第1話 じゃあカフェオレにしましょうか?
「おーい、総司。終わったからゲーセンでも寄ってくべさー」
授業が終わると同時に声を掛けてきたのは水野嘉孝、僕の友人でもあり良き相談相手でもある。
茶色く染めた髪と整った顔立ちのせいか、周りからは遊び人だの適当な人間だのと誤解されているが、実際は頭の回転が早く、なかなか話が出来る奴である。
「悪いけど今日はバイトなんだ」
「まーたバイトかよ。そんなに稼いでどーすんだ?家でも建てるのか?」
「まあ、そんなところだ」
と、適当に答えておく。
実際、高校生がバイトした程度の金額で買える家があったら見てみたいものだ。
「まあ、また今度誘うわ。家買ったら連絡しろよ?」
「ああ。庭付き一戸建てでも用意しておくよ」
そんな話をしながら、帰り支度を済ませた僕はバイトに向かうべく教室を出る。
僕が通う高校、二条学園からバイト先までは、歩いて15分程の所にある。
学校からの最寄り駅である紫陽花公園前駅は、紫陽花公園の他にショッピングモールや商店街で賑わう北口と、細い路地が多く昔ながらの店が並ぶ落ち着いた雰囲気の南口に分かれている。
バイト先の店は南口を出て細い路地を入った所にある、高坂珈琲店という店だ。店の入口には季節の植物を植えており、店内にはカウンターの他にゆったりと座れるソファー席が何席か用意されている。
「おー。やっと来たか。遅いぞ総司」
「おはようございます。店長、今日は授業が遅くなるからと昨日お伝えしましたよ」
「ん?そうだったか?」
店の裏口から入るなりそんなことを言ってきたのは高坂誠一、この店の店長だ。
すらりとした長身でヒゲを生やし、オールバックという何処に出しても恥ずかしくない典型的な店長である。
いつもとぼけてはいるが、店長の珈琲は格別に美味しい。店の雰囲気もかなりセンスがいいことを考えると、珈琲店を経営する才能は抜群だと言える。そんな洒落た店であるせいか、細い路地の目立たない場所にある店の割には繁盛している。
夕方になり、店の客が落ち着いてきたところで店長から淹れてもらった珈琲を飲みながら休憩。
ああ…ちょっと失敗したかな。仕事で歩き回って喉が渇いている時にホットは少々きつい。アイスを頼むべきだったか。まあ、淹れてもらったものなので贅沢は言えないが。
「なんだ?やっぱりアイスが良かったのか?飲みたいなら自分で勝手に用意しときな」
「いや、ホットで大丈夫です」
自分でなんて冗談じゃない。前に一度自分で淹れた時はとても飲めたものではなかった。
ろくに勉強もしないで淹れたのだからまずくて当然と言えば当然だが、それ以前に店長のコーヒーを飲んだら自分で淹れたコーヒーなんてわざわざ飲みたいとも思わない。
昼間は忙しいが夕方になると客足も落ち着いてくる為、店長とこうして休憩することが殆どである。
珈琲店と言っても夜はアルコールも提供しているので、夜になると仕事帰りのサラリーマンなどが来店し、忙しくなる。
こうして二人でゆっくりしていられるのはほんの少しで、あとは合間を見て交代で休憩を挟む程度だ。
「そういえば総司、学校はどうなんだ?」
「まあぼちぼちですかね」
「ぼちぼちって…つまんねーなぁ。彼女ぐらい連れて来いよ」
「そんなのいませんよ、モテませんし…そんなことより店長、その話先週もしましたよ?」
「ん?そうだったか?」
先週どころか毎週のようにこの話だ。確かに高校生ともなれば、彼女でも作って楽しい高校生ライフを満喫したいところだが、そううまくはいかないものだ。こうしてバイトばかりしている僕を見て、店長としても気になるところなのだろう。
高校に入学してからまだ数ヶ月、中学まで暮らした地元を離れて二条学園に入学した為、知り合いなど当然いない。
自分の生活に精一杯、ましてや一人暮らしをしている僕にとっては少しでも多くバイトをして稼がなければ生活が苦しくなる。親からの援助は多少あるにしても、自分の我が儘で地元を離れたこともあるので親に頼りすぎる訳にはいかない。彼女なんて出来るような環境ではないし、それどころではない。
夜の営業もピークを終え、客も数組を残すのみとなった。バイト終了時間の為、裏で着替えを済ませてから店長に声を掛ける。
「お疲れ様でした」
「おう。お疲れさん」
「ではまた明日もよろしくお願いします」
と、何か違和感を感じた僕は一番奥のソファー席に目を向ける。店長もつられて奥の奥を見る。
「店長、あのお客さんオーダー受けましたっけ?」
「いや?総司が接客したんじゃないのか?」
奥のソファー席には白いワンピース姿の女性が1人で座っている。
こちらに背を向けているので顔までは確認できないが、間違いなく女性だろう。
