくれる。彼女もお義父様の記憶を魔法でさかのぼり、秘術を併用してなんとか突き止めたのだという。お義母様とお義父様の息子の艶染は凄まじい程の心の波脈と膨大な魔力をもとより持ち合わせていた。だから、狙われたのだと……。その組織のことは今は伏せるけれど…彼は本当なら消えて然るべき存在の僕を生かしたのだという。
彼は…本来彼が最も得意とした居合の技である『極天反』に必要な相手を守り、危害を避ける部分…心の痛みを解る優しさを切り捨ててまで僕を存在させたらしい。どのようにしたのかは彼本人は解っていないだろうとお義母様も言う。それでも、強い気持ちがあり、僕を人として…本当は禁じられている肉片を媒体に新たな生命を作り出す禁術を用い…その魔力の大半をかけて僕を作り出した。
「貴女は…絶対にあの子と相性はいいわ。何故なら…貴女は彼自身だから」
「僕は……」
「いいえ、これは過去形よ。貴女から紫神と私でグングニルを切り取った。それは貴女に残されていた道具として束縛する因子を消したの…だから、貴女は“癒戯酒 紫杏”なのよ」
「あの……僕はどうすれば」
「貴女のしたいようにしなさい。艶染を……彼を支えられるように。優しく強くありなさい。確かに貴女に強さはあまりないわ。心の面でもね。でも、貴女は支えられる。私にはわかるの」
そして、その後……僕は二人に着せ替え人形にされた。イオーサさんと共に疲れきった。
晩御飯の前も足が痛くて……もうヒール高い靴は履きたくないです……。
「次は私と出かけましょうね。紫杏っ♡」
「は、はい『……もう、何とでもして』」




