出会う
犬の散歩に出た夜の公園で、ジャングルジムのてっぺんに人影があった。黒いジャージに短い髪と華奢な肩で、家で面白くないことのあった中学生が、戻るに戻れず時間潰しをしているように見える。僕自身も反抗期が終わりきったとは言えず、同志のような気分で、見るともなしにそちらを見ていた。
ジャングルジムの人影は上手くバランスをとって立ち上がり、天に向かって手を差し出した。何かを掴みたそうな動きをしてから、手を下ろして座りなおす。そして二段降りてから、おもむろに飛び降りた。
ひらりと降りた人影は、そのまま陸上競技のクラウンチングスタートの姿勢をとり、じっと下を向いた後、いきなり走り出した。僕の連れていた犬は、そのスピードに反応した。突然のことにリードが僕の手を離れ、伸ばした手が遅れた。
「ルイ!戻れ!」
不承不承で振り向いたルイと共に、人影も止まって振り向く。暗がりの中で、鮮やかな笑みが見えた。
「誰かがいると思わなかった。ごめんね、犬君もびっくりしたね」
声は、落ち着いた女の人の声だった。
落ちていたリードを拾い、その人は僕の目の前に立った。
「子供が夜に散歩するなんて、この犬君はよっぽど優秀なボディーガードなんだね」
「子供じゃありません。女の人が夜の公園にいるより、ずっと危険度は低いと思いますけど」
ルイは女の人と僕の顔を見比べながら、尻尾を振っている。
「ルイっていうの、この子?手触りが気持ちいい」
シェトランドシープドッグのルイは、ご機嫌な声で「わふっ」と答えた。ただし、ルイの声は全部に濁音がつく。
「あはは。ルイって名前、もしかしたらサッチモ?」
驚いた。僕の周りでそんなことを言う人はいなかったから。
「そうです。母がファンなので」
「よし。ルイ、走ろ」
女の人はルイのリードを持ったまま、走り出す。結構なスピードだ。こんな堂々とした犬攫いはいないだろうけれど、仕方なく僕も一緒に走る。公園を一周したところで、女の人は足を止めた。明るい所で見ると、最初に中学生だと思った華奢な身体に、いたずらっぽい瞳の光る大人だ。短い髪が良く似合い、走って上気した顔は生き生きと輝いていた。
「ルイのご主人、お名前は?」
「初崎伊織。おねーさんは?」
「真昼。またね、伊織」
苗字だか名前だかわからない「まひる」という答えだけを残して、女の人は走り去った。
それが、僕と真昼さんの出会いだった。
学校の帰りにラーメン屋でバイトした帰り道、制服で歩いていると、向かい側からパンツスーツの女の人に声をかけられた。
「子供がこんな時間に制服でウロウロしてちゃダメだよ、伊織」
誰だか思い出せずに顔を凝視する。化粧を施したその顔が、夜の公園で走る顔に重なるまでに時間がかかった。
「公園で会ったおねーさん?」
「若いくせに物覚えが悪いね。サッチモは元気?」
「ルイです。しゃがれ声で吠えてます」
真昼さんは軽やかに笑った。
「これから、ちょっとつきあわない?バーボンの揃ってる店があるの」
「制服でそんなところに行ったら、補導されます」
「つまんない男ねえ。じゃ、またね、伊織」
変な人だ。それが二回目にあった時。