だが、見覚えが無い。一応、店に入ってきたお客さんとオーダーを受けたお客さんはチェックしているし、きちんと顔を覚えるようにしている。
ましてや夜の営業時間で、女性一人の来店であればかなり珍しい為覚えていないとは考えづらい。
「ちょっと言って来ます」
着替えを済ませてしまったが、もう一度店のエプロンをして奥へ向かう。
テーブルの上を確認すると、おしぼりと水が無い。
来店したお客様にはおしぼりと水を出してからオーダーを取る為、間違いなくオーダーを受けていないことがわかる。
19時過ぎに客足がピークをむかえ、かなり忙しくなる為、その時にでも来店したのだろうか。
忙しいとはいえカウンター席とソファー席が何席かあるだけで、決して広い店内ではない。
彼女が来店したことに気が付かないとは、僕はまだまだ接客のレベルが低いのだろうか。。と、そんなことを考えながら声を掛ける。
「お客様。失礼致します。まだご注文を伺っておりませんでしたでしょうか?」
と、同時に用意したおしぼりと水をテーブルに置く。突然声を掛けられたせいか、びっくりした様子で僕の顔を見る。
一瞬目が合ったが彼女は直ぐに俯いてしまった。
一瞬だけではあったが、色素が薄い茶色の瞳と肩まで伸びた綺麗な髪が印象的で可愛らしい人だと感じた。
しかし、どう考えてもこの時間に来店する年齢では無い。
おそらく僕と同じぐらいか、若しくはそれよりも幼い印象を受ける。
俯いてしまった彼女に再度声を掛けようとした時、彼女が顔を上げる。
「ごめんなさい」
「へ?」
突然謝られるとは思わず、なんとも間抜けな返事をしてしまった。
「何か注文しないと駄目ですか?」
「そうですね。基本的には何かご注文を頂かないと…」
そう伝えると困ったような顔をしてまた俯いてしまった。何も注文せずに席に座らせてくれる店など基本的には無いだろう。
注文してもらえないならこのまま座ってもらうわけにはいかないところだが、とりあえず店長に相談する必要がありそうだ。
「少々お待ちください」
そう言い残し、店長の元へ向かう。
「やはりオーダーを受けてませんでした」
「そうか。それで注文は?」
「それがですね…」
僕は店長に先程のやり取りを説明する。
「どうしましょうか?」
「普通なら出ていってもらうところだが、何か訳があるんじゃないか?」
「そうですね。何か気になります」
「総司、少し話を聞いてきてくれないか?別に混んでる訳じゃないから、何か訳があるのなら別に座ってもらっていても構わないし」
「わかりました、少し聞いて来ます」
そういって僕は再び彼女の元へ向かう。
「すいません。少しお話よろしいですか?」
彼女はこちらを見て小さく頷く。
さて、一体何を聞いたらいいのやら。
まずは来店した理由とここに座っていたい理由を聞かなければならないだろう。
どうやら道に迷ってしまった為どこか座れる所を探していた時に、たまたまこの店を見つけて入ったようだ。
来店した時に女性6人のグループが丁度店に入ってきたので、すぐ後に紛れて入ったのだそうだ。
僕が6人の接客をしていた時に空いていた一番奥のソファー席に座ったとのこと。だが、注文出来ない理由とここに座っていたい理由については口を閉ざしてしまった。
話が進まない…どうにも頭が痛くなってくる状況だな。ここは気分を変える為に何か飲みものでも持ってきたほうが良さそうだ。
「何か飲みますか?僕が奢りますよ」
「でも…」
「大丈夫ですよ。珈琲は飲めますか?」
「甘いやつなら…」
「じゃあカフェオレにしましょうか」
僕は席を立ち店長にアイスコーヒーとカフェオレを注文した。
席に向かう僕の後ろから、なんだ総司?口説いてるのか?などと言う店長の声が聞こえたが、聞こえ無かったふりをしておこう。
そもそも話を聞いてこいと言ったのは貴方でしょうに。
彼女にカフェオレを渡し、僕はアイスコーヒーにミルクを注ぎなから彼女を見る。
カフェオレを飲む可愛らしい姿に思わず頬がゆるんでしまいそうになる。
とはいえ、いつまでもこうしている訳にもいかないので、とりあえず飲み物を飲み終えたら駅まで送ることにしよう。
「道に迷ったのなら後で駅まで案内しますよ」
僕がそう言うと彼女は少し考えて、バッグから紙を取り出した。
「あの…これ読んでもらえませんか?」
彼女はそう言うと、その紙を僕に渡してきた。紙は無造作に折り畳まれており、ノートを破っただけのものだ。僕は言われた通りに中身を確認する。
ー必ず迎えに行きます。どうかそれまでこの子をお願いしますー
ただそれだけが書いてあった。
何やら面倒なことに巻き込まれそうだ。。。