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惑う

 三回目に会った時には、真昼さんは酔っ払っていた。僕は友達と行ったゲームセンターの帰りで、高校二年生の秋をそれなりに楽しく過ごしていた。

「伊織じゃない。今日は制服じゃないんだねえ」

 真昼さんは上機嫌で、僕の腕に腕を絡めた。まだ厚いコートの時期ではなくて、僕の腕には柔らかい感触がある。仕事帰りではないようで、引っ掛けたフリースの下には、ガーゼ生地のシャツと細身のジーンズだ。

「一緒においで。おねーさんが奢ってあげるから」

「十一時過ぎると、親がうるさいんだけど」

「大丈夫、それまでには帰すから」

 絡めた腕をそのままに、連れて行かれたのがハーフムーンだった。カウンターの他には二人用のテーブルが二つだけ、カウンターの中のマスターの背にはぎっしり僕の知らない酒の瓶が並んでいた。


「おや、まーちゃん。今日はお連れさんがいるんだね」

 テーブル席は二つとも人はいたが、カウンターには誰も掛けていない。少し高めのスツールで真昼さんはマスターに笑ってみせた。

「可愛いでしょ。弟にしようかと思って」

「まーちゃんが勝手に決めたんでしょ」

「そんなことないわよ。ねえ、伊織?」

 僕に顔を向けた真昼さんに、どう答えていいかわからずに、マスターの顔を見た。

「伊織君っていうの?まーちゃんは勝手だからね、適当に付き合ったら帰りなさい。高校生でしょ?」

「マスターったら、トシねえ。あたしが高校生の頃は何にも言わなかったわよ」

「まーちゃんは、高校生の頃からまーちゃんだからね」

 身内風の会話を聞きながら、マスターが目の前においてくれたグラスを口にして、むせた。

「なんですか、これ」

「エンシェント・エイジ。まーちゃんの好み」

 水で割っていないウィスキーをはじめて口にした。喉が火を噴きそうだ。

「やだ、この子、お酒の飲み方も知らない」

 高校生ですから当たり前です、なんてセリフは、この人には通じそうもないな、そんな風に思った。


 連絡先を教え、ハーフムーンを出たのは十一時直前だった。酔うほど飲んだわけではないし、夜の雰囲気を味わってみた満足感で、なんだか大人の世界を垣間見たような気分になったのは確かだ。結局真昼さんの苗字は知らないまま、僕はハーフムーンで何度か真昼さんに会い、むせながらバーボンを飲んだ。僕のMTBに荷台はなく、酔っ払った真昼さんはバックステップに立ってはいられない。だから、ただ行って帰っていただけだ。

 たまたまMTBのギアの調子が悪くてメンテナンスに出した日、母の自転車を借りてアルバイトに行き、帰りに仕事帰りの真昼さんに会った。

「今日、プレゼンでクタクタなの。後ろに乗せて送って」

「道交法違反だよ」

「道交法より、私の浮腫んだ足のほうが大事。送りなさい」

 本当に勝手な言い分で、真昼さんを後ろに乗せて自転車を走らせた。真昼さんは軽くて、腰に回した腕は細かった。マンションの入口まで送り、アリガトウの一言でオートロックの内側に消える真昼さんの後姿を見送る。何故言う事を聞いてしまうのか、僕にすらわからないまま。


「今日は満月だよ。サッチモと一緒に出ておいで」

「ルイだってば。どこにいるの?」

「いつかの公園」

夜の十時にルイにリードをつけて外に出ようとすると、母から行き先を尋ねられた。

「散歩。すぐ帰ってくるから」

 それほどうるさい母ではない。友人たちと遅くまで遊んでしまっても、いつまでも長引く説教をされるわけでもなく、他人に迷惑をかけてはいけないと言われるのみだ。それでも僕にしてみれば、いつまでも子ども扱いされているような気がする。母の身長など何年も前に越し、腕力は父より強い。そんな中で、経済的にのみ依存している筈なのだが、一人息子に注がれる視線は、両親が思うよりはるかに僕にとって鬱陶しいものだ。

「ルイを連れてるのに、遠くに行ったりしないよ。来い、ルイ。」


 公園に着くと、いつかと同じように真昼さんはジャングルジムのてっぺんで手を伸ばしていた。

「ねえ。ここで手を伸ばすと、お月様に手が届きそうな気がする」

「そんなわけ、ないでしょ。子供みたいなこと言わないでよ」

 また、ひらりと飛び降りた真昼さんが、ルイの首を抱きながら言う。

「子供の癖に、本当につまんない男ね」

「じゃ、一緒にジャングルジムの上に立てばいいの?」

「そんなことしたら、蹴落としてやる。ファンタストの男なんて、嫌い」

 しみじみと勝手な人だ、と溜息をついた。

 着ていたウインド・ブレーカーのポケットから銀色のスキットルを出し、僕に「ほら」と放って寄越す。ふわりとウィスキーの香りが甘い。一口だけ口をつけて、黙って返した。

「呑兵衛は、そんなものを持ち歩ってるの?」

「遭難したときの、気付けよ」

 公園のどこで遭難するのかは、聞かないことにしておいた。


 ブランコを揺らしながら、真昼さんは夜の空を見上げる。僕が子供の頃にすら空き地があったこの街は、すっかり都会の顔になって、星など見えない。

「伊織、あたしに会えて嬉しい?」

「真昼さんが一方的に呼び出すんじゃない」

「でも、嬉しいでしょ?」

 大きくブランコを揺らして飛び降りた真昼さんが、僕の前に立つ。ルイのリードを手にしたまま、僕は真昼さんと向かい合った。

「一緒に月が見られて、嬉しいでしょ?」

 瞳が光を放ったように見えて、僕の目は真昼さんの顔に吸い寄せられた。真昼さんの手が僕の頭に伸びて、びっくりするほどすばやく顔が寄った。触れた唇は思いの外冷たくて柔らかく、ほんのりウィスキーの香りがした。

「またね、伊織」

 ルイの頭を撫でて帰っていく真昼さんを、ただ呆然と見送る。駅からの道順が違うので気がつかなかったが、真昼さんのマンションが公園の裏手なのだと理解したのは、その後のことだった。

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